情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記 (文春文庫 ほ 7-1)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167274023

作品紹介・あらすじ

「太平洋各地での玉砕と敗戦の悲劇は、日本軍が事前の情報収集・解析を軽視したところに起因している」-太平洋戦中は大本営情報参謀として米軍の作戦を次々と予測的中させて名を馳せ、戦後は自衛隊統幕情報室長を務めたプロが、その稀有な体験を回顧し、情報に疎い日本の組織の"構造的欠陥"を剔抉する。

感想・レビュー・書評

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  • 大本営の情報参謀による、日本軍が先の大戦中に情報面で何をやっていたのかを中心に、敗戦までの絶望的な流れやその後の自衛隊入隊後のエピソード(ドイツの大使館付武官としてのくだりは圧巻!)が描かれています。
    太平洋戦争中のエピソードは、後から振り返る本だからこそ余計に、そりゃ負けるわ的な面がクローズアップされている感。

    序盤は少々退屈に感じたところもありましたが、中盤の山下方面軍の情報参謀になるあたりからは一気読みでした。
    専門的教育も受けていない(日本陸軍の参謀教育には情報の収集・分析はそもそも含まれていないとか)著者が、体制が整っている訳でもないフィリピンで、無茶な命令を出す大本営作戦部にも振り回されながら、それでも米軍がいつ・どこに来るのかを予想し当てていく様や、大本営に帰任してからも米軍の本土上陸地点・時期・兵力を推定していく様は非常に興味深く読めました。
    しかし、結局情報だけで戦争に勝てることはなく、戦略的な失敗や物量の圧倒的な差、能率の悪さ、精神論等々、無理ゲー感満載のまま終戦を迎えてしまう訳です。
    こういう仕事のプロジェクト、今でもあるよなぁ。。
    特に現場の戦果報告を鵜呑みにして確認もしない空気を作ってしまい、誤った情報を元に次の作戦が立てられてしまうあたりは、読んでいてゾッとしました。

    著者は本著の終盤で、「米ソの情報部はとうに宇宙へ引っ越してしまった」と言っていたけれど、今はもはやサイバー空間が戦場になっている状況。
    本著で書かれていたような、過去に諜報や航空といったトレンドの変化と本質的に向き合わず、中途半端な環境や戦術での対応にとどまってしまったのと同じことが、今起きていないことを祈るばかりです。

    学ぶべきことが体系化されている訳ではないのですが、日本人がやってしまいがちな失敗例が詰まっているような感があり、非常に参考になりました。

  • 太平洋戦争時に、情報参謀として活躍した堀栄三の回顧録。

    これを読むと、旧陸軍も必ずしも精神論一辺倒ではなかったことがわかる。一方で、こういった人材を生かしきれなかったのは、旧軍だけでなく、現代日本にも通じるものがあるかも。

  • 相当面白い。自明と思っていた考え方を揺さぶられる。
    本書は、二次大戦中、日本陸軍の大本営で情報部に勤務し、戦後自衛隊の情報室長も務めた著者による、日本の弱い情報戦略に関する歴史ノンフィクションといえる。話の中心は、情報戦略の観点でなぜ日本が米国に敗戦したかの歴史的分析であるが、それだけではなく、情報を収集し審査する考え方、情報の活用法とその具体例、また歴史的分析に紐付く具体的な戦中のエピソードなど、単なる学問的な本とは一線を画す面白い話が読める。国防にせよ企業の知的財産権にせよ、自分の思う以上に情報をめぐる激しい戦いが行われている可能性が高い、と危機感を持たされる本であった。自分が著者と同じ立場にいたとしたら、どう情報を集め考えるか、一緒になって考えることもできる。また、戦争物を読まない人にとっては、どこかで聞いたこともあるかもしれないいろんな日本軍人のエピソードも聞けて、少しずつ顔が見えてくるのも面白い。

  • 田端信太郎氏も「失敗の本質」以上の名著と絶賛、読了後、確かにそう評するのも大いにうなずけました。これが1996年に第一刷が発行されたものでも、当時の日本軍だけでなく、今なお日本のあらゆる組織が抱えている本質をえぐり出しているからだと思いました。

