「常識」の研究 (文春文庫 306-6)

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167306069

作品紹介・あらすじ

日本の戦前・戦後を通じていえることは「権威は消えたが常識は残った」である。常識つまり生活の行動規範とそれを基とした事象への判断を取り上げ、国際化時代の考え方を説く。

感想・レビュー・書評

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  • おもしろかった。

    山本七平氏は、本書の冒頭にて、「常識」を以下のように位置づける

    ・「常識」とは、簡単にいえばわれわれの日常生活の行動規範であり、同時にそれに基づく判断の基準です。
    ・「常識」に関する限り、戦前も戦後も大差はない。
    ・戦前戦後を通じていえることは、「権威は消えたが常識は残った」であり、これあるがゆえに日本が維持されていることを思えば、この「常識」は決して軽視すべきものでない。と同時に、それは、「落とし穴」があることもまた事実なのです。

    すなわち、戦前戦後を通じて、かわることがない、行動規範であり、判断の基準になっているものを「常識」と定義づけているのです。

    構成としては、オムニバス方式にて、項目が並列に並べられていて、一見一貫性がないように感じるが、冒頭のこの「常識」が本書を貫くテーマなのです。

    「常識」とは、古来から受け継いでいる日本人の感情に基づくものであり、論理ではないのです。

    気になったことは以下になります。

    ・一つの思想が一つの革新的体制を創設しても、それが徐々に伝統に戻りかつ風土にどうかしていく大変に面白い現象がみられる。これはある意味では、戦後の日本にもみられる現象だが、子細にみればやはり違う一面がある。
    ・その生き方が正統とされることは伝統盲従への逆行を防ぎ、同時に伝統と正統思想の双方から、次の時代を指導する新しい思想を模索しかつ創出しうるという点は見逃し得ない。そして、日本において、きわめてむずかしいのが、この「思想の創出」という点であろう。

    ・内政の時代:西欧の合理主義の直輸入は、その地では必ずしも合理性を持ちえない。

    ・戦争は長い間ロマンであり、賛美の対象であり、たとえそれが悲劇であるにせよ、否定すべき醜悪の対象ではなかった。
    ・革命といえば無条件で賛美された「革命のロマン」の時代も長かった。一時代すぎて、革命に関する記事や文学を読めば、それはおそらく、いま半世紀ほど前の戦争の記事や戦争文学を読むと同様に奇妙な感じを受けるだろう。
    ・革命そのものが、ロマンの有無とは無関係に、その国の国内にも国際社会にも大きな影響を与えることは否定できない。

    ・多くの人は、自然の破壊とか巨大産業とか機械文明とかに危惧をもっており、自然を尊重し、自然に順応すべきと説く人はけっしてすくなくない。
    ・しかし、自然を尊重せよというなら、まず最初は尊重すべきことはそれだということを忘れているように思われる。アメリカ人が、社会を良くしよう良くしようと努力してきたことは、ことによったら、「人間の内なる自然」の破壊だったのではないか。
    ・それは、ひたすら富める社会を造ってすべてを充足しようとしたことが、外なる自然を破壊して行ったこのと同じことではなかったかと、ふとそんな気もしたのである。

    ・人間が一面において、強い「感情的動物」であることは否定できない。そして多くの場合の「感情」は必ずしもすっきりと割り切れるものでなく、愛憎両端とも言うべき複雑な様相を呈するのが普通である。
    ・アクシュビッツを案内してくれたリーマ教授は即座にいった。「これは戦争ではないのだ」。その意味は、「ホロコースト」をみるとよくわかる。自分を保護してくれるはずの自国が、それに忠誠を表明している自分を殺していくという状態なのである。

    ・ところが困ったことに、日本には、「世界の大勢」とか「歴史の流れ」とかいった言葉に非常に弱い人々もいるということである。従って、ごく簡単な数字や、スイスのような事例を伏せて、いまでは原子力反対が「世界の大勢」で、「歴史の流れ」であるかのような錯覚を与え得れば、その錯覚を安直に事実と誤認し、理由なき決断を下してしまうという点である。

    ・イスラエルに来ている間、日本の新聞雑誌は全然読まず、テレビ・ラジオからも絶縁されていると日本における「マスコミ」とは何かという問題を感じざるを得ない。
    ・日本語はたしかに、鎖国の言葉である。日本の新聞が中東問題をどのように奉じようとも、それは現地には何の影響も及ぼさないし、現地においてこれは本当におおきな問題だなと思われることもない。

    ・或る人が共産主義者になることも、またその人が共産主義者であることをやめることも、本人の思想信条の自由であって、第三者が容喙すべことではない。
    ・通常、転向者は変節者と言われるが、本人がそれまでに信じていた主義が本当に信じられなくなってこれを捨てたのなら、厳密にいえばそれは変節ではない。
    ・一方、一つの主義を生涯保持していたものは変節者とはいわれないが、もしその本人が内心ではすでにその主義を信じていないのに、対外的配慮や自己の社会的地位への考慮から信じている振りをつづけているのなら、その人間こそ真の変節者である。

