銀の館(下) (文春文庫)

  • 文藝春秋 (1983年12月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (416ページ) / ISBN・EAN: 9784167200145

みんなの感想まとめ

歴史の中で生き抜く女性の力強さを描いた本作は、日野富子の一代記を通じて、乱世を生きる民草の姿を鮮やかに描写しています。特に、蘭之介とゆうかのキャラクターは、彼ら自身の物語を持ちながらも富子の人生と交差...

感想・レビュー・書評

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  • 日野大納言勝光の妹として生まれた日野富子は、生まれながらにして将軍の御台所となることが宿命づけられていた。悪女と言われる日野富子であるが、政治力のある優れた女性であるが故に、そのように称されたのであろう。
    夫の足利義政や息子の足利義尚が退廃的な時代背景を象徴するいわゆる貴族のボンボンであり、富子が大黒柱として、この時代を強く生き抜いた事は、すごい事だと思います。
    悪女と言われるのは可哀想かな。

  • 2015/06/03完讀
    ★★★★

    心腹蔭涼軒逃離京都之後,1467年富子也下定決心只能靠自己讓兒子登上將軍之位,她也正式登上政治舞台(沒上班的主婦突然發現自己才能般欣喜)。義視官位晉升已經不斷朝向接班前進,讓富子相當有危機意識。此時畠山義就在山名的斡旋之下復歸回京,富子馬上拉攏山名成為忠僕,再暗示諸大名(她的帝王學:「相手喜ばせる術」)站在猛將義就這邊。山名的強力推動讓義就擔任家督,沒有個性和意見的義政又含糊曖昧不反對義就是嫡流。山名宗全盤算,不但這樣做可以賣義就人情,還可以把現管領畠山政長踢掉,斯波義廉就可以順利接任管領職。

    富子到細川教春家待產時,山名出動軍隊包圍御所,強力要求政長讓渡畠山館給義就,並向將軍家要求嚴懲不服從的政長和在後撐腰的細川,並為保險起見軟禁義視。細川認為將軍並沒有明言此事,山名過於橫暴,雙方一觸即發,義政又不願意下任何決定,逃避對畠山家事件做出任何裁斷,只想著讓畠山家內部自己去解決(自己也顛覆了自己的承諾,讓將軍家權威墜地),因此只說一句戰爭不好爾爾,叫義視要求山名、細川都退兵。細川苦吞這個要求,但山名希望可以讓畠山義就進入畠山館,兩方反而都開始賭爛義政。比起叫兩家退兵,讓畠山家自行解決,認可兩畠山的戰爭反而釀成大災禍。元月十八日拂曉,充滿危機意識認為難以抵擋義就大軍的政長,先發制人放火把畠山館給燒了,在御靈神社布陣,兩軍激戰。山名公然無視義政命令出兵相助,甚至將天皇移作到花之御所以免政長取得綸旨。在御靈神社拜殿指揮戰爭的政長因為無法獲得細川出兵的首肯,放火之後逃回領地,戰火看似暫時停歇,花之御所鬆一口氣,富子認為如此容易就完勝。

    三月上旬,從文正改元為應仁,五月細川勝元認為時機成熟,在26日包圍御所,和山名(布陣在靠西被稱為西軍,也是西陣這個地名來源,布陣主要位在京都南方。勝元被稱為東軍,布陣在花之御所為中心的京都北部。)展開長達漫長的應仁之亂。義視仗著勝元的氣焰,逼迫義政對山名宗全下追討令,但富子認為山名是她兒子的保護者,要求兄長勝光出馬幫忙,反而被勝元嚇得屁滾尿流交出御所的旗子,同時勝元也公然架空義政直接讓義視代行將軍職。富子意識到丈夫不可能會給任何承諾或負任何責任,只能靠自己,斷然決定倒戈勝元方!反而義視被迫離開御所,天皇上皇被迎入當大義名分。

    這場無責任的戰爭,雙方沒有動員很多兵力,根據作者的說法多半都是灌水報告可動員人數而非實際出戰人數,戰爭也多半是小規模局地戰(還會有民眾帶便當去觀戰、、、、),一次動員也不過百規模,持續數十年,沒有比這個個破廉恥的戰爭,許多只是為了參加本身就有意義(お義理戦争)。京都一帶不斷被縱火燒成野原,也是因為無責任的關係,這裡不是武將們的領地不痛不癢(むしろ大きな寺を焼けばいかにも景気がいい)。再加上流入武士團者及野盜等毫無秩序的人更是完全失控。

