- 文藝春秋 (2003年3月7日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784167259143
みんなの感想まとめ
信義に基づく生き方や、主従の理想的な関係を描いた物語は、読者に深い感動を与えます。主人公の華元は、乱世の中で信念を曲げず、詐術を用いずに生き抜いた名宰相として、その生涯を通じて徳を積むことの重要性を教...
感想・レビュー・書評
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一本筋の通った者たちの遣り取りが爽快!
礼(宇宙の原理)に身を任せ、信義篤く生きる様は、ただただカッコイイ。こうした主従が生まれるのもある意味奇跡だ!
徳を積むとはどういうことかを教えてくれる一冊。
「君の臣に賂うは、命を知らざるなり」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
食べ物の恨みは怖いっていうこと。
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全1巻
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争いを好まず、あえて負けを選ぶことで真の勝ちを得る――。
乱世にあって自らの信念を曲げることなく、詐術とは無縁のままに生き抜いた小国・宋の名宰相・華元。名君・文公を助け、ついには大国晋と楚の和睦を実現させた男の奇跡の生涯を、さわやかに描く中国古代王朝譚。
名君だけがいても、そばで支える人が優れていなければ国はうまく運営できないし、優れた臣下がいて名君がいなくては国は成り立たないものです。
分かりきったことですが、宋の文公と華元との関係が理想的であり、どちらも驕ることがなかったから国の存亡の危機になっても滅びることはせず、人臣をうまくまとめあげられたのだと思います。
大棘の戦いで華元が鄭の捕虜になったとき、楚と宋との間の商丘攻防戦に、固い君臣の絆をみることができました。
後年、晋と楚の和議を成立させるという離れ業をやってのけた華元。
礼を重んじ相手を思いやる華元の心が、華元の生涯と宋という国を支えたのでしょうね。 -
読みやすく、一気に読了しました。相も変わらず地名・国名・人名が多量に出てくるのには閉口しますが。
主人公の華元は、余り派手さは無いですが魅力的なキャラクターですし、名君・文公やもう一人の主人公と言うべき王姫も存在感があります。
でもちょっと。何か"華"が無いのです。もう少し盛り上げる事も出来る話なのですが、淡々と話が進みます。
それが宮城谷さんのスタイルと言えばそうなんですが。。。
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古代中国 宋の名宰相 華元のお話。
徳を通じて国を治める、そのやり方は現代にも通じる。
政治家は必読だと思う。 -
小国の名宰相の物語。面白い。戦わずして時代を制する。本当の偉人とはこういう人なのかも。
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春秋時代の宋の名宰相・華元の生涯。
淡々と描かれているが、どんどんストーリーに引き込まれていって面白い。
歴史を知らなくても楽しめた。 -
意外や意外、初宮城谷作品!
歴史から人の生き様や知恵を学ぶ事が出来る作品。そしてそれらを自分の活力にしていけたら良いな、と感じさせてくれた一冊。
時代は周王朝時代。その時代に実在した宋国の宰相華元と賢帝文公を中心にストーリーは進んでいきます。
国を動かしていく際に礼や徳を重んじ、思いやりを大切にした華元。そんな華元の生き様を心底愛した文公や王姫、家臣達。
古代の歴史の中の話しですが現代にも通じ、大切にしていきたい感覚だと感じました。 -
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宋の宰相、華元の話。
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宋の華元
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4167259141 287p 2003・3・10 1刷
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★2010年62冊目読了『華栄の丘』宮城谷昌光著 評価B+
中国の戦国春秋時代の宋の宰相となった華元の物語。先に読んだ夏姫春秋にも登場した人物の一人であり、今回はその逆から読むことにもなる。
争いごとは嫌いで、できるだけ穏便に、相手に譲っても最後には勝ちを収める我慢の人であり、図らずも名君と言われる文公に仕えて、宋の繁栄につくす。途中では意外な事件から戦闘の最中に晋の捕虜となってしまうが、文公の華元を思う気持ちによって、救い出されたりもする。
まだ、孔子が現れていない時代に、徳を説いて、楚王の攻略にも長期にわたり、籠城で抵抗して、戦に負けない粘り強さも見せる。
この作品は、一巻ものであるが、それだけに長編ものと異なる手短さですっきりと物語を紡いでおり、非常に読みやすい作品であり、長編にあるだらだらとしたかったるさは、感じさせない。司馬遼太郎賞受賞作品。 -
