闇の奥 (文春文庫 つ 8-8)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167316112

作品紹介・あらすじ

太平洋戦争末期、北ボルネオで、気鋭の民族学者・三上隆が忽然と姿を消した。彼はジャングルの奥地に隠れ住む矮人族(ネグリト)を追っていたという。三上の生存を信じる捜索隊は、ジャングルの奥地で妖しい世界に迷い込む-。ジョセフ・コンラッド『闇の奥』に着想を得、その思想を更に発展させた意欲作。2011年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 不可思議な設定と緊張感を欠いた展開となり、あっけない結末が待つ。やはり辻原登は読み解けない。

  • 太平洋戦争末期にボルネオで姿を消した民族学者の三上隆を四度にも渡り、捜索する友人達。三上が追い求めていたのは矮人族。友人達は三上を捜し出す事が出来るのか。

    ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』に着想を得た作品という事なのだが、ジャングルに消えた三上隆はクルツというより南方熊楠のような人物に映った。この作品もコンラッドの『闇の奥』と同様、ジャングルを舞台に虚構と現実が混沌とした世界が展開して行くのだが、コンラッド『闇の奥』のような重苦しい暗さは感じない。コンラッドが描いた『闇の奥』ではクルツの心の闇にまで迫っており、善と悪の境が解らなくなるような妖しい雰囲気が展開するのだが、この作品では登場人物の誰の心の底も見えなかった。

    数十年前にフランシス・フォード・コッポラの傑作映画『地獄の黙示録』を観て、虚構と現実の混沌とした難解な雰囲気にのめり込み、五回も映画館に足を運んだ。『地獄の黙示録』の原作がジョセフ・コンラッドの『闇の奥』と知り、最初はかなり苦戦しながら原書を読み、次には岩波文庫の翻訳版も読んでみた。この作品はテイストは似ているものの、コンラッドの『闇の奥』には遠く及ばない。

  • 昭和20年の太平洋戦争末期、北ボルネオで小人=矮人族(ネグリト)について調査していた民族学者・三上隆が消息を絶った。彼の郷里・紀州和歌山の同級生・村上三六は戦後2度にわたり三上隆捜索団を編んで自らボルネオで捜索を行うも三上の消息は知れず。

    失踪から37年後の昭和57年、すでに60代半ばの村上はついに三度目の捜索団を結成。メンバーは、戦時中日本軍に捕らえられるも三上に助けられたアメリカ人民俗学者のハウレギ、ボルネオで最後に三上の姿を目撃した元日本軍の湯山、村上の教え子の出水の4人。ボルネオで別件調査中だった京大の調査団から隊長の京極とプクプク(蝶)の専門である青木も加わり、通訳の現地人サバと共に、三上の消息を追ってミリアン川を遡行することになるが・・・。

    コンラッドの『闇の奥』からインスピレーションを受けて書かれた同名作品。本書でクルツにあたる人物が民俗学者の三上隆(紀州だけにモデルは南方熊楠ぽい)しかし彼はクルツと違ってひょうひょうと生きながらえ捜索者たちを意図せず翻弄する。人喰族や首狩族のいる密林の川を遡航する序盤の展開はコンラッドと共通だが、後半はどんどん独自に展開していく。

    特徴的なのが「小人」の存在。蝶を追いかけていくと小人の村がみつかるとか一見ファンタジー的だけれど、妖精系のではなく、人類の進化の過程で違う方向に進んだピグミー系(ホモ・フローレシエンシス)のこと。このあたりコンラッドよりむしろ村上春樹の『1Q84』に出てきたリトルピープルを思い出したのだけど、光文社新訳文庫版のコンラッド『闇の奥』解説では『1Q84』にも『闇の奥』の影響がみられるとあったので、同時期に書かれたこの作品と『1Q84』どちらにも元ネタにはない小人族が登場するのは不思議なシンクロニシティ。

