目撃者―「近藤紘一全軌跡1971~1986」より (文春文庫 こ 8-8)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (474ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167269081

感想・レビュー・書評

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  • 自分の両親より少しく年嵩の故・近藤紘一の作品を読み耽ったのは、大学生の頃。沢木耕太郎の「深夜特急」シリーズでバックパッキングを知り、旅の最初の目的地を開高健の「輝ける闇」他の作品で知ったベトナムにするにあたって読んだ記憶が有るから、94年頃かな。香港からオンボロのトライスターで雨に濡れるタンソンニャット空港に降り立ったとき感じた空気感が、近藤作品で描かれたものそのままだったことを覚えている。
    早世した氏の作品は殆ど読んだつもりでいたが、この作品は未読だった。逝去時に未発表だった遺稿の中から沢木耕太郎が編者として選び、氏の一周忌(1987年)を前に刊行したもので、残念ながら既に絶版になっているのだが運良く古本が手に入った。司馬遼太郎氏が氏の葬儀で読み上げた弔辞を巻頭に、エッセイとフィクション作品が織り交ざり、敢えて唯一の既発表作品であった短編小説「仏陀を買う」を巻尾に持ってきたところが、沢木耕太郎の思い入れなのだと思う。どれも決して完成度の高い文章とは言えないが、氏の苦しみと優しさが読み手に痛いほど伝わってくる。今から3〜40年も前のことなのに、まるで手に取るように。戦時下のサイゴンでの開高健との交流や、「同級生」である沢木と近藤の互いへの敬意、亡くなった前妻への想い、そしてサイゴンで出会った妻と娘。それぞれのエピソードを通じて感じられるのは、氏の人間に対する優しさ、そしてそれがゆえの時代に対する真摯な疑問であろう。その視点は今の時代においても通用し、私自身は強く共感出来る。
    読んでよかった。最近「一番長い日」と「サイゴンから来た」を再読したばかりだが、「バンコクの」と「パリへ行った」も近々再読しよう。それと、文春には本書含む未電子化作のKindle化を是非。幸い殆どKindle化が住んでいるのだから。本当は再刊を是非お願いしたいけどね。

  • ジャーナリスト「近藤紘一」の著書『目撃者―「近藤紘一全軌跡1971~1986」より』を読みました。

    「近藤紘一」作品は初めて読みますね… 「沢木耕太郎」が編集したということで気になっていた作品です。

    -----story-------------
    『サイゴンから来た妻と娘』で大宅ノンフィクション賞、新聞記者としてボーン上田国際記者賞、『仏陀を買う』で中央公論新人賞と幅広い執筆活動を続けてきた著者は46歳でガンに斃れた。
    死後刊行された記事、ルポ、評論を含めた五部構成の単行本より、エッセイと創作の部と、「司馬遼太郎」氏の弔辞と「沢木耕太郎」氏の解説で文庫版とした。
    -----------------------

    この文庫版は1987年に刊行された単行本『目撃者―近藤紘一全軌跡1971~1986』より、『第一部ヘッドライン(記事)』、『第二部さらに深く(ルポルタージュ』、『第三部戦争と戦後(評論)』を割愛して、『第四部花は赤くて(エッセイ)』と『第五部噂によれば(創作)』から構成された作品です。

     ■並みはずれた愛―柩の前で(司馬遼太郎)
     ■花は赤くて―エッセイ
      ・言葉ありき
      ・釣りキチ民族
      ・熱帯に赴任し、酷寒と闘うこと
      ・タイ式問題解決法
      ・インドシナ報道の10年
      ・「南方」という意識
      ・サイゴンのスズメとテヘランのスズメ
      ・ノンフィクションとフィクションの間
      ・サイゴン陥落の原体験
      ・世界の動物園 ほか
     ■噂によれば―創作
      ・夏の海
      ・噂によれば
      ・仏陀を買う
     ■彼の視線(沢木耕太郎)
     ■年譜