    ・われわれには違和感を感じる記述・統計・報告などをなかなか受けつけない体質がある。
    ・情報は、自己の感触と違うものほど価値がある

    ・たとえば、キリスト教のような一つの事柄について、なんとなくスラスラ読めて、なんとなくわかったような気持ちになるが、その語彙を1つ1つ取り上げ検討していくと、結局何一つその文章から理解も把握もできないことが明らかになっていく。
    ・自分が現に知っている項目を取り出して、やってごらんになるとよい。こんなひどいものかと、しばしあきれて口がきけなくなるである。
    ・そうなってあたりまえである。ドイツの子供にわずか、70字で仏教を理解させようとしても不可能なように、日本の子供に70字でキリスト教を理解させることは不可能である。

    ・徳川時代には手習いの教本に「貞永式目」を使っている。文字を覚えつつ同時に法や社会的規範を覚えてしまうことは、実に能率的な立派な教育であろう
    ・社会科というならキリスト教への「一知半解」を教えるより、徳川時代のような教育方法をとるべきではないか

    ・多くの人にとって、その人がそれによって生きる思想は、「革命の思想」よりむしろ、「秩序の思想」であることを示しており、このことは基本的には今後も変化はないと思う。

    ・戦場でしばしばいわれもし、自らも体験したことだが、敵中を突破して危うく危機を脱してきた斥候の報告や、あろうじて敵を撃退して帰投した前哨の報告は、信頼できないものが多いのである。

    ・「勧進帳」を政治劇と見るなら、おそらく世界に類例のない政治劇である。いうまでもなくこの劇は、観客も登場人物もそこにいるのが義経であることを知りながら、すべての人が「虚構の対話」を繰り返すことの中に、一種の真実を見出して、観客が感動する劇である。

    ・「戦略核ミサイル潜水艦は入港していないが、米国はそれができる。完全によろしい」、ライシャワー氏は日本政府は事実をもう率直に認めるべき時であると語った。この方式は、すなわち「勧進帳方式」であるこれは日本人の伝統的な方式だから、それがすぐになくなるとも思えないし、ほかに有効な新方式があるわけでもないだろう。

    ・もちろん伝統的「勧進帳方式」をすべて捨て去ることは不可能であり、それは、無用の混乱を生じるだけであろうが、しかし、政府にも徐々なる転換があってもよいのではないかとおもう。

    目次

    はしがき
    1 国際社会への眼
    2 世論と新聞
    3 常識の落とし穴
    4 倫理的規範のゆくえ
    5 島国の政治文化


    ISBN:9784167306069
    出版社:文藝春秋
    判型:文庫
    ページ数:256ページ
    定価:476円(本体)
    発行年月日:1987年12月10日第1刷

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    この本は約30年前に書かれているが、この本に書かれている内容は現在においても十分に通じる内容となっている。
    2つの異なる諸問題を1つの問題として捉え、一方を解決することでもう一方を解決可能だと捉えることや、新聞が諸外国と異なり支持政党がないために具体的な政策論争が行われないということ、新聞の誤報によって発生した事態に対する責任が果たされていないことなどなかなか面白い内容だった。
    特に無機水銀で水俣病になるという誤報による日本化学工業への影響は知らなかった。

  • ――――――――――――――――――――――――――――――○
    同じような状態は中東だけではなくインドシナ半島にも現れていると思うが、これらはすべて「わからなくなった」のでなく「わかっている」という錯覚が維持できなくなったということである。102

    ベギン内閣の新聞評はいまさら記す必要はないが、このベギンが「宗教的信条に基づく女性の良心的徴兵拒否を認める法案」を提出し、進歩派の労働党が絶対反対を表明、閣内にも反対者がいて内閣は大揺れにゆれ崩壊寸前に立ち至ったとなると、これも「わからなくなった」の部類に入るであろう。103
    ――――――――――――――――――――――――――――――○

  • 山本七平の本としては切れ味が悪い言論だが以下の2点は勉強になった。

    日本人はその場その場での感情の充足のみを目指して行動し、その目的を達すると正義の実現として満足し、それで問題が解決したように誤認して、すぐに忘れてしまうという状態を生み出している、ということ。

    半ば強引に短くまとめただけの社会科教科書で学ぶことが、自分が無知であるとの認識を抱かせず、知識を獲得したと錯覚する「知らざるに劣る人間」を大量生産している、ということ。

    他には国家の防衛について4原則としてまとまっている(大方の内容自体はほかの本で既出だとおもう)のがこの本の売りか。

  • イラン・イラク戦争のこととか出てきてますので、時代としてな1980年代前半。
    30年たっても色あせてる気がしないのは、日本の「常識」は変わっていないってことなのかも。
    国を統治する「権威」が変わっても。
    マスコミのあり方も、1980年代と変わらないのですね。

