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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784167306113
感想・レビュー・書評
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扉には、「目からウロコが落ちる本」とある。
根拠のない前提がいつのまにか「常識」となって、人々の考えを拘束すると、社会の通念に従って行動しているつもりが、結果としてとんでもない非常識になる。
常識のウソを根本からひっくり返した山本七平式考えるヒント、77選
気になったのは、以下です。
・戦争の原因とは何か:戦争を決意しての行為ではなく、当事者としては、すべて以外な結果を招いたことであろう。戦争の原因とは、支配者が戦争を決意する原因は、次のような場合だとしばしばいわれてきた。①国民の不満を外にそらす、②その不満は不況より生じ不況は生産過剰から生ずるから戦争でこれを解消する、③したがって資本主義の存在するかぎり戦争はなくならない、と。
・戦争は好景気を生む。これはいわば常識であり、実感であった。いまは、世界中が不況である。しかし、そのような言葉は日本ではもちろん、世界のいずれの国でも聞かれなくなった。
・過去における独裁者の「電撃的改革」なるものがみな「見せかけ」にすぎず、向上とは一見遅いようでも地道な積み上げでしか達成できないこと、同時にそれができる体制が必要なこと
・理解することは、確かに大変むずかしい。知識がないと現にそれを目にしてながら、何も理解できない場合もけっして少なくない。
・納得のいかないことはあくまでも質問をし、追求の手をゆるめない。そこにはあくまでも、正確に要約しようとした跡がありありと見える。
・日本人にはどこかに、アメリカを低く見、アメリカの失敗を期待したがる心理があるらしい、これを大きく「反米感情」と定義すると、面白いことに、これだけは、戦前戦後を一貫して存在している。
・戦場における武器の消耗はものすごい。この際、命の綱は「部品の補給」である、それがないと、巨大な砲も、戦車も、戦闘機もスクラップにすぎない。
・死守すべき一線型思考:ある一線を越えたら大変だ。この一線を越えればずるずると滅亡の淵に引きずりこまれる。それゆえ何としてもこの一線を死守せねばならないという面白い政治的発想が日本人にはある。そして、一時代が過ぎると、あのときなぜあのように、「断固この一線を死守せよ」といったのかだれもその理由がわからなくなる。
・歴史は飛躍しない。そのことを無視すると大変な結果になることがある。だが私は、別に「非武装中立論」なるものに心配はしていない。というのは、それは、口にしている本人も、明確に具体的イメージをもたないもの、つまり「空論」であり、そのことは本人も知っているからである。
・鈴木元首相は、「何もしなかった」という批評がある。しかし、「何もしなかった」ことが最大の功績である歴史の一時期もまた存在する。
・腕力ではかなわないので、頭脳、すなわちインテリジェンス(情報)で自衛する。という言葉が興味深く、この言葉こそ、日本のような国に必要とおもったので、その旨を述べたところ、その言葉が宣伝文に使われることになった。つくづく、「防衛の基本は情報である」と思わざるを得ない。
・固定観念や希望的観測がどのように危険なものであるかがよくわかる。情報が自分の予想する方向と違う方を指し示している時、人間は往々にして、自分の好む方に情報を取捨選択したり、判断したりする。
・人間に最も強く教えるものは、やはり、「経験」であろう。
・一度の愚行は許されるが、二度の愚行は許されない
・人間の欲望とは不満とかいうものは際限がない
・旧約聖書は徹底したリアリズムで貫かれているが、その中の教育書というべき、箴言には次の言葉がある。「神を恐れることは知識のはじめである」。いわば恐れすなわち恐怖が知識のはじめである。
・日本は長い間、外交の必要のない国であり、外交は国の存亡にかかわる、外交感覚なき国民は亡ぶ、といった感覚が伝統的に極めて薄い国だからである。
・日本人は外国にどう思われているかを常に気にするといわれる。だが気にしている割に、各国のアンケート調査とそのような結果はあまり広く知られていない。
・日本は、教義(ドクマ)なき国なので、「政治倫理」という「空気」ができてしまうと、それが万能になってしまう。
・法の前に人は平等、だが、倫理は必ずしもそうでない。いわば職業的泥棒が泥棒をすることと、聖職者が泥棒をすることを人は同じと見ない。もちろん法的には、ともに、平等に罰せらえるであろうし、そうあるべきだが、倫理的糾弾は聖職者のほうがはるかに強く受けるであろう。
・葬儀参列などの宗教的儀礼への出席について:原則は一般的儀礼は厳守するが、自己および相手の宗教的儀礼は行わないことである。簡単にいえば、死者への非礼と他宗教への非礼は絶対に行ってはならないが、他宗教の宗教的儀礼も行ってはならないということ。信徒でないのに、その宗教行為をすることは、仏教徒がアーメンというのと同じで、非礼ないし、愚弄とさえ受けとられる。
・転向という考え方:日本では、20代にマルクスにかぶれない人間は馬鹿だが、40過ぎでもかぶれている人間はもっと馬鹿であるという言葉があった。ところが、欧米人にとって思想とは決して年齢によって自動的に類型的変化をするものでなく、その人が社会主義者であったら生涯社会主義者であるし、その人が共産主義者であったら生涯共産主義者であって当然なのである、。
・日本人にも、生と死の哲学はあった。ところが戦後、それをどこかに置き忘れてしまった。
・すべての点に言えることと思うが、一つの技術が発展していくには必ず一定の段階を踏んでいくものであり、飛躍はありえない。
目次
はしがき
1 国際社会をみる眼
2 時代を読む
3 教育改革への模索
4 報道と世論
5 日本人の神話
6 未来への構図
ISBN:9784167306113
。出版社:文藝春秋
。判型:文庫
。ページ数:288ページ
。定価:438円(本体)
。発行年月日:1994年01月10日第1刷詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大正生まれの筆者が昭和61年頃に書いたエッセイ集のようなもの。それぞれテーマを持って77つの題材について論じている。時はバブル経済に差し掛かった頃だろうが、浮かれる様子はなく、当時起こっていた事象を短くも端的に背景まで追いかけている。
「常識を疑う」「考え方を変える」。閉塞状況を打ち破るときにトップかよく使う言葉だが、下から上がってきた「非常識な」考え方を許容している人間が果たしてどれくらいいるか、を考えながら読んだ。人間誰しも成功も失敗もあり、それは歳を重ねるほど、地位が上がるほど「経験値」という名のもとに権威化されていく。
目の前の事象に狼狽えることなく背景を理解する大切さと同時に、自分と異なる考え方をどう受け止めるか。いつの時代にも問われる永遠のテーマだ。 -
現代に積み残された問題も提起されている。
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stay homeな本棚で目に留まった。非常識な時なので25年ぶり(?)に読んでみた。1980年代の日本について国際社会、教育、報道などの観点から述べられている。「負い目の裏目」「法は大信、言は喜怒」「教育とは自己抑制を教えること」など、時代を超えた名言の数々。「空気」の研究で有名な七平さん。こんな教養ある文筆家が今いるんだろうか?と思いながら読み進めた。
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「底流的反米感情なしにアメリカを見る」という方法を確立しておかないと、今後とも、さまざまな点で予測を誤るであろう。49
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この「継続しているものは何か」を正しく据えることが、政治の出発点ではないかと思う。84
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"定説"を信ずることは、日本の敗北の第一歩かも知れぬ。191
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未読
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