一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (1987年8月8日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (352ページ) / ISBN・EAN: 9784167306052

作品紹介・あらすじ

「帝国陸軍」とは何だったのか。すべてが規則ずくめで大官僚機構ともいえる日本軍隊を、北部ルソンで野砲連隊本部の少尉として惨烈な体験をした著者が、徹底的に分析追求した力作。

みんなの感想まとめ

組織の混乱とその影響をテーマにしたこの作品は、帝国陸軍の実態を生々しく描写しています。著者は、北部ルソンでの体験を通じて、戦争の現実と組織の非効率性を鋭く分析しており、特に「員数主義」や「自転する組織...

感想・レビュー・書評

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  • 著書が見た、フィリピンの戦場で、待っていたのは、孫子の兵法ではく、非条理であった。
    そして、日本は、ソ連や中国が仮想敵国であったが、米国は仮想敵国でもなく、戦うつもりは全くなかった。そして、フィリピンに対する深い知識をだれも持ち合わせていなかった。

    気になったのは、以下です。

    ・人は確かに、ある時代のある場所に、まず、生まれ出た、ということを、ある時代のある場所で、最後には死ぬことと同じように、選択の余地なき前提すなわち一種の、宿命、として受け取らざるを得ない
    ・宿命的にものごとを受け取ると、人は、死に対すると同様、それを見まい考えまいとする

    ・あわてる、は、本当の、急ぐ、にはならず、過去の方式をただ時間をちぢめただけ。
    ・すべてが急げや急げの詰め込み主義、しかも今までの方式のまま、あれもこれも、つめこもうというわけで、急ぐ、にふさわしい新しい方法を採用したわけではない
    ・そのくせ、みな急いでいた、あわてていた、だがリアリティが欠けていた。
    ・そこには、はっきりした目標も、その目標に到達するための合理的な方法の探究も模索もない。

    ・いきあたりばったり、とか、どろなわ、とかいった言葉がある
    ・考えてみれば、この予備士官学校の教育の基本そのものが、奇妙なものだった。
    ・というのは、学生をあれほど信用しなかった軍が、実は学歴偏重主義で、幹部候補生の選抜基準は1に学歴なのである。

    ・帝大出の若僧課長の隣に、定年まじかの課長代理や係長がおり、課長はどんどん昇進していくが、彼らは動かない。
    ・そこで本当に組織を握っているのは結局彼らである
    ・だめですな。結局、壊滅するまで同じ行き方を繰り返しながら、それ以外に方法がないという状態になっちまうんです。

    ・人間は、置かれた実情が余り苦しいと、未来への恐怖を感じなくなる。
    ・というのは、いまの状態に耐えているのが精一杯、どうでもいい、という形で、それ以外の思考が停止するからである

    ・比島の基本的な経済力とその特殊性さえつかんでいなかった。これは全く、正気の沙汰とは思えない
    ・比島派遣第14方面軍のほとんどすべては、餓死である
    ・日本軍のやり方は、結局、ひと言でいえば、どっちつかずの中途半端、であった。
    ・知らないなら、無能、なのがあたりまえであろう

    ・またか、私は内心で叫んだ。そして、イライラしてきた。
    ・何度も、何度も、私自身がこの種の煮え湯を飲まされてきた。
    ・比島が、まるで、兵器・弾薬・食糧・機材の膨大な集積地であるかのような顔をして、現地で支給する、現地で調達せよ、の空手形を乱発しておきながら、現地ではそのほとんど全部が不渡り、従って私はもう、何も信用していない

    ・われわれは、全員が、文字通り夜も寝ないで働いてきた。末端の一兵士に至るまで、重労働につぐ重労働、その過重な負担は今の人には空想もできまい。
    ・だが、その労働の成果は、決心変更、のたびに、次から次へと廃棄されていった。
    ・私は、最初、補給と住民折衝に専念せよと言われたので、はじめのころの状態はくわしく知らないのだが、四水後退は、指揮班長たちにとっては、実に四度目の変更だったのである

