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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784167309794
作品紹介・あらすじ
人を殺すということ、失った戦友、帰還の後の日々——ヴェトナム戦争で若者が見たものとは? 胸の内に「戦争」を抱えたすべての人に贈る真実の物語。鮮烈な短篇作品二十二篇収録。
みんなの感想まとめ
戦争の現実を淡々と描いた本書は、戦場の日常や兵士たちの和やかな瞬間を通じて、戦争の複雑な側面を浮き彫りにします。著者は、悲劇や暴力を強調するのではなく、記憶の曖昧さや瞬間の連続性を文学として表現してい...
感想・レビュー・書評
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村上春樹の訳書ということでミーハーな動機で読み始める。で、戦争ものなので、浮ついた気持ちで読んでズシンと喰らったみたいなフラグ本かというと、意外とそうでもない。本書を読んで不思議な感覚を覚えたのは、恐らく「悲劇」や「暴力」、「残酷さ」みたいな戦争の負の側面を強調しようと書かれたものではなく、何気ない戦場の日常を綴った内容だと感じたからだ。勿論そういう側面もある。だが、この短編の多数では、拍子抜けするような戦士たちの和やかな日常も切り抜かれている。
こういう方がリアルなのだろうな、と思った。
少し変わった本だ。日記かと錯覚してしまう所もあった。物語が何度も語り直され、ある話は別の話で少し違う形で現れる。確かに本当の戦争の話は、こんな風に語られる方が真実っぽい気もする。強い印象や緊張の中で時系列が前後するのが戦場なのかもしれない。正確な日々を順序だてて記憶している方が不自然ではないか。
出来事は現実に起きたとしても、語られた瞬間にすでに物語になる。記憶は編集され、強調され、あるいは嘘(主観)を混ぜながら残る。戦争体験という極限の記憶ほど、その曖昧さが露わになったりその強度によって入れ替わったりしても不自然ではない。
著者がそうしたレトリックを含んで書き上げたのかは分からないが。だが、面白いのは短編集だが、一編一編の尺も全然違う。3ページほどで終わるような物語もある。これぞ。恐らく私の都合の良いこじつけだが、記憶の強度を表現したようにも思えたというわけだ。
戦争とは瞬間の連続。その瞬間を、あとから繋げて言葉にしようとする行為こそが文学だとして、その間には、さらに印象による入れ替わりや混乱が生じるものだ。あまり、村上春樹っぽくはなかった。というか、それを味わわなくても十分に読み応えがあった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「これは作り話だ。でも本当の話だ。」ずっしりと重い読後感。映像ではなく文字で語られるからこそ、脳裏に絵が浮かぶ経験ができたのだと感じます。
戦争に関わる本として、誰もが一度は読んでおくべき本だと思いました。
どうしても戦争の話は大昔の歴史の一コマと感じられてしまい、自分から遠い過去の話と捉えられるのが残念ながら現実です。若者にぜひ本書を読んで欲しいです。第二次世界大戦を描いた小説より、わずかでもベトナム戦争を描いたティム・オブライエンの語りのほうがリアリティを感じられるのではないかと思います。 -
コロナで隔離生活をしていて読み直し始めると、面白くてやめられなくなって、ちょうどよかった。
やっぱり傑作だと再確認した。マア、ぼくの好みだということかもしれないけど。 -
ベトナム戦争禍のノンフィクションのようなフィクション。隊長ですら20代前半の戦争で、兵士たちは何を思う。
この本を読み終わるとき、奇遇にもベトナムの空にいた。大きな河を眺めながら、何人の市民たちがこの河を見ながら故郷を想っただろうと考えた。
『戦争は地獄だ。
でもそれは物事の半分も表わしてはいない。
何故なら戦争というものは同時に謎であり恐怖であり冒険であり勇気であり発見であり聖なることであり憐れみであり絶望であり憧れであり愛であるからだ。
戦争は汚らしいことであり、戦争は喜びである。
戦争はスリリングであり、戦争はうんざりするほど骨の折れることである。
戦争は君を大人に変え、戦争は君を死者に変える。』 -
村上春樹さんが翻訳したティム・オブライエンの作品。久しぶりに読み直してみると、やはりガツンとくる作品にあらためて感激しました。翻訳も素晴らしいですね!
