フーコーの振り子 下 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (1999年6月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (592ページ) / ISBN・EAN: 9784167254469

みんなの感想まとめ

知的な遊び心と陰謀が交錯する物語が展開されます。オカルト叢書の編集者たちが、持ち込まれた原稿を元に架空の計画を練り上げる過程は、滑稽さと真剣さが絶妙に融合し、読者を引き込みます。彼らが創り出す壮大な陰...

感想・レビュー・書評

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  • 再読。結局「事件」あったのか「陰謀」はあったのか、煙に巻かれたまま。エーコの作品との闘いはいつも負けてばかりだけど、やっぱり面白い。

  •  長々と読んできたが、とりあえず読み切った。率直な感想を述べると、面白かった。この小説は恐らくミステリーに分類されるだろう。ただ一般的なミステリーが謎を解き明かしていくこと、絡まった紐を解いていくことを目的としているのに対して、本書は謎を作り上げていく過程を、どこにでもある小石を然も意味ありげに配置していく様を描いているという点で他に類書を見ない。上巻の感想で一言一句を調べていくのが正しいと書いたが、正しいと言うと語弊があった。多分どう読んでも正しいのだが、調べつつ読むと楽しい、と主張したかった。パロディに次ぐパロディと言えば良いのか、エーコが表現したいことは多分本文のどこにも書かれていないだろう。むしろ書かれていないことが書きたいことで、意味を持たない言葉のお遊びであると同時に真実を描いた作品でもある。だから多分読む人が違えば、そこから得られる情報は異なるが、誰もが皆掌の上。誰の? さぁ。このような意図で書かれたのであれば、確かに痛快なエンタメ作品なのかもしれない。
     本文の解釈はともかく、実際に下巻のティフェレトの章辺りから物語が加速的に動き始めるので普通にちゃんと面白い。それでも文章の大半は意味不明のままだけど、細部には目をつぶるべき。そもそも本文中に語られる歴史やオカルティズムの蘊蓄話にどれほどの意味があるかと問われれば、割とどうでもいい気がする。まず無価値であって、価値があるにせよ、知ってる人が知っていればいい知識なのでどっちみち読み飛ばされる運命にあるはず。読みとおしてやろうと思った偏屈な人がいるのなら、数名の登場人物とその関係を整理しながら流し読みすればいいだろう。この本は極めて難解だが、この作戦で間違いなく読める。でもティフェレトの章に入ったらちゃんと読もう。そうしないと流石に何も残らない。
     翻訳は原書が手元にないので良いのか悪いのか良く分からない。少なくとも直訳ではなく、表現もかなり自由度が高い。「薔薇の名前」とは明らかに毛色が違う。あとがきも含めてどこまでがエーコ自身による表現なのか、訳者の文章なのか良く分からない。訳者の藤村氏は既に鬼籍に入り、残念ながらその本意を知ることは出来ない。でも読みやすく良い文章だった。

    (2016年2月22追記)先日、エーコ氏の訃報を知りました。昨年出版された7作目のNumero Zeroが遺作だったみたいです。大好きな作家の一人で、もっと書いてほしかったので残念でなりません。

  • 解放された。

  • やっと読み終わったという感じ。

    フランス、イタリアの中世史を裏側から読んでいるような本。

    最後の訳者のあとがきによりメタ的な構造が追加されていて、そもそも「計画」がメタ的な構造を持つものだけに、フクザツ極まりない。

    秘密は秘密であることが秘密の絶対条件であって、本当の秘密などないという、この世の真理、真実の歴史なんてどこにでもあってどこにもないという、ただそれだけ。

    とにもかくにも前フリが長い。興味深いのだけれども。
    黒死館を読了したときに似たけだるさ。

    いや、おもしろいのだけれどもね。

  • 人生というものは、『荘厳ミサ曲』のような曲ではなく、粗悪な音楽によってずっと上手に描写されるものなのです。芸術は私たちをからかい、私たちを安心させ、芸術家が望んでいるような世界がどういうものかを見せようとしている。それに対して、通俗小説というのはふざけている振りをしているが、その世界をありのまま、あるいは少なくとも、そうではないかという状態で見せてくれる。そこに登場する女性も、あのボヴァリー夫人よりかはもっとミレディーに似ているし、あの怪人フー・マンチューのほうが賢者ナータンよりもずっと現実的な人物です。それに歴史だって、シューが語っている世界のほうが、ヘーゲルが史的唯物論で試みたものよりずっと現実に近いのです。