    大內上洛支持山名側之後,戰局一口氣倒向山名側,三寶院之戰細川家慘敗。在此時富子捲入和後土御門天皇的不倫戀中,天皇此時因為領地問題和義政間陷入冷戰,後來京都陷入一片流行病赤痢的侵襲,不倫問題歸於平靜。由於義政自小被訓練沒有自己的想法而沒有責任感,現在更是把沒責任感拿來放大絕(開き直る!)富子只好開始代替他操盤政治,甚至開始借大名錢,此時正好是土地轉向貨幣經濟的時期,富子正好搭上潮流,東西軍的界線開始被打破。義視逃到山名側,山名策畫要策立南朝天皇並改元,然而1473年山名宗全和細川勝元卻雙雙棄世。原本以為這樣就平靜了,但畠山義就認為自己還被認可為家督,赤松政則心裡還想要把被山名搶走的舊領播磨拿回來,依然還有著雜音,應仁大亂持續十年,在大內家為首的大名陸續返國才稍稍平靜。富子掌權有著大藏大臣的敏銳度,不斷地用錢生錢及借貸,以應付財政難,室町幕府暫時維持著小康狀態的無為時代,但也因不斷失火重建的增稅造成一揆頻起。

    丈夫義政在兒子義尚九歲元服後馬上讓出將軍位,終於可以脫離政事每天大興土木;而富子終於得償所願,母子之間關係良好,兒子也似乎文武雙全;兒子滿十六歲之後,她馬上安排日野家的定子嫁過來。然而此時發生義尚迷戀上父親的愛妾和泉局,義政(現在叫做小川御所)終於逮到機會報復お今以來的仇,義尚看似乖乖牌,其實獨善又容易暴走(室町後期の特色、政治への意欲と、頹廃への耽溺と、一見相反するかに見える二つの要素が一人の人間の中に共存する)他對於母親的有難迷惑開炮。兩個男人,一個沒責任感不時吵著要出家,這次又要富子選顧全他的顏面或者幕府,一個吵著如果沒有和泉局寧可出家。身為眾人注目的女王,富子不能讓公家或旁人看到她的脆弱,仍然是要回到現實面處理事情。好不容易讓義尚放下出家的念頭。義政接著搞失蹤,提出條件要讓他建山莊才要回來。此人非常無責任感,但是對自己想要達成的事情(造庭興土木)卻十分執著(而且還很難搞,他執政時問他他也不做決定,但他退離朝政後完全都不問她他又不爽),幕府開徵特別稅、徵人夫還搬走寺廟中的土木,引起大量反彈,讓義政在東山淨土寺山興建山莊。後來義政終於實現出家的心願,但作者說,蓋著蓋著常常缺錢才出現這個枯淡的世界,藝術實在很諷刺。再者看到這個閑雅之庭會誤會義政是個徹達禪味的人,絕對是買被り(人間と芸術は、それほど都合よく結びつくものはない!),他的出家只是他美學的歸結,既然東山山莊已經達到他所要的美的世界,他本人也不能再是俗體,而他還精心考據義滿出家之例,選擇他最愛的西芳寺、天龍寺造庭者夢窓疎石的袈裟得度;出家之後只能穿法衣與其說是脫俗精神,不如說這個顏色最搭東山山莊,而他終於也可脫下他的行政之責。

    義尚開始寵愛男色,讓男色對象彥次郎出場公式的騎射,富子一反對義尚就離開御所(父子都上演公方失蹤),還讓。年輕的義尚酒色無度,儘管他還有在視事,但很逞強什麼事都要讓人覺得他很行,漸漸身體過勞被疾病侵蝕。當時很多地侍和農民結合起來一揆,由於戰亂(畠山兩人還在河內相戰!),京都的公卿只能倚靠比較近的領地近江國收租,但近江國六角高賴強行佔領許多公卿領地,義尚便決定出馬親征。看到自己兒子親征的模樣,富子驕傲地覺得自己都是為這一天而活著。但六角採用游擊戰術,唯一的管領(斯波家式微,畠山家內戰)細川政元也私底下和六角勾結虛應故事,而義尚身體狀況越來越差,親征一年就在近江病逝。

    富子失去生存的意志,決定讓妹妹所生的義視長子義材接任,沒想到中風且一向對政治不感興趣的東山御所竟對自己仇恨的妻子來一次最後的報復,決定復任將軍職。義正的熱情除了討厭義視的細川政元在後面唆使,主要的原因就是對妻子的敵意,緩衝的兒子已經不在,看看你把兒子精心養成你要的樣子,不要像父親,結果聽你的話還不是死了?義政再次回鍋把富子的臉都丟光,但之後再很快再中風後過世,富子終於得償所願獲准出家─但當然不是為了義政而是愛子。而摩拳擦掌等很久的義視成為將軍後見職,但一年後他也離世,留下義材和即將倒塌的足利之世。