語り手オブライエンがみせるベトナム戦争。徴兵通知を受け取り、否応なく戦場に送り込まれようとする若者の苦悩からはじまり、前線の歩兵として仲間たちと生死をともにしていく……そこには戦争の謎、恐怖、冒険、勇気、発見、愚劣さ、憐み、絶望、憧れ、友愛……その場に投げ込まれた人間の内面に生じる様々な心象が凝縮しています。作者はそれらを淡々と愚直なまでに描いてみせます。
この作品は反戦物語ではありませんし、そのような評価もしていません。ただただ主人公とともに感じて欲しい、あたかもその場に居合わせたように眼前で起こることを凝視してほしい、戦争というものがどういうものなのかをともに体験してほしい……そういった作者の思いがひしひしと伝わってくる作品です。
クオリティの高い創作や力のある物語は、つねにある種の真実と並走しながらどこかの時点で重なり、溶け合い、化学反応を起こしてとてつもない感銘力を生みます。それがもはやフィクションなのかノンフィクションなのかを議論すること自体、ひどく無意味で空虚に感じられます。まさに物語の力というものを見せつけた渾身の作だと唸ってしまいます。
不思議なもので、その物語がたとえ切なく悲壮なものであったとしても、たとえ無骨で美文とは言えなくても、生(せい)の力のある物語が好きです。その物語から多大なエネルギーをもらうことができるから。お腹が一杯になって満たされる、まさに魂の糧! この作品はまたいつかきっと再読したい、それを密かに誓わせる物語の一つです。
『あることは実際に起こっていないかもしれない。でもそれは真実以上の真実でありうる。たとえばこういう話だ。4人の兵隊が道を歩いている。手榴弾が飛んでくる。一人がそれに飛びついて身をていして3人の仲間を救おうとする。でもそれは大量殺傷用大型手榴弾で、結局みんな死んでしまう。死ぬ前に一人がこう言う。「お前なんでまたあんなことしたんだ?」飛びついた男がこう言う。「一世一代ってやつだ、戦友」と。相手の男は微笑みかけたところで死んでしまう。
これは作り話だ。でも本当の話だ』 -
出張で行った大学の生協で平積みされていたので衝動的に手に取ってしまいました。フィクションということですが作者ティム・オブライエンのベトナム戦争の時の経験を元にした小説です。
ベトナム戦争の知識がなさすぎてネットで調べながら読み進めました。ベトナム戦争ってアメリカ軍が一方的に侵略して、アメリカ国内から批判を浴びて終結した戦争だと思っていましたが、アメリカ陣営が戦死者22万5000、北ベトナム・解放戦線側が戦死者97万6700と、やはり相対的には少ないものの、ティムの所属するアメリカ陣営も死と隣り合わせだったのだなということがわかりました。(アメリカが一方的に侵略してたのは別の戦争でしたかね。)
年端もいかない青年が信条に反し面目を保つため泣きながら戦地に赴き、そこで様々なものを背負い、帰還後20年もそのことを書き続ける様は、一言では表現できないものがありますね。
はじめは読みにくいけれど、頑張って読んだ甲斐はあったな。数年後また読みたくなりそう。
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一番最初に収録されている「兵士たちの荷物」を読んで、衝撃を受けました。まだ読み始めたばかりなのに、す、すごい、と思って震えがきました。それくらいすごいと思った。
