心臓を貫かれて 下 (文春文庫)

制作 : Mikal Gilmore  村上 春樹 
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 577
レビュー : 49
  • Amazon.co.jp ・本 (383ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167309916

作品紹介・あらすじ

76年夏、運命の日が訪れた。殺人。判決は死刑。兄は銃殺刑を求めた。その恐怖の世界を抜け出すための手だては、たったひとつしか残されていなかったのだ。刑執行を数日後にひかえた兄との対決、母の死、長兄の失踪…そして最後の秘密が暴かれる。家族のゴーストと向きあいつつ、「クロニクル」は救済と新たな絆を求めて完結する。

感想・レビュー・書評

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  • 読んでいるあいだ、この本にかなり気分を持ってかれたというか、引っ張られた。ユタでふたりの無辜の人を殺し銃殺刑に処された兄ゲイリー。それまで死刑が禁止されていたアメリカで、その事件が死刑解禁のきっかけともなった。

    マイケル・ギルモアはその両親、さらにその両親と歴史をさかのぼることでゲイリーをそのような状況に立たせる原因ともなった幽霊を探しだし、そうすることで幽霊を打ち倒すことができないかと思う。それはゲイリーだけではなくギルモア自身に憑りついているかもしれないものだ。

    ゲイリーの過ごした一生はかなり酷だったと言わざるを得ない。父親の暴力は凄まじいものだった。そして刑務所のなかで受けた暴力、強姦、脅迫……それらは最後まで明らかにされない。いや、結局は何もかも明らかにされないと言っていい。父親は誰の子で一体何者だったのか、彼の犯した罪、そして彼の恐れた罰はどういうものだったのか。母は何故そんな父と別れようともせず、やはり愛していたなどと言うのか。(フランクは実は父の息子のロバートとの間の子どもであることが最後に明らかになり、そのせいでフランクは母の愛を一身に受けることができなかったことがわかる。そしてまたそれが両親の諍いの種になっていたことも……。父はゲイリーがロバートとの子ではないかと疑っていた。)

    うまくまとまるような言葉は出ていきっこない。
    こんなに苛烈ではないにしても家族というものを考えるとき、そこには大なり小なり秘密があり奥深い闇がある。その奥深い闇を覗きこもうとするとき、人は根源的な恐怖を感じる。家族に、あるいは自分に憑りついているかもしれない幽霊を突き止めるにはその闇に向かって行くほかはないが、もしかしたら自分というものはそもそもその奥深い闇から生まれたものなのかもしれない。

  • 本書は、罪のない知らない人を二人殺して、全米で死刑廃止の動きが大きかった時代の1977年に、自分を死刑にしてくれと要望し有名になった殺人者、ゲイリー・ギルモアという男の弟が書いた、兄ゲイリーを含む自分の家族の悲惨な歴史を描いたノンフィクションです。陰鬱な話が延々続き、面白い話はもちろん一つもなく、長い話であることもあり、かなりの意志を持って読み進めないととても読み切れない本です。

    ギルモア家は、父の詐欺、家庭・家族放棄、DV、児童虐待、少年非行、と問題のオンパレードです。

    そんな家庭の中、ゲイリー・ギルモアは、犯罪と補導・逮捕を繰り返し、少年院と刑務所で人生の半分くらいを過ごしました。

    絵に才能があり、一時は刑務所の中から外の学校に通うことも許されたのですが、結局決められたルートから脱走してしまい、それもダメになってしまいます。

    そうした中、11年の刑期を終え、恋人と同棲したのですが、彼女が出て行ってしまい、酒を飲み、二人の罪のない人を殺しました。

    他方、長兄のフランクは比較的静かな人生を歩み、母の世話などもしていました。本書の著者であるマイケルは、音楽ライターになり、有名な「ローリングストーンズ」詩にロック評論を連載するようになった中で、兄が死刑になり、この本を書いた、、、という感じで、犯罪とは無縁な人生を歩んでいます。(次兄は若くして事故死)

    著者のマイケルは、兄のような人間が生まれたことを、先祖がいたユタ州とモルモン教(末日聖徒イエスキリスト教会)の暴力の歴史の影響だとし、先祖の歴史からひも解いていますが、その辺りはちょっとピンときません。

