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Amazon.co.jp ・本 (464ページ) / ISBN・EAN: 9784167240202
みんなの感想まとめ
戦争と自然災害が交錯する中で、気象学の重要性が浮き彫りになります。原爆投下後の広島では、枕崎台風という新たな脅威が迫っていましたが、当時の気象情報は戦時中の暗号化によって国民に提供されず、結果的に大き...
感想・レビュー・書評
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8/6の原爆と9/17の枕崎台風を結びつけて考えた事はなかった。
当時天気予報が今のように機能していれば被害はもっと小さかったかもしれない。 -
1945年9月、1ヶ月前の原爆投下の傷もまだ癒えていない広島に新たな脅威が近づいていた。枕崎台風。その規模は11年前に大きな被害をもたらした室戸台風にも劣らぬほどの強さだった。
戦争において気象学は重要。攻撃を仕掛ける時の天候は勝負を分ける大きな要因の一つだからだ。戦時において各地の気象台の計測データは暗号化して中央気象台に伝えられ、中央気象台からの各地の観測データも同様に暗号化されて各地に配信されていた。
天気予報自体が敵に知られてはならない情報なので国民向けの天気予報、台風に関する情報も戦時は国民に一切提供されなかった。
そこに原爆投下で広島のインフラが大きな損害を受けた。そのために通信網が不通となり、中央気象台からの気象情報が届かないため広島気象台の台員たちはのちに昭和の三大台風の一つとされた枕崎台風についての詳細の情報を受け取れず、他方、広島で観測されてある情報を中央に知らせることもできなかった。
そんな中で台風は広島に上陸し、大きな被害を生み出していく、、、
前半は日本の気象学、軍にも協力しながらも気象台で働く人々を描く事から始め、原爆投下による被害や、被害を受けても欠測せず、計測を続ける観測精神の真髄と再度東京に対して観測データを送れるレベルに復帰するまでの苦労の話。
後半は京都大学から原爆被害の詳細の調査と、被爆した人々の救援を行うためにやってきた人々が台風被害に遭って、多数の人が負傷、または死亡してしまう顛末と、その時聞いた黒い雨の記録を残す事になった話など。
原爆の被害に比べれば台風の被害の規模など、数字の桁が2桁ほど違ってきてしまうのだが、そういう大きな災厄の影に隠れてしまった悲劇と気象観測にまさに命をかけた人々の記録。 -
良質なノンフィクション。筆者も言っているようにノンフィクションの旬の時期は短いが、この本は長く読み継がれて欲しい。
描れている人もプロフェッショナルなら、柳田さんもプロとして丁寧で熱い仕事をされていると思います。
戦後の日本はこういった人たちの必死の頑張りで復興し発展したのだと思う。我々もしっかりしなければ。 -
[焰のち豪雨、その下の人間]原爆が投下された広島をそのわずか一ヶ月後に襲った超大型の「枕崎台風」。気象に関する情報が途絶した広島で、数千名の死者・行方不明者を出したその災害と、2つの災厄にも負けることなく、生活を取り戻し、日常を持続させようと務めた人々の記録です。著者は、「核と災害」をテーマに多くの著作を手がけている柳田邦男。
8.15という「点」ではなく、その前後の時間軸である「線」、また原爆の直接の影響にとどまらない「面」までをも視野に入れた作品として超一級のノンフィクション作品と言えるのではないでしょうか。30年以上前に著された作品なのですが、危機管理、戦争、気象学、そして道徳的観点からもいまだに一切色褪せることのない価値を有しているように思えました。
原爆と台風という点にクローズアップしてしまうと、どれだけ悲惨な形相に満ち満ちた本なのだろうと思っていたのですが、本書で特に焦点を当てられているのは、その災厄の中でも必死に地に足をつけて日常を生きた人々の記録。戦時・敗戦時という特別な状況におかれながらも、任された日々の業務をしっかりとこなすことに使命感を覚えた先人たちの姿に、つくづく頭を垂れる思いがしました。
〜考えて見れば、自分がやって来たさまざまな記録や報告書を残す仕事は、未解決の過去を絶えず現在形に置き換える作業ではなかったか。〜
復刊してくださりありがとうございます☆5つ -
第2次世界大戦がはじまる前、当時の中央気象台は軍による統制を受けることになり、真珠湾攻撃における気象予報も行った。戦時は人員も拡大し、軍事に資する気象予報を行う。
昭和20年8月1日には、中央気象台が大本営に組み込まれ、大本営気象部となる発令がでるはずだったが、ポツダム宣言の諾否にかかる調整で二の次のなるなか、原子爆弾が広島と長崎に落とされる。
終戦後、通信事情が悪くなったこともあり、気象電報の入電がほとんど止まってしまう。8月17日午前6時の入電は、前橋の熊谷の2地点だけという状態であった。