行軍中、兵士たちがそれぞれに背負っている荷物を淡々と数えあげて描写しているだけ。それなのに、戦争というものの空しさ、悲しさ、滑稽さ、行き場のなさ、やりきれなさ、つらさ、バカバカしさ、そして、それが人の心や体をどこまで損なうか、についてまでも描き出している。あるいは、男たちが、極限の状況でどんな風にふるまうか、も。
本当にビックリしました。まったく、世界にはすごい作家がいっぱいいるなぁ、と。
正直に言って、翻訳家としての村上春樹さんはあんまり好きじゃないです。カタカナ語の選び方が嫌いでしょうがない。
たとえば、日本語ですっかり浸透しているローン・レンジャーを敢えて原語の発音に忠実にローン・レインジャーと記載したり(そのくせ、「ナイーヴ」という言葉は本来の意味じゃなくて日本語的な意味で使っている)、オブセッションやステンレス・スティールとかはカタカナ語にするくせに(もちろんどっちでもいいけど、私なら強迫観念、ステンレス鋼の方がしっくりくる)、ジンジャーブレッドはわざわざ「しょうがパン」と訳していたりする。(しょうがパンなんて、私は日常会話では聞いたことない。)
こういう小さいところで違和感を感じて、いらいらします。
でも、この本に出会えたのは、やっぱり翻訳家としての村上さんを通してだし、ありえない誤訳とか手抜きはしないだろうという絶大なる信頼感もあります。
しかしこの本には心をえぐられました。
収録されている作品、全部よかったな・・・
著者はおそらく、何か作品を書くたびに「これって本当の話?」と、周囲の人や読者から何度も質問されて、うんざりしてたんだろうな、と思いました。
実際にあったかどうかは問題じゃないんだ、本当の戦争というものが描かれているかどうかが大事なんだ、という心の叫びが聞こえるようでした。
去年ベトナムを旅した時、クチトンネルや旧大統領府などを見学しながら、「巻き込まれた人たちは(ベトコンだろうと、米兵だろうと、一般人だろうと)どんなに忍耐力を必要とされたことだろう、どんな極限におかれたのだろう」と想像して息苦しくなったものだけど、この本では、外側からじゃなく肉体の内側から彼らを見つめたという感じです。
現地を訪れた時に見たものが静止画だとしたら、この本で見えるのは3D動画(においや感触つき)という感じかな。
「あなたの作品を読むと、ほんとうの戦争がどういうものか少し分かるような気がする」と言うと、著者から「体験していない人間に分かるわけがない」なんて怒られそうだけど、でも、読んでいて、彼らの感情が目に見えるような気がしたのは本当です。 -
村上春樹訳ということで買ってみました。
著者はベトナム戦争に徴兵されて、そこで経験した戦争のリアルについてこの小説で語っています。
僕としてはほぼノンフィクションに近い内容として受け取りました。
短編小説で読みやすいです。
所持する武器の重さや、仲間たちがお守り代わりに所持しているいろんな物の話。
徴兵されるのが嫌でカナダまで逃げようとした話。
岩から音が聞こえてくるオカルトな話。
人を殺してしまった話。
幼馴染の9才の女の子が病死する話。
いろんな角度から戦争について書かれていて、とても良い小説でした。
他の作品も読んでみたいと思います。 -
ベトナム戦争に従軍した作者の、事実を元にしたフィクションかな?