  • #VR ( #ヴァーチャルリアリティ )の世界に住む島浦とおばあさんがなにやら会話をしています……
     
    島浦「堀、栄三。 #太平洋戦争 時代、日本にも #情報 部隊がいたのか。なのにその情報を活かすことなく日本は敗れた。愚かな国だ」
     
    おばあさん「ああ、そりゃ、わしのおじいさんだ」
     
    島浦「え? それは本当か? おばあさんの旦那さんってそんなすごい人だったのか? 米軍の進路を読んで命を落とすことなく終戦を迎えた日本で唯一とも言っていい情報を操った参謀。ってか、おばあさんゲーム世界のキャラクタじゃなかったのか?」
     
    おばあさん「そこにあるおじいさん製造装置でいくらでも作れるでのう」
     
    島浦「……」
     
    愛国心、精神力を是とした日本で、数少ない『情報』を重視した軍人『 #堀栄三 』。
     
    #戦争 に敗れた日本に足りなかったもの。堀栄三の回顧録から日本軍の欠陥を俯瞰する。
     
    他の戦争懐古本とは一味違うこの1冊、おすすめです。

  • ☆4(付箋26枚/P348→割合7.47%)

    ・将軍(土肥原中将)は和服にくつろいで、物静かな柔らかい口調で、「親父さんから聞いたよ、再審を受けるんだそうだね、そこで戦術はどう勉強するかということだな…?」と開口一番、ずばり堀の心中を見抜いて言った。そして、
    「戦術は難しいものではない。野球の監督だって、碁打ちだって、八百屋の商売だってみんな戦術をやっているのだ。ただ兵隊の戦術は軍隊という駒を使って、戦場という盤の上でやる将棋だ。だから、いまこの場面で相手に勝つには、何をするのが一番大事かを考えるのが戦術だ。要するに駒と盤が違うだけで世の中の誰もがやっていることだ」
    堀はまったく毒気を抜かれてしまった。もっと高邁な戦理が聞けると思っていたのに、実に平凡な話であった。
    「そのためには枝葉末節にとらわれないで、本質を見ることだ。文字や形の奥の方には本当の哲理のようなものがある、表層の文字や形で覚えないで、その奥にある深層の本質を見ることだ。世の中には似たようなものがあるが、みんなどこかが違うのだ。形だけを見ていると、これがみんな同じに見えてしまう。それだけ覚えていたら大丈夫、ものを考える力ができる」

    ・とかく自分に有利に進展しているときには、自分のレンズで相手を見て我田引水の結論を導き出すことが多い。そのために作戦と情報とは厳に仕事が区別されているのだが、作戦は往々将棋指しのように、一人で考えて一人で駒を動かそうとする(これが大きな失敗だと気づいたときには、何百万の兵隊を戦死させ、日本を亡ぼしてしまっていた)。

    ・在ソ連の駐在武官や大使が、容易にクレムリンに出入りして、スターリンやモロトフや軍の首脳と和気藹々と話をすることは、ドイツと違って至難中の至難であったから、止むを得ず権力の中枢の考えている意中がソ連国内のどこかに、何かの形で兆候として出ていないかを、虎視眈々克明に探して分析していくことになる。

    ・「百二十年昔のクラウゼヴィッツの時代でさえも、戦場で制高点を占領することが、戦勝の要諦だと戦争論で述べている。戦争は昔から高いところの取り合いであった。高所から見下ろす優越感と安心感、低地にいて見下ろされる者の無力感と不安感、飛行機もないあの時代にクラウゼヴィッツはそう書いた。その時代の高所は山であった。
    …制空権を維持して相手に奪われないようにするためには、後から後から新しい飛行機を作って、新しい操縦手を作って送り出してこなくてはならない。日本が高度7千メートルの飛行機を持っていたら、米国は高度8千メートルまで行ける飛行機を作る。9千メートルになったら1万メートル、1万メートルになったら1万2千メートルと、日本軍の上昇能力の上へ、上へと作ってくる。日本軍の零戦、一式戦ともに最初は米軍より優秀であったが、そのあとが続かない。
    要するに制空権を維持させるには、後方の国力が物をいう。軍の主兵は航空なり、というのは国力の裏付けが必要になってくる。それなくして戦争は勝てないのだ」