  • キブツの話を初めて知った。資本主義が行き詰まっているように思える現在、かなり興味深かった。

  •   ”「常識」の研究”と銘打っている本であるから、「常識」と言われる事柄、若しくは「常識」についていろいろ検討を加えたものであろうかと想像するかもしれないがそうではない。いや、間接的にはそうなっているのかもしれないが少なくとも直接的ではない。本書の構成は、著者が見聞きした事柄や概念(数十項目)について気付いた事や疑問に思った事を各数ページに纏めて論述した短編コラム集となっている。ただ、それに対する著者なりの回答が付されているとは限らない。問題提起の形で終わるものや部分的回答に留まるものもある。各コラムの内容が所謂「常識」とされている(と思われる)事柄に対して疑問符を付けるような立ち位置になっている事、回答に至っているとは限らない事から”「常識」の研究”と称されるのだと理解した。

     以下に本書で取り上げられた項目の中から数点を抜粋し、著者が何に対して疑問をもち、どのように解釈したかの事例を取り上げてみたい。

     ①「国際感覚のズレ」

      ズレていることを体験から感じた後、著者はその原因を探し、それらしき事柄を指摘する。日本において海外情報は溢れるほど流通しており、それを利用すればしばしば世界中のあらゆる事柄が了解できたように理解(錯覚)できる。しかし、その情報の実態は世界それぞれの地域の文化・歴史・風俗・気候・政治的背景等多くの情報を背景知識にもってはじめて了解できる事項であるにもかかわらず、それらを割愛し、日本のマスコミ自身がその地域の情報に乏しい日本人に了解できるように咀嚼、場合によってはマスコミ自身も多分に誤解した状態での咀嚼を行った上で日本国内に紹介した結果、もはや現地の実情とかけ離れた国内ニュースと化していることに起因すると分析している。

     ②「なるなる論」

      「大学には火事になっても消防士を入れてはならない」。なんだこれ? 事の発端は「学問の自由」を至上とすることが前提にあって、それをある一定の論理で展開したらこう”なる”のである。どのような論理であろうか?「火事になると消防士を大学にいれてよい」(となるとこうなる)「紛争の時には機動隊を入れてよい」(となるとこうなる)「小さな紛争のうちに警察をいれたほうがよい」(となるとこうなる)「学問の自由が侵される!」よって、最初の命題になるのである。ここで紹介した(となるとこうなる)的接続方法による思考が「なるなる論」である。この論法の欠点は「する」がない。その結果人は何もすることが出来なくなることを著者は指摘している。冒頭のような結論にならないためには途中で「する」すなわち火事になったら消防士は当然入れるべきだが、学問の自由が侵されそうになったら、そうならないように”する”態度があれば適切な対応が臨機応変になされるはずなのである。著者は大学の問題だけではなく、この論法に陥っている問題が社会のあちこちに散見されることをも指摘し、これを紹介したことを告げている。
    さしあたって、この論法に拘泥する典型例が左翼やマスコミの論法(防衛論等)に多いことは察しがつくであろう。

     ③「教科書批判」

      「イエスは、ユダヤ教のせまい考え方を乗りこえ、身分や民族の差別なく、信じるものは誰でも救われるとする教えを説いた。これがキリスト教である。」これはある中学の社会科教科書からの抜粋である。一見どうってことないようであるが、実はこの文章は何も説明していないと著者は指摘する。「せまい考え方」って何よ?「乗り越える」って具体的には?「信じる」ってホトケ様でもOKなんかな?「救われる」って具体的にどのような状況よ?「身分や民族の差別なく」って、それらの典拠はどこに?・・・何もわからない文章であることがわかる。著者はこのように得た「知識」は一見無知よりもいいように見えるが実はまったくの無知より始末が悪いことを指摘する。無知であれば知らないことを自覚できているわけであるが、一端このような理解した錯覚を覚える知識を得ると無知であることが自覚できなくなるからである。


     本書は30年近く前に著された文章であるにもかかわらず、今現在に通じる内容も少なくない。ただ、著者の主観に拠るところも多いので、読者によっては「社会問題、政治経済問題の分析?」「これは時事問題の考察?」等々、一見「常識」を背景に考慮して論述したコラムではないのではないかと思われるコラムもある(分析や考察がすなわち「常識」に対する検討であると考えることは不可能ではないと言えばそれまでだが)。意識・無意識のうちに「常識」になっている(とされている)事柄について改めて考える機会とするには手頃な書物ではなかろうか。(「常識」と言われる概念そのものズバリを深く考究したいと願う読者にとってはやや的が外れる内容かもしれない)

  • 日本の常識・世界の非常識。
    常識に対する日本人論。

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著者プロフィール

1921年、東京都に生まれる。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。
著書には『「空気」の研究』(文藝春秋)、『帝王学』(日本経済新聞社)、『論語の読み方』(祥伝社)、『なぜ日本は変われないのか』『日本人には何が欠けているのか』『日本はなぜ外交で負けるのか』『戦争責任と靖国問題』(以上、さくら舎)などがある。

「2020年 『日本型組織 存続の条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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