これを読んで感じたのは、例えば日本は無理やり大義を信じこませて民衆を戦争に巻き込んだけど、そんな大義がなかったら、この本のアメリカ兵たちのように、日常と戦争の非日常の境目がわからなくなりそう。悲惨に書かれていないのがゾッとする。 -
読んでて辛くなった。
戦争は醜い。
戦争の事実を見せないのではなく、こんなに愚からしいことだと、行うことは無益なんだと伝えるべき本。
今も世界のどこかで民間人も含めて犠牲になっている。
兵隊だって人間。体も心も傷つくし、死ぬ。
どうして争いは無くならないのかな。
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ティム・オブライエン(1946年~)は、ミネソタ州生まれ、マカレスター大学政治学部を卒業後、徴兵で陸軍に入隊し、1969~70年にベトナム戦争に従軍した。除隊後、ハーバード大学大学院で学んだ後、ワシントン・ポストで働き、テキサス州立大学で教鞭をとったこともある。作品は一貫してベトナム戦争をテーマにしたもので、『カチアートを追跡して』で全米図書賞(1979年)を受賞。
本書は、1990年に発表された短編小説集『The Things They Carried』の全訳(翻訳は村上春樹)で、自身のベトナム戦争従軍体験に基づいて書かれた、若い米兵たちの物語22編が収められている。うち、大半の作品は「エスクァイア」をはじめとするアメリカの雑誌に随時掲載されたものだが、本短編集全体に統一感を与えるために、大幅な加筆修正が為されている。
私は、本書を暫く前に買って、長らく積読状態だったが、最近のウクライナやガザの戦闘の影響か、ふと本書を思い出し、読み始めた。因みに、購入した経緯を思い出すと、(10年近く前に)高倉健が亡くなったときに、彼が衝撃を受けた作品として『ディア・ハンター』が紹介されており、それを観たところ、やはり、様々な場面が数週間に亘って頭から離れないほどの衝撃を受け、ベトナム戦争では何が起こっていたのかをもっと知らねばならないと感じたことだったと思う。
本書の各編には、戦場の混沌と恐怖、勇気、罪悪感、喪失、正気と狂気などが、様々な角度から描かれているが、読み終えた今言えるのは、何とも表現し難い何物かが、頭の中、体の中に残り、一部を占有しているということである。
私は基本的には国際協調主義の立場を取るが、国益は守られなくてはならないとも考えている。
また、戦争は人間の行為の中で最も愚かなことの一つに違いないのだが、本作品に描かれている通り、実際の戦場で起こっていることは理屈ではない。
タイトル作『本当の戦争の話をしよう(How to Tell a True War Story)』には、次のように書かれている。
「本当の戦争の話というのは全然教訓的ではない。それは人間の徳性を良い方向に導かないし、高めもしない。かくあるべしという行動規範を示唆したりもしない。また人がそれまでやってきた行いをやめさせたりするようなこともない。もし教訓的に思える戦争の話があったら、それは信じないほうがいい。」、「戦争は地獄だ。でもそれは物事の半分も表してはいない。何故なら戦争というものは同時に謎であり恐怖であり冒険であり勇気であり発見であり聖なることであり憐れみであり絶望であり憧れであり愛であるからだ。戦争は汚らしいことであり、戦争は喜びである。戦争はスリリングであり、戦争はうんざりするほど骨の折れることである。戦争は君を大人に変え、戦争は君を死者に変える。」、「戦争において君は明確に物事を捉えるという感覚を、失っていく。そしてそれにつれて何が真実かという感覚そのものが失われていく。だからこう言ってしまっていいと思う。本当の戦争の話の中には絶対的真実というものはまず存在しないのだと。」
大岡昇平の『野火』に代表されるような日本の戦争文学とは異なるが(時代も違うが)、紛れもない戦争・戦地における真理を描いた作品として、一読の意味はあるだろう。
(2024年2月了) -
戦争に関連する手記・物語はいろいろ読みましたが、この本がとても心に残った理由は、戦うこと・大切なものを守ることを正当化しすぎず、人間の弱さや苦悩を包み隠さず表現しているところにあると思います。
どの登場人物も、おそろしいくらいに身近にいても不思議じゃないほどリアルに感じられて、物語ひとつひとつが衝撃でした。
この1年で読んだ本の中で、ダントツで最も読んでよかったと思う本です。 -
私が思っていた以上に、この本に対して多くのレビューが付いている。これほどまでに読まれているのは、ひとえに村上春樹訳だからなのだろうか?
