私の中の日本軍(上) (文春文庫 306-1)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (329ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167306014

作品紹介・あらすじ

自己の軍隊体験をもとに日本軍についての誤解や偏見をただし、さまざまな“戦争伝説”“軍隊伝説”をくつがえした名著。鋭い観察眼と抜群の推理力による冷静な分析が光る。

感想・レビュー・書評

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  • 戦争を論ずる時に困難が伴うのは、その規模が大きく、様々な立場からの「見方」が存在するからだと思う。その点、この本は「私の中の」と限定することで現地の所感や考えを詳細に記述していると思う。戦場の死臭や、密林行軍の困難、兵士の心情が現場ならではの描きだされ方をしていて、非常に分かりやすく興味深い。「私の中の」と断りながらも客観的事実はちゃんと切り分けられて論旨も明確。この本で言いたかったのはなんだろう?と思うと「戦場で戦っていない人達の無責任さがいかに戦場を陰惨なものとして、ボロボロの敗戦へ導いたのか。そして、その現象は何時の時代でも変わらず起こっている事だ」ということじゃないか、と感じた。この本を読むと密林の泥が足に絡みつき、行軍の疲れが肩にのしかかるように思える。だが、著者は屹立として「戦場に行った者でなければ到底分かるものではない」と読者の安易な共感を撥ね付ける。長い歴史から見ると今の時代に日本人として生まれた事は如何に僥倖なことか、そしてそれを安穏として貪っているだけではいけない、と思わせてくれる本。リアルな「重み」と「質感」がズッシリと読み応えに繋がっています。

  • 読んでおいて損はない

  • 幹候としてフィリピンで終戦を迎えた著者が戦後数十年を経て綴った本著。たとえば南京大虐殺が実際にあり得たのかどうか、よく分からないまま放っておくことに何の疑念も抱かず無神経に無関心に生きている僕のような人に読んで貰いたい。なぜ戦争が悪いのかは分かる。なぜ戦争は起こるのかということは分からない人が多いのではないだろうか。
    本著は”百人斬り競争”や”南京大虐殺”という言葉がよく出てくる。その言葉に対して自分がどう思うのか、なぜそう思うのか、それは自分の意思なのか、考えさせられる点が多い。それは、また戦争が起きるのか、起きないのか、なぜそう思うのかを考えることでもあると思う。
    ”戦陣訓”にしても、当事者でもない僕が何の根拠があって偏見を抱けたのか。今は戦中と違うのか、同じなのか。それは昔というほど遠くない。

  • 上下巻同じものを記述


    物資がないとは方々で読んだけれども、その実情が恐ろしかった。
    食べ物がない→フィリピンで民家を襲う、などマシな方だった。
    新しく到着した兵士が飯盒を洗っていると、その米粒を拾う餓鬼みたいなものがいる。それは、先発隊の日本兵で、数日後には自分たちもそうなっていたほど、食料がない。
    死人の肉も食う。敵よりも、友軍が肉をくおうと撃ってくるのが、近いが故にわからない、常に緊張を強いられて怖いと……


    「トッツキ」と「イロケ」
    トッツキは、今で言うとなんだろう……折檻だろうか……暴力だ。上官から部下への暴力。何やかやと文句をつけて、水の入ったバケツを両手に持って立たせ、殴る。水がこぼれればまた殴る。こぼさないために必死で耐えなければいけない。それを上官が自分でだけやらせるのではなく、宿舎内よその部隊の部隊長を順に巡らせて、殴られて来いと言う。
    そんな恐ろしいものばかりだった……

    敵に投降した場合、位が高いほど情報を持っているから「大事に」扱われるのだそうだが、異様な精神状態になっているため、その状態が解放されると、なんでもかんでも喋ってしまうと。問われないことまで喋る。
    その際、アメリカ側に求めるのだと。
    「日本に帰さないでくれ」
    何が怖いって、軍事裁判で裁かれることより、自軍に戻っていびり殺される方が怖いというのだから、その程度が知れる。

    イロケは媚だが、さらなる上官への媚のために、部下に見た目だけの無駄な行動をさせる。うちはこんなにがんばってます、と主張するために……食料も乏しいのに……



    山本氏によればでっち上げの記事である「百人斬り競争」というものが当時掲載されたようなのだけれど、これが下巻の最後に紹介されていたために、ずーっとナンのことだと思いながら読まなければならなかった。これ、始めの方に置くべきだ。
    その百人斬りがでっち上げであることを証明するために、かなりの紙数が割かれていて、何を書いても終いにはこの話に行き着いてしまうので、そこが読みたいんじゃない…と思っていたら、途中に「百人斬りの嘘を証明するためにも書いた」ような記述があり、これも前書きあたりに欲しかった。
    将校ふたりが、どっちが先に敵を百人倒すか競争だ、ということをやったのが記事になったらしいのだが、これが捏造記事だと。東京日日新聞。
    ・日本刀は三人も切れば血のりや刃こぼれ、曲がりで使いものにならなくなるから、百人なんて切れるわけがない。
    ・人体はそんな簡単に切れない
    ・自分が死守すべき大砲を放って、勝手に敵を切りにいくわけがない
    などなど、非常にこまかく。

    当時の心理というものが、後世で言われているのとだいぶ違い、「陛下の兵士」であるから、天皇の命令なら聞くのかと言うと、兵隊というのは直属の上官の命令しか聞いてはならぬものだ、とか。
    貸し借りの概念だとか。
    言論の統制が非常に厳しいし、広告宣伝効果なども狙うので、内地の戦意高揚のために、手紙なんか嘘八百だと。届けばいい、自分が生きていることを知らせられればいい。だから、そういった手紙の真意を読むことは、暗号読解のようなものだと。
    軍隊は嫌だ、なんて書けない。生きて帰りたいとも書けない。代わりに「親孝行がしたいよナ」「ヨメさんがほしいよナ」と書くと。
    「お母さん」というのは、その平和な生活に戻りたいということなのだと……
    これを知ると、特攻隊が「お母さん」と叫んだり手紙に書いたのは、母を恋う気持ちも当然ながら、それだけではなかったのかと、思い至る。