    ・人間は習慣の動物である。はじめ異常と感じたことも、やがて、それが普通になる

    ・友達だから、その個人には最後まで信義を守る。対日協力とはまた別の基準であった。

    ・自分が命を縮めるだけ家族の命がのびる、という発想、この考え方で自己を支えていく生き方は、いかなる、布告、にもその契機があったとは思えない
    ・しかし、当時の彼を、彼だけでなく多くの人を、最後の土壇場でなお支えていたものは、表現は違っても、実は、犠牲になって生きる、というこの考え方であった。
    ・国家・民族・天皇・軍、そういった虚構は、もう消え、残るのはそれだけであった。
    ・私は長い間、この考え方を、家族主義的伝統に基づく日本的な自然発生的な考え方とみていた。
    ・したがって、フランクルの、愛の死、を読んだとき、これとよく似た一面をもつ考え方が、同じような考え方が、アウシュヴィッツの彼を支えていたことを知り、非常に驚いた。

    ・帝国陸軍では、本当の意思決定者・決断者がどこにいるのか、外部からは絶対にわからない。
    ・というのは、その決定が、命令、という形で下達されるときは、それを下すのは名目的指揮官だが、その指揮官が果たして本当に自ら決断を下したのか、実力者の決断の、代読者、にすぎないのかは、わからないからである。

    目次
    “大に事える主義”
    すべて欠、欠、欠…。
    だれも知らぬ対米戦闘法
    地獄の輸送船生活
    石の雨と花の雨と
    現地を知らぬ帝国陸軍
    死の行進について
    みずからを片づけた日本軍
    一、軍人は員数を尊ぶべし
    私物命令・気魄という名の演技
    「オンリ・ペッペル・ナット・マネー」
    参謀のシナリオと演技の跡
    最後の戦闘に残る悔い
    死のリフレイン
    組織と自殺
    still live,スティルリブ、スティルリブ…
    敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち
    言葉と秩序と暴力
    統帥権・戦費・実力者
    組織の名誉と信義
    あとがき

    ISBN:9784167306052
    。出版社:文藝春秋
    。判型:文庫
    。ページ数:352ページ
    。定価:660円(本体)
    。発行年月日:1987年08月

  • 陸軍幼年学校の最終学年で終戦を迎えた父のことを想い、涙しながら読んだ。戦時中だけでなく、戦前戦後を通して人生を翻弄された父や当時を生きた人たち、もちろん戦争の犠牲となった諸外国の方々が不憫でならない。なぜこのような無意味で無謀な戦争が起こってしまったのか、それは帝国陸軍という組織が「自転」するためであったという。一部の人間が作り上げた「虚構」を守る、というバカげた目的にのためにどれほど多くの無辜の人命が犠牲になったことか。そしてその責任を追及されるべき人々が罪を問われずに戦後の政財界で地位を確保し続ける…。理不尽であることに加え、形を変えてその後も身近に見える構図である気がする。
    総括に重きを置かない風潮の日本で、山本七平さんの丁寧で冷静な分析を多くの人に読んでもらいたいと心から願う。

  • 一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫) 文庫 – 1987/8/8

    「帝国陸軍」とは一体何だったのか。
    この、すべてが規則ずくめで超保守的な一大機構を、ルソン島で砲兵隊本部の少尉として苛酷な体験をした著者が、戦争最末期の戦闘、敗走、そして捕虜生活を語り、徹底的に分析し、追及する。現代の日本的組織の歪み、日本人の特異な思考法を透視する山本流日本論の端緒を成す一冊。
    目次より 〝大に事(つか)える主義〟/すべて欠、欠、欠……。/だれも知らぬ対米戦闘法/地獄の輸送船生活/石の雨と鼻の雨と/現地を知らぬ帝国陸軍/私物命令・気魄という名の演技/参謀のシナリオと演技の跡/組織と自殺/敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち/言葉と秩序と暴力/統帥権・戦費・実力者/組織の名誉と信義/あとがき


    以前読み、レビューも書いたのだが、失われた為、再度記入することにする。
    吉越浩一郎の著作の中で本書を紹介する部分があり、それで本書題名を知った。読んでみて感じたのは当時の理不尽さ、補給のなさ、旧日本軍の悲惨さだ。
    特に武器や弾薬の在庫数を帳簿上と合わせる為だけに奔走する無意味さ、横との連携が取れていないことなど多くの課題を感じる。
    フィリピンは常夏で食料は手に入るはずと十分な調査もないまま出撃させていた大本営。
    (実際、畑ではなくプランテーションが続き、食料が手に入らず餓死に追い込まれていく)
    アメリカ軍の充実さ、荒れ地を重機を使いならして、テニスコートにしたり、アイスクリームを食べることができたり、交代制勤務。一方の日本軍は24時間、米軍監視業務。
    他の方の戦争体験談でもそうだけれども、悲惨であるとしか言いようがない。
    もちろん独ソ戦の悲惨さに比べるとマシに見えるかもしれないが・・・。

