王家の風日 (文春文庫)

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  • 文藝春秋 (1994年3月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (496ページ) / ISBN・EAN: 9784167259044

作品紹介・あらすじ

王朝存続に死力を尽す哲理の人箕子、倒さんと秘術をこらす権謀の人太公望。紂王、妲己など史上名高い人物の実像に迫り、古代中国商王朝の落日を雄渾に描く一大叙事詩。(遠丸立)

みんなの感想まとめ

古代中国商王朝の終焉を描いたこの作品は、紂王の視点から物語が展開され、彼が暴君としてのレッテルを背負いながらも、実は聡明でありながら理解されなかった人物であることが浮き彫りにされます。商王朝が神の力に...

感想・レビュー・書評

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  • 宮城谷先生作品、再読第三弾。
    商から周に替わる「封神演義」の時代です。

    この物語は、周の文王、武王でも太公望でもなく、商の箕子を中心に進みます。箕子は時の商の王、受王(紂王)の叔父にあたり、優れた感性と、比類ない知見を持ったすんごい人ですが、商が敗れることを止めることはできませんでした。

    なぜ強大な商が敗れたのか。この本を読むまでは、伝説通り、妲己に唆された紂王が暴虐で、それを周が倒したと、簡単な図式でしか観てませんでしたが、ひっくり返されました。
    受王は、夏の桀王ほど酷くなく、むしろ真面目に商という国の祭礼、政治を考えていた優秀な王であったようですが、そのやり方が性急で突飛なものであったこと、好悪が激しい性格だったことが、この時の商を取り巻く状況では、大きな仇となったようです。
    周りには、箕子だけでなく、比子(比干)や尹佚など優れた人たちがいましたが、関係性がどこかチグハグで、うまくいきませんでした。彼らが離れたことで、受王は完全に孤立していきます。トップに立つ人の素養は難しいですね。置かれた状況によっては、ただ頭がいいだけじゃダメなんですね。

    商が滅んだのは、受王のせいだけじゃなくて、その時代の背景にあることも教えてくれます。
    その時代、人々を統治していたのは、「神」でした。何をするにも占いをして、神様にお伺いを立てます。祭壇や供物は豪華になり、そのため人民の労役が過酷になりました。これに商に協力する国から反発が生じます。
    また生贄でご機嫌を伺います。そのために商ではたくさんの犠牲を必要としました。動物も人も。
    箕子も商の祭礼に肯定的であったので、労役や犠牲には表立って反対してません。
    働かされる、犠牲にされる方は我慢ならない。
    これまでは神の意向で済んでたのでしょうが、この頃は商の神に疑問を持つ人も増えてたのでしょう。商が滅んだのも、時代の流れで仕方なかったのでしょうね。

    周からは人が人を統治する世界。商周革命はまさに「封神演義」でした。
    物語の終わりの方で箕子が「これからの時代は神がいなくなり、人が人を統治する。神を除いた周はこれから苦難に見舞われる。これまでは神の下で、人はある程度平等であったが、人の間で差がつき、格差や差別が強くなるだろう」と言っているのに、とても感じ入りましたが、ふと時間をおいて冷静になると、これも支配する側の感覚で、犠牲にされる方の民族からしたら、たまったもんじゃないですよね。立場の違いってのも、とても難しいものですね。

    神からの独立。前に読んだ西洋占星術の話とも繋がり、古代の思想革命に思いを馳せます。
    読書の楽しみをまたひとつ覚えた感じです。

    さて次は、反発する人間側代表みたいな太公望が主役のお話。封神演義では仙人様でしたが、この時代でどんな活躍したんだったか、再読が楽しみです。

  • 受王は本当に暴君だったのだろうか。滅ぼされた側の悲しさか、多くの事実が勝者である周に色づけされたのではないだろうか。受王の箕子に対する温情や先祖子孫と王朝への想いはひとびとには伝わらない。
    商王朝が栄えるべき時代は去り、新時代にあった周が勢力をのばす。そのことに既に気付き、また新時代でも才を発揮できたであろう受王が商の体質に縛られ滅びゆくさまが切ない。

  • 商の終焉。

    この本が出た頃は、商の最後の王・紂王側から世界を眺める作品は少なかったように思う。そこに、悲しい滅びの物語として、紂王の視点を描いたことがおもしろい。
    商は神に助けられ、生かされた王朝。対して次代王朝の周は、人間の王の力が強まったことを示すような始まり。紂王がそこまで悪でなくとも、神の時代の滅びと共に商が滅ぶのは自然なことだったのではないかと思わされる。

