- Amazon.co.jp ・本 (525ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167340087
作品紹介・あらすじ
瀬戸内海の貧しい島で生まれ、日本列島を隅から隅まで旅し、柳田国男以来最大の業績を上げた民俗学者・宮本常一。パトロンとして、宮本を生涯支え続けた財界人・渋沢敬三。対照的な二人の三十年に及ぶ交流を描き、宮本民俗学の輝かしい業績に改めて光を当てた傑作評伝。第28回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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宮本常一や梅棹忠雄、網野義彦らの本を読んでいるとちょこちょこ登場する渋沢敬三。
渋沢栄一の渋沢家の1人であることしか知らなかったが、
表の歴史では戦中戦後の日銀総裁や財務大臣を務め、
その裏では一民族学者として、さらに私財をなげうって多くの学者を育てた「偉大なパトロン」だった。
「銀行の仕事は一度もおもしろいと思ったことはない」と語ったように、もともと学者志望。
渋沢家は渋沢栄一という偉人がいて、その偉大さゆえに重圧を受け続ける、不幸な家系だった。
敬三の父はその重圧に耐えきれず、放蕩な生活を送り、廃嫡される。
世間的には銀行家を務めながら、学問は裏の趣味にみえたかもしれないが、
「一番大切にしたかった」学問と接している時の敬三はいきいきとしいた。
戦後、表の仕事から解き放たれた敬三は学問に向かうが、
その時には家族とも離別、渋沢家の当主をなんとか務めながら一族の中では常に孤独だった。
敬三が最も信頼し、最も世話になったのが宮本常一だろう。
「旅する巨人」とあるように、庶民の生活から紡ぎ出す宮本の民俗学は足で稼ぐ学問。
23年も居候していた渋沢家を拠点に、日本各地を歩きまくって、庶民の話・モノの収集を続けた。
そんな旅を続けるには、定職をもたない「食客」としての身分が必要だった。
そのやり方は日本各地の郷土史家とネットワークを作り、資料を東京に集めて一つのかたちを見出した、柳田国男とは対照的。
当然家族とは疎遠になる。
宮本と敬三をつなげた共通点は「孤独」だった気もする。
この本には前述の梅棹忠雄、網野義彦をはじめ、江上波夫、今西錦司はたまた司馬遼太郎や山崎豊子まで登場する。
名著「忘れられた日本人」の土佐源氏(高知・梼原)と佐渡に、佐野氏が訪れた章は心しびれた。
「大事なことは主流にならないこと。傍流でよく状況をよくみておくことだ。舞台で主役をつとめていると多くのものを見落としてしまう。
その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを本当に喜べるようになることだ」
敬三が宮本に贈り実践したこの言葉は、偉大な2人の学者の、偉大な生き方を示しているようにも思える。
ここまで深く、2人の記録を掘り起こした著者・佐野氏に感謝。
以下メモ・引用
「何の束縛もなく放蕩の限りを尽くしてきた土佐源氏は、宮本にとって絶対に到達することのできない一種の理想的人間」
「彼等の本当の心は、聞かれて答える民俗学的な事象よりも、夜更けてイロリの火をみて話の途切れた後に田畑の作柄のこと、世の中の景気のこと、歩いてきた過去のことなど、進んで語る自分自身とその周囲の生活のことにある」
「自分の仮説に合う資料やデータばかりを集積し、自分なりの理論を組み立てようとする学者の態度は、数多くの事実の積み上げの中から
最小限いえることだけを引き出していこうとする宮本のような立場をとるものにとって許されることではなかった」
「宮本が意識的歩いたのは、焼き畑と林業を生業とする土佐の山中であり、山の頂まで段々畑の広がる瀬戸内の島々であり、漁業で生計をたてるしかない玄界灘の離島。宮本は稲穂が風にそよぐ東日本の水田風景にはほとんど目をくれなかった」
「2人と歩いた日本の村々の急速な解体と、大衆と呼ばれるようになった庶民のたしなみの目の覆いたくなるような劣化に・・・」
吉本隆明 川喜多次郎 昭和通商 -
日本を代表する民俗学者・宮本常一。彼をパトロンとして支えた財界人・渋沢敬三。二人の交流を描いた評伝だが、それだけではなく高度成長とともに失われた(忘れられた)日本も知ることができる一冊。
