岬 (文春文庫 な 4-1)

著者 :
  • 文藝春秋
3.60
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本棚登録 : 1350
感想 : 115
  • Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167207014

作品紹介・あらすじ

郷里・紀州を舞台に、逃れがたい血のしがらみに閉じ込められた一人の青年の、癒せぬ渇望、愛と憎しみを鮮烈な文体で描いた芥川賞受賞作。「黄金比の朝」「火宅」「浄徳寺ツアー」「岬」収録。

感想・レビュー・書評

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  • 私が近所の図書館(再開されました)で借りた本は、ハードカバー版なのですが、ブクログで見付けられなかったので、文庫版で登録しました。

    文藝春秋(0093-303612-7384) 
    1985年7月15日 第16刷の版です。

    収録作品は、「黄金比の朝」、「火宅」、「浄徳寺ツアー」、「岬」で、一応文庫版と同じように思います。

    中上健次さんのことは知らなかったのですが、芥川賞を受賞した、「宇佐見りん」さんの好きな作品のひとつに、「岬」があるのを見て、興味を持ちました。

    ただ、私が読んだ作品は「かか」のみで、「推し、燃ゆ」は未読ですので、あしからず。

    「かか」もそうでしたが、この作品で印象的だったのは、家族がもたらす、切っても切れないような関係による悲喜劇や、濃厚さを感じるくらいに付き纏ってくる血縁の存在感です。

    特に、表題作の「岬」が圧巻で、主人公の「秋幸」には何人かの兄や姉がいるが、それぞれと母親は一緒だが、父親は異なる。そして、その父親は非道い男で、兄は姉の一人「美恵」が住む家で自殺し、美恵は父親と兄を失ったことを自らの罪であるかのように、悩み苦しみ、母親からの愛情をあまり受けられなかったと思っていることも、それに拍車をかけていて、次第に病んでいく姿が痛々しく感じられました。

    そんな美恵を見て、秋幸もまた悩み苦しみ、最初は、なんで既にこの世にいない父や兄に、現在生きている美恵の人生が左右されてしまうのかと思っていたが、それは視点の違いで、美恵からすれば、美恵だけの思い出があって、更には、母が秋幸だけと同じ家で暮らしたことによる兄の怒りが、自らに帰してしまった悲劇を、今も生き続ける姉の美恵が背負うのは、それこそ強迫観念ではなく、血を分けた家族だから当然そうするのだということを、誰が止められようか。

    そこに、兄と美恵、秋幸との間には、父親が違うという(今だったら、もう少し柔軟で多様な考え方も出来るかもしれないが)、確かな流れている血の違いを思い知らされて、秋幸自身は、自分の人生が突然楽しくなくなったのも、美恵のせいではなく、ろくでなしの父親のせいだと、矛先を変えていく。

    やはり家族の中の、血の繋がる、繋がらないという様々な血縁関係は、かけがえのない大切なものであると同時に、恐ろしさもあるし、悲しみも生まれうるということには、やるせないものも感じましたが、それだけしっかり向き合うべきものなのかもしれない。

    他の作品も含めて、すごく家族間としての人物描写に繊細かつリアルで、情感強いものを感じました。

  • 子供の頃から、30年以上。
    本屋さんで見て知っていて。いつかは読もう、と思いながら。

    あんまり暗くて重そうで敬遠していた中上健次さん。記念すべき初の中上さんは、やはり読書会がきっかけでした。ありがたいです。

    ######

    黄金比の朝
    火宅
    浄徳寺ツアー


    ######

    の、四編が収録されています。

    1970年代前半に書かれた小説だ、という以外は、何の予備知識も無しで読みました。

    読書会に挙げてくれた人が「暗いですよ、暗いですよ、暗いですよ」と予め警告してくれていたんですが。
    読んでみると。

    暗い。

    重い。

    救いがない。

    強烈でした。小説としての、なんというか、ヘビー級なパンチ力はすごいですね。多少外れても、一発入ったらもう立ち上がれません。

    中上さんの他の小説はわかりませんが。
    この本に収録されている四編は、まあ大まかに言うと似ている話です。

    紀州。和歌山県。
    の、山深き田舎町。親の代から、まあかなり貧しい家です。その上、昭和戦前から戦後くらいの地方って、(地方都市、ではありません。地方、です)良いとか悪いとかじゃなくて、そういうものなんだよなあ、というどろどろに満ちています。