    宮城谷氏の比較的初期の作品で難しい漢字が多いが、慣れれば調べたくなるだろうから、最初は飛ばしても問題ない。勢いにのって、王家の風日の空気をぜひ味わってみてほしい。

    太公望と合わせて読むとまた面白い。

  • 殷の最後の皇帝『紂王』暴君というレッテルが貼られている皇帝だけれど、実はそうではなく、聡明過ぎるがゆえに理解されなかったという、今までの紂王とは違った書かれかたがされていたのが印象的で素晴らしかった!
    宮城谷昌光の作品は漢字へのこだわり、造詣が深いのでそれだけでも読んでいて勉強になります。

    ※読んだのが10年近く前なのでかなり曖昧な記憶でレビューしています。ごめんなさい※

  • 再読。初回は中学生の時。
    当時は珍しい題材に目を引かれ、物語として読み進めた記憶があったけど、おっさんになると「なぜ商は滅びたんだろう」という仕組み面の考察をしがち。
    そんな読み方で見てみると、こういう見え方になってくる。

    ・商王朝は巨大な宗教団体のようなものであり、周辺諸侯をゆるやかに束ねる連合体のようなものだった。
    ・歴代の商王は宗教の主宰者として行動の制約が多く、それを嫌う王が現れた。
    ・制約を取り払うため、王は神意の代弁者ではなく、自らを神と称するようになった。
    ・これにより経済発展・領土拡大は進む一方、従来とは異なる統治方針に離反する諸侯も増えた。
    ・商王は離反者に対し酷烈な対策で臨んだため、諸侯が最大の対抗勢力である周へ流れた。
    ・周の当主も商王の処断による被害者だったため、臣従する諸侯を糾合して商を倒すに至った。

    歴史に「もし」はないと言うけれど、どうしても思ってしまう疑問は2つ。

    1. 商王は従来同様、神意の代弁者にとどまっていればよかったのか。
    2. 商王が諸侯へ寛大な態度を示していれば、革命はなかったのか。

    なんとなく考えた答え。

    【1】
    問題の先延ばしに過ぎない。
    周の新しさは「人が政治をしている」ということにあったから、商の「神による政治」とは根本的に対立する。
    「神<人」となりうる時代背景があったのなら、この対立が革命という形を取りうるのは避けられない。
    この「人による政治」と「神による政治」の中間を取ったのが帝乙・帝辛だが、「神による政治」を継続しても、結末は同じだったのではないか。

    【2】
    1と同様だが、個人の資質でどうにかなる。
    「神としての王(=人)」が統治の根拠であることの微妙なところは、「神」の名で統治を行う一方、「人」の側面が目立ちがちなところ。
    これは王の資質に依存するが、これが反感を買い、革命になった。
    一方で寛大な態度を示せば、それは「神」の威厳を拡大するだけで、結局「神」という看板は捨てられない。
    つまり「いいところは神、悪いところは人」となっちゃうため、よりよい人を選ぼうという行為は常に行われうる可能性がある。

    どうでもいいけど、古代を扱う歴史小説にもかかわらず、サイキックだのテレパシーだのが出てこないのは好感。
    「古代は超自然的なものの信仰が篤かったから」などの理屈で、超能力をかませてくるケースが意外とあるだけに。

  • 古代中国の商王朝の宰相箕子を始めとした商王朝興亡の物語。祭祀王から専制君主へ変貌しようとしたがために暴君の誹りをうけた紂王。歴史はやはり面白い。

  • 商から周への交代を描く。商の最後の皇帝には悪人としてのイメージだけがあったが孔子の弟子も書いているという。そんなに悪人ではないようだ。でもやはり少しずつ変わっていく。箕子と干子の二人を退けた時、滅亡が決まるのだ。
    後半、俄然面白くなる。ただよみにくい。難しい単語を多く使う割に、簡単な言葉を皆ひらがなで書くため、ひどく読みにくい。20文字以上ひらがなが続くようなところも多く、いちいち読み方を考えてしまう。。さらに誤字?誤植も多い。
    「詮衡」は少なくとも広辞苑には「銓衡」の誤りとある。意識して使っているのだろうか。
    なお私の読んだのは単行本。1991年初版で1995年の第4刷。

  • 全1巻

  • 殷の箕子。

    殷の紂王。

    周の太公望。

    周の文王、武王。

    それぞれに生き様があって、歴史を紡ぐ。

    易姓革命の1つといわれる殷と周の戦いは、激しい。

    烈しさと儚さとそんな歴史の小説だった。

  • 太公望の裏側を知れるかと思って読んでみたが微妙でした
    これを読んでから太公望の方がいいです

  • 六百年に及ぶ栄華を誇る古代中国商(殷)王朝の宰相箕子は、振興国周の勢力に押されて危殆に瀕した王朝を救うために死力を尽くす。稀代の名政治家箕子の思想を縦糸に、殷の紂王、周の文王、妲己、太公望など史上名高い暴君、名君、妖婦、名臣の実像を横糸にして、古代中国王朝の興亡を鮮やかに甦らせた長編歴史ロマン。