  • 結局わかったのは陰謀論は永遠に陰謀論の中にい続けられるので、その世界にいる人とはわかりあえないんじゃないか、という怖さかも。人が陰謀論に頼るのは恐怖心からではないかと思うけど、軸足をその反対側に置くと、今度は陰謀論そのものに恐怖を覚える。そうなると、陰謀論者とそうでないと人との間でひたすら恐怖心のラリーが続いて、両者はいつまで経っても分かり合えない。これ、分断されるアメリカにも当てはまるのでは。なーんて。

  • 「薔薇の名前」「前日島」そして「フーコーの振り子」。記号論学者のウンベルトエーコが書いたこれらの本が物語として面白いかというと面白くない。楽しみ方が違うのだ。
    持ち込まれた原稿が3人の編集者を中世へと引き寄せていく。怒涛のような記号の嵐の中で歴史は別の解釈をされる。カバラ、薔薇十字、賢者の石、エクトプラズム、生命の樹…。フーコーの振り子が意味するものは…。衒学的な文章。記号はすべてを語り尽くしたようで何も語っていない。どれも同様に難解。

  • 1

  • 1999-06-00

  • ことばによる、ことばだけの知の博物館。
    初めて読んだ『前日島』は概念と概念の間をゆらゆらとさ迷ふ感じであつたが、今回は知、記号が奔流のやうに押し寄せてそれに流されてしまふ感じである。
    類似、類推。記号同士の関係といふものは、つながうとすればつなげられてしまふ。何かが存在する、それ自体で関係をもつてしまふのだ。科学とは実はそれほど実証的ではないのかもしれない。そもそも、実証といふこと自体、記号の寄せ集めではないか。そんな気さへしてくる。
    ベルボの生死もディオレッターヴィの病死も、一連の陰謀によつて生じたもののやうに見えてしまふ。ベルボのトランペットもブラジルの楽器と関連付けられてしまふのだ。過去から現在、地球の内部から裏側まで、物語の中におけてしまふのだから、エーコといふひとの幅はとてつもない。さらには、ことばそのものの意味さへナンセンスだと言はんばかりに壊していく。日本語にその彼のもつ幅をのせて訳すのは、とても難儀したことだらう。かといつて、そのすべてを知らなければ彼の博物館が見学できないといふわけではない。読むといふことは、ことばをもつひとすべてに開かれてゐる。
    実際のテンプル騎士団がどうなのか、隠された陰謀が実際にあつたかどうかが問題なのではない。一見関係のないやうな人物や出来事を並べてみると、そこにあたかも連続性があるかのやうに見えてしまふのである。ましてや猟奇魔たちの数が揃へば揃ふほど、とてつもない飛躍でさへも埋められてしまふのだ。
    瓢箪から駒。嘘から出た誠。ありさうもないことでも関連性は見いだせてしまふ。ましてやカバラ風に考えれば、すべては遺伝子のごとく記号の無限の組合せであるのだから、組合せやうと思へばなんでも組合せられるはずなのである。

  • 「フーコーの振り子(下)」(ウンベルト・エーコ : 藤村 昌昭 訳)を読んだ。
    (と言うよりやっと読み終わった)
    『よくわからない』に1票!
    もしこの先私がまたウンベルト・エーコ を読もうとしてたらお願いだから誰か止めてくれ。(笑)
    翻訳の藤村昌昭さんもこれ大変だったに違いない。

  • 下巻に入ってやっと一連の謎の解明(というか、むしろ創造、いや捏造?)が始まる。セフィロトの木の中央に位置する6番目のセフィラ「ティフェレト」の章が上下巻合わせても全体の3分の1近い割合を占めており、ここでカゾボンたち三人は面白半分で仮定していたことからどんどん真相らしきものを形作る作業に熱中する。

    しかしディオタッレーヴィは体調不良から重篤な病がわかり入院、離脱。カゾボンは恋人リアの出産後、一緒に長期休暇を楽しみ、冷静で知的なリアによって誇大妄想のお遊びへの情熱からやや目を覚ましたが、その休暇から戻ってきたときには、すでにベルボは一人で暴走のあげくトラブルに巻き込まれて拉致された後。