    作者認為,富子被日後史料和德川時代詮釋成惡女或守財奴,但她認為富子的努力讓足利政權稍稍延長壽命。至於義政,「彼のためにの寺となった東山御所は、すなわち慈照寺、銀閣である。世俗を超越したわび、さびの世界を象徴するかにみえるその建物の主は、無気力、無責任の生涯の最後に妙ないきみ方を見せて、その決着をつけないままその一生を終ったのだ。いま残る銀閣を見物する人々は、この時代の芸術感覚にだけ賛辞を送り、館の主の無責任さあや俗物性、その周囲をとりまく愛憎の世界をかえりみようともしない」「考えてみれば、ここまで幕府がどうにかぼろを出さなかったのは、富子の切りまわしのせいだった。母親としてつまずきの多かった彼女は、自分自身も気づかない才能、銀閣―銀の館の世界を支えつづけていたのである。が、いま、銀閣をめぐる人はだれも気づかない。」

    **
    這本書相當顛覆我之前的概念,惡女富子被寫成一個嫁給沒責任感的丈夫,為了兒子只好自立自強,雖然一心一意為小孩好反而引起小孩叛逆,在當媽媽之路跌跌撞撞,但在政治上撐起花之御所,意外地嶄露她的政治和大藏大臣的才能。只可惜夫妻關係是越來越糟,到最後丈夫義政復歸帶著敵意的報復手段可見兩人之間的關係已經是冰點以下了。雖然富子到底有什麼經濟才能這點倒沒有仔細交代清楚,某些史料沒有交代的政治細節也含混帶過,毋寧說重點擺在寫一個女人,一個母親,和她的丈夫、兒子的故事。至於ゆうか和蘭之介的橋段,作者想借用庶民來描寫整個時代的氛圍和世相,但有些過於冗長,應再刪減較妥,多一點富子的比重較佳。最後,義政這個人物的描寫令我非常地印象深刻。不知他是否實際是這樣的人,但這個塑形非常強烈且成功,讓我留下深刻印象,顯然作者似乎是真的很不喜歡他,讀完這本書以後參觀銀閣,我大概會想起這個小說裡令人感到「不気味」的男子吧!

  • 応仁の乱のドロドロしたドラマだけかと思いきや、日本の貨幣経済の始まりを描く。財政長官:日野富子の物語。


     応仁の乱も静まってきて、義政と義尚のダメ親子ぶり、それに振り回される日野富子の「キーッ」みたいな空回りぶり、そこらへんが見どころ。蘭の介とゆうかは、当時の一揆を演出するために大事な存在。

    ______
    p12 義政はケーサツなのに
     応仁の乱では京都の都で戦闘が起きた。本来、警察がこういうことを取り締まるはずである。この当時の警察こそ征夷大将軍であるが、その義政は我関せずを貫き、むしろ迷惑顔をしている状況であった。甚だ無責任である。

    p21 女の勝利
     1467年(応仁元年1月)、畠山政長と畠山義就の争いである。山名宗全のたくらみで義就が政長の屋敷を奪う形になった。その既成事実を作って家督も奪うつもりで、山名が将軍にそれを強訴するため屋敷を囲んだ。政長は屋敷を明け渡すくらいならと萬里小路の屋敷に火をかけ、政長と義就の戦が口火を切った。形勢は戦の巧手である義就が優勢をあげ、政長を都から追放させた。
     結果、政長についた細川は敗け、義就についた山名が勝ったように見えた。山名についた日野富子はもろ手を上げて喜んだ。歴史上の持統天皇や北条政子のように、自分の女としての勝利者になったと思ってしまった。

     しかし、戦いとはそんなに甘くはなかった。

    p22 まだ終わっていない
     日野富子は喜び撥ねていたが、世間では戦いがもう終わったと思っている者はほとんどいなかった。むしろ細川方の浪人たちは出世の機会を奪われてしまったためもう一悶着あると恐れていた。