    商王朝から周王朝への商周革命です。


    暴君と呼ばれる人物が王として君臨すると、王朝が滅びる前兆ともいえるかもしれませんね。
    紂王だって王子のときはどちらかといえば頼もしいとも言える人物であり、箕子から積極的に教えを受けていたともいえます。
    権力を握ると人はこうも変ってしまうのか・・・・・
    滅び行く王朝を支えるべく箕子や比干がどれほど正しい意見をしても、紂王は聞き入れず、挙句の果てに比干や九候や顎候を悲惨きわまりないやり方で殺し、周の文王までも殺そうとする。
    土候が、「商に入朝する気はない。箕子どのにのみ従うつもりである。」と言ったのもうなずけます。

    商王朝が崩れゆく様を、ありありと描いてくれた一冊です。

  • 六百年に及ぶ栄華を誇る古代中国商(殷)王朝の宰相箕子は、新興国周の勢力に押されて危殆に瀕した王朝を救うため死力を尽す。希代の名政治家箕子の思想を縦糸に、殷の紂王、周の文王、妲己、太公望など史上名高い暴君、名君、妖婦、名臣の実像を横糸にして、古代中国王朝の興亡を鮮かに甦らせた長篇歴史ロマン。

    殷が滅び、周が興る時代を殷王朝側の視点から描いている。同じくその時代を周の側から見た「太公望」は冗長なので(文庫で全3巻)、こっちの方がよいと言う人もいるが、個人的には「太公望」の方が好みでした。
    純粋に歴史を楽しみたいならこっち、物語を楽しみたいなら「太公望」という感じかな

  • 久しぶりに歴史ものを読んだ。
    漢字の意味や 神が治めていた時代の面白さ

  • 宮城谷さんのデビュー作のようです。
    そのためでしょうか、ある種の「硬さ」のようなものが感じられます。
    そのひとつは、やはり漢字の難しさでしょう。本意に近いことを前面に押し出した漢字使いなのだそうですが、意味不明の熟語が多く困ってしまいます。
    もうひとつは占いの扱いです。この時代、占いを中心に政治が回っていたようで、やたらと占いが出てくるのですが、それを信じる立場に立てば、なにやら超自然現象小説になりそうですし、占いを信じない立場にたてば、主人公たちが非論理的人間になってしまいます。そういう意味で扱いにくいのだとは思います。
    全体に今一つ盛り上がりにかけるのは、おそらく悪人対善人というありたきりな構図を著者が嫌ったせいもあるようです。紂王とそれを諌める人民の味方・箕子という単純構図にすれば物語としては面白かったように思います。

  • 2016/1/14

  • 中国の殷王朝から周へ革命をもって移り変わる時代。
    神政時代から人が統治する時代へ、人類として大きな変貌を遂げる大河ロマン。
    漢字の語源や普通に使用している言葉の源がこんな時代にあったとは驚き。
    明治維新もここから来ていたのね。

    高校時代、大好きだった世界史の裏話的な挿話がたくさん思い出されてきた。

  • 久しぶりに読んだけど取っておいてよかった。白川先生の本も読みたい。

  • 商王朝、すなわちのちに殷と呼ばれるが、この時代に中国で初めて文字を持ったといわれている。甲骨文字である。また青銅器もある。紀元前十一世紀のこの時代に青銅器が作られたというのだから驚きだ。東京の国立博物館に鎮座している。当時の商人がこの同じ青銅器を見つめていたかと思うと、時間という感覚がなんだか急に短く、凝縮された感じに思われてくる。

    この物語は、二十八代目の王である文丁王の子、箕子(きし)、本名は胥余(しょよ)の話である。文丁王は崩御し、その長子の羨(えん)本名は乙(いつ)が後を継いだが、その次の王が、いわゆる受(紂・ちゅう)である。受は、叔父である箕子を敬い、その助言を聞く耳を持っていた。受は、歴史の中では非常に酷薄は王のように書かれることが多いが、実際は、卜祝のような占いによって国の政治が決められていくことに違和感を感じ、政治改革をしようとした英邁な王であったのであろう。