    具体的には。
    母が数度結婚した人で。
    主人公=中上さんには、腹違いや種違いの兄弟姉妹がいっぱいいます。
    そして、遺伝子上の父はいるけれど、母と婚姻関係にはない。
    男たちは無教養で粗暴で暴力をふるい、酒を飲む。女たちはそれに耐え、罵倒するか罵倒される。

    仕事は土方が多い。
    将来に明るい希望はあまりない。
    だから酒を飲むし、だから荒れる。

     そしてそういったことが全て、生まれながらに与えられてしまっているんですね。

     これはえらいこっちゃです。

     こんなこと言っちゃなんですが、僕も親戚縁者血縁の中に、当たらずといえども遠からずな、一族が地方にいるので、なんとなくわかります。

     そして小説の世界では。

     そんな状況、そんな血の繋がりがある一方で。

     そうじゃない世界がある。
     そうじゃなさそうな世界、というか。

     戦後25年とかを経て。オリンピックも経て。まさにこの、「岬」の世界から遠ざかって、知らないふりをして都会でキレイゴトに暮らし始める。そんな、なんだか激変、身分、勝ち組負け組、摩擦ときしみ。

     考えたら僕自身は、彼らの子供の世代です。

     僕たちはどこから来たのか。

     そういう普遍性があるから、重いし暗いし切ないし娯楽性も無いし、だけど、やっぱり面白い。

    #######

    読んでからちょっと調べたんですが、中上健次さんの血統が、いわゆる被差別部落なんですね。

    なんともやりきれない、なんだか投げやりな人生という肌触り。根本的な、本質的な、圧倒的な、理不尽や怒りや、暴力やセックスという剥き出しな体臭が、覆い隠す余裕や品性やカッコつけを超えて。怖いもの見たさを超えて。

    うーん。山羊料理とか食べちゃった気分ですね。
    ちょっと味がすごいんですけど、これは多分、美味しい。
    僕たちはこうであってはいけないのだけど、それは僕たちが生まれながらに何割か、こうだからなんですね。
    そして、そうでないというのは、そうでないのではなくて、そうでないふりをして居られているという幸運だけなのかもしれない。

    そして、その醜悪さと悲しみを見据えた先じゃないと、キレイでも幸せでも、しょせんはツルツルしてるだけなのかもしれませんね。
    なんて思ったりして。

    #######

    黄金比の朝===
    東京、貧乏な大学生と浪人生。鬱屈して面白くない日々。学生運動に入れあげてしまって、大人ぶる種違いの兄。
    反発。
    どうにも饐えた、やり場のない10代の腐った感じがよく出ています。なんという不毛、そしてなんという純粋。
    身内を探している、知恵遅れっぽい娼婦のエピソードが、やりきれないくらい空気感を作っています。
    なんというか、初期大江健三郎さんっぽさが満ちています。

    ######

    火宅===
    黄金比の朝 の主人公が大人になると。家庭を持つとどうなるのか。
    要するに、酒を飲んでむちゃくちゃになって、妻子に恐ろしい暴力を振るう男のお話です。
    暴力性というのを、加害者の側から描いた感じ。
    主人公の男は当然紀州出身で、前述のようなどろどろの家庭の出です。
    そしてその出自が、東京でサラリーマンをしていて家庭をもっていても、主人公を精神的に支配しています。哀しい、なぞというよりも、加害される側のことを考えるとそれどこじゃないんですけれど。

