ニュークリア・エイジ (文春文庫)

  • 文藝春秋 (1994年5月10日発売)
3.75
  • (57)
  • (45)
  • (84)
  • (10)
  • (1)
本棚登録 : 615
感想 : 59
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (672ページ) / ISBN・EAN: 9784167218171

作品紹介・あらすじ

ヴェトナム戦争、テロル、反戦運動……我々は何を失い、何を得たのか? 六〇年代の夢と挫折を背負いつつ、核の時代の生を問う、いま最も注目される作家のパワフルな傑作長篇小説。

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

思春期の孤独や混乱、そして愛を軸にした人間の心理を深く掘り下げた作品は、読者に強い感情的な揺さぶりを与えます。登場人物たちの葛藤や、現実と理想の狭間での思索は、特に多感な時期に共鳴するものがあります。...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • この作品、ティム・オブライエンの国=アメリカでは、壮大な失敗作としてあまり評価されなかったようです。あれ? どうしてそうなるのかさっぱりわかりません。これほど「生きる」ということに愚直で真剣な小説はそうないのではないかしら……とても面白い作品だな~と感じました。村上春樹さんの上手い翻訳にくわえ、60年代の歴史的背景が理解できるよう挿入された訳注はなんと75頁! 彼がいかに入れ込んだかわかります。ということで訳注も大変丁寧で、なおかつ面白いのです、はい。

    ***
    東西冷戦やベトナム戦争を経験した60年代のアメリカ。核戦争の極度の不安と脅威に怯えるウィリアムは、大人になると本格的なシェルターを作りはじめます。愛する妻と娘をまもるため、自宅の庭をせっせと掘って。そんな彼を妻は白眼し、娘は小馬鹿にします。くる日もくる日もひとりぽっちで穴を掘り続けるウィリアムは、はたして狂人なのか? それともただのピエロなのか?

    「死者は本当に死んでいるのだろうか、と僕はふと思う。
    穴は笑ってこう言う。信じろよ、と。
    僕は信じている。死者はおそらく記憶の中に生きているのだ、と。
    でも記憶が去ってしまえば、死者もまた去っていくのだ。
    記憶する人間が存在しなければ、記憶だって存在しない。だからそこには歴史はなく、また未来もない。それはゼロの集合である。記憶バンクはきれいに払拭されている。そこには弁別というものがない」

    オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』では、物語という虚構をとおして、事実を超えたある種の真実を伝えることに成功していて感激しました。
    この作品でも、オブライエンは物語の力を駆使しながら――その完成度はさておき――ある種の大きな真実を伝えていることは間違いありません。しかも、愛と暴力、善と悪、ノーマルとアブノーマルといった人間の複雑怪奇な両面性が発露したすさまじい内容にたじろいでしまいます。

    巷では「記憶の風化」という言葉が常套句のように使われますが、これってよくよく考えてみるとかなり恐ろしい。一人の人の記憶の風化もさることながら、それがドミノ倒しのように世界の記憶の風化となって、「時間」という怪物は、人間の記憶もあらゆる歴史も丸ごと呑み込んでいくようです。
    世界の人々は、懸命に核の脅威に抗い、時間の怪物と歴史の風化に挑もうとしています。が、72年前に唯一の被爆国となった国は核兵器禁止条約の署名をこばむ惨憺です。いつも同じ、意味不明な詭弁を弄する為政者の醜態は、ひどくみじめで薄ら寒い。

    読み進めていくうちに、じわじわと迫る恐怖、底なしの哀愁と虚無の深淵になんだか言葉も少なくなってきて、こんな作品こそ身近に語りあえる人がいればいいのにな……と思うほど(身近じゃないけれど、村上春樹さんがいるから、まあいいかぁ~素晴らしい翻訳をありがとう♪)。

    もともと私は小説の登場人物の好悪はないし(作者がそういうキャラクターを設定したわけですから、それに素直に憑依しないと小説は体験できない…笑)、ひどく感情移入するタイプでもないのですが、正直、ウィリアムはなかなか難儀です。でもふと気づけば、
    「がんばれ~! こうなったら地球の裏側まで掘るんだぁ~」
    彼の孤独な闘いを応援したくなる。これって果たして私だけかしらん?

