サイゴンから来た妻と娘

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  • 文藝春秋 (1981年7月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784167269012

作品紹介・あらすじ

戦火のサイゴンで子連れのベトナム女性と結婚した新聞記者が、家庭内で起こる小事件を通してアジア人同士のカルチャーギャップを軽妙に描く。大宅賞受賞作品。(井尻千男)

感想・レビュー・書評

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  • 気になっていたのにずっと読まなかったのには理由がある。著者が早くに亡くなったのは知っていたので、ベトナムから来た奥さんと娘が心配だったのだ。やっと平和な生活を手に入れたのに、その後どうしているのだろう、本書はハッピーエンドでも、その後のことを考えると・・・ともやもやして、いまいち手に取る気にならなかった。

    読んで笑ってしまった。奥さんタフ。これなら旦那の一人や二人亡くしたところでどうということはないだろう。上から目線の同情は必要なさそうだ。泥沼の戦時下のベトナムで、一族郎党を率いて生き抜いてきた女性を甘く見るな、というところか。
    国民性もあるだろう。ベトナムは近代戦でフランスとアメリカに勝った国だ。ベトナム人が弱虫のはずがない。中国人のタフさとはまた一味ちがう強靭さ。

    ベトナムについてずっと興味を持っていていろいろ本を読んできたが、面白かったし、読みごたえがあった。奥さんタフで面白いし、娘のユンちゃんもかわいい。
    ベトナム人の友達が欲しくなった。

  •  婚活参考本である。それは最後に書く。
     ベトナムは仏教と先祖崇拝の国であることが本書を読んでよくわかるし、オカルトとして、ベトナムには「コン・クイ」という本物の悪霊と「コン・マ」という、悪さをするかわりに親切にしてやれば向こうも人助けしてくれる二種類の幽霊がいることが、面白かった。

     正調ベトナム語つまりハノイを中心とする北ベトナム地方のベトナム語では「D」という文字は英語の「Z」と同じ発音になる。優雅であることを好む南部の人々は「Z」の発音を嫌う。トゥーゾー(自由)は、ホーチミンでは「トゥーヨー」となること。アオザイも南部ではアオヤイだ。それも勉強になった。

     戦火たけなわの南ベトナムに来て、飢餓をイメージしていたけれども、都市でも地方でも米、肉、魚、野菜、果物が山ほどあり、相当な貧乏人でも、少し不味いとまだ食べられるものでも平気で捨てていた。ベトナムは凄まじい食の宝庫なのだ。食い物が豊富だったからこそ、この国は中国にもアメリカにもタフでいられる。庶民の貧困への同情や義憤を基調に、この国の戦争を眺めたら、いずれ辻褄が合わなくなることが出てくると著者は述べている。今こそ考えるべき重要な指摘だと思う。

     本著ではベトナムから連れ帰った妻の食に対するこだわり、美食文化ベトナムの諸相が書かれていて、漬物一つにしても、執念で探し回り、注文する。パパイヤの切干とナマズの肉の合わせ漬けとか、庶民のおかずでも、何としてでも手に入れる様が面白い。ピトロンという孵化一週間前のアヒルの卵を蒸したものは女子高生から大人までみんなのおやつだというのも、知らなかった。ホーチミンはある程度うろついた経験があるけれども、見かけなかった。
     ベトナム人は動物好きで、動物と人間がほとんど同じように扱われているのが面白かった。娘への体罰と、動物への罰がほとんど同じような場面として描かれている。それから、うさぎが殺されるところも、良い。動物は自分たちと同じ。なのでとんでもなく大事に育てる。そして、容赦なく食う。しかも食う時は、なんらかの理由をつけて、まっすぐに食う。センチメンタルなしで大事にし、センチメンタルなしで喰う。この切り替えの論理は、よく覚えておかないといけない。
     食にこだわるベトナム人妻が本当にだめだったのは、餅と納豆だったという。これも印象的だった。

     また定価販売のない買い物のやり取りが、当たり前のようにあり、釈迦と先祖という二つの抽象的基準はあるものの、具体的基準は自分たちの自由で決めなければいけないという。いかに安く買って得をするか。日常からして生存競争を鍛え続けている様が描かれている。

     ベトナムにいる家族に妻が送金すると、すべて届いたというエピソードも面白かった。
    「ベトナム人はお金のことには厳しい。たとえ一回でも送金が届かなかったり、ごまかされたりしたら、次からはもうけっして送らない」「そんなことになったら、政府だってドルが入ってこなくなるから困るでしょ」ということらしい。