    #######

    浄徳寺ツアー===
    いつもの主人公は、今度は2流の旅行代理店社員。地方の現実に向き合うような、ストリップとか地元のヤクザにおもねるような、泥水仕事。
     妻がいてもうすぐ子供が生まれるのだけど、粗暴で浮気している。
     その主人公が浮気相手の女と、とある田舎の寺のツアーを企画実行する。もう全般的にため息がでるような、救いのなさと品のなさ。なんでそうなのか。でも、そうじゃなかったら、じゃあ一体どうなんだ。そこで上品にして、どういう救いがあるんだろうか。
     嫌がる浮気相手ととにかくHしようとする男の浅ましさが、実になんとも触覚的なまでになまなましくて、なんでこんなにひどい話なのに哀しくなるんだろう。

    #########

    岬===
    いつもの主人公は今度は10代で、地元の岬の村に家族といる。
    土方をやっている。
    実の父がいるが、他人のように暮らす。
    つまらない刃傷沙汰。人の噂。偏見。アル中の厄介な親戚。腹違いの妹かも知れない娼婦。気が触れる姉。
    なんとも切なくドラマチックで、骨太で強固な小説。

    どれか1編、ということなら、まずこれで。

    • たまどんさん
      岬の主人公は10代ではない。兄が自殺した年齢と同じ24歳という設定。「(兄は)ぷっつり死んだ。それからちょうど12年目だった。彼は、24歳に...
      岬の主人公は10代ではない。兄が自殺した年齢と同じ24歳という設定。「(兄は)ぷっつり死んだ。それからちょうど12年目だった。彼は、24歳になった。兄が死んだ年に生まれた姉の男の子は、12歳になった。なにかが大きく変った。そしてなにかが、12年前の元にもどった。」文春文庫P207
      2018/05/12
  • 『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞した宇佐美りんさんが、受賞インタビューで好きな小説家を聞かれて、中上健次と答えていた。買って読んでいなかった『岬』が家にあったので、中上健次ってどんなもんだろうと軽い気持ちで読み始めた。中上健次を読むのは初めてだった。

    そしてあまりの男くささに驚いた。

    次々に変わる情景を的確に描写してゆくスタイルで、僕が読んできた小説家の中では一番テンポが早い。登場人物がどんどん増えていく。野暮ったい説明がなく、リズムがいい。そして内容が凄まじい。

    岬には4つの短編が収められているが、どの作品もどぎつい内容になっている。抗えない血筋に対しての嫌悪感が全開で、なんとも男くさい作家だ。ただ登場人物が多すぎて、誰が誰だかわからなくなるときがある。何度か読まないと把握できない。

    『黄金比の朝』 
    左翼の兄が、予備校生のぼくの家に転がり込んでくる。道で出会った風俗嬢に頼まれ、兄や友人と共に占い師を探す。登場人物が少なく比較的わかりやすい。クサレ〇〇〇〇という今の時代なら規制をくらうだろうパワーワードが頻出する。主人公の母も風俗業の従事者で、その母が貰ってきた食べ物を食べて育った主人公は母を嫌い、自分自身も穢れていると思っている。感情表現がストレート。兄とはことあるごとに衝突する。親父がオートバイで木に激突して死んだ設定。

    『火宅』 
    町に放火して回る無法者の男。どこからやってきたのかわからない。大柄な男で、ふらっとやってきてはどこかへ去っていく。僕の母親を孕ました後、別の女を2人孕ませて僕の母親から縁を切られる。その男の、子供であるぼく目線で、僕が居合わせなかっただろう幼少期の場面が語られる。幼いぼくの兄は男について回っている。「黄金比の朝」より誰が誰だかわからない。妹や伯父が多すぎる。「黄金比の朝」より内容がよりダーティに、書き方もより不親切になっている。後先を顧みない、暴力的で放火魔なその男の血が僕に引き継がれている。成人して家庭を持った僕は暴力で妻を脅す。田舎のじめじめした感じ、あるいはからっとした荒廃さみたいなものが伝わってくる。家の中の描写なのに路上のような放り出された感がある。男、つまり僕の親父は歳をとって老人になって、オートバイで切り株に激突する。あばらは砕け顔面はぐちゃぐちゃに。「黄金比の朝」と共通している。四作のうちで唯一実の父親について詳しく書かれている。いい意味で最もひどい内容の作品だと感じた。男の描き方がとても上手く、突き抜けている。男は無法者の犯罪者なのだが、同時に畏敬の対象というか、なにか神秘的なものも感じる。語りも幻想的でいい。

