完本 文語文 (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 211
感想 : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167352165

作品紹介・あらすじ

祖国とは国語である。明治大正は新旧の思想風俗言語が衝突して、新が旧に勝った時代である。戦前早く漢字の知識は減りつつあったが、戦後それは限りなく無に近くなった。日本人は文語文を捨てて何を失ったか。樋口一葉、佐藤春夫、中島敦たちの諸家の名文を引き、失った父祖の語彙を枚挙し、現代口語文の欠点を衝く。

感想・レビュー・書評

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  • 文語文(漢文の読み下し文、和漢混淆文)に精通した著者が、文語文の良さをノスタルジックに語ったエッセー。

    文語文はリズムに富み、朗読に適したものだった。著者は「口語文は意味は分かっても朗読に耐えない」と言い切ってる。また、文語文は冗長を嫌い、「削りに削って危うく分からなくなる寸前でとどまるをよしとする」ものであったとのこと。格調高くリズミカルで、端的に力強い表現が得意な文語文は、一方で予備知識や創造力がないと何を言わんとしてるか中々分からない(中高の古文、漢文の時間を思い出すなあ)。文語文、口語文には、それぞれ一長一短があると言うことだろうか。

    文語文の良さについて考えさせられた一冊でした。

  • とても楽しくよませていただき勉強になった。
    著者が「文藝春秋」や「諸君!」などに寄せた文語についての短編が収録されている。
    確かに「口語文」にはリズムが無く「文語文」にはリズムがある。
    樋口一葉を読むときに必ず感じることである。
    瑞々しくて美しい和文が心地よい調子を携えて、まるで生きているようである。
    私は文語文についてはよく分からないが、確かに著者の考え方に同意できる部分が多い。
    しかし、世は良くも悪くも「口語文」の時代となって久しい。
    「文語文」は古典として学んでいくことになるであろう。
    「文語文」の持つ良さを認識しつつも、私達はこれから長い年月をかけて「口語文」を慈しみ育んでいかなければならないと思う。現代人にとって、また日本人の未来に生きるであろう人にとって、むしろそちらの方が大事だと思う。

  • 文語文に関する深い思いが、明治・大正期の作家たちの豊富でトリビアルなエピソードと共に記されている。行間には著者の「国語愛」が強く滲んでおり、活字好きには堪らない一冊。ただし、文芸誌の連載をまとめたせいか、いくら強調したいとはいえ、重複する記述が多すぎる。内容が魅力的なだけに、「伝わらない」題名と雑に思えてしまう全体の構成も残念。

  • 幸徳秋水の「兆民先生」 http://j.mp/csCOqr

  • かなり閉口しながら読了.これは本の構成が悪いのだと思うが,基本的に「昔の文語体は良かった」の繰り返しで,その良さを現代に役立てるための方策がない.こういう後ろに向って歩くような話は,立ち往生よりまだ悪いと思う.

    「室内」誌を統括していた山本本人は,インテリアの造形を表現する文体として,文語文がそれに堪えるか,などと考えたことなかったのか.役に立てどころの難しい本である.

    中江 兆民の翻訳語彙について,原典で調べる必要あり.

  • 日本人必読書。
    一言一言が見に沁み入る。
    学生時代にもう少し漢文や古典を真剣にやるべきだと後悔した。

  • 文語文が死に絶える前に死んだ樋口一葉、口語文の世になってもかたくなに文語文を使い続けた佐藤春夫、彗星のように現れて消えた文語文最後の使い手中島敦…エトセトラ、エトセトラ。我々はいまや文語文から遠く離れてしまい、いまさら習得することも最早不可能であるが、文語体で以って書かれた文章を読む事は可能なわけで、本書は文語文に触れるためのガイドブックとして使うのが最も合理的なやりようであるように思う。少なくとも、今まで触れてきたものに触発されなかった未開の部分を刺激されたのは確か。斉藤緑雨なんて、本書を読まなければ触れようとも思わなかっただろう。大感謝。ちなみに文語文というのは(本書で言うのは)多分候文と漢文訓読体と宣命体?あたり?

  •  旧字旧かなというより文語文かな。ただ言葉遣いといった面ではなく、文語文は文化的に大いなる遺産であり、今日我々はそれを失ったとする政治的な主張が強い本。

  • 山本夏彦といへば辛口エッセイで知られてゐるが、私は今まで殆ど讀んだことがなかつた。<BR>
    以前から氣になる方ではあつたので、題名にひかれて讀んでみた。<BR>
    <BR>
    そもそも「文語文」とは何であらうか。<BR>
    中學校の頃、日本語の文には「口語文」と「文語文」があるとは習つてゐたが、
    正直云つて「話言葉」と「書き言葉」の關係とごつちやになつてしまひ理解できてゐなかつた。<BR>
    筆者はここで、明治中頃の文章家たちを引比べて「文語文」を説明してゐる。<BR>
    山田美妙、二葉亭四迷といへば言文一致というのは中學校の文學史の常識であるが、
    あの樋口一葉が「にごりえ」「たけくらべ」を書いたのはそれよりも後のことだとは、けふのけふまで知らなかつた。<BR>
    <BR>
    なにはともあれ、「文語文」とは、
    (と云つて筆者はきつちりと定義してゐる譯ではないが)筆者の表現を借りると次のやうである。<BR>
    「文語文は平安の昔の口語が凍結され、洗煉に洗煉をかさねて「美」と化したものである。」<BR>
    即ち、古典につながり千年以上の傳統に裏打された日本語表現が「文語文」で、
    現在の「口語文」は殘念ながらその傳統から游離してしまひ、
    言葉としてのリズムを失つた爲に暗唱に耐へないということを云つてゐる。<BR>
    口語自由詩になつて詩が讀者を失つたのはその所爲で、
    讀者を失つたからますます難解になつたとも云つてゐる。<BR>
    <BR>
    また、文末表現も「文語文」は多彩な表現が可能であるのに、
    「口語文」では「である」「です」「だ」「いる」など單調になりがちだとも云つてゐる。<BR>
    たしかにそのとほりで、この私の文章がその好例である。<BR>
    だからといつて筆者は「文語文」にかへれと云つてゐる譯でもない。<BR>
    「私は文語にかへれといつているのではない。そんなこと出來はしない。
    私たちは勇んで古典を捨てたのである。別れたのである。
    ただ世界ひろしといへども誦すべき詩歌を持たぬ國民があらうかと、
    私はただ嘆ずるのである。」<BR>
    <BR>
    この本を本を讀んで私は二十數年ぶりに明治の文學を、就中、新體詩を讀んでみたいと思つた。<BR>

    2003年3月31日讀了

  • 文語で考えることが出来ないと、文語を自在に使いこなすことも出来ない。素読は重要だったのだ。せめて語彙だけでも増やすようにしよう。

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著者プロフィール

山本夏彦
大正4年東京生まれ。コラムニスト、作家。「室内」編集・発行人。昭和22年『中央公論』に発表した「年を経た鰐の話」が坂口安吾らの目にとまり、注目を浴びる。その後、出版社勤務を経て昭和33年、月刊インテリア専門誌『木工界』(36年に『室内』と改題)を創刊し、以来編集に携わった。『週刊新潮』『文藝春秋』などにコラムを連載、一貫して、世相をするどく諷刺する辛口コラムを得意とした。昭和59年第32回菊池寛章を受章。
著書に『日常茶飯事』『編集兼発行人』『死ぬの大好き』『完本文語文』『「室内」40年』『私の岩波物語』などがある。平成14年に10月に死去した。

「2022年 『無想庵物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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