     ベトナム戦争をめぐる印象的な場面はここだ。
    「こうして難民の中に入ると、私はいつも、あの、陥落直前のサイゴンを襲った形容しがたいパニックの情景を思い出す。
     多くの人々が動転し、形相を変え、なりふり捨てて逃げようとした。突き飛ばし、押しのけながら、米大使館の塀に一歩でも近づこうとしていた群衆。」
    「日頃、火を吐くような弁舌で反チュー(グエン・バン・チュー)、反米、民族和解をぶちまくっていた行動派のインテリまでが、ほとんど私の袖を握りしめんばかりにして、「俺たちはどうなるんだ。どうしてくれるんだ。日本大使館にかけ合って、俺と家族のパスポートを取ってくれ」と叫んだ。このせっぱつまった町の空気は、何か滑稽でもあり、また、ふと足をとめて思いに沈むと耐え難く悲しい凄絶でもあった。」

     さて、このエッセイを読む限り、著者の旦那さんは嫁や娘に対し相当努力している。だぶんとてつもなく良い家に彼は生まれ育ったのだろう。愛情を持って眺めすぎている。極端な言い方だが、愛情が無駄である文化と愛情をはぐくむ文化とを、彼は気づいていながら、無視してしまったのかもしれない。
     この本のタイトルでグーグル検索をすると、結構悲しい結末が待っている。
     著者が晩年、妻と娘の夢を叶えさせるためにフランスに先に移住させていたら、そこで著者に秘密でベトナム人の元旦那をよんで一緒に暮らしていたそうだ。著者はたいそう残念がっていたとか。娘は、フランス人と結婚。背の高いイケメン好き娘は、妻に鍛えられた意志力で見事成し遂げる。
     妻は、晩年病気になった夫を捨てて、元旦那で食っていこうとしたのだし、娘はベトナムに帰ったりせずフランス人との結婚という気持ちであり、中身が大事だとか、愛とか、義理とか、それは確かにあるにはあるが、一番ではない。一番は、自分が自由を保てるかどうかだ。自分がより満足できるかどうかだ。妻は、元旦那を秘密に呼びつけて、夫の金でフランスで暮らし自由を確保し、娘はフランス人と結婚して自由を確保した。ベトナム外交のやりかたも、要するに損をしないように浮気外交なのだ。こうしたしたたかさは、本当に見事だと思う。
     ベトナムでエロ動画を検索するとゲイばかりが出てくる。女性がしたたかすぎて、男同士が一番やな!ってなっているのかもしれない。この本にも、亭主関白なんてありえない、恐妻国であることが書かれている。
     私も、はじめてベトナムに行ったとき、夜中ホテルの外へ出て街をうろついていると「いい男いるよ?」とおっさんに親指をたてて話しかけられた。私にはじめて話しかけてきたベトナム人のおっさんの笑顔は、大輪の花のようだった。キャバクラのベトナム人女性からは「オカマですか?」と真顔で言われた。
     ベトナム人は良いけれど、ベトナム人妻(もしくはベトナム人妻みたいだなと思えるやつ)だけはやめとけ、と結論が出てくる。気をつけよう。
     また、著者の近藤氏だが、とてつもなく前妻のことを愛していたのだが、この本にはほとんど書かれていない。前の妻の写真はいつでもどこでも持ち歩いていたという。もし前妻が生きていたら……そんなことを考えても仕方がない。著者はあまりにもはやく亡くなってしまった。ベトナム人妻を引き取った著者の年齢は32歳。なるほど、もう若くないことを自覚し、男が情に厚くなる年齢だ。

  • 来日した作者の妻がベトナムでの食生活を懐かしみ、どうにか日本でもベトナム食を食べようと工夫する姿に脱帽した。
    妻が夫に年頃の娘の身体を見せようとするエピソードにはどん引き。私も女性だが、あんなことをされたら、大人になっても嫌な思い出として残り続けるだろう。これも文化の違いなのだろうか?

