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Amazon.co.jp ・本 (212ページ) / ISBN・EAN: 9784167298067
感想・レビュー・書評
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おすすめ。
#歴史 #戦争 #東京裁判 #BC級戦犯
書評 https://naniwoyomu.com/41969/詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私の読んだのは単行本版ですが・・・
→https://blog.goo.ne.jp/rekitabi/e/b93e71adb90f3a376856786cd583c8b0
「歴タビ日記」「上坂冬子『貝になった男 直江津捕虜収容所事件』から -
久方ぶりに山形名物の玉こんにゃくを食べたのは、この『貝になった男』がアマゾンから届く前日だった。竹串に三個ないし四個の球形の蒟蒻を突き刺し、だし醤油で煮込んだだけのものに和辛子を付けて食べる。恐ろしく素っ気なく贅沢の反対極にあるようなこの食べ物は、しかし山形を故郷とする者にとっては見かけたら素通りすることのできないソウルフードでもある。たまたま通りがかった銀座二丁目の山形物産館で、「おや」と見かけ、次の瞬間には「一本!」と注文していた。店内には
「よーいさのまかーしょー。えんやこらまーかしょー」
と、独特の掛け声だけが延々と続く最上川舟歌が流れている。
あきれるほど無意味に長い掛け声だけが続くこの独特な民謡を、私は実は最初から最後までを完璧に歌うことができる。私は紛れもない山形県人なのだ。BGMとして流れるこの掛け声を聴きながら、私はそのことに気づき身が震えるような切なさを味わった。
この一冊を読み始めたのは、そんなことがあった直後だった。
「直江津捕虜収容所事件」と副題された今は絶版のこの一冊を取り寄せたのは、間もなく直江津に仕事で出張することが決まったからだ。いつものように、未知の出張先に出向く前にはその地の歴史や観光の目玉や旨いものなどについてあらかじめ情報取集しようとした。しかし、この新潟の一地方都市は、地元の方には申し訳ない言い方だが、そこで何かを愉しもうという意図を拒絶するかのように見るべきものや食べるべきものの情報が全く見当たらない町だ。さんざん探したあげくに見つけた一冊がこれだった。大戦中の捕虜収容所で60人もの豪州人捕虜を虐待の末死亡させたという罪で8人の日本人職員が戦犯として絞首刑に処せられた「直江津捕虜収容所事件」を題材としたノンフィクションである。愉しむ目的のために読むには暗すぎる話だったけれども、冒頭の何ページかに目を通しただけで私は、この一冊は最後まで読み通してレビューを書かねばならない、と強く思わされた。
8人のうち4人は、昭和24年8月20日の同じ日に処刑された。
刑場に向かう直前の彼らの様子を執行に立ち会った教誨師が書き記した。
「佐渡おけさはこの人達にとって何よりの慰めであったらしく、最後の勤行も終わり、勢揃いの列がいよいよ囚棟を踏み出た途端、誰からともなく、
ああ、雪の新潟、吹雪に暮れて
と、唄いだした。・・・・私は郷土民謡の持つ良さというものをこのときほどしみじみ感じたことはない」
また、それに先立って4人は、
「新潟の、とまではいわないが今年の新米を食べて逝きたい」
と希望した、とも書かれていた。
それを読んだ瞬間、私は身体の芯が鷲掴みにされる思いがした。
今年は戦後70年の節目の年だ。
著者の上坂冬子は、昭和55年前後に取材した内容に基づいて書いているから、この本は事件から約35年後に書かれ、そうして私は書かれた35年後の今読んでいる。
浜松市の古書店からアマゾン経由で送られてきたその文庫本の最終ページには鉛筆書きで前の持ち主の書き込みがあった。几帳面な文字で、
「1989.8.18~19 いろいろな接点が見えているのに突っ込み切れていない。
題材に目を付ける発想はよいがそれ以後は感性の不足」
と、手厳しい感想が記されていた。
日付は、この文庫本の初版が発行された1週間後であり終戦記念日の3日後である。この数行の書き込みは、内容においては書き手の並でない知性を、日付においてはやはり書き手の並々でない問題意識の高さを垣間見せているように思えた。
「発想はよいがそれ以後は感性の不足」と、この名の知れぬ読み手の感想が示すところは確かにある。「貝になった男」という劇的なタイトルと、8人もの部下が処刑される中、責任者であったハズの所長だけがなぜ生きながらえたのか、その男はどんな男だったのか、それを追求したら男の真実が見えてきた、という構成にこだわりすぎて、それぞれが一個のドラマになり得るスケールを持つ8人の職員一人一人のエピソードが脇役扱いになってしまい深堀されていない嫌いはたしかにある。
例えば、「万病直し」という渾名で記された衛生兵は捕虜の健康を維持するという使命に忠実すぎるほどの男だった。盲腸になった捕虜を、捕虜は軍所属の病院以外の民間の病院にかからせてはなぬという軍法を犯し必死に医師に頼み込んで手術を施させた。そうでなければ命が助からぬ緊急事態だったのだ。だが、露見すれば自分も医師も厳罰を免れぬ軍法違反であり、鬼畜米英というのを本気で国民が信じていた戦時下にである。だがこの献身的な行いは戦犯裁判では被告に有利な情状として取り上げられていない。また、捕虜に蔓延した下痢症の予防のためシーツを腹に巻いて寝ろとの医師の指示に従わなかった者たちに、深夜屋外を走らせるという懲罰を与えたことを「虐待」と追及された。だがそれも、捕虜たちの健康管理を徹底する、そのために捕虜たちにも強い自覚を強いるという使命に忠実すぎた行為であり、そののち深刻な下痢症の捕虜が激減したことからも合理的な対処だったことも明らかなのだ。だが、あろうことかこのことが裁判では有罪の根拠になった。