春秋時代の宋の宰相、華元を描いた物語。
乱世にあって武や謀をよしとせず、礼と信義を貫く姿に心打たれます。 -
「宋襄(そうじょう)の仁」「助長」「守株(しゅしゅ)」などの故事成語は、皆、古代中国にあった宋という国の人が主語になっている。古代中国と云ってもその歴史は長いから、具体的にいつ頃かというと春秋戦国時代のことであり、西暦ならば紀元前770年~前221年までと考えておけばよいだろう。要するに、キリストすら生まれていない遠い遠い昔のことである。
宋という国は、もともとは殷という王朝を建てていた民族の末裔によって運営された候国である。中国の古代史が好きな方や、小説でも漫画でも封神演義を読んだ方なら、殷がどういう国であるか、大体イメージできることと思うが、あの暴君・紂王が、周王朝を立てた姫発(きはつ・周の武王)らによって討たれ、滅亡させられた祭祀国家が殷である。そして、その亡国・殷の王族達が、新たに興った周王朝から土地をあてがわれ、祖先の祭祀を執り行ったのが宋という国なのである。時代が下って、直接に殷王朝時代を知る者たちがいなくなっても、宋人(そうひと)と呼ばれる宋の国人たちは、生まれながらに亡国の民として生きていかねばならない。
上記の故事成語を簡単に説明すると、以下のようになる。
「宋襄の仁」…宋の襄公が戦の折、「敵の陣形が整わぬうちに攻撃すべし」との臣下の言を「人の弱みにつけ込んで攻め入るべきではない」と斥(しりぞ)けて、敵軍が川を渡渉するのを待ってから攻撃を開始したという故事。この戦で襄公は傷を受け、それが元で戦没する。このことから、無用の情けをかけて、かえって自分が窮地に立たされる愚を嗤う言葉となっている。
「助長」…宋の人が、畑に植えた苗を早く生長させようとして、その苗を引っ張った為、かえって苗が枯れてしまったという故事。転じて、無用の手助けによって事態を悪くさせることをいう。
「守株」…宋の人が田を耕していたところ、田んぼの中の木の切り株に、走ってきた兎がぶつかり、死んでしまった場面を見た。その宋人は再び兎を獲得しようと、鋤鍬を捨てて、いつまでも切り株を見張っていたが、結局兎は二度と手に入らなかったという故事。転じて、古いやり方やしきたりにいつまでもこだわり、融通がきかないことの譬えとなっている。「株(くいぜ)を守りて兎を待つ」ともいう。
どの故事成語も、宋人を愚かな人間の類型として描いていることに気付かざるを得ない。もう随分前のことになるが、高校の漢文の授業で先生が教えてくれたことは、「宋人は殷の遺民として、他国の人民から侮られる立場にあった。だから、愚かな振る舞いをする人のことが中国の古典に書かれていると、その人は宋人であるパターンが多い」ということであった。そして「宋人はこういった記述が残されたがゆえに、古代から現代に至るまで嗤われ続ける運命を担わされている」とも教えられた。
以来ずっと、私は宋人のことが気になっていた。亡国の民として生きることを余儀なくされ、ひっそりと守り伝えていたであろう殷の祭祀儀礼も因習になずんでいると否定され、愚か者の典型のように嘲笑の対象となりながらも、じっと耐え続ける宋の国の人々。私が持っている宋人のイメージは、そのようなものであったのだ。
この物語の主人公・華元(かげん)はそんな宋国に生まれた華家の当主である。この頃の中国大陸は、戦国の七雄と呼ばれる七大大国(斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙)を中心に中小の豪族が群雄割拠していたのであるが、宋はなみいる大国に挟まれて逼塞状態にあった。華元の家は宋国の貴族であり、家の格は高いものの、時の君主・昭公に冷遇されていた為に家運がふるっているとはいえない状況にあった。華元は、流行りの言葉で云うならば、負け組みの国の負け組みの家に生きる男だったのである。
だが、華元という男は周囲から一目置かれる存在でもあった。彼の性格として、詐術を好まず、明るい磊落(らいらく)な性格で、目の前にいる者を朗らかで優しい気分にさせる雰囲気を持っていたからである。華元は自分の家が昭公から遠ざけられていても、決して焦らない。むしろ、家宰(かさい・士大夫の家の管理をする役目の者)の方が、負けが込んでいてもマイペースな主人のことを心配している有様である。
ところが、権勢欲や名誉欲などぎらぎらしたものには恬淡な華元のもとに、ある時、好機が舞い込むのである。昭公の非道な政事(まつりごと)を憎む、公子鮑(こうし ほう・昭公の腹違いの弟)が、華元に謀反の助勢を持ちかけてきたのだ。公子鮑は昭公を急襲して、自らが宋の君主になろうと考えおり、その下準備として、彼は貧しい臣民には施しを与え、飢饉が起これば、自分が所有する食糧を全て開放するなどの慈善活動に精を出していた。昭公を弑逆したとしても、民衆の支持を受けられるようにとの配慮からであった。謀反の相談を受けた華元は、しかし、公子鮑の無道な計画を優しく諫めた。その計画に乗って成功すれば、自分が当主を務める華家も権力の中枢へ浮揚するという明るい展望をふいにして、華元は負けたままの状態の方を選んだわけだ。