    ・わが第四航空軍も随分米軍の船団攻撃に出たが、その護衛船の発射する防空弾幕は筆舌に尽くし難い。空が真っ黒になる面の幕だ。一機といえどもこの幕の中へ突入することは出来ない。しかもレーダーで見ているらしく、こちらが接近すると、一機一機なんか目標にしないで、その前に弾の幕を立てるんだ。一体何万、何十万発の弾丸を使うのか、戦場で見たもの以外にはわからない。それを海軍航空隊が潜っていって、ブーゲンビル島沖航空戦で戦艦四、航空母艦八隻を轟撃沈している。よくもこんな戦果が挙げられたものだ。

    ・第一線の軍としては訓練以外に方法がないのだ。中央から送ってくるものは、激励と訓示と戦陣訓と勅諭だが、第一線の欲しいものは、弾丸だ、飛行機だ、操縦手だ、燃料だ、食料だ。中央には中央としてやることがある。第一線の参謀と中央の参謀とは、やることも考えることも違わなくてはならない。

    ・大本営作戦課は、その後も一貫してそうであったが、任務は与えるが、対米戦闘に必要な陣地用の資材や糧食や弾丸を十分に与えることはなかった。それにもう一つ、一番大事なものを与えることを失念していた。“時”である。絶対国防圏が決定されてから、第四十三師団を守備につかせるまでに、八ヶ月かかっている。防禦が攻撃に優るのは、地形の利用、資材の準備と時間である。そのどれもが、「ゼロ」であった。

    ・しかしここで、戦法の研究を通して見てきた太平洋やニューギニヤの戦闘で、最後に述べなくてはならないことは、中川連隊やその他の諸々の戦場での勇戦奮闘と殉国の精神とを称える一方、しょせん戦略の失敗を戦術や戦闘でひっくり返すことは出来なかったということである。

    ・堀は、ピストでの報告を終って出てきた海軍パイロットたちを、片っ端から呼び止めて聞いた。
    「どうして撃沈だとわかったか?」
    「どうしてアリゾナだとわかったか?」
    「アリゾナはどんな艦形をしているか?」
    「暗い夜の海の上だ、どうして自分の爆弾でやったと確信して言えるか?」
    「雲量は?」
    「友軍機や僚機はどうした?」
    矢継ぎ早やに繰り出す堀の質問に、パイロットたちの答えは徐々に怪しくなってくる。

    ・あちらこちらで米軍がばら撒く紙幣は、単なるゲリラの軍資金ではなく、かなりの偽札が故意に混入されているらしく、ルソンは急速に極端なインフレになっていった。そのために、日本守備隊の現地調達が、朝2ドルといったものが昼には4ドルに、次の日は5ドルと跳ね上がる始末で、明らかな米軍の市場攪乱を狙う計画的謀略であった。

    ・米軍の飛行機は飛び立つと必ず電信を打つ、その電信には発信者の呼び出し符号と宛先があるから、それを丹念に集めていると、どこからどこへ、どんな機種が、何機、ということまで判明する。

    ・それまでの堀は、頭の中で目の前の現象を追い回して、思索の堂々めぐりをしていた。―特殊性と普遍性を区別すること。哲理とはただそれだけ、枝葉と根幹とを見極めることであった。

    ・太平洋の島では、米艦隊が島を取り巻いて四方八方から日本軍を袋叩きにしたが、レイテでは島の中央にある山脈に阻まれ、全島を艦砲で袋叩きにはできなかった。今度のルソン島は、艦隊で取り巻いても島が大きいので、島の内部まで艦砲で制圧することが出来ない。

    ・大将は「もう車は走り出した」という態度でゆったりとしていた。車とは三大拠点による戦略持久のことである。山から転がした大石の方向は変えられない。戦略とはそのようなもので、転がすときに斜面と方向を決めなければならない。