一例だけでもこれほどのことが、事実の断片だけが提示されているのみでそのことの意味は深くは追及されていない。書き込みをした前の読者にはそれが不満であったのだろう。しかし、私は事実の断片だけでも提示された意義は大きいのではないかと考える。
2014年のノーベル文学賞は、占領下のパリで連れ去られ虐殺されたユダヤ人の記録を記した「記憶の芸術」との賛辞を添えてパトリック・モディアノに贈られた。忘却の彼方にある人々の運命を思い起こさせ、占領下の世界を描き出したと賛辞は続いていた。
ホロコーストほどのスケールではなくとも、あるいは大戦後の世界秩序が正しいと認定した反ナチスという価値観とは逆に戦勝国側の不公正を告発する事実であったとしても。
戦争という悲劇の紛れもない犠牲者たちのまさに忘れ去られた事実を記すということだけでも、表現や構成の上手下手とは無関係に、意義はあると信じたい。
私は簿記と会計は大の苦手だったが、「備忘価格」という概念を学んだことはかろうじて覚えている。経済的価値はもはや失われているのだが、その物が存在していることが記録として消えずに残されるように、帳簿に「1円」と記すことで一行だけ記録しておくのだ。
70年前の出来事を35年前に記したこの本のアマゾンでの価格は、ただではないのだけれどもどうでもいいい価格といってよい「1円」だった。
この一冊を手に、私は直江津に出張する。 -
(2009.08.24読了)
副題が「直江津捕虜収容所事件」です。この本も、BC級戦犯裁判に関する本です。
上坂さんの書いたBC級戦犯裁判関連の本は、下記の4冊あるようです。
「生体解剖 九州大学医学部事件」上坂冬子著、毎日新聞社、1979年12月
「巣鴨プリズン13号鉄扉」上坂冬子著、新潮社、1981年3月
「遺された妻 横浜裁判BC級戦犯秘録」上坂冬子著、中央公論社、1983年4月
「貝になった男 直江津捕虜収容所事件」上坂冬子著、文芸春秋、1986年8月
(「残された妻」以外は、手元にあるので8月中に読むつもりです。)
BC級戦犯裁判は、上坂さんにとってこだわりのあるテーマだったのでしょう。
取材の順に従ったような書き方になっているので、読み手は著者と一緒に成り行きを見てゆくという感じです。
●取材の動機(10頁)
なぜ私が直江津に強い関心を持ったかというと、戦後、ここで働いていた日本人の中から、8人もの人が戦争犯罪人として絞首刑に処されたからだ。国内の捕虜収容所としては、処刑された人の数がもっとも多い。いったい何があったというのだろう。さらにもう一つ、8人の部下が絞首刑になったというのに収容所長は終身刑で、12年の獄中生活を送った後無事に家族のもとに戻っている。陸軍中尉だった所長はどんな人で、なぜ生きながらえることができたのか。
●ドラム缶の直撃(21頁)
1945年8月28日、捕虜収容所上空にアメリカの飛行機がやってきて、捕虜に救援物資をドラム缶に詰めパラシュートで投下した。そのうちのいくつかが民家を直撃したり、人の上に落ちたりして死亡者や負傷者が出た。アメリカからは何の謝罪もなかった。
●シンガポールから直江津へ(24頁)
1942年12月10日、シンガポールから長崎を経由して約300人のオーストラリア兵が直江津に着いた。捕虜は、日本ステンレス、信越化学、日本曹達、鉄道と港湾荷役の会社で働かされた。虐待と栄養失調と極寒という悪条件が重なって一年後には300人のうち50人余りが死亡した。(公判記録からのものなので、実際にそうであったのかは別のこと)
1944年3月以降は死者が出ていません。1945年になるとアメリカ、イギリス、オランダの捕虜400人が送り込まれ物理的に居住が脅かされる結果となった。
●収容所長の部下8人に対する絞首刑判決減刑嘆願書(142頁)
減刑嘆願理由
一、捕虜の供述は事実無根が多い
二、多少の殴打はあったろうが、収容所は基本的に言って捕虜の保護施設だったと確信している
三、気候温暖な国の兵が、新潟のようン寒冷地に来れば肺炎が続出するのは当然だ。責任は無神経な配置を決めた上部にある
四、下士官兵及び軍属は命令通りに動いていた。彼らの罪は、すべて上官にある
五、本件に関して絞首刑の判決は、他と比較してあまりに過酷である
「直江津捕虜収容所事件は、チズルム大尉が市ヶ谷の東京裁判で針小棒大に日本側の捕虜虐待行為を述べたのに端を発している。これを立証せねばならなくなったために事実を誇張し、8人もの極刑を出すことによって辻褄を合わせたのだ」(145頁)
●収容所長が絞首刑にならなかった理由(170頁)
「所長は足掛け三年間、殆ど何もせずに所長室に籠っていたのであろう。捕虜に対して命令も下さず、指揮もせず、もちろん制裁も加えぬという態度を押し通したばかりか、日本人部下に対しても褒賞や激励を一切加えず、ただ定刻に出勤して定刻に帰るという生活だったと思われる。東に虐待があったと聞けば、そういうことはしてはならぬといい、西にクリスマス・パーティがあれば、無表情で出席し、あとの時間は窓を閉じドアを閉めて部屋に籠っていたのである。」
戦時にあっては、なにもしないというのは「強い意志」の表れということです。
(2009年8月30日・記)
上坂冬子の作品
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