- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167269098
作品紹介・あらすじ
風になぶられ、日に灼かれ、原始の大河マッケンジーをただ一人、北極海へ。ウイスキー、釣竿、テントを積みこみ、いざ無垢の世界に…。幸福も不幸も自分が決める。身にしみわたる清澄な孤独感。そして流域のインディアンに友を得る歓び。男の望むものがすべてそろった痛快無比、カヌー1800キロの冒険譚。
感想・レビュー・書評
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特筆すべきは非日常的である中にいながらも、余裕を感じさせる書き言葉だろう。
カナダの大河マッケンジーを下るカヌーの旅。1987年に初版発行された旅の記録。
1800Kmにもなる、約3ヶ月の川旅について書かれている。旅で出会い、時間を共にした、インディアンやイヌイット、そして白人。
彼らの生活の中に入り込んだ日常を淡々と語っているが想像を絶する環境、複雑な人間の営みが多く見られる。
特に人の魅力をうまく書かれていて、親近感や安心感が不思議と私を包む。著者の人柄だろうか。とにかくほのぼのとした雰囲気が全編通して感じられる。
こんなに簡単に表現できる冒険があるだろうか。
野田知佑、おそるべし。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まだガクがカヌーに乗る前の野田知佑さんの作品。
カナダのマッケンジー川を北極海へ向けて一人下っていく、旅行記。
随所で現地で暮らす人々、カナダインディアンとの出会いの様子が描かれる。
コロナ騒ぎで外出し難い今、気分だけでも非日常を感じられる作品。 -
読むのは、何回目だろ?
最初は単行本で読んだんだから、ずいぶん長くつき合っている本だ。
ていうか、野田さんももういない。
長くつき合っているだけあって、最初に読んだ頃とはよいと思うところが違う。
若い頃に読んだ時は前半の出会う人たちとのユーモアあるやり取りが面白かったのに、今読むと寂寥感漂う後半の方が気持ちに合う。
長旅によって蓄積された疲れなんだろう。
旅が日常になってしまったからこその疲れなのかもしれない。
いよいよ北極圏限界線(アークティック・サークル)を越え、森林がなくなった荒涼とした風景しかないその土地から受ける疲れもあるんだろう。
その疲労感が、しみじみといい。
この文庫版には、野田さんの「マッケンジー5年後」が、新装版あとがきとしてついている。
そこにある、
“川旅の醍醐味は「単独行」に尽きる。(中略)荒野の中で何日も誰とも会わずにいる時のあの透明な孤独感、ヒリヒリするような寂寥感が好きだ。この猥雑な日本の生活に最もか欠けているものだ”、
というのが書かれたのが、1990年1月(つまり、バブルがはじける1年前)というのが、なんとも感慨深い。
それから33年。
猥雑さこそますます盛んなものの、その猥雑さの裏に妙な寂寥感が漂っているのが、なんとも薄ら寒い。
この本を最初に読んだ頃は、オレもその内、フェザークラフトを買って、マッケンジーやユーコンに行くぞ!と思った。
でも、それは何一つ出来てなくて。
出来たことと言えば、フェザークラフトが描かれたシャツを買ったことくらいだ(爆)
人の一生というのは、かくも短い。
やりたいことは、今すぐやらなきゃダメだ(^^)/ -
基本インドアの僕がカヤックを始めたきかっけは、野田さんの本である。何せカッコイイのである。
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ストイックな文章とぶっきらぼうな物言い。かっこいいんですよね。冒険の内容もかなりストイックなので後年はもっと遊びに重点を置いたものになります。
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北極海へ 野田知佑
「北極海へ」を再読。
この一冊は知人が教えてくれた。その彼にとってバイブルみたいな一冊だそうでした。
作者の野田さんはフリーライター。この一冊は彼がカヤックを使ってカナダのマッケンジー川に入り、最終的に北極海へ行った旅の話。行く先に出会った人との関わりが書かれており、またその場所でのできことを書いてありました。
人々は野田さんを冒険家と称するが、後書きに本人は「ぼくの川下りは遊びの延長にすぎない。」と書かれている。その言葉の信憑性は、本文を読めばわかる。どんな状況に置かれても、野田さんは面白く書かれていました。また日本製カヤックの作り(1980年代当時)は他の国のものと比べてやわく「遊びの道具を大人が真剣に作るっていう社会習慣がないのだ。」その一言がとても印象深かった。
大人だからこそ、遊びの道具を真剣に作らなくちゃ。と野田さんが思っていたかもしれない。カナダの極地で出会ったインディアン達の生活は、日本にいる人々の生活や考え方の違いを比べて嫌になるではなく、前向きな書き方がとてもいいなと思いました。
冒険はどんなことなのか、大いに人生を変えるできことだと思います。野田さんにとって、カヤックにとって知らない国の川下りは冒険ではない。彼にとって日常だったかもしれない。冒険はリスクがつきものなら、この旅の話はそのリスクを感じせず、とても楽しめる一冊でした。 -
フォート・プロビデンスからマッケンジー川を単独で漕ぎ下り、北極海へ。上陸した場所での自給自足なキャンプ生活や、点在する町で現地のインディアン(原文ママ)と交流する描写がたいへん面白い。特に上陸した町に数日間滞在しながらの川旅は、江戸時代の街道をゆく旅を思い浮かばせる。200年前と変わらない川とその周辺の自然は、21世紀の今も同じだろうか? 日本の川と違って、緊張する瀬もなく風景も変わらず、著者にとって退屈な川下りだったらしい。しかし、生命維持という点では緊張感に富んだ旅ではなかろうか。
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『マッケンジー川流域のインディアンに限っていえば。、彼らには<挨拶>の類の言葉がない。・・・インディアンの社会では他人から物を貰ったり、くれてやったりすることは<当然のこと>と考えられていて、それに<挨拶>が必要になるほど偽善が発達しなかったのである。』
『freeze up=川が全面凍結
break up=氷が溶けて川が流れ出す』
『金が五人の手をタライ回しにされるとその地域が潤う』
『原野の中の生活では、米のような軽い食物は不適である。肉食、それも多量の肉を食べていないと活動できない。』
『明日の食糧とか、蓄えをくよくよ考え、悩むのは農耕民族的発想だ。・・・目の前に現れたものを殺して食べればいいのである。獲物がなかったら、獲れるまで我慢するさ。』
『彼らは狩猟民族で家というものを軽蔑しているのだ。家への執着のなさ、定住蔑視は小気味いいくらいだった。村の家はとても汚く散らかっているのに、テント暮らしの時はいつもきれいにして清潔だった。』
『”個人の責任に於て何かをやる”ことが日本では許されてないんだ。』 -
男は荒野を目指すのだ。
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読み進むと風荒ぶ荒涼した景色の中にいざなってくれる一冊。魚を釣り、鳥を撃ち、食し、イヌイット達と酒を酌み交わす。そして、この寂寥感、孤独感。カヌーイストならずとも、ソロキャンプ、単独山行、一人旅のおともにお薦めです。