  • 勤倹とか質素とかを美徳に仕立て上げ、あくせくやってこなければ生きてこられなかった日本人と、途方もない自然の富に恵まれてしまったこの国の人々との間の、豊かさの概念の違い。働かなくても食える境遇の中では、労働は美徳ではなくなる。怠惰は悪徳ではなくなる。

  • 生活の叙述の中で、ベトナムの人の物の考え方や大切にしていることも感じられたし、筆者のベトナム観にも大いにうならされた。

    ベトナムの人々の強さ、生きる力を見せつける数々の実話と、その背景にあると思われ歴史・風土的背景。
    国際社会の中での、外交的あるいは文化的な立ち位置。
    ベトナムの風土がもつ資源や自然の豊かさ、食の写しさ。
    そして、翻って、日本が心がけるべきこと。

    ベトナムを知るための一冊として必須だろう。

    以下、印象に残った記述(一部、簡略化して転記)

    ・妻は一家の家長で、働きもので、大家族制の名残を残す国では、一般に家長依存の風習が強い、しかも相手の稼ぎがいいとなると遠縁とか昔馴染みと称する連中が次から次へと群がる。持てるもものが持たざるものを助けるのは当たり前、という仏教上の通年も影響している。
    この辺の感覚はこの国の外交態度にも表れている。サイゴンもハノイもそれぞれ諸外国からしこたま援助をもらいながら、めったに「ありがとう」といわない。(p.16)

    ・この国で生きていくための金科玉条は、腹を立てても特にならないとわかっているときは、絶対に腹を立てないことなのだ。たしかに長い間波乱の歴史にふりまわされ、現在も戦争のおかげで乱暴な権力や金力が幅をきかせているこの国では、少々のことに腹を立てていては下々のものはとてもやっていけない。(p.26)

    ・(結婚にあたって、)「お釈迦様は(凶などという)意地の悪いことをいわない。たくさんお礼を払いますって先に言っておいたから。」(p.49)

    ・本格的に東京での生活を始めた。妻は、私よりもむしろ平然と、この大都会の生活になじんでいった。
    (日本国籍を取ったことで)ベトナム国籍を離脱するにさいしての心境を聞いたら、「書類の国名が変わっても、私自身が永久にベトナム人であることに変わりはないでしょう」と、特別の感慨を示さなかった。(p.57)

    ・彼女が気に病んだのは、家も収入も失った一族が先祖の祭りもろくにできなくなったのではないかということだった。そこで浅草の観音様を、「私のお寺」に選んだ。「アシタアサクサイコウナ」と。(p.59)

    ・この国での付き合いの鉄則として、「常に相手の名誉心を重んじよ」といわれた。
    この国の人々がときには以上に思えるほど「メンツ」にこだわり、現実にそれへの配慮が日々の身の持し方の一基盤をなしていることをしばしば実感した。
    単に個人の行動や対人関係に限らず、ときには政治問題、外交問題にいたるまで「メンツ」が介入し、それがこの国自体の生きざまを、はた目にはよけいややこしくしているのではないか、と思われることさえあった。(p.76)

    ・ベトナム式子育て法のもう一つの基本は、何よりも「強い子」を作り上げることのようにみえた。確かに、強靭で、世知にたけ、したたかな人格でなければ、戦乱続きの国を生き抜いていけない。国家形成以来、たえず外国勢力の侵略や内乱にもまれ続けたベトナムの歴史自体の世知辛さ、悲しさがつちかった規範なのだろう。(p.81)

    ・混血であること自体が「いやになっちゃう」わけではないらしい。ベトナム(とくに南部)では、先住のカンボジア人、中国人それにフランス人などの血の混入がかなり進んでいる。だから混血と言っても別にめずらしいことではない。むしろ世界中どこでもそれは同様で、「純血」の発想から民族をとらえるような人種は、日本人ぐらいしかいないのではないかと思う。(p.123)

    ・日本は資源貧乏国だ。人々は、戦争と飢餓が表裏一体のものであることを身をもって知った。
    (しかしベトナム戦争中も)南ベトナムの人々は、イモの取り合いで殴り合いなどしていなかった。都会でも地方でも、市場にはコメ、肉、サカナ、野菜、果物が山ほどあり、相当な貧乏人でも少しまずいと、まだ食べられるものを平気で捨てていた。この国では、戦争と飢餓とは、少なくとも私が勝手にそう思い込んでいたほど、二人三脚の道連れではなさそうだった。むしろ、食い物がこれほど豊富だったからこそ、こうも長い間国を戦乱の中に投げ込んで、なおまだドンパチ続けていられるのではにないか、という気がした。となると、庶民の貧困への同情や義憤だけを基調にこの国の戦争を眺めたら、いずれ辻褄の合わないことがでてくるのではないか、と、そのとき思った。(p.128)
    働かなくても十分食える、という自然状況はたしかに私たちのものの考え方や価値観もなかなか通じないことがあるのだろう。(p.131)