    結局ベルボのトラブルの原因が、奔放な若い娘ロレンツァに一方的に入れ込んだあげくの三角関係のもつれ、アッリエへの嫉妬心にすぎなかったのは残念だけれど、おかげで一気に物語が動いた。しかしロレンツァの一体どこがそんなに魅力的なのかはやっぱりわからない。同性から見たら圧倒的にリアのほうが素敵だ。

    ベルボのSOSを受けてパリ工芸博物館は向かうカゾボン、8番目の「ホド」に至ってようやく物語は冒頭の情景に戻り、そこで何が起こったかが明かされる。やっぱりな人物の裏切りもあれば、意外な人物の裏切りもあり、偽の情報で敵を釣り罠にかけ「嘘だよーん」と嘲笑してやるつもりが、予想外に本気出して信じてしまった相手に文字通り吊るし上げられてしまったベルボは気の毒だが自分で撒いた種。

    ここまで膨大なページ数を費やして繰り広げられてきたオカルト大博覧会的な膨大な知識を、ある意味終盤で一気に語り手(と作者)は否定することになる。「秘密」なんてこじつけようと思えばいくらでもそれっぽく思えてくるもの。むしろ私が読み取ったのは、オカルト狂信者に面白半分で関わってはいけませんよという教訓。

    彼らが必死に解き明かそうとした暗号文を「こんなのは洗濯屋の伝票」と現実的な証明をしてみせたリアのほうが圧倒的に正しいと思う。結局、テンプル騎士団など本当はどうでもよくて、ベルボは少年時代の、パルチザンとファシストが対立していた頃のさまざまな思い出、自分が常に英雄になれなかった劣等感を抱えたまま大人になり、最期にやっとそれから解放されたという、きわめて人間的で個人的な物語だった。

  • テンプル騎士団の謎解きはカルトの系譜、次第にイタリアのファシストとパルチザンの戦いも織り込まれ、次いで、極左のテロ事件が頻発する70年代、80年代の時代背景まで盛り込んで終焉を迎える。存在を信じる者に対して「ないものはない。」と説明しても、相手はウソだと言って、信じようとしない。知識とは、認識とは、理解とは。

  • フーコの振り子がこんなに怖い小説のモチーフに使われるとは・・・フーコも驚いているはず!背筋が凍る様な怖さです。本を読み終わった後、国立科学博物館へフーコの振り子を見に行ってください。

  • 下巻は「計画」が練られていく有様と、友人ベルボがそれを漏らしたことに伴い破滅に向かい終わる。
    「計画」を作る箇所は、正直あまり意味が分からないところが多かった。漏洩されてからの展開はスリリング。自分には予想もつかなかった流れに引き込まれた。
    とはいっても、本書には膨大な知識が詰め込まれていて、それに圧倒されながらもようやく読み切ったという感じだった。

  • 再読。
    確か『前日島』と一緒に買って、でも最初に読んだ時は本作の方がエンタテイメント性が高いと思っていたが、再読で逆転した。
    本書の衒学的な部分は何度読んでも圧倒される。西洋のオカルトをどかんとぶち込んだごった煮具合もなかなか。
    しかしエーコで一番とっつきやすいのはやっぱり『薔薇の名前』かなぁ……。

  • 私には解らないことだらけで読むのは大変だったけど、すごくおもしろかった。

    沢山の事実とされていることを挙げられると、次にくることも確認されていなかったとしても事実のように感じてしまう。そういう人の習性みたいなものをうまく利用した構成だったように思う。
    ゲームのダンジョンみたいに見えそうで見えない全貌を知りたくて、ついページをめくってしまう。
    隠すべき真実なんて本当は無い、と言うのが隠すべき真実なのかもしれない。

  • 9/20 読了。

  • 後半は薔薇十字軍の歴史と謎ときに突入。深みにはまる主人公達。ちらっとたまに出てくるカゾホンの奥さんの頭の良さと指摘の鋭さが楽しい。物語には女性は必要だ。

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著者プロフィール

1932年イタリア・アレッサンドリアに生れる。小説家・記号論者。
トリノ大学で中世美学を専攻、1956年に本書の基となる『聖トマスにおける美学問題』を刊行。1962年に発表した前衛芸術論『開かれた作品』で一躍欧米の注目を集める。1980年、中世の修道院を舞台にした小説第一作『薔薇の名前』により世界的大ベストセラー作家となる。以降も多数の小説や評論を発表。2016年2月没。

「2022年 『中世の美学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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