これでは天気図が書けるわけもなく、空白の天気図が残されている。しかし、8月22日には気象管制が解除され、NHKラジオ放送も再び再開された。
その後、9月17日にのちに枕崎台風と呼ばれる大型台風が九州、中国を横断して日本海に出たのち、奥羽を横断して太平洋に出た。この台風による災害が九州ではなく「広島県の死傷不明3066名を初とし」であったのはなぜか。これが、本書の導入。
「天気図の空白は、歴史の空白ではないかと感じた。記録を残すことが将来の災害、戦争、核戦争を防ぐうえで大きな役割を果たすと考えた。」と著者は述べている。
忘れてはいけない歴史が、本書にある。 -
残酷な話も淡々と進むが、素材と切り口が良く、心にじわじわと刺さってくる
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天気図あんま関係なくて、原爆の1ヶ月後に猛烈な台風が広島を襲った話。
戦中のノンフィクションて今読んだら面白いに決まってるけど、原発とかコロナとかも後世の人が書いたのを読んだら面白いんだろうな。恩賜のマスクが配られたり、都庁が赤くなったり、渦中にいなかったら信じられん。 -
広島は人類最初の原子爆弾の被爆を経験し、その約1ヶ月後に稀有の猛台風、枕崎台風の被害を受けました。2度の度重なる厄災を経験した広島。すさまじいまでの混乱がノンフィクションとして、気象台台員の目を通して描かれています。広島といえば、原子爆弾の惨禍が取り上げられますが、その後の枕崎台風の惨状も酷かったのだと本書で知りました。戦争による火攻め、台風による水攻め、水害による不作の食攻め。広島の不幸は計り知れないものでした。
また、台風の水害のため、被災状況を調査を行っていた京都大学の調査隊の山津波によって遭難し、後世に残すべき貴重な標本や資料、調査記録がほとんど失われてしまいました。こういった風化しつつある事実を知り、衝撃を覚えました。
厄災がもたらした被害の中に埋もれそうになりながらも、当時の科学者や技術者の矜持がキラリと垣間見えます。被爆しながらも忠実に気象観測を行う。困難な状況下でも欠測せず、職務を遂行するのは正にプロフェッショナルと言えるのではないでしょうか。一方で真珠湾攻撃の際、ハワイ沖の気象予報を軍から求められる気象台台員に、政治や時代に翻弄される科学者、技術者の姿が見えます。
こんな良質なノンフィクションが絶版になっていたのは、もったいないと思います。誰にでも勧めたいと思える作品でした。 -
終戦のあと2年ぐらいに大きな台風被害が日本で出たことはきいたことがあったが、原爆投下の翌月である1945年9月に広島を枕崎台風が襲ったことは、不勉強にして知らなかった。
その意味で、魂のこめられた(=臨場感があって読みたくなる)ノンフィクションとしてこのような記録がのこされたことの意義は非常に大きい。著者があとがき(p.428)でも言うように。
自分自身も、読んで本当によかった。
原爆投下の瞬間の閃光・熱戦(p.91)や、その後の街中の人々の死にかけたような様子(遺言をきいて下さいとか、水を下さいとか。P.139)の描写も鮮烈で印象にのこるが、やはり9月の台風の時のおそろしさ(河川水位上昇、山津波、それによる京大調査隊の被災)は出色の描かれようだ(p.250~)。のちに広島市長になる浜井氏の「原爆砂漠が原爆湖水になった。このまま水が引かなければいいのに」といいたくなるのも、気持ちがよくわかり、痛ましいほどである(p.268)。
加えて、戦時に文科系から運輸通信省に移り、更には軍部との協力体制に組み込まれるという激動(p.28,38)にありながら、誇りないしは責任感を胸に観測を続け、「空白」を消そうといた観測員たちの様子には胸を打つし、枕崎台風の時「予報」ができなかったことも甚大な被害の一因、ということ自体も業務の重要性を語る典型的なメッセージだ。(p.293,394)
最後に、黒い雨の調査についてもふれておかねばならない(p.369,400)。こういう調査がなされていたこと自体が素晴らしいし、今まさになされている訴訟にあっても、参照できるのではないかとも思える。
いずれにせよ、聞き取りを重ねてマッピングするという手法が本質的で、効果的だとも思い知らされた。 -
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広島の原爆投下後、その翌月に襲った巨大台風。広島気象台で働く人々の目を通じて知るノンフィクション。状況を伝えようにも手段のないもどかしさ、その後の被害状況を地道に調査し、それが後年私たちに伝わってきたありがたさ。そしてページを多くさかれた広島の原爆投下時、後の生々しさ。ひとつひとつが貴重で重く、今も起こる山津波の被害などにも通じる、広い範囲で残してもらいたい1冊です。