    2022/10/08(土)記述

  • 1987年の日付アリ、34年前に読んだ本を、改めて読み返しつつ、帝国陸軍の混乱(欠、欠、欠)と、コロナ感染症の時代における組織(政府、医療体制の構築等)の混乱に同じような物語を感じます。昭和18年8月(1943年8月)、学徒動員された山本七平は、豊橋第一陸軍予備士官学校士官学校で対ロシア戦での砲兵の在り方を学びつつ、今、そこにある戦い(南太平洋での米軍との戦い)についての講義が無いことに驚く。(今、教えられていることがまったく役に立たない、という事実に)そして、陸軍は、対米戦争の準備は、殆ど行っていないというリアルに思いが至る。ではどうするか、と考えつつ原隊に戻ると、そこにあるのは、普通の忙しい軍隊の日常。そんな流れのままに、南方方面への地獄の船旅に送り出され、更にフィリッピン戦線での惨憺たる負け戦、生きながらえての俘虜としての日々。わずか30数年前の出来事を振り返る、山本七平の筆致には、臨場感があります。一下級将校が見た、帝国陸軍の敗北のリアルであります。それにしても、帝国陸軍とは酷い組織だったな、と思いつつ、今でも似た組織が身近にあること等に想いが至ります。いやはやどうしたものか、と溜息ですが、★五つであります。

  •  非常にショッキングな本だと思います。

     戦争のおそろしさ・生々しさは言うに及ばす、硬直的・融通無碍で変われない帝国陸軍の構造的な欠陥にショックをうけました。

     自分の祖父達が、こんなに下らない組織のためにシベリアや中国に連れていかれたのかと思うと、悲しくやるせない気持ちになります。

    ・・・

     改めて全体を概観しますと、本作は、筆者山本氏が青学卒業と共に徴兵され、訓練を受け、その後フィリピンへ送られ、死の淵を彷徨いながらもかろうじて生還した、という話です。回想の中で語られるのは、帝国陸軍の愚かさ・駄目さ加減です。

     まず、筆者は砲兵として訓練を受けます。のっけの訓練からずっこける。先ずその訓練は対ロシアを念頭に置いており、武器も旧式、そして戦術も1944年当時で既に20年前の技術だったという。しかも訓練指導者は大いに自信過剰。

    『そのくせみな急いでいた、あわてていた。だがリアリティが欠けていた。そこには、はっきりした目標も、その目標に到達するための合理的な方法の探求も模索もない。全員が静かなる方向へ、やみくもに速度を増して駆け出しているような感じだった(P.37)』

     その後、ロシアではなく対米国向け訓練を受けることになるも、教官が南方での対米戦の要諦を知らない。よって、今までの訓練を踏襲するという。つまり訓練そのものが無意味であり、それを誰もが分かっているものの変えられない固定的な低レベルの組織が浮かびあがります。
     本部からの命令には歯向かうことができず、若手の幹部候補はアイディアのかけらもない。他方下級古参兵は訓練内容などには無関心(自分では決められないし)であり、ただただ、二回り以上年下の幹部に歯向かわないように組織を維持する(筆者はこれを『自転する』と表現しています)。
     このような経験もあってか、筆者は、固定的な身分制度から能力本意への昇進を提案しています。このような話は官僚のキャリア制度や企業の学歴偏重にもつながる話でもあります。

     戦地での話もひどい。例えば砲台を運搬する話。当初は現地では馬でも牛でもあるといって、日本からフィリピンへ送られてきた砲兵と砲台。到着すると、馬も牛もいない。山道を伝い目的地まで運べ、とその命令だけが絶対。100キロを超える砲台をどうやって運ぶというのか。一切何の考慮もない命令に、砲兵部隊の上官は「思考停止」、ましては末端の兵士も「思考停止」。兎に角やるしかない、とあきらめた先には、機械のように只々現実を耐えるしかなくなってしまう。