公子鮑は華元との緊迫した会談を経て、謀反を焦る気持ちを少しずつ変化させ始める。華元の諫め方は穏やかでありながら、乱によって得た君主の座や富貴の身は、いずれまた別の乱によって滅ぼされるという確固たる姿勢に裏打ちされたもので、それが公子鮑を忍耐の方向へ導いたのである。後に、昭公はもう少し別の局面からの政治抗争により殺害され、宋の朝廷から除かれることになる。そして、華元の諫言を容れ、謀反を自重していた公子鮑は、国人の支持を受けて晴れて新君主となり、宋の文公と呼ばれるようになる。ちなみに中国皇帝で「文公」と諡号(しごう)が付くと、「英明な賢君」を意味する。
文公と華元は、それからは互いに助け合って宋の政事を執り行っていく。深刻な戦も勃発し、華元は自分のちょっとした失策から敵の捕虜になってしまったりもするのだが、負けたり、不利な立場に立たされるたびに、彼を慕う人間達から救いの手が差し伸べられる。華元の場合、ただ負けるというよりも、上手く負けるという行動美学を生まれながらに持っているようでもある。そこが面白い。
私は宋人に関して、屈辱に耐え続けるだけの哀れなイメージしか持ち合わせていなかったのだが、華元という人物に出会ってみると、宋人に対するイメージがよい方向へと覆されたし、人間の、特に男の価値は負け方で決まるという気がしてきたものである。人間、上り調子の時は見掛け倒しのタイプであっても、なんとなく立派な人物のように思えるが、一旦、衰運の憂き目に遭うと、とたんに小人の性を露呈するものである。人間の真価というものは、その人が負けた時に初めて見えてくるものなのだ。だとしたら、負けても負けても必ず誰かから助けが得られる華元という男は、実は常に勝ちを手にしている男なのではないかという気がするのだ。そして彼がもし、宋に生まれておらず、もっと新興の、例えば秦のような、武力でもって急速に版図を拡大している国に生まれていたら、こういう人間にはなれなかったのではないかとすら思う。華元が上手に負ける才能を得られたのは、一度負けを経験し、それでも中華世界の片隅で余喘(よぜん)を長らく保ちえた宋という国に生まれたからではないだろうか。
この『華栄の丘』という作品について欲を云わせて貰うならば、一巻のみで完結するのではなく上中下の三巻立てくらいで、書いて頂きたかったと思う。中国の歴史小説というと、ほかにもっと有名どころがあり、宋という国も華元という人物も無名とまではいかないが、あまり馴染みのない固有名詞であることは否めない。よく知られた時代や人物が多く出てくる作品であれば、読者の側がそれぞれ好きな場面や英雄豪傑などに感情移入して、書かれている文章以上に膨らませて読むことも可能だが、馴染みのないものは、なかなかそうもいかない。残されている史料が圧倒的に少ないという原因もあるかもしれないが、資料に書かれていない部分は、作者なりの自由な空想を盛り込んでもらって構わないので、登場人物の心理描写と情景描写を、もっとたっぷり見せて欲しかったと思う。
とはいえ、私は宮城谷昌光氏のいかにも正統派という筆致は好きなんである。『楽毅』とか『重耳』くらいまでの作品が最も好きだが、この『華栄の丘』も爽やかでよい。中国史に興味を持っていれば高校生くらいから十分理解できる作品といえる。
平成二十一年九月十一日読了 -
前600年。華元の話。宋の宰相。華御事の子。宋は商の遺民が移り住んだ国で礼を尊ぶ。「宋襄の仁」でも有名。宋の襄公が敵が川を渡るまで待って攻撃を開始し,敗れたことをいい,バカ正直という意味をいう。がそれほど戦いの場においても礼を尊んだ国である。華元も嫌戦家で相手が悪かろうが,できるだけ戦いを回避する策をとった。
華元は自分を殺そうとしている者を殺して生きるということを好まず,自分を殺そうとしている者に殺されないように生きるということを好む。
華元の最大の功労は戦いに明け暮れていた晋と楚が盟いを交わすという歴史的慶事を実現させたことだろう。
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明るく楽しい一本もの。春秋時代、苛烈だったり清貧だったり清冽だったりする多くの宰相たちを輩出した中国だけど、こんな愛嬌と愛がある宰相も名を残している。他の長編と少し趣が違うのだけど、これはこれで名作だと思う。そして定説の裏側からヒントを得る物語づくりは健在で、だからこそ新鮮。
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2007 12/10読了
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愛読している宮城谷さんの作品の
なかでひさびさに涙したのがコレ。
もともと春秋時代が好きなんだけど、
宮城谷さんの 作品のなかでとくに
こういう春秋・戦国時代の小国の、
君主をカゲで支える系家臣に
スポットをあてた作品が大好き。
こういう清廉潔白な、なにがあっても
正義をとおそうとする人がいい。
そういうところは晏子に
つうずるものがあると思う。
泣いたのも晏子以来かも。
君主っていうのは頭がよくなくていい。
こういう逸材をひきよせ、アドバイスを
うけいれる心があればいいんだ。
宮城谷さんは、文章自体には一切感情を
こめないのに 人のちいさな感情の
動きを見事に表現するのがすごい。
「目もとに微笑を含ませた−」
とかそういう表現が好き。
著者プロフィール
宮城谷昌光の作品