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終戦後すぐに広島を襲った台風に翻弄されながらも果敢に対応した気象台員を追いかけながら、同時に原爆の悲惨さを表している。僕だけではないと思うが、なんとなく知っているつもりの原爆被害について改めて考える機会になった。8月6日までにどうしても読みたくなる。
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1945年、広島地方気象台の記録。
被爆直後の9月17日、枕崎台風が広島を襲っていたことを不覚にも初めて知った。
筆者は、8月6日まで、8月6日、8月6日以降の台員の動きを丁寧にたどる。8月6日の、気象台自身も被害を受けながら欠測なしの観測続行、中央気象台への通知手段探索の奮闘には本当に頭が下がる。市内の惨状の記録は忘れてはならないだろう。また、黒い雨の記録は、後に被災地域の再評価に結実する。
一方、1ヶ月後の枕崎台風の襲来は、気象台にとって、痛恨事となった。情報の収集・発信共に貧弱な状況での被災が如何に悲惨な結果を生むか。3.11もつながる複合災害の教訓は学び、伝えてゆかなければならない。
観測し、記録する、気象人の魂を教えていただいた。 -
原爆のたった一ヶ月に台風が広島を襲った。不幸にもほどがある。むごい。
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知られているもの、余り知られていないものを含め、本作は「普通の人達の目線」で「非情な事態」を描く…
現代の戦争は、「敵対陣営の軍事行動を阻む」ことを名目に、輸送、通信、産業の生産活動、エネルギー供給等々「社会が営まれる基盤そのもの」を破壊し尽くそうとする“総力戦”というものである。それ故に、「気象情報を伝える通信網」のようなものまで戦災で損なわれ、大型台風で「考え難い程の大きな犠牲」が発生してしまった…『空白の天気図』という本作の題名は象徴的だ。“天気図”というようなものは、作中に出て来る“観測精神”のような考え方で必死にデータを集め、毎日間違いなく作成することを常とするモノである。それに“空白”が生じたという意味…深いものが在る… -
2013/01/05-23:33 ノンフィクションではない、しかもちょっと長い、でも良い
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戦後大きな台風が来たのは知っていたが、
ここまで詳しくは知らなかった。
大きな戦争があり被害者としてその場にいる方々が、
職人としか言いようの無い思いや行動、
考え方のおかげで結果や情報が残され後世に伝わっていく。
8月6日からの広島の様子、
今多くの情報や資料として残されている以外のものも
たくさんあったんだろうが、権力や敗戦国としての立場で
日の目を見ないものもあるんだろう。
けれど、苦労して手に入れた情報を活かしているのかどうか。
立場や環境が違えば、大きな災いも資料となり得る。
そして、あとがきにある作者の思いと、
解説の「想定内の事実が起こってしまった」
の文章をしっかり考えたいと思う。 -
1945.8.6の広島原爆
1945.9.17の枕崎台風の広島襲来
1945年の夏に、広島は大きな災厄に立て続けに襲われた。
情報がない時の災厄が如何に大きな被害をもたらすか。その検証ともいえる。
そして、2011.3.11。
津波と原発も、同じではないかという問いかけがなされている。
われわれ情報を扱う者も、情報の重要性や発信の必要性に気付かなければならないし、いざというときはいかなる障害をも乗り越えなければならないと自戒する。 -
もう一度読みたいと、ずっと思っていた本。原爆投下と、その直後にやってきた未曾有の台風…自分たちの生活さえ侭ならない中、必死で観測を続けた気象台員たちを描く。
昔、大学に入りたての頃に、気象学の先生が講義で勧めてくれた本で、図書館で一度読んだことがありました。欲しいと思っていましたが、絶版により入手できず歯痒い思いをしていたところ、文春文庫で復刊です。
大学入学当初は、気象への興味とともに読み進めましたが、年が過ぎてわたしもいろいろな経験を積み、今回の再読にあたっては「現場の人間だからできることがある/現場の人間にしかできないことがある」ということを感じながら読みました。観測だけでなく、現場の仕事というのは基本的に泥臭い。でも、だからこそ打ち込む価値がある。
東日本大震災に伴う原発事故をきっかけとした復刊だそうですが、311も地震、津波プラス原発事故という、この本の主題になっている「災害のダブルパンチ」と同じような構造になっていると考えることができます。戦時中の日本と、21世紀の日本…何が違うのか?何が変わらないのか?社会の構造についても再考させられる。今だから読んで欲しい一冊。
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