    ・(米国のサイゴン・マーケットを突き止めて、)
    バンコクから一度米国へ渡り、また太平洋を越えて舞い戻ってくるのだから、漬物一つでもたいそう高いものにつく。それでも彼女には、これなくして何のこの人生、ということらしい。こんな周年を見ていると、ベトナム人とはなんと頑固で濃厚な食生活文化を持った民族か、と思う。(p.140)

    ・ベトナムでは(他の東南アジア諸国もそうなのだろうが)、自然が圧倒的な支配者であることを、つくづく感じた。だから、これを保護するというような発想は、ほとんどの人が持っていなかった。(p.177)

    ・交渉上手とは、ある意味では、相手の顔色を読み、必要に応じてはあえて卑屈になることをおそれぬしたたかさをいうのだろう。となるとこれは顔色をうかがったり、愛想笑いをさげすむ価値観とは相容れない才能なのだろう。
    その点、ベトナム人の交渉上手は、外交面でもすでに定評がある。早い話が、「パリ交渉」だ。ベトナム停戦をめざしてい、1968年から1972年まで続けられたこのマラソン交渉で、北ベトナム側は、常に米国の足元を見ながら、ある時はこわもてに原則をふりかざし、ある時は相手の方をたたかんばかりに歩み寄り、が、基調としてはニコニコ笑って平然と嘘を押し通し、稀有の忍耐力で結局は100%自己に有利な協定をまとめ上げた。「パリ交渉」のテーブルでベトナム人が示したこの並外れたかけ引きの才能と感覚は、やはり市場文明のえげつなさに鍛えら抜かれた民族の血なのではないか、と思う。(p.213)

    ・ベトナム人の現実主義的な生きざまは、インドシナ半島の国々の中でこの地域だけが濃厚な中国文化圏に育ったことにより、いっそうきわだって見えるのかもしれない。
    インドシナ、という呼び名は、この半島地域がインドと中国の中間地帯にあるところから来たが、さらにきめ細かく見るとこの二つの文化は、半島内部で均質に交わっていない。大雑把にいうと半島東寄りを縦走する安南山脈が文化、民族の分水嶺をなしている。東から来た中国の影響力は、山脈の壁に突き当たりその東側のベトナムにとどまった。西から来たインド文化も山脈に遮られ、西側のタイ、カンボジア、ラオスに落ち着いた。
    人種、言語の系統も著しく異なる。
    ベトナムでは科挙の制度や儒教の道徳規律が取り入れられ、歌舞、建築、絵画なども中国風だ。仏教も日本と同様、大乗仏教だし、箸を使ってものを食べる。
    これに対し、アンコールワットやタイの寺院など、山脈西側の世界は日本人にとっても異質だ。諸国の仏教は小乗仏教だし、手やスプーンを用いて食べる。(p.230)

    ・妻にかぎらずベトナム人は男も女もなみはずれた釣り好きだ。(中略)公民館を抜け出してきた三、四人が、夢中になって竿を操っていた。皆、人が変わったように生き生きした目つきで真剣に磯ザカナと取り組んでいる。(p.304)

    ・日本の門戸は極度に堅い。定住どころか難民の存在も認めていない。定住や公式滞在を認めない理由はいろいろ挙げられている。①取り扱いを規定した法律がない。②仮にベトナム難民の滞在を認めれば、他の東アジアや東南アジアの強権国家からもどっと人がつめかけ、大変な問題をかかえこむかも。③日本は古来、単一民族、単一文化の特殊な国なので、社会にとけこめずかえって不幸になるかも、と。いずれも愚につかぬ詭弁。とりわけ③ほど子供っぽい、自分勝手の言い分はない。(p.312)

    ・「独立と自由ほど尊いものはない」というスローガンを目にしたときの、新たな感慨を思い出す。「独立と自由」であり「自由と独立」ではない。絶対の一義は「独立」であった。これに比べたら「自由」も二の次なのだ。
    「独立と自由」、一見さりげないこの語順が意味することのおそろしさを感じる。(p.318)

    ・どの手紙も、封筒の表には差出人の筆跡で、「独立と自由ほど尊いものはない」という故ホーチミン大統領の言葉が書きつけてある。外国宛(もしかしたら国内宛も?)郵便物には、すべてこの標語を明記すべし、という政府のお達しらしい。これも教育の一環とみえるが、庶民にとってみれば、切手代りみたいなものなのだろう。(p.327)