     敗れたと思われていた細川は虎視眈々と機会をうかがっていた。一月末に、山名勢が将軍家の包囲を解いたのを見計らって、今度は細川勢が将軍家を囲み、年初の山名の挙兵を弾劾すべく追討の命令を出すよう将軍に迫った。山名と同じやり方でやり返したのである。
     山名追討を始められてしまった日野富子は青ざめた。

    p34 日野富子、転身
     山名がダメだとわかり、細川につくことにした。男は面目にこだわり、そんなことは絶対にできない。しかし富子は女である。そういう離れ業も可能である。できることをすべてやる、強かな人よ。
     ただ、問題は細川方につけば義視に勢力がついてしまい、義尚が将軍につくことが危うくなる、それだけだった。
     しかし、富子は細川勝元と図って、義視を小川御所から追い出すことに成功した。これにより、彼女と義尚の前途がだいぶ開けたのである。

    p41 応仁の乱3つの戦
     ①日野富子たちの後継者争い
     ②細川と山名の勢力争い
     ③応仁の乱の武士団に紛れ込んだ流れ者や火事場泥棒たちの闘い。生きるため、出世のために争いが起きてほしかったの。彼らにとって京都の町が焼けようと故郷でもないし他人事だった。だからこれほど京都が被害を被ったといえよう。

    p49 戦見物
     この当時よく戦見物がいたらしい。見物ののちの野盗だな。

    p55 南朝
     富子と勝元に追い出された義視は南朝の天皇を担ぎ出そうとした。この時代、南朝とは権力争いの道具として時たま顔を出す。

    p60 後花園天皇のすごさ
     後花園天皇は息子の後土御門に愛のこもった手紙を残した。それを知って日野富子は感動していた。
     この当時、上流階級の家庭では自分の子を自分の家庭で育てるということはなかった。生まれてすぐに家臣との政治的つながりを作る道具として利用される。
     それゆえ家族の絆はかなり薄い。天皇なら公式の拝謁ぐらいでしか顔を合わせることはない。そういう環境においても子供への深い愛を持ち、思いやりの手紙を出すなんてよっぽど変わった天皇だったはず。

    p73 32歳、円熟妻
     日野富子は愛のない足利義政との関係に耐えてきたが、ここで愛を求めてしまった。しかも後土御門天皇という特別な存在と…

    p84 祇園祭
     この頃、疫病が流行した。当時は病気は悪魔が持ってくるものだった。だから、虫送りという神輿が担がれて、隣町に疫病をうつすなんてことがされた。今の祇園祭や葵祭の原点である。

    p92 金
     応仁の乱で都が混乱して、交通と物流が絶えた。このことが貨幣経済の発展に繋がった。金には「貸与・借用」の機能がある。土地や米など現物がないと効力を発揮しないものではこの時代を生きていけない。何もない時代だからこそ、無から価値を生み出す金(借金)が発達した。
     この金融業に手を付けたのが日野富子であった。武士は商業を忌み嫌う。そういう囚われに左右しない女だったから金融に手を付けられたのだろう。
     この金を使って、自分の身の回りを固めた。武将に金を貸すことで恩を売ったのである。

    p102 ゆうかさんすごい
     「情けは人のためにならず」ということが分かっている。いや、この諺は間違った意味でね。
     貧しい人に施しを与えても、何の意味も持たない。もらい癖がついて、自立心を失ったらそれこそ害悪だ。
     現代の経済援助の現実です。これ。

    p108 儀式は家臣のためにある
     幼い義尚は将軍としての通過儀礼に不満げである。なぜこんな無意味な行事ばかりあるのだろうか。
     日野富子は答える「儀式は家臣のためにあるのです」家臣が主君に忠義を示す機会を与えなければ、封建時代の社会は成立しない。無駄だけど、有意義な無駄なのである。

    p113 知識は先例主義のためにある
     当時、自らが出世を望めば先例を探す。「こういった先例がございますゆえ、どうか私にもこの役職を…」
     現代でも知識は先例に対するためにある。先例に準じるか、覆すかはわからないが、知識と先例はセットである。

    p115 「無為」の時代を生み出した富子の財政力
     義尚の少年時代、1476年らへんは応仁の乱の争いも落ち着き、一時の平和を見せた。仕来たりに凝り固まった、儀式・遊興だらけの「無為」の時代を生み出したのは、日野富子の金貸しにはじまる財政力ゆえである。
     この時期の儀式や遊興費は、ほとんど富子が金融業で生み出した富で賄っていた。富子は悪女のイメージがあるが、非常に賢い財政のプロだったのだ。

    p134 焼け太り
     将軍や富子が住む小川御所が火事になった。しかし富子の財力ではちっとも痛くもかゆくもなかった。富子の金融業はますます頼られ、それにつれて富子のもとには返済による米俵が集まった。この頃から富子は米相場にも手を出して儲けを生み出した。本当にプロの投資家である。火事の後にさらに富を増やす、まさに「焼け太り」である。