    『浄徳寺ツアー』 
    旅行会社で働く男。自ら組んだパッケージ旅行、「浄徳寺ツアー」で爺さん婆さんの相手をしながら思うのは、同じく参加してきた由起子との夜の不倫のことばかり。今度はおばあさんが多すぎて登場人物がわからなくなる。今頃は産まれているかもしれないな、と自分の子供を他人事のように考える。男を支配しているのは性欲。家庭のことなどどうでもいいのだ。
    「実際、子供などどうでもよかった。子供など親の快楽の滓にしかすぎない。滓が、親の足を引っぱる。足枷をはめる。」どぎつい、身もふたもない表現。
    血筋に関する言及があまり無い。四作のうちでは最もおとなしい作品だった。

    『岬』
    土方をしている主人公。家族関係は他の話と同じでもの凄くややこしい。登場人物も多い。ある日親戚の光子の旦那である、安雄が、光子の上の兄である古市の足を包丁で刺して殺してしまう。ショックで病気が再発し、発狂する異父姉・恵美。四作のうちで最もドラマ性が強い。その割にはどぎつい表現自体はなりを潜めていて、この控えめさゆえに芥川賞に選ばれたのかなと思った。まぁラストでやはりどぎついものが来るんだけど。個人的には火宅>岬=黄金比の朝>浄徳寺ツアーの順で気に入った。

  • 島田雅彦『深読み日本文学』より。

    多分苦手だろうけど、読まないとなあと思っていたら、隣の人の机の上にあって、まさに奇跡!だったので借りました。

    思っていた味でした(笑)
    直前に女子女子した小説を読んだから余計に、ガツーンと殴られました。

    「黄金比の朝」、好きです。
    凄惨なバイク事故で亡くなった父親。
    父親を亡くしてから、宴席にまつわるいかがわしい仕事をして、晩御飯を調達してくる母親。
    東京の大学に行って過激派に入り、除籍されて弟の元に隠れにやって来る兄。
    自分はそんな母や兄のような体たらくになるまいと、友人と下宿して受験勉強する浪人生、福善。
    逃れることの出来ない関係だから、受け容れることを拒否してしまう福善の青さがイヤじゃない。

    他の作品は、男と女を際立たせ、結局女はパーツでしかないのか、と思わせられないでもなかった。
    ウェルベックが引用していたジャック・ラカンの言葉『下劣にはなればなるほどよい』。
    まさに、これだな。

    でも、この話に出て来る女は、自分が稼いだ金で彼らを連れ回し、妹探しに奔走する。
    見つからなくても、また探すと言い張る彼女に少しの希望を見出せる。
    ……とまあ、こんな読み方をしている時点で、私にはやっぱり向いていない作家なんだろうと思う。

    蛇足。
    「岬」で実の妹とアレコレのくだりで、これが「料亭」システムなのか!と妙に感心した(笑)
    いや、以前ルポでちょっと齧ったものだから。
    消えてゆく時代を残している小説でもある。(初出が昭和50年だもんな、そりゃそうだよな)

  • 濃い。息苦しいほど濃い。質量を持つ粘着性ある文章が纏わり憑くようだ。上原善広著『日本の路地を旅する』で中上健次氏の存在を知ったが、彼自身に流れる「血」のどろどろと濃厚で噎せ返るような強烈なにおいが漂う。果たして饐えた臭いか鮮麗な匂いか、それは読み手次第だ。私は後者であった。

