- Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167269029
作品紹介・あらすじ
ベトナム人女房の内助で中越戦争をスクープした記者の気掛かりは東京に残したわが娘、ベトナム少女の学力の遅れだ。娘心を温かく包む父性愛を通じ文化の本質に迫る。(太田治子)
感想・レビュー・書評
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ベトナム出身の奥さんと娘さんとでタイの駐在(最初は娘さんが日本在住で別々)。文化人類学のような考察もあって興味深い。それにしても子どもへのしつけがすごい。子どもの人格なんか無視のようやけどこっちの方が気骨のある人間になるのかもと思えた。
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家の本棚あさってたらタイトルに興味をひかれて。
新聞記者がベトナムから奥さんと子供を日本に連れてきたけど、今度はタイに行くことになって子供は日本のフランス学校に残していくことになった、っていう。
12歳で母国を離れた子供が、トナム語も日本語もフランス語も中途半端で苦労するものの、フランス語でやっていこう、と。
途中からはタイに呼び寄せて家族で一緒に暮らせるんだけど、その後が気になってググったら、この方45歳でガンで亡くなってたのよね。
その後の母子は幸せに暮らせたのかなー。 -
「サイゴンから来た妻と娘」続編。日本で数年過ごしたあと、次の赴任地はタイ、バンコク。でも日本が好きになった娘のユンちゃんは東京に残ると言い出す。ユンちゃんの「教育」が本書の柱だ。
著者夫妻の子育ては平均的な日本人のものとは相当にかけ離れている。ユンちゃんはベトナムに生まれ、共産化した祖国を離れて日本にやってきて、でも日本の学校に入らずに、日本にあるリセ(フランスの中学校)に通ってフランス語を学んでいる。しかも両親はタイに住んでいる。「娘をなに人に育てるつもりなんだ!」著者は怒られたらしい。
教育に正解、不正解はない。結果論でしかないからだ。親ができるのは選択肢を広げることだけだ。その意味で、「なに人になるか」からして選択肢である、というのは悪いことではないと思うが、そういうレベルの選択肢を与えられた娘も大変だなあ、とも思う。自由はリスクと努力を伴うのだ。
「なに人になるか」を自分で選ばなければならなかった娘は、大抵のことではへこたれないだろうと思うけど。
ぼくだったらどうしただろう? -
『サイゴンから来た妻と娘』の続編。今回は娘が主人公です。文化的アイデンティティの問題は考えさせられました。
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前作よりもより私的な記録の色合いが濃く、主に年頃の娘さんとのやりとりが主体。血の繋がらないベトナム人の娘さんを包む優しさが、亡くなった前妻とのことから来ていることが明かされる。改めて再読すると、僕自身も考えることあるなあ。
70年代終わりのバンコクが舞台。辻仁成の小説と同じ頃の出来事だけど、こっちはリアル。街の風景が彩り鮮やか。 -
妻と娘シリーズの2作目です。
僕にも高1の生意気な娘がいます。
私は実娘(たぶん)ですが、近藤さんほど、真剣に向き合えているのか、不安になります。
結構、古い作品ですが、時代の古さは感じません。
親子、夫婦とか、根源的なモノは変わらない、ということですね。
3作目のパリ編、早く読まなきゃ。 -
ベトナム人の奥さんを夫として、そしてその連れ子である娘を義父として温かく見守る著者のバンコク日記。人のアイデンティティー形成においていかに小学校〜中学校(いわゆる義務教育期間)期における教育が影響を与えるかということを考えさせられた一冊です。
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前作よりかなり深く、子育て、異文化での生活について掘り下げられた一冊だった。著者の素直な性格がにじみ出ている。異文化で生活する人、特に子育てする人に必読の一冊。著者ではない人が書いている最後の言葉だけが、ひどくつまらなかった。
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(1993.03.16読了)(1989.03.31購入)
内容紹介 amazon
東京に残してきた娘の教育問題に心を痛めつつ力強いベトナム女房の内助で中越戦争のスクープに成功するバンコク特派員の笑いと涙。「サイゴンから来た妻と娘」続篇
☆関連図書(既読)
「戦火と混迷の日々」近藤紘一著、文春文庫、1987.02.10 -
ベトナム奥さんの「連れ子?」が、アイデンティティの薄い中生きていく姿、心の揺れを義父が描く。