カルト資本主義 (文春文庫 さ 31-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (475ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167443023

感想・レビュー・書評

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  • 昔読んだ。多分この本の単行本がでた98年頃ではないかともう。非常に面白いと思い、こういうわけの分からん反理性主義的なカルトは嫌だなあ、と思った。
    あれから十数年。再度読み返す。内容そのものはよく覚えていたので特に違和感はないが、読むこちら側の変化が身に沁みる。

    中身が古びたわけではないのだけど、十数年の社会の変化の大きさの方にいささか驚いている。日本社会や会社というものを、変えようもないビッグブラザーのように認識し、それに従う「サラリーマン」という人間モデルも、今となってはなんだか虚構臭い。
    かつて、あまりにも実体を伴って存在していたものが、いまやこのように、お殿様とか将校とかと同じようなレベルの存在になったということに、あらためて驚いた。
    でも、会社というのは外から見るほど実体のあるものではないというのは、経営すると案外分かる。国家や金と同じく、共同幻想である。共同幻想から覚めかかった人間が、それを最強化しようとするとプロトタイプに戻る・・・だから古神道とか、ひとりの人間レベルの素朴な生活信条(前向きに生きよう・・・とか)にしか戻れない。
    ここにあるのは、貧弱な理性である。
    カルト資本主義は、たしかにあるだろう。しかしそれはそんなに大した敵ではなくて、単なる理性と良心の貧弱な人々である。操る側も、操られる側も。

    斎藤氏は、そこに踏み込まない。だから、読んでいて物足りないと思った。
    生産性向上のための内面支配という物語で解読しようとする。それは物事の一面に過ぎないし、切れ味はいいが粗雑だ。
    これでは、まさに「アメーバ」のごとく、切ったつもりが、ふたたび修復し合体してもとに戻るだろう。

  • はじめは稲盛氏の思想的バックボーンに仏教的なものがあるからといって、さすがにフナイ会長やヒガ先生やエモト氏と同列に論じるのはどうかと思っていたのだけど、京セラのエピソードを読んでいるうちにどんどん気持ち悪くなってきた。あらためて、この手のスピ系自己啓発ってやつは、永久機関や超能力みたいなトンデモさんに比べて始末に負えないものであると再認識。

  • 一流企業や科学技術庁のオカルトへの傾斜や、稲盛和夫や船井幸雄らの経営思想を追いかけ、その背後にあるニューエイジ・サイエンスが現代の資本主義とどのように結びついたのかを解明している本です。

    著者は「カルト資本主義の司祭たちは、欧米の文献をひもといたり、思想史の知識をひけらかしながら、“布教”している。現象面を報告し批判するだけでは、対抗できない。そこで、単行本を書くにあたっては、彼らカルト資本主義者たちの思想的な源流や、その正当性を思想史、科学史にまで踏み込んで取材をした」と述べていますが、この点では本書の議論は十分だとは思えません。もっとも思想史や科学史の観点からスピリチュアル的な経営哲学・経営思想の淵源を明らかにするという仕事は、ジャーナリストである著者に期待するべきものではなく、他に適切な論者によってなされるべきでしょう。

    むしろ本書を読んで一番残念に思ったのは、いわゆる「日本的経営」への踏み込みが甘い点です。著者は、政治的にはまったく異なる立場に立つはずの山本七平の『「空気」の研究』(文春文庫)を「名著」とまで呼んで、会社のために身も心も尽くす日本の労働者たちを囲い込もうとする「カルト資本主義」のいかがわしさを摘発していますが、その過程で俗流の日本文化論に著者自身が陥るという、いわばミイラ取りがミイラになるような立ち回りを演じてしまっているようにも見えてしまいます。

  • kamayama?推薦。

  • うーん、とても面白かった。こういうの調べて本書くの楽しそう…。しかしどう考えるかは難しい。思考体系が異なるから、"カルト資本主義"への批判も科学的思考の域内を出れない。自分としてはどっちにもうなずけちゃう面があるけれど捉え方は著者のほうに近いのかな。ただ、何を以って、少なからぬ人々を引き入れてしまうか否かが異なるのか、そういう点にはずっと興味がある。
    資本主義と、感情的な面でそれを支えてる思想を、ややセンセーショナルだけどカルトと言い切って結び付けてしまって、なんか腑に落ちた。

  • 著者の論述部分は失礼ながらあまり理知的と言えるものではないが、しかしここにある事例の興味深さは特筆に値する。

  • 「くよくよしない」「我執を忘れよ」「流れに身を委せる」…日常的には誰も否定できない信条が、世界の「真理」に登り詰めるとカルトになる。物心二元論の否定とともに科学を霊性なるものが乗っ取っていく。それはオウムのような「特異」な集団の現象ではない。ソニーも京セラも科学技術庁でも堂々とまかり通る。その本質は結局、人々を思考停止に導くことにある。「観念論」の一言で片付けられない、人間をひきつける魅力がカルトには存在するのだ。

  • オカルト主義や、疑似科学が経営の中に持ち込まれたとき、それは働く者の幸せとつながるのであろうか?
    それは、すべてを自分の精神に内包し、自分で考える力を奪い、ひたすら企業経営者や社会に対する責任逃れを正当化することにつながることもある。
    個人の範囲で超科学や宗教を信じるのはいい。しかし、それが多くの労働者・市民の生活を左右する立場の人間によって広められた時、それは社会にとって、会社にとって、決していい結果はもたらさない。

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著者プロフィール

ジャーナリスト。1958年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業。英国バーミンガム大学修士(国際学MA)。新聞記者、週刊誌記者を経てフリーに。さまざまな社会問題をテーマに精力的な執筆活動を行っている。『「東京電力」研究 排除の系譜』(角川文庫)で第三回いける本大賞受賞。著書に『日本が壊れていく』(ちくま新書)、『「心」と「国策」の内幕』(ちくま文庫)、『機会不平等』(岩波現代文庫)、『『あしたのジョー』と梶原一騎の奇跡』(朝日文庫)など多数。

「2019年 『カルト資本主義 増補版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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