    ある日、箕子は受王の箸が象牙に変わっていたことを知って、眉をひそめて嘆息した。天子が象牙の箸を使っていることが、天下の禍のもとにならなければよいが、と言ったのである。これに対し、ある王臣は言う。鄭の国のあたりでは、象牙はかんざしに使われている、と。だが、箕子は、箸は違う。まして、天子の箸となればまったく違うのだと。
    今は、箸だけの贅沢である。が、物にはつりあいや調和というものがあり、象牙の箸が、土で出来た食器にふさわしいとは思われない。酒を飲むにも、木を曲げて作ったようなさかずきでは物足りなくなり、犀の角や玉で作ったさかずきを好むようになろう。象牙の箸と犀玉の杯が揃えば、豆類の吸い物はやめて、かならず牛や象の肉のスープとなろう。食が変われば衣と住とも変わらざるを得ない。いまは粗末な短衣をきていても、やがて錦のものを重ねて着ることになろう。とすれば、かやぶきの小屋に住んでいられるはずがなく、大広間のある高級なところで食事をすることになろう。箕子はこのように象牙の箸ひとつで高層楼台を想像した。いやさらに、商王朝の滅亡さえも予見したかもしれない。戦国末期の書”韓非子”では、そのことを、”われそのおわりをおそる、ゆえにそのはじめをおそる”という言葉であらわしている。

    受は、諸侯に戦慄すべきことを宣下した。それは新たに入朝した諸侯はもとより、これから入朝する諸侯もあらためて玉を差し出し、玉を商王への忠誠の証とみなすというものであった。諸侯は当惑した。かつて彼らは、歴代の商王から忠誠を強要されたことはない。かれらの信仰の対象は、当然、神であり霊であり、これまで王の命令をつつしんで受けてきたのは、その命令が神霊のたちあいのもとに下されたものであると知っており、すなわちそれを王の意志というより、神霊の意志として聞いてきたのであり、王の命令は必ず商王国をうるおすものと信じて疑わず、ひいてはみずからの福となってかえってくるに違いなかったからである。

    信仰というのは、極言すれば、理論ではなく、一種の好き嫌いであり、宗教というのは人間の感情の所産であるから、神霊につかえる王もまた諸侯の感情のなかに、むしろ実体の無いきよらかさであるべきものであった。もっとはっきり言えば、商王とは、王という名さえあればよく、透明な存在であってもよかった。その王が、まぎれもなく筋骨たくましい体をもち、ある意味では、なまぐさみをもった存在として、にわかに”忠誠を尽くせ”といってきたのである。諸侯は不快感を覚えた。これは従来、商王朝を成り立たせてきた制度とはだいぶ違う。かんたんにいえば、いままでは商都に近いところは王が治め、商都から遠いところは有力な諸侯が王に代わってまとめてきたわけであり、そうした諸侯が等しく持っている意識は、商王に臣伏しているというより、商王を援助してやっているといいうものである。ただ、受王もこれらを諸侯があっさり受け入れるとは思っていない。そこで、高圧手段を用意した。それが炮烙の刑である。この刑をまずは実験台として受刑者に行い、その後、受王は、玉を差し出すことに不共の者はかくのごとしである、と言ったのだ。この刑が元となり、商王朝自身が滅亡の行進をはじめたと言ってもよい。

    いずれ滅ぶ、とみなが思っただろう。商王朝を倒す周候は後世の世で名君に書かれたが故に、受王は暴君に書かれざるを得ない立場にあった。受王は、九候や鄂候をや醢(かい・からだを切り刻み、しおからににするもの)や脯(ほ・人間を塩につけ、干し肉にすること)の刑で誅殺したが、そのやりかたは春秋戦国時代にもしばしば行われたもので、受王だけがやったことではない。孔子の弟子の子貢(しこう)も、受王を不善というけれど、あんなにひどくなかったに違いない。天下でおこなわれた悪いことが、みなかれに押し付けられたのだ、と言った。

  • 4167259044 486p 2001・6・15 14刷

  • 受王に対する見方が変わりますね…

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著者プロフィール

宮城谷昌光
1945(昭和20)年、愛知県蒲郡市生れ。早稲田大学文学部卒業。出版社勤務のかたわら立原正秋に師事し、創作を始める。91(平成3)年『天空の舟』で新田次郎文学賞、『夏姫春秋』で直木賞を受賞。94年、『重耳』で芸術選奨文部大臣賞、2000年、第三回司馬遼太郎賞、01年『子産』で吉川英治文学賞、04年菊池寛賞を受賞。同年『宮城谷昌光全集』全21巻(文藝春秋)が完結した。他の著書に『奇貨居くべし』『三国志』『草原の風』『劉邦』『呉越春秋 湖底の城』など多数。

「2022年 『馬上の星 小説・馬援伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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