    ・米軍に関する話の中で、堀が大将に特に強調したのは、まず彼我の戦力の比較であった。日本の一個師団と米軍の一個師団では、火力(鉄量=弾丸の量)の差で、日本の師団が完全であっても、当時われわれが計算していたところでは一対三ぐらいの違いがある。
    …「それでは米軍には弱点がないではないか?」
    「いや、あります。米軍は山がきらいです」

    ・「日本は漢字をやめて、ローマ字か片仮名を採用しない限り、将来戦争はできない」と言ったのである。考えてみたら、あんなことを喋っていまさらどうなることでもなかったのに…と思うが。しかし日本軍の暗号の非効率さは、どんな角度から見ても第一線戦力の減殺であって増強にはなっていなかった。
    …方面軍で100名、軍が50名、師団が30名、連隊が10名と仮定しても、満州から中国大陸を経て太平洋に展開した日本軍の中で、暗号に従事した人員は、恐らく5、6万名、ざっと4、5個師団分に相当したのではなかろうか。

    ・予備知識の程度でも、また原爆の「ゲ」の字のかけらでも、われわれの知識の片隅にあったら、また米国国内の諜報網が健在していたら、通信諜報のコールサインだけでなく、一部でもよいからB-29、なかんずくV600番部隊の暗号の解読が出来ていたら、あるいはスウェーデンを経て入手したM-209暗号機での解読が、もう一ヶ月早く完成していたら、あの不明機の正体は必ず判明していたであろうに。V400番、V500番、V700番とあって、V600番が最初からテニアンで欠番であったことは、米軍ではB-29戦略爆撃部隊がマリアナに進出した昭和19年8月頃から、すでに原爆投下部隊を使用する計画があったと推量されたからである。

    ・よほどのことがない限り、今までの世界戦史では、上陸しようとする攻者が、守備する側の防者に勝っているのは、防者に、「どこへ攻者が来るか分からない」という迷いと弱みがあるからである。

    ・情報に表れた徴候の中から、残った数個のダイヤモンドの真偽の区別に迷いに迷った末、最後は原則の哲理に戻って考えたことは前に記述したが、米軍の将校たちには、こうした思考過程が遂に理解されなかった。挙句の果てには、上旬末は6、7、8、9、10の5日である。お前の記憶を呼び起こして、それぞれの日をパーセントで示せ、ということになった。堀は米軍の上陸した9日を70%にして、あとの30パーセントを残った日に適当に、実にインチキに割り当てて示すと、「わかった、OK!」と言われて釈放された。
    米軍将校の考え方は、戦術的な思考よりも、数字的な実証に傾いていると感じたのはこのときである。また反面から言うと、この数字的思考が、記述の鉄量計算のように日本軍には欠けていた。それが日本軍の思考を常に精神主義の方へ走らせた原因でもあった。

    ・在京外国武官は全部首をひねるだけで返事がない。こんなとき必ずといっていいほど、連中は貝になる。たった一国の武官だけが、「(戦争は)やれないんじゃないか」と、堀に囁いた。この情勢で一番、鵜の目鷹の目になって耳を澄ましているのは、米ソの谷間にあって、大国の動向に敏感な小国であった。彼の言葉の裏に、本国の参謀本部の匂いのようなものを、堀は嗅ぎとった。

    ・「情報の究極は権力の中枢から出てくる。ソ連のような国では権力の中枢に近づけないから、中枢の外周で兆候を見て廻ることになる」

    ・「堀大佐、軍人や警察官がこう敬礼するのはなぜか、知っていますか?…騎士がブルグに帰ってくる。王様の前に進み出る。あの冑のままでは顔を覆っているから誰だかわからないでしょう。そこで騎士は顔の前の鎧戸のような部分を、こうやってずり上げるんです。それが起源よ」

    ・北部方面隊の考えは理解出来ます。だからといってわれわれ中央部までが遊撃戦を研究するのはどうでしょうか?遊撃戦は戦力がないから仕方なしにやる戦法です。第一線部隊は、きめられた兵員ときめられた兵器で戦うのですから、北部軍としては遊撃戦以外に方法がないというのであれば、中央部の幕僚は、第一線部隊が遊撃戦などでなく、正々堂々の戦いの出来るように様々な工夫をしてやるべきではないか、中央と第一線との違いはここにあります。