    段落を排し圧倒する文章と、受胎を「性交の搾りカス」と表現する鮮烈な感性が描く「血筋」を巡る複雑な人間模様は、そうしたものに憤り苦しんだ者しか生み出せない独特の空気感を持つ。彼自身、被差別部落出身であり、その特殊な世界で培った感性で以て人と人との生のぶつかり合いを描き出す。ストーリーらしきものはほぼない。だが読者を惹きつける引力はなんであろう。例えばゴッホのように命を削って作品を生み出す者の「才能」を見せつけられる作品である。

  • いわゆる「紀州サーガ」二冊目にあたる「枯木灘」を先に読んだ。「岬」が一冊目。
    「引用」に移した文章は本編ではなく後記のもの。
    作者は紀州の路地に住む一族の複雑な血縁を形を変え目線を変え書いているけれど、吹きこぼれるように表現したい自分の世界があるのですね。

    ===
    予備校に通う主人公の下宿に転がり込んできた右翼活動者の兄、主人公の友人、彼らが妹を探す娼婦と関わることになった一日。
    /黄金比の朝

    「枯木灘」と家族関係はほぼ同じ。
    枯木灘で秋幸にあたる人物の兄の幼少時代から始まる。兄が引き入れた「男」が母を孕ませ、長じて母に捨てられたと兄は自殺する。
    主人公の鬱屈も激しく、父を憎み想い飲んで暴れて妻を殴る。
    /火宅

    主人公は旅行の案内人。妻は出産を迎えている。何度も降ろさせた。今回のツアーはお寺の檀家ご一同。死の近い老人、白痴娘、旅行の話思ってきた彼の愛人。
    /「浄徳寺ツアー」

    紀州の山に囲まれた路地は火付けと殺人が盛な土地。
    主人公はその鬱憤を異母妹と思われる娼婦と関係することで晴らそうとする。
    /「岬」

  • 中上健次の短編4つを収める。荒んだ心や暴力的な描写が多いが、猟奇的なものを描いているのでなく、繊細な人の心を描いている。自己の出自や家族をテーマに扱うものが多かった。

    『黄金比の朝』
    青春小説といっても差し支えないかもしれない。しかし「青」というよりは、元は清涼であった青い木綿に泥濘が染み込んだようなメランコリックなブルーである。彼らを穢したのは環境や境遇や時代である。若者の青臭さというものが、醜く、残酷に働いてしまっている印象を受けた。だが彼らはある意味被害者なのであろう。主人公である語り手は優しさや思いやりのようなものをすっかり無くしてしまっている。彼の視点から描かれる、兄の、淫らなお店で働く哀れな境遇の女に対する優しい行動やらは、兄の青臭さや下心が悪い方向に働き、醜い行動をしているように映っている。読んでいる方もこの醜さや恥ずかしさのようなものがひしひしと伝わりむず痒くなった。彼は自分の親や兄を反面教師にして、己は一人で真っ当に生きるという反骨心のみで形成されている。彼がよく頭に思い浮かべるfuse,a fuseという単語は今にも爆発しそうなつもりに積もった鬱憤が限界に差し掛かり、吹っ飛びそうな印象を与える。主人公の兄は大学で過激な党派に所属していたため退学処分となり、恐らく警察などから追われる身になったので主人公の家に身を潜めている。彼は社会の間違いや、大層な思想を主張してはいるが、結局は弟同じように境遇や時代の恐怖からの遁走でしかないのであろう。主人公と兄貴は異母兄弟である。この二人の複雑な境遇は同じように働き、真逆の人格の二人になった。若い内からここまでの醜い社会を目の当たりにしてしまう彼らは一体どうなってしまうのだろうか。
    タイトルの「黄金比」という言葉がどういう意図で使われているのかが判然としなかったが、おそらく最後の兄の「過激になれ」という言葉に何かの触発を受けたのだろうと思う。この言葉が、目覚めた早朝の自分に、黄金比のように気持ちの良い心地に当てはまったのだろう。fuseが弾ける日が近いのかもしれない。