    ***
    「怪物と闘う者は、自らも怪物にならぬよう気をつけろ。深淵をのぞきこむ者は、深淵からものぞきこまれている」(ニーチェ)

  • 「我等は幻影を心の糧とし、心はそれを食み獣と化した」──イェーツ───

    思春期に入る前の、多感な、孤独な、そんな時期の、心の奥底から響く叫びと揺れが、とても明確に記されていて、安心する。もっと若いときに読んでいたら、と、こういうときにいつも思うのだけれど、きっとそのころのわたしにはまるで理解できなかったかもしれない。自分を知らなかったので、自分の輪郭を保つことに必死になりすぎて、周りがてんで見えていなかったから。
    正常と異常の境目は、だれが決めているのだろう?"変わり者"のかんじる世界との齟齬は、ますますその溝を深くしてゆく。だからこそ、目の前の愛と信頼と涙を軸に自転してゆくしかない。それには、愛こそがエネルギーとなる。わたしはこの本を握しりめて生きてゆく勇気を貰えたような気がした。"正常"なひとたちは、世界を観ようとしない。だから、完璧にひっくりかえって(そう、まさにカートホイールで)、そうしてようやく"常人"になる。なんて寂しくて、愉快な世界だろう。わたしもたまには "不変の正統的正論" にしがみついていることも必要かもしれない。
    「僕はリアリストであり、リアルなことなんて何ひとつとしてないのだ。」


    2025/4/11



    「どうして人々は物陰に隠れたがるのだろうか?芸術やキリストや現在の明るい側面の後ろに。ボビは詩の中に心地の良さを見出す。メリンダは若さの中にそれを見出している。他の人々にとってのそれは、言い古された決まり文句であり、盲目的楽観主義であり、再生と連続性という生物学的幻想である。僕は穴のほうを好む。」

    「ある部分は鉄で作られていて、ある部分は練り粉のようにくにゃっとしている。たぶん神経症だろう。でも人の精神というものをどこまで掘り下げることができるだろう?最終的にどこまで額面どおりに受け取ることができるだろう?動機というものはかんけいしているのだろうか?」

    「心理学なんてなんの役にも立ちはしない。人間の行動に対する簡単な説明なんてあてにならないということを僕は経験から学んだ。すべてはあまりにも曖昧であり、いろんな内的な力がピンボールのようにはねまわっているのだ。」

    「想像力が何物をももちえぬときに我々が手にするもの、それが穴なのだ。」




  • 面白くもあり、面白くない。掴み処ない作品というのが率直な感想。この当時、第三次世界大戦は本当の「いまそこにある危機」だったんだろうなぁ。
    現在の作家では描けない空気を感じますな。
    あと訳注、正直読書が散漫になるので基本は反対の立場ですが、これ位の教養というか知識が無いと本を本当の意味で理解できないと言われているようで、それはそれで耳が痛い。

  •  とても面白かった。
     英語勉強用に使ってる「ハイブ・リット」の中にティム・オブライエンの「レイニー河で」が入っていて、とてもよかったので買ってみた。
    とても心を揺さぶられた。

     ベトナム戦争や東西冷戦の時代で、核戦争がリアルな危機として感じられていた時代の話。核戦争に備えて庭に穴を掘り続ける男の話と、その男がどういう風に成長してきたかという二つの話が交互に登場して話が進行していく感じだった。
     アメリカでは学校で核戦争用の避難訓練とかしてたとか、そういう時代背景を詳細に注釈としてつけてくれていたので、主人公たちの置かれている状況を把握しやすかった。

     タイトルにもあるように、話の中では「核」が大きな意味をもっていたけど、この話は核についての話であるというよりは、核というものを使って書かれた、おびえ方というか、心の病み方の話なんじゃないかなと感じた。
     自分は核戦争の危機というものを当時の人ほど差し迫ったものとは感じてないと思うけど、それでもとても強く感情移入しながら読めたからそう思った。
     正しいと感じることをしようとすると頭がおかしいように見えて、頭がおかしく見えないようにしようとすると、狂ってるとしか思えないことを信じないといけない。
     そういう何を信じていいかわからないような状況でどんどん決断を突きつけられて、それでもなんとかやり過ごしているうちに、気がつくと取り返しのつかないところまで来てしまっている感じ。でもどうしたらいいのかは全然わからなくて、そういうのにおびえたり、心がおかしくなりそうな感じ。そういうのに強く引き込まれたんだと思う。
     つよく感情移入してたからか、ハッピーエンドじゃなくてもいいから、どうか破滅的な終わり方だけはしないでくれと思いながら読んだ。