    『花は赤くて―エッセイ』は、印象に残る言葉が多かったですね。

    特に印象に残ったのは、、、

    『言葉ありき』での「言葉を選ぶ、とは多かれ少なかれ判断を下すこと」、

    『ノンフィクションとフィクションの間』での「百人のライターが一つの事実について書けば、百の事実が作成される」、

    という言葉ですね。

    使う言葉を選択することの大切さや、事実を伝えることの難しさを感じました。

    あと、ベトナムと日本の尺度の違いや価値観に驚かされました、、、

    特に食文化… 小鹿やハト、ナマズ、ライギョ、ウナギまでは許容範囲内ですが、ガマガエルをみつけて美味しそうに感じたり、かえりかけの卵(上半身は鳥になりかけ、下半身は黄味の中にまだ溶解している状態らしいです…)殻ごとせいろ蒸しで食べるところは、なかなか理解できないですね。



    『噂によれば―創作』は、創作… とありますが、いずれもノンフィクションっぽい作品でしたね。

    『夏の海』は、亡き前妻への想い出が詰まった私小説風の美しい作品、

    『噂によれば』は、タイで毎年のように起こる不思議なクーデターについて、ガルーダ空港ハイジャック事件を絡めて語ったドキュメンタリーっぽい作品、

    『仏陀を買う』は、(奥さんをモデルに?)サイゴンの下町で生活する庶民の生活が活き活きと描かれた作品、

    3作品とも愉しめましたが、行動右翼の親玉として各界に睨みを効かせる存在である「ナロン将軍」に近づき、緊迫感のあるルポルタージュのように仕上がっている『噂によれば』がイチバン面白かったですね。


    文庫本では割愛された『第一部ヘッドライン(記事)』、『第二部さらに深く(ルポルタージュ』、『第三部戦争と戦後(評論)』も読んでみたくなりました。

    割愛されても文庫本で500ページ弱… 単行本は、相当なボリューム(ページ数)なんでしょうねぇ。

  • 近藤紘一さんへの司馬遼太郎さんの弔辞が読みたくて入手。弔辞に心も打たれたが、動物園のエッセイとか、単純に面白く読めました。いろいろな人に愛されている、それは近藤さんの愛の裏返しなんだろうな。

  • 気骨のあるジャーナリストと評判の 近藤紘一。
    エッセイを読みながら たしかに気骨がある。
    デスクに対して 赤裸々に 怒っている所なんぞ
    普通は エッセイには書けない。
    それを堂々と書くのだから 組織人としては はみだしているのだろう。
    だからといって 気骨があるとは言えないのだが
    嫌われる勇気を持っていることは確かだ。

    司馬遼太郎の巻頭の挨拶がすごいのだ。
    とにかく、死んでしまったゆえに 褒めているのかもしれないが
    ベタほめなのである。司馬遼太郎が褒めるって やはりすごい。

    司馬遼太郎は言う
    『競争性、功名心、そして雷同性という卑しむべき三つの悪しき、そして必要とされる職業上の徳目を持たずして、いかも君は、記念碑的な、あるいは英雄的な記者として存在していました。』

    『すぐれた叡智』、『なみはずれて量の多い愛』、『他人の傷みを十倍ほどに感じてしまうという尋常ならなさ』
    『かれらがけなげに生きているということそのものに、つまりは存在そのものに、あるいは生そのものに、鋭い傷みとあふれるような愛と、駆けよってつい抱き起こして自分の身ぐるみを与えてしまいたいという並外れた惻隠の情というものを君は多量に持っていました。』

    沢木耕太郎の 編集が 優れていた。
    エッセイ そして 小説。
    それを抱き合わせることで、近藤紘一の表現力が 広がっていく過程が
    垣間見える。 そして、近藤紘一は 実に平易な文章を 書く。
    サイゴン バンコク パリ。
    近藤紘一が そこで感じたままが 素直に表現される。 