    兄弟の母は信徒の家庭に育ったようで、過度に厳しいしつけやその父母(マイケルたちの祖父母)の性格の影響で、頑固で難しい性格となり、それが子どもたちにも影響したのかなとは思いますが、兄弟の父は、単にいいかげんで、酒乱で、ろくでなし、でそのくせ子どもに過度に厳しい、という性格で、モルモン教の歴史は余り関係ないように思います。

    ただし、マイケルは自分の育った家庭があまりに悲惨な状態だったことの原因を、歴史や血に求めずにはいられなかったのだろうと思いますし、それは良く分かります。確かに、何もなくしてこんな悲惨な状況はうまれないでしょうから。

    他方、マイケルはそんな父の晩年の子なので、かわいがられたために、あまり父のおかしな影響を受けていないようですが、長兄のフランクは殺人者となったゲイリーと同じように日常的な暴力と育児放棄によって育っており、しかし犯罪者にはなっていないという事実もあります。とは言っても二人ともかなりのトラウマを抱え、犯罪者にならなかったから、ライターになれたからハッピーとはとても言えない人生を歩んでいるのだと思いますが。

    正直に言って、「なんでこんなことになったのだろう?」という疑問は、本書を読んで考えても、良く分かりません。

    訳者村上春樹氏は、あとがきで、「ある種の精神の傷は、一定のポイントを超えてしまえば、人間にとって治癒不可能なものとなる。それはもはや傷として完結するしかないのだ」と書いています。彼が本書を読んで翻訳した理由はここにあるということなのでしょう。そして続けて「暗く陰鬱な認識ではある。でも我々はそれを一つの事実として受け止め、受け入れなくてはならない。そしてその場所から新たな世界観をスタートさせることによって、もう一つ上の次元の救済の可能性を追求していくことができるのではないか、とも思っている。というか、そうでもないことにはいささかやりきれないところがある」と書いています。これらが彼にとっての本書のというか、この歴史の中の一事実の解釈であり、またそこから得た教訓なのでしょう。

    私も本書から何かクリアな教訓を得られたわけではありませんが、少なくとも、本書というかその背景にある事実から考えるべきことは、単に「ひどい家庭にはひどい子が育つ」というようなことではなければ、「血は争えないからどこかで断たなければならない」ということでもなく、かといって「深刻で複雑な問題であっても、どこかに主要因があるのだから、そこを叩くべきだ」ということでもないような気がします。

    本書が語る家族の歴史は、様々な要因が複雑に絡み合って、何がどうだからこうなった、と簡単に(仮に一生懸命検証したとしても)分かるものではないように思います。

    そもそもゲイリーの父や母の育てられ方が悪かったから、ゲイリーやマイケルの兄弟も悲惨な人生を歩んだ、というように結論付けられるものではないのだと思います。

    そういう意味で、本書の原著者マイケルが家族の歴史をさかのぼり、「どうしてこんなことになってしまったのか」を探ろうとした気持ちは良く分かりますし、土地や宗教の負の歴史が一族に負の影響を与えたのではなかろうかと仮定した気持ちも分かります。もちろん無関係ではないでしょう。

    しかしながら、うまくまとまりはしませんが、私が思うのは、私たちは先祖から様々な歴史を引き継いでおり、また生きていく中で親兄弟親戚から様々な強い影響を受け、さらに周囲や社会からも影響を受けて、今の自分があるということ、そしてそれらの多種多様な要因が複雑に絡み合って、今の自分の在り方が規定されている、もちろん受けた教育や自分で学んだことも自分を形作っており、先祖や親等から引き受ついだ歴史が修正されている部分もあるのですが、正負の歴史が自分の中に刻み込まれているという部分もある、ということです。

    そしてある家族や人には負の作用が強く働くこともあれば、他の人にはそうでない場合もある、と。

    ですから、村上春樹氏もいうように、引き継いだものが「負」だとしても、ある程度のことは前提として、考えたり立ち向かっていくという態度をとるしかないのだろうと。

    当たり前のことに思われるかも知れませんが、歴史の影響を所与のものとみることで、悪を単純に断罪して、社会のメインストリームから排除するのではなく、自らのモノとして引き受け、関わろうという態度が生まれるのではないかと思います。

    あの子はあんな家庭に育ったからしょうがない、関わらないようにしよう、とか、あのような犯罪を犯した人間はもとからおかしかったのであって、刑務所にでも入れておけばいいのだ、というような断罪ではなく、問題というものは程度の差こそはあれ、誰にでも起きうるものなのだという認識の下に、排除ではなく(もちろん単に何でも赦すということでもなく)、知恵を出し合って何とか向き合っていこうという態度、とでもいえばいいのでしょうか。