    さて、第三次捜索を最後に、時代は移り平成となり、捜索に関わった関係者も次々亡くなるが、村上の「息子」が父親の遺品から三上のことを知り捜索を再開、第三次捜索団に加わっていた出水が、高校時代に紀州熊野で小人の村を発見していたこと、後年再度その村を訪問して衝撃的な事実を目撃していたことを知る。本書のほとんどはこの「息子」の調査レポートという形で記されているが名前は「村上の息子」としか表記されない。ふと調べたら辻原登自身の父親の名前が村上六三!つまりこれは・・・。

    そして出水のほうは、なんと「和歌山毒物カレー事件」の犠牲者として亡くなる(※本書では死者5人となっているが実際には4人、なので出水の存在は一応フィクション)三上はダライラマやジョセフ・ロックなど実在の人物と接触しており虚実の混合が絶妙なのだけど、この出水のくだりの実際の事件との融合も絶妙で、すべて本当の事で、真犯人もこの通りなんじゃないかと思ってしまいそう。余談だけれどもしこの本が書かれたのが最近だったら、紀州のドンファン殺害事件も絡められたかもしれないと思ってしまった。

    最終的に「息子」は第三次捜索団の唯一の生き残りである青木と中国へ赴くことになり、謎の女性と共にチベットへむかう。そこで彼らが見たのは・・・。なんだかもう壮大な伝奇冒険小説だ。世界の裏側をふとした瞬間に覗いてしまった恐怖と共に、冒険のわくわく、そして民俗学的な面白さがあり、さらに歴史の勉強にもなったりして、かなり胸躍る読書体験でした。個人的には本家コンラッドより推したい。

  • 小人族と1人の日本人を巡る世代を超えた冒険物語的なもの。
    ノンフィクションか、フィクションか、はっきりしていればもう少し楽しめた気もするのだけど、中途半端に毒カレー事件とか、数学者のナントカとか、物語に没入しづらかった。

  • 円朝~でもうまいなあとうなったけど今作も思わぬところでゾクっとさせられる。
    まず、入りは思いっきり怪談調。
    熊野の奥に「小人の村」があるから行こうと意気込んで男三人が山へ入る。
    そこで経験したことについては誰も語らない。

    そして主人公が父親の家の遺品を整理しに行き、偶然見つけた手紙に誘われるように物語は進む。

    戦中戦後父親が探していた三上隆という博物学者。彼は小人の存在を信じ、調査を続けていた。
    主人公の父親がメンバーの一人だった三上隆捜索隊のジャングルでの冒険譚、首狩族、小人たち、ふっと話に現れては消える三上隆らしき人物の影。

    通常、物語は最初「え、なにこのエピソードたちどうやってつながるの」って思って後半に行くにつれて視界が晴れる。でもこの物語は真逆。

    和歌山カレー事件が絡み、捜索隊は第5次にまで至り、熊野の奥を探検したうちの一人の息子から父親が吹き込んでいたテープを受け取り、ここでまた主人公の私は言葉を精査して物語を作り上げる。

    終盤、主人公らは第5次捜索隊として中国のマツタケツアーに紛れ込んで山の奥深く、外国人が通常立ち入りを禁止されている奥地にまで行って三上隆の実像を探り当てようと奮闘する。最後の一行であんなにシンプルに救われるなんてすごいです。

    狙ってジャングル、ピグミー、宗教的なものを選んだわけじゃないのに「13」のあとにこういう物語を読めた偶然に感謝。

  • 困った。困った。読みながら困った。

    ボルネオ、熊野、チベットと矮人族を追って消えた民族学者三上隆をめぐる冒険譚。
    その合間に和歌山ヒ素カレー事件が紛れ込み、
    登場人物も現実と虚構が行き交う。
    テーマは「なつかしさ」。
    そしてタイトルは、「闇の奥」。

    和歌山ヒ素カレー事件が紛れ込むあたりで、なんでこれが必要なのか?
    と疑問に思いつつも物語と現実の境が曖昧になるへんな感じに困った。
    そしてゾクッとくる瞬間! うーん、やられた。

    最後は、いきなり三人称になってのチベットへの冒険譚が始まるが、
    ここだけどうも異質。普通に読めるんだけど、何か拍子抜け。

    物語で語られるチベットへのCIAの介入(コードネーム:セイント・サーカス!)だが、
    チベットのカムバ族の訓練を担当したのが、ラオスでモン族を率いて北ベトナムと戦ったトニー・ポー。
    トニー・ポーは、「闇の奥」を原案とした映画「地獄の黙示録」のカーツ大佐のモデルになったとも言われた人物。
    これは偶然か作者の計算の上か?