    ・国際結婚を長持ちさせる鉄則(?)は、夫の国ではなく、妻の国の方に住むこそだ、と聞いたことがある。男の心が比較的、「動」に耐えられるのに対し、女性の心情はやはり「静」を求めるからだと言う。むろんこれは一般論だろう。(p.342)

    ・「まあ、どこで誰がいつ死ぬかなんて、そんなこと今から考えるのやめましょう。どっちみち、お釈迦様が決めることなんだから」。信じられるものを持つことは、やはりこの世を平然と生きる上で、結構なことなのだろう。(p.343)

    ・制服に肩章を光らせれば手に負えない警官らも、くたびれたシャツに着換えて屋台のベンチに腰を下ろすと、それぞれの年輪を両肩に背負いながら精一杯に生きている人々だった。
    その年輪のどれをとっても、「平和」や「人権」に保障されてレールを歩み、帰りの航空券をポケットにしてこの土地に足だけ引っかけている私自身のそれよりは、はるかに悲痛で凄絶なものであるはずだった。
    そんな人々からふと恥ずかしげに微笑みかけられた利、思いがけぬ気遣いを受けたりするたびに、私は、そのために生きるに値するものを垣間見るような気がした。生き抜くためのしたたかな甲皮に覆われてはいても、心の隅は無類に優しく、悲しみを知る人々の集まりに見えた。私に半年刻みで離任を延ばさせたものも、結局は日々の下町の生活でいくらも拾えるこうした心のかけらの温かさだったのではないか、と思う。

  • ずいぶん前の本だから、今の感覚で読むと「ん?」ってなる部分もそこここにあるんだけど、やっぱり戦火の南ベトナムで(それなりに)庶民生活を体験した上で陥落を目の前で体験した人の言葉は重みがある。配偶者への目線も当時からすれば凄く”一人の人間”として見てる感じが伝わって来たのが良かった。(配偶者、お子さん目線からの話もちょっと聞いてみたい野次馬根性も芽生えるけど)

  • 産経新聞記者としてベトナム駐在していた筆者のエッセイ。筆者と奥様の馴れ初めも、妻や娘とのかなりオープンな発言や関係も、陥落前のサイゴンの混沌とした様子も全て興味深い。この頃ボートピープルが出てきたんだな、与那国に流れ着いた人に会いに行く話も強烈だ。登場人物、そしてとくにベトナムの人にパワーに圧倒された。

  • 図書館で。
    もう大分前のお話なので今とはずいぶん情勢も、他国との距離感も変わっているとは思うのですが。今でも変わらないことはあるんだろうなぁと思いながら読みました。国際結婚って大変そう…

    ベトナム語はまだしも、日本語もフランス語もそれなりに…というお嬢さんは大変だったろうなぁ。その後はお嬢さんと奥さんはフランスで暮らしているそうですが、さもありなん。日本は今でもですが、当時は外国の人は住みにくかったのではないだろうか…なんて考えました。

    ま、でもベランダにウサギを捌いて干していたら確かにぎょっとするとは思うので仕方ないのかな。

  • 解説:井尻千男、大宅壮一賞

  • 新聞記者の近藤紘一氏による、ベトナム人の妻と娘との日常を描いた作品。

    近藤氏は1971年からベトナムへ派遣され、現地の女性とその一族と同棲生活をしていたが、1975年のサイゴン陥落をきっかけに、女性とその娘を連れ出国し東京での暮らしを始めたのであった。

    作品の中では、日本人とベトナム人の文化や気質の違いが非常に多く描かれている、互いの主食であるお米の違い、子供の教育方針、性に関する事などなど。もしかしたら近藤氏の奥さんが特別短気な人なのかもしれないが、ベトナム式の子育ては超スパルタである。

    メコンデルタのように豊穣な穀倉地帯を抱えるベトナムでは、それほど必死に働かなくても食うには困らなかったのに対し、国土が狭く資源が少ない日本では、古来より質素倹約や勤勉が励行されていた事。また日本人が好む団結や協調という考えが、逆に個性や自主性にとってはマイナスに作用してしまう事など、気候や国民性による美徳意識の違いという考察は、非常に興味深いものがあった。

    ベトナムは歴史的に見ると、中国やフランスから支配された時期が長かった。そんなベトナム革命政府が「平和」よりも、「独立と自由」をスローガンに掲げていたという事実がとても印象的だった。

