わが息子・脳死の11日 犠牲 (文春文庫 や 1-15)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167240158

作品紹介・あらすじ

冷たい夏の日の夕方、25歳の青年が自死を図った。意識が戻らないまま彼は脳死状態に。生前、心を病みながらも自己犠牲に思いを馳せていた彼のため、父親は悩んだ末に臓器提供を決意する。医療や脳死問題にも造詣の深い著者が最愛の息子を喪って動揺し、苦しみ、生と死について考え抜いた11日間の感動の手記。

感想・レビュー・書評

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  • 精神病により自殺を図った息子が脳死を経て心停止するまでの11日間において、父親として臓器移植等を体験し考えたことを綴ったノンフィクション。

    海外文学作品を引用した心情表現、医学の専門的な内容等、難解な部分はあるものの、あとがき、解説等が充実しており、読みやすく工夫されている。
    家族が脳死になったら家族としてどう向き合うか、また、自分が脳死になった場合の臓器提供をどうするか等、考えずにはいられなくなる内容だった。

    読後に少し調べてみたところ、本書が発行されてからの25年の間に臓器移植法が制定・改正され、本書発行時は認められていなかった心停止前の脳死患者からの臓器移植も行えるようになっているようだ。
    本書の著者は、息子が脳死となってから心停止するまでの数日間の猶予があったからこそ、息子の死を受け入れることが出来ていた。
    心停止を待たずとも臓器移植を行える現代においては、脳死した患者家族の葛藤は、より大きいと思う。
    本書の影響により、そのような家族の心に負う傷を少しでも小さくしてくれる枠組みが構築されていることを期待したい。

  • 誰にも言えず、誰にも理解されない苦しみ。
    筆舌に尽くし難い思い。
    それでも、人は、生きていく。
    この本を通して背中を見せてくださった。

  • 精神を病んで自死を図り、その後脳死状態になった息子との11日間の記録。
    大きく二部構成になっていて、前半は突然の息子の自死から、彼の臓器移植を決意するまでの過程が丁寧に書かれています。そして後半は脳死について柳田さんの思いが綴られています。

    著者の柳田邦男さんはノンフィクション作家さんだけあって感情を抑えた文章で語られています。それが却って痛々しく辛い。
    25歳の若さで死を選んだ柳田さんの次男洋二郎さんの書いた日記や短編小説がいくつか紹介されていますが、鋭い文章で書かれた短編小説を読むと、ご存命であったら今頃素晴らしい作家さんになられたのではないかと、尚更その死が惜しまれます。
    ホスピスやターミナルケア、グリーフワーク(遺族の喪失感や悲しみのケアをすること)というと、ある程度の年月を生きた人の死に関わるものだと決めつけていましたが、この本では小児病院のホスピスも紹介されています。治癒できない症状を持って生まれてきて、短い生涯を閉じる子供の親にとって、これはとても必要なもの。普及を願います。

    祖母は本人の遺志により献体し、母は死を迎えるまでの数ヶ月間植物状態だった経験から、臓器を含む身体は容器に過ぎない、脳が死んだ時が私が死ぬ時だと思って子どもたちにもそう伝えてきましたが、この本を読んで、例えば私が脳死状態になったとしても、彼らにも私の死と向き合う時間を与えてあげるべきかも知れないと思うようになりました。せめてそうやって遺族の感情と向き合ってケアしてくれる病院を探しておこうと思います。まだ考えはまとまりませんが、「延命措置はいらないからね」と言うだけでは無責任だと考えるようになりました。

    最後の、医師を目指す高校生の読書感想文もとてもよかった。
    いろんなことを考えさせられる本でした。

  • 本を好きになるきっかけは、この本との出会いでした。

  • 「死」。

    命ある全ての生物に平等に与えられる終末。

    改めて「死」と「脳死」について考えさせられる一冊であった。

    作者は言う。

    「死」には「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」があると。

    非常にわかりやすい定義だと思った。

    普段我々がイメージする「死」とはあくまでも「三人称の死」であるが、大切なのは「二人称の死」。

    その中で出てきたグリーフワークのあり方には感銘を受ける。「脳死」=「人の死」という考え方は日本人的感覚には馴染まないものかもしれない。

    だが、もし自分の大切な人が移植でしか助からない状況にあれば「三人称の死」=「人の死」と考えてしまう気がする。

    そんな自分が「一人称の死」と「二人称の死」をどう考えるのか。

    今はまだ答えが見つかりません。


    説明
    内容紹介
    第43回菊池寛賞受賞。 <br> 冷たい夏の日の夕方、25歳の青年が自死を図った。意識が戻らないまま彼は脳死状態に。生前、心を病みながらも自己犠牲に思いを馳せていた彼のため、父親は悩んだ末に臓器提供を決意する。医療や脳死問題にも造詣の深い著者が最愛の息子を喪って動揺し、苦しみ、生と死について考え抜いた11日間の感動の手記。 <br> 「実は、去年の夏、息子を喪くしまして、自分で命を断ったのですが、息子のためにその追悼記を書いてやりたいのです。25歳の次男のほうです。心を病んでたんです……。まだ一年もたっていないんですが、このところ急に追悼記を書いてやりたいという思いがこみ上げてきましてね。書くことしかできない作家の業というのかなぁ。(あとがきより)

