- 文藝春秋 (1979年10月9日発売)
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感想 : 20件
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Amazon.co.jp ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784167223014
作品紹介・あらすじ
雪に閉ざされた山村での暮らし。そこで出会う幽明の世界。圧倒的力量で話題をさらった芥川賞受賞作「月山」の他「天沼」「初真桑」「鴎」「光陰」「かての花」「天上の眺め」収録。(小島信夫)
感想・レビュー・書評
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発表から半世紀ほども経つと、さすがに同時代の小説とは感じないもの。描かれる山村の生活がもはや歴史の世界に見えてしまい、朴訥とした方言で語られる人間関係もパッと頭に入ってこない。
小島信夫が長い解説で時代によって色褪せないと評しているのはそうした表層のことではないのだろうが。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なんとも静かで心にずしーんと響く。非常にビジュアル的で尚かつ心情的、するりと話しの中にひきこまれていって心鷲掴みされてしまう。山形の山は深い。再読。
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再読。
初読の際は「幽明の世界」というワードに惹かれ、内容をもっと幻想寄りだと勘違いしていた為に普通だな…等と感じていた。改めて読むと描かれる情景の美しさ、映像的な表現に長けた文章に気付きその良さを知る -
久しぶりに再読。独特の世界観が芥川賞にふさわしい(?)。山形県民にとって月山・鳥海山には特別の想いがあり、近年、それぞれの山に登り、駆けため、実感を込めてその自然描写を味わえた。「月山」の長い冬から一気に花咲く春を迎えるワクワク感に、どこか寂しさを伴うのは加齢のせいか。。。
「それはすこしも変わらぬ月山でありながら、この世のあかしのように対峙していたあの鳥海山が、もはやまったく見えぬというより、なきがごとき気すらする別世界をなしているということかもしれません(p24)」 -
2017/11/06 9:30:52
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雪に閉ざされた山間の村の破れ寺。時折現れる心を奪われる表現にいつまでも浸っていたい美しさを感じる。
[more]<blockquote>P33 ふと気がつくと、黄菊の群れが雪に折れ、雪をかぶってまだ花を咲かせているのです。と言っても、セロファン菊とかパリパリ菊とかいうのだそうで、あの深々とした気品を漂わすいわゆる菊ではありません。【中略】ひとりこのセロファン菊がこうしてまだ咲き残っているのです。しかもその色が雪に映え、みずからは埋もれるとも知らず雪の中へと眠って行くような、あるいはそうしたセロファン菊の夢見た夢の中の雪に、わたしがいるような感動を覚えずに入られませんでした。
P49 よんどの時は逆らわず、吹きも仲間だと思うて、吹き山さ埋もれとるつもりだったどものう」吹きも仲間?まるでわたしの感じたようなことを言うと思いながら、「しかしそんなことをしたら眠ってそのまま往ってしまうんじゃないかな」
P139 「ものを運ぶと書いて、ウン(運)とよむ、とのう」
P174 庫裏の台所の炉端で終日割り箸を割っている人のやがては春になるという言葉が、わたしにはなにか美しい大きな約束を信じる者の下界の声のように思えたばかりではありません。やがては春になるというそのことによって、美しい大きな約束のあることを信ぜよという天上の声のように思えるのです。
P184 と、ふたたび会わずに終わりながら、ふとその言葉を思い出させる人のように言うのです。
P198 生だいうても死のもどき、だまし、死だいうても生のもどき、だましなんでねえでろか。
P202 「これじゃ長生きするよ」とはよく人のいうところだが、長生きするとはすべてが遅れることで、長生きを楽しむために、われわれはじつにひたすら遅れることをこいねがい、むしろ喜ばねばならぬことが、わたしにもわかって来た。
P305 それにしても、ひとりこの砂原に点々とある、薄赤い花をつけた木はなんであろう。ひょっとすると、すぐ枝を伸ばし、葉をつけ、花を咲かせるそのために、むしろ折ってもらいたいとすら言われたかての木ではないだろうか。もしそうなら糧にもならぬかての花と笑われていたが、すべての木も草も枯れ果てたとき、人が最後の糧にした花の木だったのではないだろうか。</blockquote> -
月山はずいぶん前に読んだ小説だ。中学生ぐらいか。今回、読み直して見て、ほとんど内容を覚えてなかった。
東北弁で綴ってあるので、意味はとりにくいが、何となく不思議な世界だ。
極限の世界では、ちょっとした日常が、非日常であり。
とにかく年寄りばかりの村である。想像してみてください。 -
私には難解な内容でした。書き方は落ち着いていて、表現も伸びやかで心地よかったのですが、日本画で書かれた風景のような淡白さが辛くなっている自分がいました。
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月山は死の象徴、鳥海山は生の象徴
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「わたし」はいろいろな人間関係を切って、逃げ込むようにして村に来たようだ。その経緯はほとんど語られず、疲れきって麻痺しているのか、村の暮らしを見つめ続けるばかり。この受け身な態度がなぜか心地よい。ひきこもりたい気分のときにぴったりな小説。
河童の里や仙人郷、果てはあの世まで思い浮かぶほど、月山とその麓の村は異界だ。ひとつひとつは現実にあってもおかしくないエピソードなのに、それが集積すると、まるで村人たちが村という架空の小世界を構成する一器官のような、村の外では消滅してしまう存在のような気がしてくる。
春になって現実世界の友人が現れ、「わたし」があっけなく村を離れる。これが深い眠りから覚めるときのようでまた良い。「わたし」は一度死んで、再生したんだという感じがあったのだけれど、読んでいた自分まで、本を開いたときよりエネルギーが充てんされたような気持になった。 -
月山を訪れたことはないけれど、方言の美しさ、方言でこそ生まれ得る表現の手触りの良さに酔いしれた。ちょうど大晦日から新年を迎える日付の変わる時に、海を渡る船が新年の汽笛を低く伸ばしながら鳴らすのを聞きながら、この話を読んでいた。
雪景色の美しさ、雪の冷たさ。田舎の人々の優しさや素朴さだけではない強かさまで、しっかりとしたリアリティをもって描かれている。
月山をこの目で見てみたい、と思った。
短編で入っているカモメの話が好き。 -
第70回芥川賞。
東北のさびれた部落を訪れた主人公がそこでひと冬越す話。
密造酒やミイラなど村ならではの習慣や、念仏や無礼講などのお寺ならではの行事が描かれているが、どれも薄暗く、気味悪い雰囲気が漂ってるのは、雪に囲まれた部落の印象が強いからか。 -
2010/3/8購入
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第70回芥川賞受賞作品。
《幽明》
という言葉をそのまま抜き取ったような気分に襲われた。
ひとりの男が辿りついた雪に閉ざされた山間の村で過ごす、村人たちとの暮らす日々。
それはこの世の出来事なのか、この世の出来事ではないのか。
ふとした描写が時に鮮明に、時に不気味に、時に新しく感じられた。
日本人ならではの感性とそれを受け取れる日本人ならではの感性ではないかと思います。
のんびりとした時にもう一度読みたい作品です。
(2009.02.14)
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2008.10.5購入
何が読ませるのかよく分からないが
読んで非常に満足感がある。
著者プロフィール
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