     私は証券会社時代の営業を思い出しました。「おい、お願いだからよぉ、やってくれって言ってんだよ!困った顔してないでさっさと売って来いよぉ!」
     ノルマ商品が残っている夜8時。考える時間も与えられず、とにかく動くことを強要され、結局断られた顧客にまた電話して、あんまり電話するものだから嫌がられる。自分も自分で、もう売れるわけないと思いつつ、只々今その時間が過ぎて一日終わることだけを願いつつ電話を握る日々。どうすれば断られた顧客に売れるのかなんて上司が答えを持っていない。
     私のへぼい営業体験を比べるのも失礼だが、上が聞く耳を持たないと、組織の中下流にしわ寄せがきます。中間管理職もへぼい場合、あるいは問題が余りにも大きい場合、組織は「思考停止」してしまうのでしょう。

     もうひとつだけ。有名なバターン死の行進についても語られています。
     筆者はやや戸惑いながらも蛮行について概ね反論しています。曰く、日本兵自身はより過酷な状況におり、米軍捕虜に対しては温情をもって接していたと。ただ、米軍からすればそれは過酷過ぎたということでしょうか。豊かさの差が引き起こした悲劇かもしれません。

    『あれが、”死の行進”ならオレたちの行軍は何だったのだ』『きっと”地獄の行進”だろ』『あれが”米兵への罪”で死刑になるんなら、日本軍の司令官は”日本兵への罪”で全部死刑だな』

     被害関係者には申し訳ない気持ちも湧きますが、もし加害者が故意でないとすれば、その子孫である我々もまだ多少は救われるかもしれません。

    ・・・

     これ以外にも、軍部で見られた奇々怪々なる現象が多く語られます。ドラマティック大声野郎が何故かいつの間にか舞台を動かす。なぜか上官は戦後も責任を取らず、悠々と捕虜生活を送る。兵士はおろか国民すら守る気もなかった軍幹部。
     歴史を勉強していると、第二次世界大戦は欧米にハメられた、という論調も時に見られますが、日本軍部の精神構造も十分腐っていたのではと思わずにはいられない作品でした。そしてその精神構造の一部は、幾分かは未だに我々が引き継いで保持しているメンタリティである気がします(プライド・意地・組織を守る等々)。

     悲惨な戦争への教訓としてのみならず、腐った組織の完成形として反面教師としてパンチ力十分な教材です。学生、ビジネスマン、主婦・主夫、引退した方、組織と人を考える全ての方々に読んでいただきたい作品です。

  • 1987年(底本1974年)刊行。

     青山学院大学繰上げ卒業、直後入営後4か月で予備士官学校入校、2か月繰上げ卒業で見習士官のまま原隊復帰せずフィリピン戦地へ。かように士官候補生の速成が進みつつあった時期に遭った著者。
     彼の、戦中〜戦後収容所期までの、陸軍内での見聞事項を乾いた筆致で描写する。

     テーマは軍人教育・教練の無意味さ、私物命令を平気に出す、真の命令者たる現地参謀の頽廃、現地を知らなすぎる本土・大本営、員数主義(詳細は本書にて確認を。友軍からの窃盗が日常茶飯事という他書指摘の理由を見た思い)に彩られる軍人ら。

     これらのテーマにつき、確かに乾いた筆致で描写するが、所々挿入される怒りとも祈りとも見える文章の数々。
    ① 「比島が…兵器・弾薬・食糧…の集積所…のような顔をして『現地で支給』『現地で調達』の空手形を(本土での命令で)乱発しておきながら…現地では殆ど全部不渡り…。従って私は何も信用していない」。
    ② 武器に関する一点豪華主義。ミンクのコートに草鞋を履く如し。時間当たり砲弾発射回数は世界最多級だが、砲弾を手と足で倉庫から運ばなければならない。
    ③ 我々の中には「歴戦の臆病者はいるが、歴戦の勇士はいない…。
     だが『歴戦の臆病者』の世代は、いずれはこの世を去ってしまう。…この問題はその後の「戦争を”劇画的にしか知らない勇者”の暴走」にあり、その予兆は、平和の…背後に、すでに現れているよう」。
    等々がそれだ。
     著者を食わず嫌いすべきではなかった、といたく反省させられた一書である。