     アメリカではこの本は失敗作という扱いらしい。信じられへん。

     印象に残っているシーンはたくさんある。以下。
    ・船で夜の海に出かけて、エンジンを切ってラファティーと二人だけで飲みながら話すシーン。
    ・ラファティーと銃を沈めるシーン。
    ・サラが主人公に、他にもありえた未来を細かく上げていくシーン。
    ・主人公が逃げ出すのを家族が送り出すシーン。
    ・逃げ出した後のキーウェストでの不安に満ちた平穏の日々。
    ・父親の葬式に双眼鏡をつかって覗き見るシーン。

    あと、村上春樹はティムオブライエンから思ったよりも影響をうけているのかな、と思った。スタンスが似てるっていう方があってるかな。
     人生をダンスのステップに例えるくだり、チェーホフの銃の話の引用もそうだし、ラファティーと主人公の会話はダンスダンスダンスでの主人公と五反田くんの会話と雰囲気がそっくりだ。
     読む順番が逆だったらにやりとしながら読めたんだろうと思うと少し残念かも。

  • ・読み終わって色んな気持ちが残ってる。言いたいことが山ほどある。でも、この小説をどう表していいか全くわからない。でもがっつり揺さぶられた。そんな小説(どんなだよ?)。
    ・村上春樹のあとがきも、「現代の総合小説」とか言っちゃってるけど結局のところどう捉えていいかわかんないと書いてるとしか思えない。
    ・これ村上春樹が訳したわけが良くわかるわ。
    ・正直に言って、自分の妻子を手にかけちゃうほどの核妄想については全く理解も共感もできない。でも自分も子供の頃核兵器の存在を知って眠れないくらい怖かったことを思い出した。使うと世界が終わっちゃうものが存在していることが怖くて仕方なかった。
    ・結局60年代ってのがどういう時代だったのかについて書かれた本なのかもしれない。
    ・ずっしり100ページほどもある訳注がまるでエッセイのようで、村上春樹好きには凄くお得な感じがする。思わずにやりとさせられる内容。

  • 久々に足先から頭の上までその世界に浸ることができた小説。決して万人受けする話じゃないけど、この物語が持っているエネルギーはすごいと思う。
    話は男が一人急に家の庭に穴を掘るところから始まるのですが…
    まあ気になった方はぜひ。

  • さすがとしか言いようがない、ディム・オブライエン×村上春樹。

  • 村上春樹さんの訳なので読み易くはあるのですが、ピンときませんでした。

  • 主人公ウィリアムの少年~青年時代までの過去の回想場面と、49歳になった現在の場面が交互に描かれる作品。

    タイトルにあるように、ニュークリア=核(兵器)の存在が全編にわたり主人公の精神に影響を与え続ける。

    主人公の過去から現在にいたるまで、主人公に影響を与える3人の女性たち(妻のボビ、娘のメリンダ、大学時代の恋人であるサラ・ストラウチ)と、家族、とりわけ父、そして現代のウィリアムが掘り続ける「穴」(とそれに付随してベトナム戦争)が、大きな要素になっている。

    小学校時代からの同級生であるサラとは、大学時代に結ばれることにはなる。だが、サラには強烈に惹かれはするものの、そこに愛はない、と述べられている。愛はなくても激しく惹かれる、という点が印象に残る。リオに行き、子どもをもうけることを夢見るサラだが、ウィリアムは現実としてとらえられない。目の前の女性に強烈に惹かれ、しがみつきながらも、ずっと先の将来まで一緒にいることをイメージできない女性との関係を簡潔に、しかももらさずに言い表しているよい表現だと思う。

    ボビとの出会いや、彼女を求める点にもそれに似たことがあるのではないか。結局妻は最終的には別居を申し出る。奔放なボビにも問題はあるだろうが、自分にはない異彩を放つものに強烈に惹かれ、激情的に動いてしまうという点を見ると、ウィリアムは女性関係で共通した傾向があるように思われる。