    『火宅』
    この短編はいきなり三人称「のよう」に語り始められ、彼の兄という人物とある男の二人の行動を追うように物語が始まる。そこでまず読者が思うのは「彼」とは誰なのか。まだ登場してないにも関わらずいきなりその兄の行動から描かれるので、読み落としたのではと混乱する。しかし読み進めると、ある場面だけ人称が突然変わるところがある。ここにきた時はかなり喫驚した。浮遊していた己の魂が初めて己の肉体に帰還し、対峙して真剣に向き合う時に描き方が変わるのである。
    テーマは前作と同様に出自、血縁、家族であり、これらにwhatを投げかける。物語の主人公が起こす暴力には並々ならぬものがこびりつき離れず、醜いサガに逆らえない屈辱と、普通なら身近にある血の繋がった父親が居らず、己の創造者、精子提供者を憎みながらもそこには抗えない寂しさがあり、それらが渾然一体となって主人公を蝕む。後半に差し掛かるにつれ鼓動が高鳴り、読後はどっと疲れた。こういう読書も大切であると思う。

    『浄徳時ツアー』
    言動や表現の規制が著しい現代において、この様な小説が今後生まれるのは難しいであろうと感じた。主人子の荒くれ者っぷりや、「白痴」とされる女の子であったり、現代では反感されそうなものだ。しかしこの様なセンシティブな表現がある故に表現できる世界というものもあり、同時にそれは素晴らしいものにもなるということを知った。命とは、命を生む行為とは、それを行う親とは、そしてその子の成長とは。
    我が子の誕生をなんとも思わず、奥さんが病院で出産に励もうとしている時にもツアーガイドの仕事に出かけ、浮気相手とセックスする様な下劣な野郎の主人公であるが、此奴はツアーで行く先々での周りの人間の言動やら行動にもなんの感情も湧かない。その理由は学生時代の政治的な暴力活動があった故であろう。村上龍の『69』の様な愉快な側面だけではない、暗澹で惨酷な一面を持っている若者も当時いたということだろう。しかし読者にはこのツアー中に起こるすべてがとても含意的に映る。そして「白痴」の女の子の姿に何にかしらの感動を覚える。

    『岬』
    中上健次の本気を見た気がする。他の三つの短編はどこか殴り書きしたような粗雑さがあり、人物の野蛮さの様なものが色濃くとっつきにくかった面もあったが、この『岬』はしっかり構成され、主人公の機微も緻密で感情もあり、科白にも胸に迫るものがあり、読書はとても寄り添いやすい印象。ある場面でチビの久志と主人公のやりとりがとてもリアルで可愛らしかった。
    テーマは同様、血縁や出自である。暴力に訴える様な他の作品と違い、主人公は表面上は仕事に勤しむ静かな青年だが、心には破滅的な思想が渦を巻く。自分の血が繋がった男親は女を数人つくっては子供を産ませ、非道な手段でお金を稼ぐような人間であり、義父は存在しながらも本当の親の姿に己が似通ってしまうという事実が確かにある。男親を憎みながらも肉親に対する羨望やらの中で葛藤する。また、その血の繋がった父と、母を異にして生まれた主人公の妹が娼婦として働いていることを知っていながら、会いに行きたいのかどうかの思案が常にある。男親の性分にどうにか逆らおうと、女に放蕩することを避け、穢らわしいものとして遠ざけている。この様な悩みを隠すために彼は真面目に土方で働くのである。その時間は思案や葛藤から忘却できる時間であるから。しかし読んでいくと何もせずただ忘却したまま綺麗でいようとすることは果たして正しいのだろうかと思う。
    主人公の家族はとても不安定であった。母親が再婚を繰り返し、それに加え貧しい暮らしを余儀なくされた事による苦しみが子供達には常にあったのだろう。故に彼の兄は昔に自殺してしまっている。姉は昔に病気を克服し家庭を持ち暮らしていたが、身近の刺殺事件をきっかけに崩れ出し、幼い子供の様になり、自殺志願する様になる。危ない綱を渡る様な暮らしぶりで、爆弾のような家族であると感じた。しかし、とても力強く、逞しい家族であり、不安定であっても絶望せずに生きようとしている。姉が死のうとしても、母親やもう一人の姉は「生きろ」と言う。生き続けることの使命が人間にはあるのかもしれない。
    最後の主人公と母が異なる妹との愛撫の場面は、己を蝕む行為をしながらも初めて血の繋がったものを愛でる喜びのようなものが溢れていて、この物語では綺麗にいようとすることよりも、生きて葛藤する方が美しいのではという新たな価値観を私は育んだ。