    ・太平洋戦争では、米国は英、仏、ソ、支を支えた5ヶ国分の国力を維持して戦ったのだ。こんな簡単なことが、日本の大本営にどうして判らなかったのだろうか?およそ戦争に限らず、どんな闘争でも相手の力を無視して勝てるはずがない。

    ・情報部は毎年一回、年度情勢判断というかなり分厚いものを作って、参謀総長や各部に配布していたが、堀の在任中、作戦課と作戦室で同席して、個々の作戦について敵情判断を述べ、作戦に関して所用の議論を戦わしたことはただの一回もなかった。
    そう告白したら、大本営の作戦と情報の本当の関係を知らない一般の人々は、さぞかしびっくりするであろうが、残念ながら事実である。作戦課の作戦室に出入りを許される者は、大本営参謀の中でも一握りに限られていた。

    ・日本は敗戦の教訓から、情報には手をつけないで、ようやく一つだけ自衛隊に陸海の航空を統合して空軍を創った。これで世界列強並みの新軍体制が出来たと思っている間に、時代は追いつきようもないほど変わっていってしまった。
    もし第三次世界大戦が勃発したら、米ソはその第一撃をどの目標に向けるであろうか?もはや、日本が実施した真珠湾攻撃のような第一撃とは、誰も考えないであろう。昭和32年10月のスプートニックの打上げ以来32年、米ソの情報部はとうに宇宙へ引っ越してしまったのである。

  • 情報に対する意識が第2次世界対戦における日本の運命を大きく左右したことを痛感できる一冊。
    堀が大本営参謀としてフィリピンに向かった後、山下方面軍の情報参謀に命じられて、苦しみながらも米軍の動向を的中させていく部分は、物語として大変面白い部分であり、一気に読みきることができた。
    また、山下大将の人間の大きさには、惹かれるものがある。

  • 色々と自分の原点になっている本。軍事と情報を考えるきっかけを与えてくれた本である。歴史モノとしては戦争の裏方を覗ける面白さがあると思う。

  • ^_^

  •  著者の堀栄三は太平洋戦争時に大本営陸軍部参謀として情報業務に携わった経歴を持つ人物で、本書は著者の実体験をもとに、情報との関わり方が書かれている。この本を読むと、情報収集のプロでさえも、必ずしも正常な判断を下せるわけではないこと、また時には職人芸のように肌感覚で正しい情報を得るという、非常に神経をすり減らす仕事だと理解できる。
     本書で気になった箇所をいくつか取り上げると、まず土肥原賢二の人物像である。著者が陸軍大学校入試で悩んだ際に、著者の父親である堀丈夫が土肥原の私邸を訪問するよう勧めて、実際に私邸を訪ねた。そのとき、土肥原は特におごり高ぶることなく対等な関係で、著者に戦術のあり方を説いた。その教えはシンプルではあるが普遍的な思想を持っており、著者のその後の人生に影響を与えたことをふまえると、土肥原が指導者として十分に役割を果たしたことが今回わかった。そのためこの本を読む前と後で土肥原賢二に対する認識が変わった。
     また、著者の陸軍大学校受験で、教官から問われた問題(いま上ってきた階段の段数を答える問題)が興味深かった。これはつい最近読んだスパイ小説『ジョーカー・ゲーム』で全く問題(こちらはスパイ養成機関の選抜試験であるが)であり、単なる知識の詰め込みでは対処できない、何気ない一瞬の場面を正確に伝える問題が本当に出題されたことがわかった。
     冒頭で既に述べたが、情報を扱う仕事とは職人の仕事と共通点がある。著者は本書で主張するが、情報の仕事にマニュアルのようなものは存在せず、また直接誰かから仕事のノウハウを教えてもらえるわけではない。上司からのちょっとした言葉をヒントに、自分から主体的に学んで次第に経験を積まなければならない。これはたしかに弟子が師匠の背中を追いかけて、たくさんの技巧を習得していく様子と似ている。このことから、代替されにくい仕事とは、合理的に割り切れない、わずかなところに気づける嗅覚、勘を持っていることがわかるだろう。

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