しかし私にはよくわからない。私にとって村上春樹なんかどうでもいい。私がこの本を手に取ったきっかけは、都甲幸治先生がNHKのラジオ番組で紹介していたからだ。
そもそも私にとってベトナム戦争は遠いものだ。アメリカが全面的に軍事介入を始めたとされる1963年には私はまだ生まれていない。ほとんどの日本人にとって遠いはずのベトナム戦争に関する物語がこれほどまでに読まれる理由を、私なりに知りたかった。
でも裏を返せば、多くの日本人は、単に村上春樹へのミーハー心からこの本を手にしただけでしかなく、ベトナム戦争と人間たちといったテーマよりも、この本を買った(←必ずしも「読んだ」ではない)自分に満足したいだけじゃないの?と突きつけたい邪な心が私の中にあると言うほうが実情に合っている。
それにしても、ティム・オブライエンのベトナム戦争へのこだわり方は、中上健次が“路地”に徹底的にこだわったのと似ている。ティムの一連の作品が実話なのかフィクションなのかはこの際関係ない。重要なのは、かれの人生観にこれほどまでに食い込んだベトナム戦争というものの多面性だ。そこに人間存在の根源的なものが潜んでいるとすれば、中上が路地にそれを見出したように、ティムがベトナム戦争にこだわるのにも納得がいく。だが私の口からベトナム戦争に潜む多面性を説明するつもりはない。それを知りたければ、それこそティムの作品群を読むべき。
あとこれは本当に蛇足なのだけど、私がはじめてベトナム戦争を意識したのは、「巨人の星」のオズマに関するエピソードだと思っている。ドラゴンズに入団し星一徹のクレイジーな指導のもとで星飛雄馬と数々の名勝負をしたオズマの米帰国後のエピソード「かえってきたオズマ」「オズマの死」は強烈な内容だ。その話はこうだ-
-帰国後もカーディナルズで活躍するオズマ。野球で成功し結婚も意識しはじめたオズマのもとに突然ベトナム戦争へ徴用するカードが届く。彼は考えた-「貧しい黒人として生まれ、成功するために野球ロボットと化した自分がベトナムで認められれば、名実ともにアメリカの英雄になれる」と。
ベトナムの戦場へ渡ったオズマは天性の運動能力から次々と戦果をあげる。だがある日、敵からの爆弾が死角から飛んでくるのに気づき、仲間をかばうようにして地面に伏せたとき、爆弾の破片がオズマの背中に突き刺さってしまう。応急処置で命はとりとめたオズマ。
数々の勲章を受けたオズマに帰国の日が訪れ、横田基地に立ち寄ったオズマは特別に外出を許される。オズマの目的はただ一つ。星飛雄馬の大リーグボール3号を打つことだ。誰もいないグラウンドで2人は勝負する。オズマが見えないスイングで魔球をバットに当てようとした瞬間、背中に激痛が走る。オズマは打ち損じ、飛雄馬が勝つ。2人は正式勝負を約束してオズマはアメリカへ渡る。メジャーリーグに復帰したオズマは三冠王に迫る勢い。だがある試合で背中にデットボールが当たり、意外にもオズマはもんどりうって倒れこんでしまう。精密検査の結果は非情なものだった。応急処置で摘出がもれていた小さな金属片が、オズマがスイングするたびに脊髄に食い込んでいき、もう手遅れだと言うのだ。
少年時に野球ロボットとして過酷な訓練を強いられ、また、黒人の魂を守るために兵役拒否すると言う仲間を裏切る形でベトナムに行ったオズマは、すべては黒人の地位の向上と、アメリカのさらなる発展が目的だった。それなのに今はベッドで苦痛にうなされ、自分の手元に残ったのは魂のこもらない作り物の勲章だけだと泣き叫ぶ-
私はこの巨人の星のエピソードに、ティムの作品にも負けない物語性があると考えている(真剣)。それにしても当時の日本のアニメ製作スタッフの創造性には驚くばかりだ。
…って、全然関係ない話になってしまった。話を戻す。
しかし私が言いたいのは、ベトナム戦争から20年近くたってから発表されたティムの作品には、他のベトナム戦争を題材にした作品とは一線を画する“何か”があり、それが光を放っている、ということだ。
人間が本当に究極的な状況に置かれたときにどんな言動をするか-この答えのない命題に明確な解答は誰も出せないのはわかっている。だがヒントなら出せるのでは?そしてティムは、ベトナム戦争というシチュエーションに含まれる、苛烈な行軍と鼻歌交じりのアメリカ兵というような相対するビジョンを交差させて描くという手法で、真実に近づくヒントを描き出すことに成功していると考えている。