    p149 一条兼良の書
     この当時の最大の文化人である一条兼良に富子は『樵談治要』という帝王学の書を書かせた。この中で面白い記述は、
    ①足軽の批判…建武の新政らへんから戦術が変化しているがこれを「武芸の退廃」とみている。武将が戦を恐れているから、戦を足軽に任せるのだと
    ②女性政治論…日本は昔から女性による政治がある。天照大御神も女性だし、推古天皇などの女系天皇や北条政子など歴史上女性がキーになったことがたびたびあり、政治の執行に男女の差別はないと言っている。まぁ、これは富子へのおべっかが強いが、当時の貴族社会はこんなもんである。

    p169 義尚のスキャンダル
     父:義政の愛妾:和泉局と関係を持ってしまった。これで親子関係が冷え込み、グダグダになる。この時、富子はこの二人の親子の血を感じた。お今に惚れた義政と和泉局に惚れた義尚、どっちも年増好きねぇ…

    p175 女とは正義を持って生きている
     富子は義尚のことだけを思ってこれまで汚いことも何でもやってきた。それが義尚に受け入れられなかった、どころか反発された。
     女性は常に自分が正しいと思っていることしかやらない。いや、間違ったことはしない。怖いから。
     ただ、その正しいことが、他人にとって正しいかは気にしていないことがある。
     「正しいことなんだから!」「正しいことなのに!」だから始末が悪い。正義を否定することになって、どうしても悪者が生まれてしまう。

    p202 世阿弥と義満
     今度は義尚ったら男妾をつくってスキャンダルしてしまった。三代将軍足利義満も能楽の大成者:世阿弥を寵童として寵愛した。世阿弥が義満の寵愛を受けたから能楽が大流行するんだが。
     この当時男妾を抱えるのはよくあることだったが、「秘密」が前提であった。暗黙の了解の秘め事だった。
     しかし、義尚は男妾である彦次郎を公式の場に出して、公に寵愛しようとした。大スキャンダル。
     母へのあてつけなのか、すげぇな。

    p224 細川政之が一揆の黒幕に
     一揆をおこす蘭の介の黒幕になっていた。
     以前は一揆を抑える役割を担っていた武将たちが、応仁の乱後にはそれを逆に利用するようになっていた。
     当時、暴利をむさぼり農民を苦しめていた土倉などの金貸しは、同時に武将階級にとっても危険な存在になっていた。彼らを没落させるために、一揆を利用していた。また、国人一揆を煽って、敵対する国に傀儡政権を作るのにも利用していた。

    p262 義視 VS 政元
     義視は応仁の乱で細川勝元に一杯食わされ、将軍職から遠く離されることになった。義視の勝元への恨みは果てしない。その息子の政元は、それ故に義視の血筋である義材が将軍につくことを全力で妨害した。

    p272 銀閣寺
     現代に残る銀閣寺は、室町時代の詫び寂びを体現した歴史的芸術として観光する人が多いが、これが作られた時代の泥沼を少しでも思い浮かべててほしい。
     この渋い建築芸術は、ドロドロの愛憎にまみれた建物なのである。

    _____


     いやぁ面白かった。

     ただ、時間かかるな、理解するのに。だからさらーっと流し読みして、二度読みしたよ。

     しかし、この室町時代のグダグダはまだ終わらない。この先もすごくすごく気になります!!

     戦国時代に至るまでの足利家の凋落っぷりをもっと知りたくなりました。

  • (1994.09.05読了)(1994.09.02購入)

    ☆関連図書(既読)
    「日野富子」真鍋和子著、講談社、1994.02.22
    「銀の館(上)」永井路子著、文春文庫、1983.12.25

  • 室町幕府とはなんともろい存在であったのか。やがて起こる応仁の乱。戦国時代へ突入するその戦に、息子への偏愛から富子も巻き込まれていくことになります。

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著者プロフィール

(ながい・みちこ)1925~。東京生まれ。東京女子大学国語専攻部卒業。小学館勤務を経て文筆業に入る。1964年、『炎環』で第52回直木賞受賞。1982年、『氷輪』で第21回女流文学賞受賞。1984年、第32回菊池寛賞受賞。1988年、『雲と風と』で第22回吉川英治文学賞受賞。1996年、「永井路子歴史小説全集」が完結。作品は、NHK大河ドラマ「草燃える」、「毛利元就」に原作として使用されている。著書に、『北条政子』、『王者の妻』、『朱なる十字架』、『乱紋』、『流星』、『歴史をさわがせた女たち』、『噂の皇子』、『裸足の皇女』、『異議あり日本史』、『山霧』、『王朝序曲』などがある。

「2021年 『小説集 北条義時』 で使われていた紹介文から引用しています。」

永井路子の作品

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