    メリンダについては、登場する女性として一番良好な関係を築けているように思える。部屋に閉じ込めてしまうなどある種ゆがんだ愛情の形だと思わなくもないが、それでもメリンダはウィリアムを信頼しているし、ウィリアムからの娘への愛を感じる。
    ベトナム戦争がらみの流血の描写が散見される中で、自らの血を分けた存在であるメリンダはやはり特別な存在として描かれているように読める。ウィリアムとメリンダの会話は、作品の中でも軽みというか、軽快なタッチで描かれていることが印象的だ。

    父との関係は、描き方としてはやや比重の軽いものになっているようだが、父の死の場面の描写では落涙を禁じえなかった。
    死に値するものなど、この世にはない。彼はテロ組織の兵士となるための訓練のさなかにそれを身をもって痛感するのだが、その言い回しが父の死の場面でも繰り返される。父が毎年、町のお祭りの際に演じる人物も必ず死を迎えるので、そのことも重なる。
    徴兵逃れのために家族との交流も絶たれたウィリアムの悲痛が巧みに表現されているように思う。

    「穴」については、彼の内面を映すもう一つの人格ともとれるし、彼の狂気の産物ともとれる。彼が穴を掘り続ける理由も、シェルターとしての役割だけでなく、自らのもとを去ろうとするボビをつなぎとめるための手段としてもとれる。ここから垣間見えるのは、ウィリアムが常に外的なものに振り回され続けているということだ。ベトナム戦争なり、放射性物質なり、サラなり、ボビなり…。そしてそこに、ウィリアム自身の強迫性や狂気も相まって、彼の行動、ひいては人生が規定されていく。「穴」の声は、強烈な外部との軋轢から生じた彼の一種の逃げ場所、想いのはけ口として彼の内側から生じたものなのだとも考えられる。

    ただ、これはウィリアムだけがもつ際立った特質なのだろうか。
    多かれ少なかれ、誰しもが外的要因に影響を受け続けていく。
    奔放に見えるサラでさえも、追い求められることを求める。次々と相手を変えて自分の位置を定めないボビも同様だ。

    私はウィリアムの行動に狂気や妄執を見て、読み進めるのに辟易するような場面もあったが、その行動の中に情状酌量の余地を与えたくなる。

    訳者によるあとがきには、この小説が多くの人の心をつかむ理由が簡潔に述べられているが、その理由の一つは彼の中に自分を見るからかもしれない、と思った。

  • 長い小説だったが3日で読了。不思議な小説である。核について、ベトナム戦争について、身近に感じながら60年代を過ごした世代にとっては特別な思いを馳せながら読むことができるのかもしれないが、平成生まれには物語についていくのがやっとである。それでも筆者が全てを絞り出そうとしながら書き進めているというのは、なんとなく感じた。使命感というのか、なにかを背負っているというのか、なんとしてもこれを書くぞという気迫がこもっている。そういった点で、他にはない特別なものを持っている小説だといえる。

  • 著者はベトナム従軍体験あるが、その痛切な体験が、主人公を「兵役逃れ」に仕立てたらしい。
    ヒロシマナガサキに原子爆弾が落ちて以来、我々はSFの中にいる。ことに米国民は人類もろとも集団自決する音頭を取る役割を担わされている、らしい。主人公の推定はこのうえなく論理的で、「核兵器と共存できる」と考える暢気が正常か?「将来ある若者」は“マーフィーの法則”思わずにはいられない。主人公は小学生の頃、ピンポン台をシェルターに転用することを考えた…幸い正気をわかつ賛同者がいた、ただし方法論が違っていた、スポーツの種目が違うように。彼女はチアガール。セックスもスポーツのように扱われ、ベトナム反戦は敗北後は常識…

  • 65/362

  • 再読して確信しました。
    これ、オブライエン名義で村上さんが書いたに違いない。
    どこをどう読んでもも村上ワールドそのものです。
    どうなんでしょう、村上さん。