  • 衝撃的な本。ここ最近読んだ本の中では最高傑作であり、是非とも多くの方に読んでもらいたい。この本は帝国陸軍という異常組織が、実は日本人という国民性が生んだ日本人としの標準的な組織だったということを、戦後から現代(とは言っても昭和40年ごろと思うが)の日本人の思考・行動と照らし合わせて著者の洞察を展開している。これ(日本人の国民性)は昭和40年どころか、戦後70年を過ぎた現在でも全く変わっていないということに驚かされる。名著「失敗の本質」での問題提起が結局は日本人には避け得ないものだということが切実に分かる。自らの思考法、会社の論理、全てが戦前から変わっていない。これを読むと、また日本人は戦争をやるのではないかと心配になってしまう。「事大主義」「員数合わせ」「仲間ぼめ」「私的命令」「気魄」「気魄演技」「組織の名誉」「不可能命令」。少なくとも自分はそこから抜け出したい。

  • 陸軍の少尉としてフィリピンで終戦を迎えた筆者の見た陸軍と日本人の特性。意識しておくべきことがたくさんあると思った。
    事大主義、大につかえる主義が日本にはあり、だから立場で人が変わる。
    余裕なく人材研修が行われるが、幹部育成用のプログラムなので合わない。幹部になれない状況では意味がない。
    ずっとソ連を仮想敵国としており、それをアメリカに変えたが、それ用の対策の方法を陸軍は誰も知らなかった。
    本当の危機になると危機慣れが起き、大丈夫の声が強くなる。
    フィリピンは農業国という言葉から食料は豊富だと思いこむが、実際はプランテーションで多くの餓死者を出す。
    天その人を滅ぼさんとすればまずその人を狂わしむ。
    統帥権を独立させたのは明治政府が藩閥政府で政府の軍事力を封じ込める必要があったから。
    議会が予算を通さなければ戦争は止められた。
    参謀が実験を握っていた。

  • ・バターンの時米軍には花の雨が降った。サイゴンで日本軍には石の雨が降った。護送の米兵の威嚇射撃のおかげでリンチを免れた。日本では内地で重傷を負ったB29搭乗員を軍が住民のリンチに委ねた例がある。

    ・員数主義と私物命令、なかなか敗戦を信じずジャングルを出てこなかった例は「命令」への不信が大きかったのではないか。

    ・米の砲弾は一つずつコールタールで防湿したクラフト紙の円筒に入っているが、日本製は一つずつ薄い四角の罐に入ったものが四発ずつ分厚い木箱に釘付けで荒縄がかかっている。陸軍は世界最高の発射速度の砲(九六式十五榴)を造ったが、実戦ではやっかいものだった。集積所から砲側まで砲弾を運ぶのが間に合わない。

    ・過去の日本は自らの描いたシナリオによって自ら破滅した。興味深い事にこれと同じ表現が赤軍派の永田洋子への表現に使われていた。自己の持つ未知の未来への不安を社会に拡散して解消しようと言う一つの逃避は、確かに何かを演じつつ破滅する道であろう。人はいかにしてこの道を逃れてリアルでありうるか。

  • " N軍曹はノモンハンの生き残り、俗にいう「十年兵の古狸」で、司令部でも「顔」らしく、いつも最新の”情報”をもっていた。" p.126

    "「狂う」! 狂うとは何であろうか。私は、不幸な分裂症の女性と隣り合わせで育ったので、その初期の一特徴を知っている――それは自己の「見方」の絶対化・神聖化であり、見方の違う者は排除し、自分の見方に同調する者としか口をきかなくなる、という状態である。そして自分の「見方」にだけ従って、あらゆる問題を片づける。" p.130

    "員数中隊の員数砲弾で員数砲撃をして員数報告を書くことにした。" p.144

    "死が、歩一歩と徐々に静かに確実に迫ってくるとき、「審判の時を刻む」というあの言葉にも似て、刻一刻「スティルリブ、スティルリブ、スティルリブ……」とそこへ至る時を刻む。死が近づいてくるといま書いたが、本当の感じはそうでない。むしろ時が「スティルリブ、スティルリブ、スティルリブ……」と言いつつ、自分を死の方へ押しやって行く。その感じは絶対に、死という特別な何かが近寄ってくる感じとは違う。殺す者が近寄ってくるというのは、「見ている者」の感じであって、「時」によってそこへ押しやられ、運ばれていく者の感じではない。このことに関する文学的描写は、私は、その殆どすべてが真実ではないと思っている。" p.254