    ただねー、「イタリアの秋の水仙」がなぜ春歌かについてが、どうも消化不良。

    次の文は、最近でもっともシビレた文章。

    むかし、われわれに時間の観念はなかった。あるとき、怖れにとらえられた。これが未来の観念となる。それより一瞬遅れて、なつかしさにとらえられた。これが過去の観念になった。このふたつの概念に引き裂かれた瞬間、それが現在となった。

    いやー、上手い作家だ。

  • なんというか、話辛い本だ。コンラッドの闇の奥がどうも捕まえようとしてもスカッと手が抜けるのと同じように、捕まえようとするとスカッと抜ける構造になっているのかもしれない。
    コンラッドに似ている部分は「謎の男(ミカミ)を探しに未開の地に行く」という部分だけだと思うのだが、ミカミの何がそんなに重要なんだと思わせる所が、クルツと似ていて舞台装置めいている。
    後は幻想小説的なポカンと白い闇が続いているような無垢なミカミの春歌がやたらと耳に響く。
    ミカミは縦横無尽に世界を旅して、どういう年代記だったらこんなにあちこちに出て回るのか、注意深く読まないとわからないと思う(私は注意深く読まなかった)
    あっけらかんと春歌を唄いながら闇に消えるミカミには明るい狂気を感じる。
    「自分の故郷と未開の地が似ている」というテーマも二度出てくる。故郷と未開(新しい)が似ているというのはサウダージの意味かもしれない。
    目眩の倒錯や騙し絵(ネグリトが足下にいるなど)の錯覚などが出てくる。
    読み終わると「一体何を見せられたんだ…」と狐に摘まれたようになるが、イタリアの秋の水仙の朗らかな狂気を覚えていればそれでいいのかもしれない。
    そういえば沈黙交易の出水の語り口がとてもキモい感じでキャラが立っていて良かった。

  • 2013-3-14

  • 2018/3/13購入
    2018/12/30読了

  • コンラッドの『闇の奥』をなぞった物語だと思いきや、その創意工夫のうえではコンラッド版を凌駕している。けれども「クルツ」と「三上隆」を比較すると、人物造形という点では、クルツは人間の閾を振り切っているという点で圧倒的だ。そしてまた、クルツが生身の人間であることを示した点でも、圧倒的に存在感がある。
    「三上隆」のモデルは、間違いなく、紀州が生んだ知の巨人、「南方熊楠」だろう。三上はクルツに対し、妖精のような存在だ。しかし辻原版で、気配でありながら圧倒的に存在感を持つのは「小人」。
    本作は、もはや現代においてクルツのようなエゴの極北のような個性的人物は存在しえない代わりに、無個性な人間の背後で小人が一役買っている、と言っているかのよう。
    小人はチベットで暗躍したCIAでもある。小人を突き詰めていくと、そこに実体はなく、ただ「制度」だけが残る。
    本作は幻想的な小説であるかと思いきや、じつはひどく現実的な小説だ。

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著者プロフィール

辻原登
一九四五年(昭和二〇)和歌山県生まれ。九〇年『村の名前』で第一〇三回芥川賞受賞。九九年『翔べ麒麟』で第五〇回読売文学賞、二〇〇〇年『遊動亭円木』で第三六回谷崎潤一郎賞、〇五年『枯葉の中の青い炎』で第三一回川端康成文学賞、〇六年『花はさくら木』で第三三回大佛次郎賞を受賞。その他の作品に『円朝芝居噺 夫婦幽霊』『闇の奥』『冬の旅』『籠の鸚鵡』『不意撃ち』などがある。

「2023年 『卍どもえ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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