    問題が大きすぎて、とりとめもない感想になってしまいましたが、もしひっかかるところがあったら、ぜひ読んでみてください。ただし、単なる興味本位で読むと、途中で投げ出して時間の無駄になるか、単に鬱々としてしまうか、ということ請け合いです。。。

  • 読後しばし途方に暮れる。

  • 米国で死刑論争を巻き起こした殺人犯の弟であり、その家族の末弟でもある著者が、怒りと暴力につつまれた家族の歴史をつまびらかにした手記。宗教を背景に両親が受けた傷と、その両親から血を受け、暴力を受けた子ども達の生きざまを見ると、「呪われた家族」なんて言葉すら陳腐に聞こえてくる。この圧倒的な怒りと暴力の前に、ただただ言葉を失った。著者がどんな思いでこの本を書いたのか、書くことで救われたのか。答えはよくわからないけれど、相当な勇気をもって書いたということはまちがいないと思う。
    それから、もうひとつ。村上春樹の翻訳は秀逸。

  • 2017.01.13

  • 読み終えた時、本書の作者マイケル・ギルモアが考えていたことをふと忖度してみたくなった。

    時間の経過と共に崩れていくことが始めから約束されていたかのような家族に生まれ、父親の暴力が兄達に向かったおかげで偶然にも兄達ほど地獄を見ずに育ったことは不幸中の幸いでありつつ、(母や兄達と同じものを共有できなかったという意味では)疎外感を覚えるものだったと、本書上巻の初めのほうで筆者は述懐している。
    その例が示すように、一人また一人と悶えながら死んでいく家族達に対して彼が向ける感情は入り乱れ、いわば錯綜したものだ。

    例えば、一家の人間全てを荒廃に追いやった父親に対してですら、マイケルの感情は複雑だ。
    自身が生まれるより前に家庭内で起こっていたことを思えば、そしてそのトラウマが次兄ゲイリーや三兄ゲイレンを死に追いやったことを思えば、父親フランク・シニアに対する憎しみは強いものになるかもしれない。
    一方で、マイケルが知る父は、少なくともマイケルに対してだけは愛情を注ぎ、全力で彼を守ろうとする力強い父親であったし、晩年には他の家族の振舞いに疲弊する弱り切った老人でしかなかった。
    さらに、フランク・シニアが父親になるよりもずっと前のこと――あらゆる記録からブラックアウトされた彼の出自――を知るに及んで、感情がさらに複雑になっていったことだろう。

    作者の感情は、父親や死刑囚となった兄ゲイリーに対してに限らず、家族の一人一人に対して、同様の錯綜を見せる。
    小説では相反する感情としてよく愛情と憎悪が挙げられるけれども、家族について書くこの人の文脈には、もっと生々しいものが渦巻いている。どう整理したらよいのかわからなくなるほど様々な相矛盾する感情が入り乱れ、それらがめちゃくちゃに折り重なった末に出来上がった膿のようなものが、マイケル・ギルモアにこの作品を書かせているのだろう。
    様々な方向で感情過多にならざるを得ない彼の家族に対する感情は、彼に作品を書かせる一方で、別の絶望的な境地にも至らしめている。
    《悲劇を繰り返さないためにも、自分達は決して家族を作ってはいけないのだ》という本書終盤で為されるマイケルの独白がそれに当たる。
    気になって調べてみたところ、本書執筆後もずっと、マイケル・ギルモアは家庭を築こうとはしていないらしい。トラウマの深さを感じさせられるエピソードだ。

    マイケルが抱え込み、ついに克服することが出来なかった感情の膿と同じようなものを、おそらくは彼の死んでいった家族達もまた抱え込んでいたのだろうということは想像に難くない。
    ゲイリーが、何の恨みもない人を二人も殺害し、その裁判の場で自らの銃殺刑を嘆願したのも、おそらく根は同じところにあるのだろうとマイケルは推測している。
    上巻のレビューにも記したような”呪い(トラウマ)”が、彼ら一家の全員に取り憑いてしまっている。
    その”呪い”は彼らが生まれるよりも前の時代に由来するもので、それが今では自分達の精神の一隅で暗い光芒を放っており、振り払うことはもはやできない。
    もしもそうであるとしたら――という結論が、ゲイリーの場合は破壊の末に処刑されることであり、マイケルの場合は記憶と記録の文章のほか何も残さず生を終えることであったのだろう。

