フーコーの振り子 下 (文春文庫 エ 5-2)

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (581ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167254469

作品紹介・あらすじ

中世から放たれた矢は現代を貫通し、記号の海で歴史が改編される。カバラ、薔薇十字、カタコンベ、エクトプラズム、クンダリニー蛇、賢者の石、黄道十二宮、生命の樹、カンニバリズム…「フーコーの振り子」へのパスワードは何か?20世紀最後の知の巨人、エーコがおくる、極上のワインの酔いにも似た、めくるめく文学の愉悦、陶酔。

感想・レビュー・書評

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  • 再読。結局「事件」あったのか「陰謀」はあったのか、煙に巻かれたまま。エーコの作品との闘いはいつも負けてばかりだけど、やっぱり面白い。

  •  長々と読んできたが、とりあえず読み切った。率直な感想を述べると、面白かった。この小説は恐らくミステリーに分類されるだろう。ただ一般的なミステリーが謎を解き明かしていくこと、絡まった紐を解いていくことを目的としているのに対して、本書は謎を作り上げていく過程を、どこにでもある小石を然も意味ありげに配置していく様を描いているという点で他に類書を見ない。上巻の感想で一言一句を調べていくのが正しいと書いたが、正しいと言うと語弊があった。多分どう読んでも正しいのだが、調べつつ読むと楽しい、と主張したかった。パロディに次ぐパロディと言えば良いのか、エーコが表現したいことは多分本文のどこにも書かれていないだろう。むしろ書かれていないことが書きたいことで、意味を持たない言葉のお遊びであると同時に真実を描いた作品でもある。だから多分読む人が違えば、そこから得られる情報は異なるが、誰もが皆掌の上。誰の? さぁ。このような意図で書かれたのであれば、確かに痛快なエンタメ作品なのかもしれない。
     本文の解釈はともかく、実際に下巻のティフェレトの章辺りから物語が加速的に動き始めるので普通にちゃんと面白い。それでも文章の大半は意味不明のままだけど、細部には目をつぶるべき。そもそも本文中に語られる歴史やオカルティズムの蘊蓄話にどれほどの意味があるかと問われれば、割とどうでもいい気がする。まず無価値であって、価値があるにせよ、知ってる人が知っていればいい知識なのでどっちみち読み飛ばされる運命にあるはず。読みとおしてやろうと思った偏屈な人がいるのなら、数名の登場人物とその関係を整理しながら流し読みすればいいだろう。この本は極めて難解だが、この作戦で間違いなく読める。でもティフェレトの章に入ったらちゃんと読もう。そうしないと流石に何も残らない。
     翻訳は原書が手元にないので良いのか悪いのか良く分からない。少なくとも直訳ではなく、表現もかなり自由度が高い。「薔薇の名前」とは明らかに毛色が違う。あとがきも含めてどこまでがエーコ自身による表現なのか、訳者の文章なのか良く分からない。訳者の藤村氏は既に鬼籍に入り、残念ながらその本意を知ることは出来ない。でも読みやすく良い文章だった。

    (2016年2月22追記)先日、エーコ氏の訃報を知りました。昨年出版された7作目のNumero Zeroが遺作だったみたいです。大好きな作家の一人で、もっと書いてほしかったので残念でなりません。

  • 解放された。

  • やっと読み終わったという感じ。

    フランス、イタリアの中世史を裏側から読んでいるような本。

    最後の訳者のあとがきによりメタ的な構造が追加されていて、そもそも「計画」がメタ的な構造を持つものだけに、フクザツ極まりない。

    秘密は秘密であることが秘密の絶対条件であって、本当の秘密などないという、この世の真理、真実の歴史なんてどこにでもあってどこにもないという、ただそれだけ。

    とにもかくにも前フリが長い。興味深いのだけれども。
    黒死館を読了したときに似たけだるさ。

    いや、おもしろいのだけれどもね。

  • 結局わかったのは陰謀論は永遠に陰謀論の中にい続けられるので、その世界にいる人とはわかりあえないんじゃないか、という怖さかも。人が陰謀論に頼るのは恐怖心からではないかと思うけど、軸足をその反対側に置くと、今度は陰謀論そのものに恐怖を覚える。そうなると、陰謀論者とそうでないと人との間でひたすら恐怖心のラリーが続いて、両者はいつまで経っても分かり合えない。これ、分断されるアメリカにも当てはまるのでは。なーんて。