    "馴れというのは変なもので、われわれはその鼻先で飯をたいているのである。夜中に崖を下りてパラナン川で水をくみ、少し後方の賄賂の凹所に捨ててある砲弾をもってくる。山砲弾の弾体と薬筒の接続部を膝にあて、まわしながらぐいぐいと両端を押すと、弾体は薬筒からスポリと抜ける。薬筒の中には無縁の黄色火薬が入っているが、これはちょうど、幅一センチ、長さ四十センチほどの、半透明のセルロイド状のもので、絶好のたきつけになる。一端を火縄につけるとジュッジューッという音とともに燃え、砲弾一発で飯盒一杯の飯がたける。ただ夜中は火光がもれて危険、無煙だから昼間の方が安全なので、敵戦車が行動を起こすとこちらは飯をたきはじめるという妙なことになった。" p.261

    "「星の数よりメンコ(食器)の数」" p.299


    読むきっかけは、以下のブログ記事による。
    https://char-blog.hatenadiary.org/entry/20111030/1319991831


    員数という言葉あるいは概念を初めて知ったのはいつのことだろう。「大日本帝国軍人ならば制服に身体を合わせろ」的なことを、漫画で見知ったのがそうかもしれない。だとすると水木しげるか『はだしのゲン』か。『EGコンバット』ではギャグめいて面白おかしく書かれていおり、存分に楽しんだが、現実にありえると想像できれば、張り付いたのは乾いた笑みだった。おそらくだが、秋山瑞人氏も本書を読んでいる。

    員数という言葉は、本書で重要な位置を占める言葉の一つである。「すべて欠、欠、欠……。」という章題に象徴的に示されているように、大日本帝国の軍隊には何もかも足りていなかった。教練を受けた場所では大隊のはずなのに二個中隊分の人員しかいなかったのに、そのくせ建物の体裁だけは整えて、「大隊、ただし欠」みたいな言い繕いをしていたという。食料などは現地調達を命じられて奴隷船もかくやというすし詰め状態で戦地に送り出されたのだそうだ。『ムッソリーニ 一イタリア人の物語』でヘタリア呼ばわりしたことを謝罪せねばならない。大日本帝国も大概だと知っていた気になっていたが、かなり上を行っていた。

    とはいえ、笑い話や他人事ではない。
    現代日本のエリート官僚らは、現場を知らずにつくった、運用困難な実装を押し付けることはよく知られている。狭い道路に「ここは自転車のスペースです」という線が書かれたならば、車両が車道で自転車に道を譲ることがある日突然正義となる。現代版「軍服に身体を合わせる」系ルール。
    現代日本の商業的エリートがコロナ禍でデフォルトとなったマスクを嫌う理由に透けて見える我儘、効率的科学的手法を嫌い俺ルールを通したのと似たような事例が描かれている。

    p.155 私物命令という言葉があったそうな。参謀は命令する立場にないが、上司が参謀の言いなりになるようなケースは珍しくなかったようだ。だとしても辻政信はゴミクズだと再認識した。

    大日本帝国の軍隊が占領しようとやっきになっていたのは大日本帝国だという指摘は衝撃的で、そうと思えば、さまざまな疑問にいちおうの解決がつくような気にさせられる。

  • 「統帥権はなぜ独立したのか」
    https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51882708.html

  • 2025/01/19「一下級将校の見た帝国陸軍」
    「日本人論」のはしりで、社会的インパクト大きかった。成功体験を肯定し過ぎて、環境変化に対応できなくなる。戦前の軍事大国も、戦後の経済大国も同じ。
    「パラダイム」が信仰になってしまい、客観視できない。客観視する者は村八分される。
    良くも悪くも「運命共同体」
    ①組織の自転 大局・戦略なく日常業務に埋没
    ②員数主義 形式的・数合わせ
    本書は必読・要再読。

    2016/12/20
    「自転する組織」日本組織のキーワード
    あらゆる組織は無意味・無目的の『自転』をはじめ、
    その自転が無意味でないことを自己に納得させるため、
    虚構の世界に入ってしまう。

    形式化した軍隊では『実質よりも員数、員数さえあえば後はどうでも』という思想が
    上下を通じて徹底していた。
    自転する組織の上に乗った、「不可能命令とそれに対する員数報告」で構成される『虚構の世界』を事実としたからである。