    結局最後まで、彼ら一家の誰一人として何の救いも得られぬまま本書は終わる。
    本書の結末は、あまりにも深くまで根差してしまったトラウマは、決してどういう形であれ浄化されることはないのだと、そう示しているように思う。

  • どうしても、自ら悲劇を招いてしまう人間というのが存在する。何かに諦めてしまっているのだろうか。毎日を着実に過ごしたり、慎重に過ごしたりするには、恐怖感が必要だ。例えば、寝坊した場合のリスクを考えて、人は寝坊しないように努力をする。でも、そんなリスクをどうでも良いものとして感じてしまったら?目の前の人間を、殴りたい時に殴る。この著書で描かれる人物は、そのような問題を抱えている。

    もう一つ気になったのは、殺人犯の商品化についてだ。サムの息子法という法律があるが、事件や犯人の個性を表した商品や、犯人自身を神聖化してしまうのは、どうなのだろうか。また人間というものは、何故、良し悪し問わず、有名なものの価値を無意識的に高めてしまうのだろうか。そこには大衆性から逸脱したものへの、ある種の羨望があるのかも知れない。悪事で有名になるのは御免だが、人間の承認欲求の究極形を表しているのかも知れない。

  • 67/364

  • 殺人事件を起こした兄を持つ弟が家族と兄、自分自身について綴った本の下巻も読み終えて感じたこと。

    詐欺と失踪を繰り返し支配的な父親、そんな男と別れることも出来ず流され精神的にも安定を欠く母親。
    こういう親になるには不適格とも言える人物の間に生まれて育つことにより、犯罪に手を染めやすくなることは容易に考えられる。
    ゲイリーはまさに絵に描いたようである。
    それでも、みんながみんな犯罪者になったわけではない。事実ギルモア家の兄弟で殺人を犯すに至ったのはゲイリーのみである。
    結局は、家庭に原因がある、そんな簡単なことではない。
    家庭によって犯罪者となる種は植え付けられはしても、その種を育ててしまったのは自分に他ならない。
    どんな犯罪者に関する書物を読んでも、やはりこの結論になってしまう。

    この本で、誰が最も気の毒としか言えないかというと、長兄フランク・ジュニアに他ならない。
    父親に疑いをかけられ嫌われ、庇うべき母親からも憎まれる。それでいて長兄であるという責任は負わされる。
    ただ理不尽としか言えない。
    それでもフランク・ジュニアは真っ直ぐ懸命に生きている。
    ゲイリーと同じように、いや、ゲイリーよりも多くの種が蒔かれているにもかかわらず、フランク・ジュニアは育てることはしなかった。
    同じ家庭で、より辛い目にあっても道を踏み外さないひとはいる。何がどれだけあっても自分の行為の責任は自分にある。免罪符にはならない。

    暴力を振るい支配するばかりであっても親は親。
    死ぬとなれば動揺するし悲しいし死なないで欲しいと思う。
    こういう感情は至極当然と言えば言えるけれど、不思議でもある。親子というものは他人にはわからないものだと思う。
    兄弟姉妹も血は繋がっているが、親子の関係とは明らかに異なる。
    夫婦や友達、親戚や社会など様々な繋がりはあるが、親子は一番不思議な関係なのかもしれない。
    親は選べない、これは本当にそうだとも思わされる。

    本書を書いたマイケルは、かわいそうな兄だから犯罪を犯しても仕方ないとは言っていない。それでも文中から謝罪する姿勢は窺えなかった。
    ゲイリーの母親も、息子が殺人を犯したこと自体に衝撃は受けても、殺されたひとや遺族に詫びたいというより息子を死刑にしないでと息子のことばかり考えている。
    ここもわたしには理解が出来ない。
    何よりまず申し訳ないという気持ちがあって当たり前だと思うが、そうではないようだ。ひとに尋ねられれば申し訳なく思っているとこたえるとは思うけれど、そうではなく自主的に思わないことが理解出来ない。
    こういう傾向は日本人でも同じような気がする。自分の子供を心配するのは普通だと言うひともいると思うが、普通でないことをした子供よりもまず考えなくてはならないことがあるはずなのに。親である前に人間として。

    犯罪を起こした家族を持つ人物の描く家族物語は、答えは何も教えてはくれないけれど、多くのことを考えさせてくれる。
    自分と家族との関係を見つめ直す機会にもなる本だと思う。

  • 救いがあることを望む。

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