豊富な資料と緻密な取材で構成され、最後まで飽きずに読み通してしまった。
おもしろい。
宮本常一にも興味をもつけど、個人的には財界人・渋沢敬三に興味が湧いた。
名家に生まれると大変だな、と単純に云えないほど家族の重圧と軋轢、そして深い哀しみがある。渋沢敬三と渋沢家についてもっと知りたくなる。
民俗学に疎いけど宮本常一の著作が読みたくなった。
そんな気にさせる本です。 -
新しい土地に行った際には、まず高いところに登る。山がどこにあり、川がどのように流れ、人の暮らしがどこにあるかを俯瞰する。また街に入れば、家の造りや屋根、壁の構造や素材、街路の形成、田畑に植えられているもの、地域住民の服装や表情、その土地の食べ物、夜の街、、様々な土地の風俗を五感で体験する。
これは宮本常一が日本中で実践してきたフィールドワークの実態だ。彼が歩いた足跡を地図に落とせば、日本全体が赤く染まりその距離は地球4周分にもなる。旅する巨人と言われる宮本常一の徹底した現場主義の成果は、『忘れられた日本人』や『民俗学への道』といった著書にまとめられている。
その宮本常一を経済的に支えたのは、渋沢敬三である。渋沢栄一の孫として大蔵大臣や日銀総裁に担ぎ上げられる一方で、贅沢税を導入して率先して貧富の格差解消に尽力した。そこには民俗学者として日本の隅々まで歩いた宮本常一の影響があったことは想像に難くない。
よく地域づくりの文脈では、現場が大事だと言われる。しかしそれ以上に重要なのは、その雑多な現場にどのような色彩を乗せて集合知へと昇華させる意味付けの教養であり、圧倒的な経験則に裏打ちされた具体例の集積だろう。宮本常一の足元どころか爪先にも及ばないが、数多くの地域を訪れてようやくその本質が見えてきた。
課題は現場にある。でも課題解決は現場にはない。中央にカネと情報を吸い上げて、十把一絡げにモデル事業だったり横展開とか言っちゃっているところには解はない。個別具体的な事例を積み上げて、大衆の生活のリアリティを見聞きし体感し、自らの想像力の引き出しを広げて異分野と結び付ける。ローカルで興るイノベーションとは、かくも泥臭く奥深いものなのだ。 -
先日、金融庁元長官の遠藤さんが、講義の中で紹介された宮本常一の父の言葉に触発され、この本を、手に取りました。大正2年4月(1913年ですから、今から1世紀以上の昔)、山口県の離島だった(周防大橋が架かったのは1976年)、周防大島から旅立つ14歳の常一が書き留めた父善十郎の言葉。 汽車に乗ったら窓から外をよく見よ、から始まる10か条。これからさきは子が親に孝行する時代ではない、親が子が孝行する時代だ、そうでないと、世の中は良くならない等、なんとも素晴らしいものがあります。☆4つであります。
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超絶感動。コロナ終息後の最初の遠距離旅は山口県に決めた。宮本常一が生まれた周防大島行ったあと祐三ラーメン食うんです。
やっぱり「普通から生み出されるパワー」が「異常」となる景色のすさまじさよ。そこに絡むのが華麗なる元財閥でニコニコと没落する日銀総裁・渋沢敬三。なんというドラマ。
そして一番驚いたのが、あの世界に誇る和太鼓集団「鼓童」が、宮本常一なくしては存在しなかっただろうということ。まじっすか。
感動ついでに、関連本を5冊発注。早く読みたい。 -
【展示用コメント】
宮本は待合室のベンチで膝小僧を抱き、座ったまま小さくなって寝た。猿子眠といわれるこの方法で眠ると絶対に風邪をひかないという話を、宮本はかつて旅の途中で出あった修行中の山伏から聞いていた。(本文より)
【北海道大学蔵書目録へのリンク先】
https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2001429904 -
宮本常一と渋沢敬三という二人の(アカデミズムから疎外された)民俗学者の交わりをその係累と周辺の人々を交えて書かれたノンフィクション。
ここに書かれているのは日本の民俗学史であると同時に日本の近代を鋭く捉えようとしたものだと感じる。
購入2011/07/01
再購入2014/09/21 JPN560 -
筆者はハシシタで話題の佐野眞一。読み終わって柳田国男が嫌なヤツって気がしてきた。忘れられた日本人はこれから読む。