本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784167273019
感想・レビュー・書評
-
*()内の数字は、引用箇所の本文におけるページ数
未亡人の女と男とが不倫する話。夫を亡くす前から、何ものにも拘らないようにして淡々と生きてきた女性と、社長として会社を背負っていることにプライドを持ち、口うるさい妻のいる家に嫌気がさしている男とが、プラトニックな密会を繰り返す。
二人は偶然出会い、その後またしても偶然に再会するのだが、これに運命を感じた男が未亡人の女に無礼と言っていいほどに直截な声がけをする。面識のない女性に「明日、(お宅に)お伺いしてもよろしいでしょうか。」(12)と声をかけるのだ。次の日ほんとうにやって来た壬生という男を、不思議なことに(本人が一番不思議なのだろうが)、未亡人の女、多江は面白がって家へ上げる。
壬生の半ば強引な侵入が、多江にあることを気付かせる。今は亡き夫との仲は悪いわけでもなかったが、片方が居なくなれば生き甲斐も同時に失くしてしまうというほど熱烈なものでもなかった。「半分だけ生きていたような、さらさらした夫婦」(24)であった。夫を失ったことが、多江のひきこもり生活のきっかけになったことは確かだが、彼女は絶望のために外界を遠ざけたのではない。縁のある者たちがみんな死んでしまってからは、子供もいない身には、「小さな小さな、安住の願い」(24)しか残らなかったのだ。なにかを諦めたのではなく、むしろ、一人きりで静かに暮らすことをこそ、自然と求めるようになった。「こうやって、このまま老いるのかと思っても、さのみ残念な思いもなく、自分ひとりの為に、かりかりと鰹節を焼いて、桜の花を削ったような、肉色をしたけずり節を、山のように玉子にまぜて煎り玉子を作りながら、また、魚を焼きながら、多江は自分のために生きているということを発見しなおしました。」(25)しかし、壬生が現れてから、壬生を中心に多江の世界は回るようになった。壬生からの連絡が少しでも遅れると、「このまま、壬生に逢えなくなったらどうしよう」(42)と蒼白になる自分がいる。「自分のために生きてる、それで十分でした」(25)と思っていた自分は、もうどこにもいなくなってしまった。そして、自分を「お前」と呼ぶ壬生に驚いたとき、多江は自分が何を欲しているのか気付く。「今まで大事にされて暮して来たのは、むしろ飾りもの的で、開いた眼で見られていなかったのだと気がつきました」(30)。「開いた眼」で見られること。なんとなく「殿さまと姫さまのように」(56)きちんとして、妻は編み物や料理をすれば、みんなが言うようにしあわせなのだろうと思っていたときには気づかなかったことである。多江が一人の不可解な他者としてぼんやり映るので、壬生の眼は、もっとよく見ようとしてカッと開かれるのだろう。そういう壬生と一緒にいるとき、多江はしあわせを感じることに気付いたのである。
詳細をみるコメント1件をすべて表示-
みるうさんhttps://open.spotify.com/show/3cl52tuWsNAwjuZFMjetj6?si=_5DkUcbHRaO-eu...https://open.spotify.com/show/3cl52tuWsNAwjuZFMjetj6?si=_5DkUcbHRaO-eujbDGe6NQ2022/10/02
-
-
67ページの、帰りに多江にケーキを持たせて、多江が「電車の中で食べようかしら」と答えて、どこか他のところに寄るのかも知れないと心配していた壬生を一瞬で安心させてしまうシーンが好き。
二人がこういうやりとりをしていたら楽しいだろうなあとか、可愛いだろうなあって思いを馳せながら書いてるんじゃないかな。読んでて楽しい。
85ページの、自分は「どこまでもしゃんとしている道化」っていうのわかる。 -
一言で言うとオッサン(壬生)とオバハン(多江)の純愛小説。中盤、壬生が海外から毎日出した手紙がとても素敵だった。愛に生きている実感がある。愛とはお互いが愚かになることなんですね。文章も美しくてとても読みやすかった。
中里恒子の作品
本棚登録 :
感想 :