    実質は問わない 
    組織の内実が目的に対する合理的なものか否かは、考えていなかった
    いわば将棋の駒をいかに動かすかは考えても、駒の質を根本から変えて別の機能を付与して新事態に対処しようとは、夢想だにしなかった

    総合戦略・計画がない あっても机上のもの
    そもそも全体を統制する「キャリア」と実務を采配する「ノンキャリア」は交わらない
    一切が相手の出方への反射的対応で、総合的計画性はない

    連隊の自転する組織の中で日常業務に埋没していれば、その機構の永久存続を信じる

  • 衝撃を受けました。

    目前の仲間うちの摩擦を避けること
    奇妙な「気魄」でものごとを解決できると思うこと
    「言いまくり型私物命令」を出す人間が組織を牛耳ること

    これの克服ができなければ、
    「日本全体が第二の帝国陸軍となる」とされています。
    50年前に書かれた本ですが、現代日本の病巣を正確に表しています。
    第二次世界大戦での敗戦から何も学ばず、同じことを繰り返して衰退の一途を辿る日本。そろそろ考え直したほうが良いと思いますが、考え直すことが大の苦手な国民性からしてもう救いようは無く、ひたすら衰退をし続けることでしょう。

  • 当事者だからかける事を淡々と、だけど臨場感を持って、かつ納得感が感じられる内容で書かれている。今の日本の社会にも旧陸軍の悪弊がどこか残ってないか?

  • "大に事える主義"◆すべて欠、欠、欠……。◆だれも知らぬ対米戦闘法◆地獄の輸送船生活◆石の雨と花の雨と◆現地を知らぬ帝国陸軍◆死の行進について◆みずからを片づけた日本軍◆一、軍人は員数を尊ぶべし◆私物命令・気魄という名の演技◆「オンリ・ペッペル・ナット・マネー」◆参謀のシナリオと演技の跡◆最後の戦闘に残る悔い◆死のリフレイン◆組織と自殺◆still live, スティルリブ、スティルリブ……◆敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち◆言葉と秩序と暴力◆統帥権・戦費・実力者◆組織の名誉と信義

    著者:山本七平(1921-1991、東京)[青山学院卒]作家

  • 員数主義、気魄といった文化は、今の日本にも持ちこされている気がする。だいぶ薄まってきた気はするけど…。フィリピンでの軍の生活は本当に悲惨。やっぱり戦争はいかん。

  • 「空気の研究」よりもこちら

  • <目次>
    “大に事える主義”
    すべて欠、欠、欠・・・・。
    だれも知らぬ対米戦闘法
    地獄の輸送船生活
    石の雨と花の雨と
    現地を知らぬ帝国陸軍
    死の行進について
    みずからを片づけた日本軍
    一、軍人は員数を尊ぶべし
    私物命令・気魄という名の演技
    「オンリ・ペッペル・ナット・マネー」
    参謀のシナリオと演技の跡
    最後の戦闘に残る悔い
    死のリフレイン
    組織と自殺
    still live, スティルリブ、スティルリブ・・・
    敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち
    言葉と秩序と暴力
    統帥権・戦費・実力者
    組織の名誉と信義
    あとがき

    2013.12.29 池田信夫blogで見つける。
    2014.02.12 借りる
    2014.03.03 読了
    2014.03.13 ブログ
    https://naokis.doorblog.jp/archives/imperial_army.html
    2022.12.21 品川読書会で話題にする。

  • 運命を達観した大学生が学徒出陣し、死線を乗り越え、捕虜生活までの「体験談」と「現代での分析や振り返り」を随所に織り込んだエッセイ以上で論文未満の名作。

    読み終えた2017年夏現在、
    著者が実経験から、後輩たる我々日本人や(企業)組織に対し、警鐘した「戦略欠陥の克服」や「問題提起する義務」に対して真摯に向き合っているか?と思うと、悩んでしまう作品。

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著者プロフィール

1921年、東京都に生まれる。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。
著書には『「空気」の研究』(文藝春秋)、『帝王学』(日本経済新聞社)、『論語の読み方』(祥伝社)、『なぜ日本は変われないのか』『日本人には何が欠けているのか』『日本はなぜ外交で負けるのか』『戦争責任と靖国問題』(以上、さくら舎)などがある。

「2020年 『日本型組織 存続の条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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