つまり、私たちがリアルと思っているものはベトナムの戦場では必ずしもリアルとして受容されうるものでない。逆に戦場のリアルから私たちの日常のリアルを見てもそうであるし、かくも人間を取り巻く真のリアルとは一筋縄では捉えられないということを、私たちはティムの作品から容易に伺い知ることができるのである。
端的な例は「兵士たちの荷物」(The Things They Carried)だ。行軍では装備を1つ増やすとその分重量が増すので、楽をしたければ荷物を軽くしようとするのは人間の心理として当然だ。それはベトナムの戦地でも変わらないはず。でもベトナムの戦場でティムは誰もが荷物をより多く持とうとする現実を目の当たりにする。
ティムは解説的な書き方はしない。しかしティムのミソもクソも(という言い方が正しいかはわからないが)書き表そうとする手法が、一見したところ雑な文章に思えようとも、実は私たちに有用なヒントをあぶりだしてくれているのだ。
最近のまわりの実生活でみれば、「うまくやったやつ」が上手に生きていると短絡的に評価される傾向だと私は感じる。しかし実際はそんなに単純ではない。つまりオズマは失敗者じゃない、そう判定するのは早計に過ぎる、とティム・オブライエンが書くベトナムでの数々のエピソードは示唆してくれる。-
「ぼくが線所で死んだら」から「世界のすべての七月」までティム・オブライエンにはまったことがあります。今でも、若いひとにすすめますが、しかし、...「ぼくが線所で死んだら」から「世界のすべての七月」までティム・オブライエンにはまったことがあります。今でも、若いひとにすすめますが、しかし、彼はもう二十年近く作品を発表していません。お亡くなりになっているわけではなさそうなのですが、残念です。彼の邦訳は、必ずしも村上春樹オンリーではありませんが、村上が訳したことで、多くの方が読むことになったのはよかったと思っています。まあ、村上春樹が訳す作家が、ぼく自身の好みと合うということもあるのですが。「たまどん」さんのレビューを読みながら、そんなことを思い出しました。
「巨人の星」のオズマのエピソード知りませんでした。とても興味深く読ませていただきました。ありがとうございす。
2021/09/23 -
この本を読んだきっかけは、都甲幸治さんがラジオで「レイニー河で」を取り上げていたからです(都甲先生の解説では「レイニー河にて」)。
テ...この本を読んだきっかけは、都甲幸治さんがラジオで「レイニー河で」を取り上げていたからです(都甲先生の解説では「レイニー河にて」)。
ティム・オブライエンの他の短編がどちらかと言えば武骨で体育会系な感じなのに、「レイニー河で」は一貫した静かな文体が異彩を放っていたのが印象に残っています。文体が沈黙しているのに冗舌な感じと言えばよいのでしょうか、余剰を削ぎ落して核心を明示するアメリカ文学の真骨頂を見た思いでした。
また、この作品のテーマは兵役を前にした青年の心理ですが、それほど複雑な背景ではないにしろ、日本に住む私たちに照らすと、受験や就職、結婚といった人生での大きな節目を迎えて進路に迷い、一切の雑音を消したくなったときの私たちの心理にも共通するテーマだと思っています。
なお「レイニー河で」は、私が別でレビューした「アメリカ短編ベスト10」でも、どうしても入れたかったが泣く泣く除外した、アメリカ短編の代表的作品だと言及されています。2021/09/26
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これは今年読んだ小説の中では
一番グサリときたかもというくらいの衝撃でした。
著者は実際にヴェトナム戦争に従軍しているんですね。
1968年彼はアメリカで普通に大学生活を送っていた。
当時の若者と同じように、当たり前のように「戦争反対!」って、
反戦的な主張をしていた。
だけど夏に実家に帰省しているときに徴兵令状が家に届く。
真剣にカナダに逃げようかと
国境近くのモーテルに宿をとり6日間考える。
結局彼は戦争に行くことを決意する。
理由はただ父や母や友達や街の人たちに
「情けない男だと思われたくなかった」それだけの理由で。