    内容(「BOOK」データベースより)
    冷たい夏の日の夕方、25歳の青年が自死を図った。意識が戻らないまま彼は脳死状態に。生前、心を病みながらも自己犠牲に思いを馳せていた彼のため、父親は悩んだ末に臓器提供を決意する。医療や脳死問題にも造詣の深い著者が最愛の息子を喪って動揺し、苦しみ、生と死について考え抜いた11日間の感動の手記。

  • この本を古本屋さんで見つけたとき、正直これほど感動するとは思っていませんでした。

    打ちのめされました。壮絶な苦悩がこの家庭にはあり、普通ならなぜ自分がこんな目にあわなければならないのかと運命を憎むかもしれません。

    でもこの家庭は違いました。壮絶というより
    むしろ崇高という言葉がしっくりきます。

    崇高な生き方ではないでしょうか。犠牲…というタイトルに込められた深い意味を理解するでしょう。

  • ノンフィクション作家として、航空機事故、医療事故、災害、戦争などのドキュメントを多数発表している柳田邦男氏が、1993年に25歳にして精神疾患から自殺を図り、脳死状態で11日間を共にした次男・洋二郎氏を追悼するために著した作品。1994年に文藝春秋に掲載されたものに加筆、再構成し、更に別途発表した脳死・臓器移植論を加えて、1995年に出版、1999年に文庫化された。1995年に菊池寛賞受賞。
    内容は、洋二郎氏が自殺を図った日から、脳死を経て、心肺停止状態になるまでの11日間を、洋二郎氏が精神を病み始めた中学時代以降の追想、及び洋二郎氏の残した日記や文章を断章として加えて、克明に綴ったものである。
    柳田氏は、本作品の執筆の動機を、「あえて簡潔にいうなら、彼の究極の恐怖心を取り除いてやるためだといおうか。・・・彼が抱いていた究極の恐怖とは、人間の実存の根源にかかわることで、一人の人間が死ぬと、その人がこの世に生き苦しんだということすら、人々から忘れ去られ、歴史から抹消されてしまうという、絶対的な孤独のことだった」と語っており、また、洋二郎氏の生前の意思に沿って、心肺停止後、腎臓移植(自らドナー登録をしていた骨髄移植はできなかったが)も行っている。
    しかし、洋二郎氏の持っていた“究極の恐怖心”とは、実は全ての人間のものであり、我々は、自分の死に対し、自らがどのように折り合いをつけるのか、死んだ人間に対し、残された人間がどのように対処するのか、自らのこととして常に考えておかなければならない。
    自ら及び大切な人の死と生について、改めて考えさせる一冊である。
    (2006年7月了)

  • この世界の矛盾を受け入れる存在がいないと、世界は成り立たないのかもしれない。地球規模、もしくは遺伝子の問題として、犠牲を必要としているのかもしれない。そういう意味で、ドナーもレシピエントも、同じ犠牲を捧げる人だと思えてくる。特に、著者の息子さんのように心を病むことは、社会のしわ寄せを一身に引き受ける、犠牲以外のなにものでもないように思えてきた。彼は臓器を提供する以前に、精神疾患になる事で、すでに犠牲を捧げていたのかも…。

  • ノンフィクションの分野には、社会や政治、大事故や自然災害のように対象の大きなものから、個人の体験記ように比較的小さなものまで、多種多様な作品があります。本作は近しい人を失うという経験を後者の視点で語っていますが、その個人的な視点の先には、現代社会に生きる人なら誰でも感じ得る、大きく広いテーマがあります。
    放送記者を経て作家となった著者は、飛行機事故を題材にした『マッハの恐怖』を皮切りに多くのノンフィクション作品を送り出していますが、その中にあって本作が異彩を放つのは「自身の心」に分析の対象が向けられている点です。近しい人を失った時、心はどうなるのか。目には見えない自らの内面が変容していく過程を、細やかに、冷静に記しています。
    ちなみに、第一章の題名は『百年の孤独』です。私はこの本をきっかけに、ガルシア=マルケスの著作を読んでみたいと思ったのでした。

  • 「心の深みへ」と本作を通じて、先端医療で切り捨てられてきたもの、医療者にとって本当に大事なことに改めて気付かされた思い。患者や家族を病んだ人間としてとらえ、病気や死をその物語の中に組み込んでいけるように支えていく。「脳死であっても普通の患者と同じように責任を持って最後までお世話します。」という富岡医師の言葉に医師の矜恃を感じる。

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著者プロフィール

講談社ノンフィクション賞受賞作『ガン回廊の朝』(講談社文庫)

「2017年 『人の心に贈り物を残していく』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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