  • 「薔薇の名前」「前日島」そして「フーコーの振り子」。記号論学者のウンベルトエーコが書いたこれらの本が物語として面白いかというと面白くない。楽しみ方が違うのだ。
    持ち込まれた原稿が3人の編集者を中世へと引き寄せていく。怒涛のような記号の嵐の中で歴史は別の解釈をされる。カバラ、薔薇十字、賢者の石、エクトプラズム、生命の樹…。フーコーの振り子が意味するものは…。衒学的な文章。記号はすべてを語り尽くしたようで何も語っていない。どれも同様に難解。

  • 1

  • 1999-06-00

  • ことばによる、ことばだけの知の博物館。
    初めて読んだ『前日島』は概念と概念の間をゆらゆらとさ迷ふ感じであつたが、今回は知、記号が奔流のやうに押し寄せてそれに流されてしまふ感じである。
    類似、類推。記号同士の関係といふものは、つながうとすればつなげられてしまふ。何かが存在する、それ自体で関係をもつてしまふのだ。科学とは実はそれほど実証的ではないのかもしれない。そもそも、実証といふこと自体、記号の寄せ集めではないか。そんな気さへしてくる。
    ベルボの生死もディオレッターヴィの病死も、一連の陰謀によつて生じたもののやうに見えてしまふ。ベルボのトランペットもブラジルの楽器と関連付けられてしまふのだ。過去から現在、地球の内部から裏側まで、物語の中におけてしまふのだから、エーコといふひとの幅はとてつもない。さらには、ことばそのものの意味さへナンセンスだと言はんばかりに壊していく。日本語にその彼のもつ幅をのせて訳すのは、とても難儀したことだらう。かといつて、そのすべてを知らなければ彼の博物館が見学できないといふわけではない。読むといふことは、ことばをもつひとすべてに開かれてゐる。
    実際のテンプル騎士団がどうなのか、隠された陰謀が実際にあつたかどうかが問題なのではない。一見関係のないやうな人物や出来事を並べてみると、そこにあたかも連続性があるかのやうに見えてしまふのである。ましてや猟奇魔たちの数が揃へば揃ふほど、とてつもない飛躍でさへも埋められてしまふのだ。
    瓢箪から駒。嘘から出た誠。ありさうもないことでも関連性は見いだせてしまふ。ましてやカバラ風に考えれば、すべては遺伝子のごとく記号の無限の組合せであるのだから、組合せやうと思へばなんでも組合せられるはずなのである。

  • 「フーコーの振り子(下)」(ウンベルト・エーコ : 藤村 昌昭 訳)を読んだ。
    (と言うよりやっと読み終わった)
    『よくわからない』に1票!
    もしこの先私がまたウンベルト・エーコ を読もうとしてたらお願いだから誰か止めてくれ。(笑)
    翻訳の藤村昌昭さんもこれ大変だったに違いない。

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著者プロフィール

1932年イタリア・アレッサンドリアに生れる。小説家・記号論者。
トリノ大学で中世美学を専攻、1956年に本書の基となる『聖トマスにおける美学問題』を刊行。1962年に発表した前衛芸術論『開かれた作品』で一躍欧米の注目を集める。1980年、中世の修道院を舞台にした小説第一作『薔薇の名前』により世界的大ベストセラー作家となる。以降も多数の小説や評論を発表。2016年2月没。

「2022年 『中世の美学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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