    • midnightwakeupperさん
      村上春樹よりはるかに面白い。アメリカのヴェトナム徴兵時期前後の青年の心情の推移を描いている、と思います。
      村上春樹よりはるかに面白い。アメリカのヴェトナム徴兵時期前後の青年の心情の推移を描いている、と思います。
      2018/12/15
  • 映画館で「火事だ」という声を聞いたらあなたはどうしますか。すぐに逃げますか。では「核爆弾だ」という声を聞いたらどうでしょう。「変なヤツがいる」それでおしまいでしょうか。この本は小説です。フィクション(作り話)です。ベトナム戦争を背景に生きてきた若者たちの夢や挫折が描かれています。主人公は核兵器の恐怖におびえ続けます。そして、穴を掘ります。核シェルターです。家族には理解してもらえません。でも、穴は言います。「おまえ(主人公)の方が正しい。理解を示さない方が間違っているんだ」と。翻訳は村上春樹さん。最近出版された「夢のサーフシティー」というCD-ROMブックの中で、「いい本なのにあまり読まれなかった」という記事を見て、読んでみました。文庫ですが、600ページにおよぶ大作です。でも、1960年代後半という時代を感じながら、青春ドラマとして読んでいくと一気に読み通すことができました。そして、少し戦争や核兵器についても考えることができたのではないかと思います。

  •  同じティム・オブライエン著でも『本当の戦争の話をしよう』はついていけたが本書『ニュークリア・エイジ』はまったく感情移入ができず後半流し読みをする。この感覚は『グレート・ギャツビー 』(村上春樹翻訳ライブラリー)を読んだときに感じたものと同じである。

  • 訳者でもある村上春樹が、「読んで元気が出た」というようなことを評していたので、訳注も含めて600頁超のボリュームではあったが、ならばと読んでみた。
    不思議な魅力を持つ小説であった。村上春樹自身も「あとがき」の中で「登場人物のだれにも全的には感情移入できない」と書いていたが、確かにそうだった。でも、つい引き込まれて読んでしまうのである。訳者によるかなり精密な訳注も、その一助となっていたと思う。

  • ベトナム戦争以降のアメリカの姿を、「核」の存在に怯える1人の男を語り部として描き切った力作。

    ストーリーはあるものの、その奇妙な面白さを楽しむというよりは、そこに描かれれたアメリカの多様かつ奇妙な姿をどう解釈するか、という点が本作の面白さである。なかなか万人にはお勧めはしにくいが、非常に骨太な読み応えがある作品であることは間違いない。

  • 過去の回想の合間に語られる現在。(といっても、20世紀末)
    過去が徐々に現在に近づいてきた、その時に…。

    僕ことウィリアムは、少年時代から非常に繊細で、世界の終わりが来ること、その時をずっと怖れていた。
    核兵器による終末におびえ、家の地下室に卓球台を利用したシェルターを作る。
    学校の備品庫から持ってきた大量の鉛筆でシェルターを覆う。
    なぜ?―鉛は放射能を通さないんだよ。
    坊や、黒鉛〈鉛筆の芯〉は鉛とは違うんだよ。

    でも本当に怖いのは、こんなに核の恐怖が身に迫っているのに、誰も怯えていないこと。
    だって、人類が滅亡するかもしれないんだよ。
    どうしてみんな平気なの?なんでもないような顔しているの?

    「うちの子は少し普通じゃないかもしれない」
    そう思う両親を心配させないために、ウィリアムは普通の子を装う。
    そして、ヴェトナム戦争がおこった。

    殺される人々、情景をありありと思い浮かべるウィリアム。
    銃で、ミサイルで、焼き払われて死んでいく人たち。

    大学三年の時、ウィリアムは毎週月曜に学内のカフェテリアでポスターを持って立つ。
    「爆弾は実在する」
    映画でもテレビドラマでもなく、爆弾は実在するんだということを、なぜみんなは気がつかないふりして生きているのか。
    僕は怖い。怖い。怖い。
    爆弾で殺されたくなんか、ない。

    いつしか数人の仲間ができ、反戦運動へと流れていく彼ら。
    ウィリアムが恐怖を訴えれば訴えるほど、変人だと異常だと狂っていると言われてきたが、ここに来て初めて仲間ができる。

    “正常な人間は何かをするときには危険性など特に気にはしないで物事を進めていくものなのだ。なぜならその危険性はそこに実際に存在しているわけではないからだ。実際に何かが起こったときには、その正常な方々は肩をすくめて「やれやれ」という。”