    それにしても、家族ネタと言うか 妻ネタが多いですね。
    そして、すこし 自虐的な文が 何とも言えない。
    ベトナム妻によって 活力を 得ているようだ。 
    家族 妻ネタの次が 動物園ネタとは。

    夏の海の 静謐な 風景。そして、想い。
    じっと、なにかが 伝わる。
    一人称であるが故に よけい 傷みが 伝わる。
    表現力の確かさ。解説ではない なにかがある。

    近藤紘一は言う
    『私はあるとき一つの文章を書いた。出来上がったものはノンフィクションと呼ばれた。最近、また一つの文章を書いた。こんどはフィクションと呼ばれた。
    前者では、執筆作成にあたり、細工は施したが、少なくとも自らの体験見聞から遠くはなれてウソは書かなかった。後者ではこの枠をはずした。それだけの違いであり、基本的に意図したところはまったく同じである。
    文章を通じて人間の本質の不変的あるいは普遍的側面のようなものをまさぐってみたかった。その意味では、私自身にとって、ノンフィクションとフィクションを隔てるものは単に方法論の違いにすぎない。』

    『事実を持って語らしめよ』 と言われるが、
    『百人のライターが一つの事実について書けば、百の事実が作成される。』

    事実から 本質をつかむことが 何よりも大切なのだ。

    ふと思った。
    ラオス、カンボジアは 大変だろうなと。
    中国の圧力があり ベトナムの圧力があり
    そのとなりに タイがいる。
    フーム。
    国としての自立をいかに図るのか。
    まして、海さえ持っていない。

  • 近藤紘一氏が執筆したもののから、一度もあったことのないものの1回の電話で親しみを感じていた大宅壮一ノンフィクション賞の同級生・沢木耕太郎氏が編んだ著作集。文庫で読んだが、単行本ではこれにさらに記事やルポルタージュも加えられているという。
    というわけで、文庫版では随想や小説らしきものを読んでいくことになるのだが、どちらかというとこちらの側を読むことが近藤氏をたどるうえでは面白いと思う。というのは、近藤氏が新聞記者、ジャーナリストとしては気骨のある一流の人物であることがわかっているが、生活人や家庭人としての姿はあまり表さないし、フィクションの書き手としては途上だったように思うから。
    この本の冒頭で、司馬遼太郎氏が近藤氏を評して「並みはずれた愛をもつ」としているが、きっと近藤氏はそんなことちょっとも思っていなかっただろう。それどころか、自分の愛の薄さを思いながら生きていたような気がする。それでいながら、周囲の人は彼の愛の大きさを感じていたようにも思う。きっと、ちょっと強くて、とてもやさしい人だったはずだ。
    愛の薄さを自覚しながら、それでも、これでもかこれでもかと愛を投げてくる捨て身のような男に人は魅かれてしまう。

  • 近藤紘一がの軌跡。
    司馬遼太郎が、近藤紘一を葬送する文章を書いているが、これだけで泣けてくる。亡くなった後、沢木耕太郎によってまとめられた本。

  • 「なみはずれて量の多い愛(寛容さ)」の向こうには何があるのか。大宅ノンフィクション賞受賞の「同級生」である沢木耕太郎が編んだ、近藤さんの未刊行原稿をまとめた一冊。「記事」、「ルポ」、「評論」、「エッセイ」、「創作」の5部を通して、「ひとりの人間にとって、ひとつの体験がどれほどの意味を持つものなのか」を明かそうとする作品に仕上がっています。

    「彼の視線」と題された沢木耕太郎の解説の完成度がすばらしく、読み応えがあります。前夫人の遺稿集に寄せて書かれた「夏の海」(これは本当に美しく、同時に悲しい作品です)を中心に全作品を分析する視点が卓越しています。

  • 近藤紘一が亡くなった後、沢木耕太郎によってまとめられた本。一番はじめの司馬遼太郎による文章が胸を打ちます。

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