この本の体裁としては22の短編と掌編を組あせた連作短編なんですが、
構成がちょっと面白いんです。
物語の語り手は著者本人
ティム・オブライエンという43歳の家庭をもつ作家。
彼が戦場で出会った人たちと出来事について、
三人称で語ったり、本人の独白で語ったり、
また三人称で語られた主役と
現在直接再会して語り合ってる掌編を挟んだり、
また本人が「ここで語られていることはフィクションだ」
と語る手記や覚え書きのような掌編も挟みます。
そしてラストの22章目では戦争とは直接関係ない
彼の9歳の頃の記憶が語られてこの連作短編は終わります。
戦争ものではあるのですが、
戦記であるとか、国際状況や歴史、
また政治状況みたいなものはほとんど書いてありません。
彼が加わっていた19歳から24歳くらいの若者だけの
小部隊の中で起きた出来事だけをスケッチ風に書いてあります。
例えば兵士たちの背嚢の中身を書いて
メンバーたちの個性を描いている章や、
アメリカから17歳の恋人をベトナムへ呼び寄せる男の話、
そしてその恋人がいつの間に変わっていく様子、
また勇敢でたよりになる兵士でありながら
戦闘の際には国に残した恋人のストッキングを
常に首に巻いて出陣する男の話、
そして主人公ティムが初めて直接殺したベトナム人の男の話、などなど。
前述したとおり、著者はこれは事実ではなく
「フィクションだ」とたびたびわざわざ言及するのですが、
描かれる若者たちの苦悩と
かわずかな喜びや後悔みたいなものが、
あまりにリアリティがありすぎて、
読んでいるとまさに
「本当に戦争の話を聞いている」感覚になるんですね。
で、最後の章で描かれるのはベトナム戦争ではなく、
著者の9歳の頃に出会った女の子の話です。
著者は女の子とお互いに好きになりあいます。
親同伴でデートに出掛けるくらいの仲になります。
女の子はいつも真っ赤でボンボンのついた帽子をかぶっています。
学校でも常にかぶっています。
クラスの悪ガキがその帽子をとろうとからかいます。
女の子は静かにわらいながら帽子を押さえて抵抗します。
少年だった著者は助けてやりたいと思いますが出来ませんでした。
ずっと。
そして悪ガキは女の子がきづかない時を
利用して帽子を脱がせます。
女の子は泣きます。
病気のために女の子の頭は傷だらけでした。
女の子はその秋に病気が悪化し亡くなる、
という話が最終章になります。
これも著者は作り話だと書き添えています。
この作品にはたびたび「勇気」という言葉が出てきます。
「勇敢であること」という短編もあります。
本当の勇気とは何なんだろう?という事を
考えずにはいられない一冊です。
2017/09/11 12:16 -
やりきれない。
本に出てきた人たちは、断片的な記載なのに、知っている人のように感じる。
作者が、20年経っても癒されないことが伝わって来た。 -
評価3,5です。最初ずんずんと読み進んだけれど、後半失速して少し集中できなくなりました。が、ある意味、本当の戦争の話を読んだような気もします。
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何の教訓も生み出さない戦争の話こそが本当の戦争の話。糞溜めに溺れて死んだ戦友、井戸に突き落とされた牛。
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ベトナム戦争で作者が体験したことを、作者自身が言う通り創作を交えながら書かれた作品。
なんていえばいいのか、他の戦争作品を読んでもよく思うことだけれど、人間の深い絶望や喪失に、激しい慟哭はないんだなということ。むしろ虚無がおそって、すべてが頭の靄の向こう側へいき、けれどふとした瞬間に人間はその向こうへ追いやったものに襲われて、それが死への衝動になるんだろうなという。ていうかそう、本当の戦争の話にはユーモアがあるなど、作者が一番最初に言っていた…。
「勇敢であることSpeaking of Courage」と「インザフィールドIn the field 」で泣いてしまった。
著者プロフィール
ティム・オブライエンの作品
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