  • 【岬】
    人物の関係性が入り組んでおり、なんども確認しながら読んでいく。その確認の蓄積がリアリティというか、物語の強度につながっているような気がする。このような手法はガルシアマルケス百年の孤独とか、フォークナーからの影響だろうか。血縁が大きなテーマとなっており如何ともしがたい繋がりへの葛藤が生々しく描かれている。ラスト数ページの迫力に圧倒された。

  • 四つの物語を収録した短編集。どの話も独特の描写によって、濃密な空気が息苦しいほど立ち込めている。表題作『岬』は『枯木灘』『地の果て 至上の時』と合わせて、秋幸サーガと呼ばれる三部作になっている。あらがえない血のしがらみに閉じ込められた秋幸の、癒せぬ渇望、生命の模索が鮮烈な文体で描かれている。煮詰まって、手足に纏わりつき、鼻を突きそうな匂いに噎せ返る言葉の渦なのに、それを表す描写はどこまでも澄みわたり、眩しいほどに秋幸を透かす。作者のつぶやきのような短い「後記」が、またいい。

  • 「黄金比の朝」
    父親はオートバイ事故で死に
    母親はインバイとなって生計を立てている
    浪人生の「ぼく」はそれを軽蔑して連絡もとってない
    安い下宿からバイトに通いつつ勉強している
    よくわからないが事件の多い町だった
    ある朝
    自分語りに酔いしれる馬鹿女と、それに共感する負け犬の兄が
    「ぼく」の部屋に寝てるのを見て
    なぜか愉快な気分になる

    「火宅」
    兄は、赤の他人であるその男に憧れ、つきまとっていた
    そのうちになぜか母親が妊娠する
    そして生まれた弟は、異父兄弟
    兄は若くして自殺し
    実の父に似て凶暴な弟は、おそらく父より孤独なサイコパスだった
    マジックリアリズムを模倣するテイでそれを描いたことは
    今後顧みられるべきだと思う

    「浄徳寺ツアー」
    寺の檀家の老人たち
    知的障害を抱えた娘とその父親
    母を自殺で失った女、その遠い親戚にあたる住職
    それらの人々で企画されたツアー旅行だった
    妻の出産日を振り切ってこれに同行する添乗員は
    愛人とのセックスで頭がいっぱいだった
    だが避けえない現実の死の話
    圧倒的に話の通じない他者としての知的障害
    そしてなぜか憂鬱を隠そうともしない女
    見たくもないものに取り囲まれて苛立つサイコパスだった

    「岬」
    甘えが他者の憎悪を生み、憎悪が他者の愛情を生み
    愛情表現がまた甘えとなる不毛な円環構造
    とはいえ不毛であるとしても
    そこへの帰属が社会的承認になるもんで
    疎外された奴は焦り、不安になり
    あるいは嫉妬の炎を燃やすことにもなる
    それらをめぐってのすったもんだに嫌気がさし
    家を飛び出していった青年が
    そうすることで、実の父親と縁が切れると思ったのか
    腹違いの妹と近親相姦に至る話
    まあ妹はふだんから売春で生計をたててる人だし
    その上、兄の存在も知らされてないらしいんだけどね

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著者プロフィール

(なかがみ・けんじ)1946~1992年。小説家。『岬』で芥川賞。『枯木灘』(毎日出版文化賞)、『鳳仙花』、『千年の愉楽』、『地の果て 至上の時』、『日輪の翼』、『奇蹟』、『讃歌』、『異族』など。全集十五巻、発言集成六巻、全発言二巻、エッセイ撰集二巻がある。

「2022年 『現代小説の方法 増補改訂版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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