    ジャングルでは食料がなくて人が生きていけない様や、服もドロドロに朽ちていく様や、ノミシラミには常にたかられ、人が死ぬ際にはもうハエがたかっていたりして死体が腐乱して黒くなって融けていく様や……
    ハエを増やしたのは、兵隊だと。多数の人間がいる。つまりは排泄物がすさまじい量になる。これがハエを増やしたと。
    東北の大震災のときに読んだのだったか……ハエがね、飛べないんだそうだ。食べ過ぎて、太りすぎて、ハエのくせに飛べないんだって……

    日本軍の移動手段といえば、二本の足。車はほんのすこし。燃料補給だってままならない。大砲も担いで移動。
    それと、米軍が車両で移動するし武器も運搬するのを考えたら。
    馬を搬送用に使えば、その馬係の兵隊は、毎日蹄鉄の手入れ、これをやると手に菌が入って恐ろしいことになる。馬は歩き続けると足がむくむからワラでこする、水を飲ませるために、自分が空腹と疲労でヘトヘトでも水を汲みに行く……

    日本が戦争に追い込まれていったのはわかるが、本当に、無謀でしかない。そしてこれを反省されていないというのは、もっともだ……
    感情論であって、理論で反省されることがないというのは、昨今のニュースでも変わらないものねえ……

  • 上下二巻。この本は、先の戦争に関する「戦後神話」なるものに危機感を抱いた著者が、戦争体験者としての使命感から、自ら将校として直接体験し考察したことを、偽ることなく後世に伝えるために書かれたものである。
    特に、昭和12年東京日日新聞の浅海特派員による「野田、向井両少尉による百人斬り競争」の記事が「戦意高揚のための虚報」だったことを証明することがこの本の中心テーマである。
    法螺を吹く戦場の兵士の心理状態や日本刀神話、様々な証言に基づく記事の矛盾などの客観的な考察からは、著者の真実(歴史的事実)に対する真摯な姿勢と、この虚報により戦犯として処刑された野田、向井両少尉に対する鎮魂の思いが伝わってくる。
    そして、その思いは翻って、戦後自らの保身のために真実を封印した浅海特派員と、この虚報を根拠に日本軍国主義を批判し中国に贖罪の姿勢を見せる朝日新聞本多勝一氏を厳しく批判している。
    戦意高揚記事という虚報で国民を欺いた新聞が、戦後はこの虚報を根拠に中国に懺悔を繰り返すという二重の過ちを繰り返しているというのである。
    「われわれの世代には、戦争に従事したという罪責がある。しかし、もし自らの体験をできる限り正確に伝えないならば、それは釈明の余地なき罪責を重ねることになるであろう」という著者の言葉は重い。

  • 戦時中、フィリピンに派兵された著者の山本七平が、自身の戦争体験に基づいて、朝日新聞の記者・本多勝一の『中国の旅』(朝日文庫)で報告されている「南京百人斬り」の嘘を明らかにした本です。

    戦争中、「戦意発揚記事」として発表され、国民を欺いたのと同じ「虚報」が、戦後になって日本帝国主義の残虐性の証拠として、またしても国民を欺いていることに、戦中・戦後を通じて変わることのない、日本社会の病弊が浮き彫りにされています。

    横井正一のような人が、戦後何十年間もたった一人で戦争を続けることができたのは、『戦陣訓』が骨の髄まで叩き込まれていたからだ、と説明されることがあります。これに対して著者は、ジャングルから出て降伏することがどれほど難しいかという、より形而下的な問題を指摘しています。こうしたこともなかなか戦争体験のない世代には分からないものになってしまっているので、興味深く読みました。

  • 内容紹介 amazon
    自己の軍隊体験を、深刻ぶらず冷静に、鋭い観察眼と抜群の推理力とで分析することにより、あやまれる「戦争伝説」「軍隊伝説」をくつがえし、その実体を解明する

  • 従軍経験、敗戦後の収容所の経験のある山本七平氏が南京100人切りの主役、向井少尉と野田少尉が架空のでっち上げの話を捏造し、それを毎日新聞の浅海記者が事実として報道する。昭和12年当時の話が真実的に報道されやがて敗戦。生き残った向井少尉は新聞記事が事実として裁判にかけられ死刑となる。浅海記者は彼らから聞いた話として真実を報道したと社、自分を守る。自分が死に繋がる話であれば解る部分もあるが社会的地位、収入を守って、偽報道を正当化するのは許せない。
    縦社会の軍部の問題、当時の日本の問題、国民の愚かさを痛切に嘆いている。
    頓馬なセンセーショナリズム。

  • 『だまされない議論力』吉岡友治 の巻末の読書案内に出ていたもの。そのうち読む予定-「「百人斬り」という日本軍の「戦争犯罪」が新聞によるでっち上げであることを検証。冷静なメディアと歴史の批判」

  • 実はマスコミ批判の書。

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著者プロフィール

1921年、東京都に生まれる。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。
著書には『「空気」の研究』(文藝春秋)、『帝王学』(日本経済新聞社)、『論語の読み方』(祥伝社)、『なぜ日本は変われないのか』『日本人には何が欠けているのか』『日本はなぜ外交で負けるのか』『戦争責任と靖国問題』(以上、さくら舎)などがある。

「2020年 『日本型組織 存続の条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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