    遂にウィリアムに召集令状が届いたとき、彼は身を隠し、意に反した形で仲間たちと過激派グループに参加していくことになる。

    戦争はよくない→戦争を止めるべき→想像力のない大衆を止めるためには武器の使用もやむを得ない
    兵役を拒否してきたはずなのに、体を鍛え、武器の使い方を訓練する日々。

    “「テロルの時代にあって」とエベニーザーは高らかに宣言した。「良心的兵役拒否などというものは存在しない。兵役に代わる奉仕など存在しないのだ。」”

    “僕はリスの思考をした。この世の中に生命を捨てるほど価値のあるものなどないのだ。何ひとつない。威厳も、政治も。何もない。生命を捨てる価値のあるものなどひとつとしてないのだ。”

    ウィリアムの言い分の方が「わかる」と思ってしまう私は、異常側なのだろうか。
    世の中の方が間違っているのでは?
    と思って読み進めてきたのはこの辺りまで。

    現在のウィリアムは組織を抜け、結婚し、愛する妻と娘の3人暮らし。
    「お父さん、やめて。お父さん、おかしいよ。狂ってる。」と娘に言われても「大丈夫。わかってる。愛してるよ。」と言いながら、庭に穴を掘ることをやめない。

    核兵器の存在は確かに恐怖だ。
    気づかぬふりをしているのは欺瞞だ。
    けれど、庭に穴を掘るのは…それが正常…?

    “ストレートに語ることは野暮な行為なのだろうか?核戦争―僕は時代からずれているのだろうか?みんなは僕を憐れむのだろうか?僕はマンガなのだろうか?こうして穴を掘って、女房を娘を監禁して、穴にそそのかされたりして、僕は頭がおかしいのだろうか?周りに溢れている例証から世界の終末を類推するのは狂気なのだろうか?ミニットマン・ミサイルやバックファイア爆撃機、世界中にストックされた六万個の核弾頭。そういう数字を口にすることは雅致に乏しく、不恰好なのだろうか?僕は不作法なのだろうか?核戦争、と口に出すことが。”

    彼がなぜ穴を掘っていたのか。穴を掘って何をするつもりだったのか。
    最後に判明したそれは、正常なことなのか異常なことなのか、もはや私に判断はできない。
    ただ、娘が可哀そうで。

    “「要するにね、畜生め、人々はもうテロルに脅えたりはしないのよ」”

    この本が書かれてから約30年。
    世界はまたテロルの脅威に脅えている。

    60年代のアメリカの政治や風俗、世界情勢などが訳注で詳しく書かれている。
    当時のヒット曲いろいろに対する訳者〈村上春樹〉の感想がことのほか面白い。

    とにかく質も量も読みごたえありの1冊。

  • こんなにひりついている小説なかなか出会えない。
    自分は狂っているのか自問自答しつつ穴を掘り続ける寓話的なシーン(現在)が過去の回想の間に挿入され絶妙なバランスを保っている。

    印象的なのは幼少時代に自作のシェルターで怯えるシーン。子供の頃見た悪夢を思い出させるようでぐさりとくるし、それを励ます父親の姿にカタルシスを感じる。

    中盤からは青春小説。ただしやばい方向に流されていくひりつき具合がすごい。

    核の恐怖観念をテーマにしてて、手に取りにくいかもしれませんが、狂気、青春、家族、いろんなものが詰まってて、一気読みしてしまいましたし、折に触れて再読したくなる作品です。

  • 私の好みじゃない。なんだかごちゃごちゃしていてまとまりのないストーリー。冗長。読むのに疲れた。

全52件中 1 - 20件を表示

著者プロフィール

(Tim O'Brien)1946年ミネソタ州生まれ。マカレスター大学政治学部卒業後、1969年から1年間ベトナムで従軍。除隊後ハーヴァード大学大学院博士課程で政治学を学び、1973年に自らの体験をもとにしたノンフィクション『僕が戦場で死んだら』(中野圭二訳、白水社)を出版。『カチアートを追跡して』(生井英考訳、国書刊行会)で1979年に全米図書賞を受賞した。他の著書に、『ニュークリア・エイジ』(1985年)、『本当の戦争の話をしよう』(1990年)、『世界のすべての七月』(2002年、以上村上春樹訳、文春文庫)、『失踪』(1994年、坂口緑訳、学習研究社)などがある。

「2023年 『戦争に行った父から、愛する息子たちへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ティム・オブライエンの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×