  • サンケイ新聞(現・産経新聞)記者の近藤さんの文章が軽妙でいい。
    そしてベトナム人の妻と娘のあっけらかんとした明るさ! 実に楽しい。ベトナム性はたくましいわ~。
    彼女たちの日々の行動から文化の違い、考え方の違い、歴史や風土の違いが浮き彫りになるとともに、近藤さんなりの見解や意見も随所にあって、とても興味深い。
    もちろん1978年に書かれた本書は価値観とか時代背景とか、かなり古くて今とは異なる。
    でもそれがまた面白い。
    冒頭で描かれるのは1975年4月30日のベトナム戦争終結、サイゴン陥落。
    近藤さんは記者としてその時まさにかの地に駐在しており、
    その様子を克明に描いていて臨場感があるし、歴史的価値がある。

    続編も2作品あって「3部作」と言われているらしい。これらも読みたい。
    (※調べてみて驚いたのだけど、近藤さんは1986年に45歳という若さで亡くなっるのですね。)

  • ベトナムについて、自らの体験や考えをユーモラスに書いた本。
    同じ人間なのに、こうも違うのかといった異文化への驚きと、作者の反応がまた面白い。
    作者のベトナム妻への愛情をひしひしと感じた。

  • 2016/04/23 読了

  • インドシナ、ベトナムはフランス占領下にあったことから、フランス文化の影響が残る町なんだろうなとずっと頭の片隅にあった。

    ちょっとご縁を感じて、旅の計画(妄想!?)をし始めて、ベトナムのことが書かれた本を読み始めて、苦手な戦争のコトに真正面から向き合って、この国を生半可な気持ちで旅することなんてできないな〜とかんじていたところ、いっちばんココロの襞に触れた一冊。

    食にまつわるウサギや雷魚の話は絶品。
    ベトナム流にフランスの精神が加味されたスパルタ子育て論も、日本のお父さんの優しさの眼差しを通して描かれているところがなんとも良い。

    バンコクやパリでの続編もあるようなので、読んでみようと探し中。1970年~80年代の話なのに、ちっとも色褪せでない文章、言葉の使い方が感動。

  • なにより、筆者の妻のたくましさに胸動かされた。彼女にとって、感情は行動の残り滓みたいなものだ。筆者が言葉によって考えているのだとすれば、その妻は生きることで考えている。

  • ベトナム(サイゴン)の風土が伝わってくる一冊。ベトナム女性の強さが印象的。ベトナム人はたいそう食いしん坊だそうで,ベトナム料理が楽しみになりました。

  • 再読。20年ぶりぐらいに読み返してみても、ジャーナリストとしての作者の才能と、人間としての優しさに感動する。開高健、そして近藤紘一、僕がベトナムに行こうと思ったきっかけ。

  • うさぎおいしかのやま。『もの食う話』に収録されていた抄出が面白かったので読んでみた。冷静で的確な文章で、すこしおかしな国際結婚の顛末が語られている。

  • [異国で三人四脚]戦地特派員としてベトナムに送り込まれていた筆者は、その地で出会った「年齢不詳」の女性と恋に落ち、生活を共にすることになる。しかし、1975年のサイゴン陥落により、現地にとどまることに危険を覚えた2人とその娘は、出国を決意し、日本での生活を試みることに。見慣れぬ文物や風俗に戸惑う妻と娘であったが、同時に筆者にとっても文化の差から、戸惑いを覚える結婚生活が始まるのであった......。大宅壮一賞を受賞したノンフィクション。著者は、サンケイ新聞(当時)の記者として活躍された近藤紘一。


    別にとんでもない事件や事態が発生するというわけではないんですが、それにしてもこの夫婦の生活が面白すぎる。食生活や買い物、そして娘への教育論など、筆者とその奥さんの間に横たわる考え方の溝が「でーん」と読者の前に放り出され、考えさせられると同時に、第三者の話であるからかどこか滑稽。それでいてその日常生活からぐぐっと文化論まで深入りしていく筆者の考え方の自由さに恐れ入りました。


    1970年代後半に初版が発行されていますので、いくらか割り引いて読まなければいけないところもあるのですが、異文化に対する日本の向き合い方など、現在に照らし合わせても「なるほど」と思わせてくれる指摘が多々ありました。もちろん、国際結婚をお考えの方には、その生活の1つの実例として読んでいただいてもいいのではないでしょうか。

    〜信じられるものを持つことは、やはりこの世を平然と生きるうえで、結構なことなのだろう。〜

    近藤氏の『サイゴンのいちばん長い日』もオススメです☆5つ

  • 異文化の出会いって本当面白い。

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