日本のいちばん長い日 決定版 (文春文庫 は 8-15)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (371ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167483159

感想・レビュー・書評

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  • ポツダム宣言受諾・玉音放送
    歴史の授業で、誰しも習い、知っている出来事。
    しかしながら、その裏でこんなにも劇的な、緊迫感に満ちた動きがあったとは…。
    誰もが自分の信じる道を、文字通り命がけで進んでいこうとし、私利私欲・損得勘定で動いた人は皆無。
    だからこそ、悲劇的で切ない結末を迎える人も少なくない。
    入念な取材と、筆者の巧みな表現力の賜物か、ぐいぐいと引き込まれた。
    日本人として、もっと早くに読んでおくべき一冊だと感じた。

  • ポツダム宣言受諾や玉音放送の内容を巡る要人の議論、宮城占拠、玉音放送阻止のための軍人の暴走―。終戦間際の日本に何が起きていたのか。教科書では描かれない、一歩間違えば、今日の日本はなかったであろうと思われる、運命の一日が描かれる。

  • 何年か前に、書棚に突っ込んでいたのを
    ひょいと 読み始めたのですが
    いゃあ これが
    面白くて
    興味深くて

    昭和二十年八月十五日を
    たっぷり 味合わせてもらえました
    その臨場感が すばらしい

    当たり前のことですが
    1941年(昭和16年)12月8日 開戦
    1945年(昭和20年)6月23日 沖縄
    1945年(昭和20年)8月6日  広島
    1945年(昭和20年)6月9日 長崎

    それぞれの「いちばん長い日」が
    あることを 改めて意識させてもらいました

    どんな戦争にも始まりはある、
    けれども
    どんな戦争にも終わりはない

    誰の言葉であったのか
    定かではありませんが
    ほんとうに その通りだと
    つくづく思います

  • 玉音放送までの24時間を書いたノンフィクション。
    無条件降伏を不服とする陸軍の青年将校が、「最期まで戦い抜くべき」とクーデターを起こす。「戦争が終わる」こととは、「負けを認める」こと。満州事変から13年。勝利を信じて戦ってきた事が無になる虚しさ。先に死んでいった軍人や、空襲や貧困に苦しんだ民間人が報われないではないか、と思う気持ち。敗戦国となり国が乗っ取られてしまう事への恐怖。

    勝ち筋が見えないにも関わらず諦められないことを、愚かだ、と思うのは簡単だけれど、それは戦後の世界しか知らない側からの勝手な意見なんだなと思った。到底想像できない当時の人の感覚がほんの少し分かった気がする。

    栄誉の死とか、責任を取るために大臣が切腹とか…所々に武士精神が残っていることが印象的だった。

  • 終戦日である8月15日をめぐる24時間を書いたノンフィクション。

    あ〜…時間がかかってしまった。
    私の知識不足もあり、一字一句読んでも、また前に戻り一字一句読む。
    それでも全てを理解できていない私…(泣)

    というわけで、評価が付けられません。

    『戦争』ひとつの目的=『勝利』に向かって突き進んで、それが不意に終わってしまった…その時の心情。
    人それぞれ捉え方や感じ方は違っていても、それぞれの人が信念を持ち行動をする強さに感動しました。

    ちょっと…映画を見て出直してきます。

  • 1945年8月15日玉音放送までの24時間を一時間刻みでまるでドラマの24のように描く。登場人物が多くて職位で呼ばれることも多くボーッと読んでいると何が起こってるのかよくわからなくなるので注意が必要。
    今の時代から見ると、なんでもっと早く戦争を終わらせられなかったのか、と思うけど、その答えの一部はここに描かれている。
    始まってしまった戦争を終わらせるのは、そんな時代に生まれ教育を受けてきた人々の生き方を否定することであった。自分自身、その所属する組織、つまり社会が、日本という国を支えると自負する軍隊だった場合、戦争が終わるというのは完全に自分を否認することだった。東京で本土決戦を覚悟していた者たちにとっては特に、国土に攻め入られてもいないまま負けを認めるわけには行かなかった。

    「南米の小国パラグアイは五年戦争で人口の八割を失うまで戦いました。フィンランドしかり、我々の敵国である中国もまたしかりであります。ひとり我が国は神州正気の民と自負しながら、本土決戦も行わず降伏せんとするのでは、あまりに打算的というほかはないと私は思うのです。このような中途半端で戦うことを止めるなど、玉砕し、特攻と散った英霊をあざむくこと、これより甚だしいものはないと考えます。閣下、これ以上、もう申しません。美しかるべき日本の精神を取り戻すためにわれわれは蹶起します。近衛師団がいまこそ中心となるべきなのです。閣下のご決意をお願いいたします」

    15日午前0時から1時の間の井田中佐が森師団長に語ったこの言葉を正しい帝国軍人の言葉と解するか、あるいは現実の見えていない狂人の言葉ととるか、どちらも可能だろう。ただ、それを受け止める師団長(殺されてしまう)も、更に上の立場である阿南陸軍大臣も判断は「大御心に従う」という天皇任せのものであった。

    日本的な、といえばそうかもしれないが、戦争をここで終わらせたのは弱冠44歳の昭和天皇の遅すぎたリーダーシップであった。もっと早くできたのでは、と言うことはできるのかもしれないが、それを恐れるだけの理由は何が8/15に起こっていたのかを知ると一定の想像ができるだろう。

  • 終戦の日に相応しい書物と思ひ、『日本のいちばん長い日 決定版』を登場させます。といつても2日過ぎてしまひましたが。
    長らく「大宅壮一編」として刊行されてきましたが、実の著者は半藤一利氏でありました。いろいろ大人の事情でさうなつてゐたのですが、現在は加筆されて「決定版」となり、満を持して半藤氏の著作として発表されました。
    岡本喜八監督による映画版も観てをります。三船敏郎の阿南惟幾が切腹するシーンが目に焼き付いてゐます。

    さて「日本のいちばん長い日」とは、1945(昭和20)年8月15日の事ですが、厳密には前日14日正午から、玉音放送の15日正午までの24時間となつてゐます。
    本書では1時間毎に区切り、24章からなつてをります。7月下旬にポツダム宣言が通達されてから、受諾を受けることが決定するまでの間を「プロローグ」として、予備知識を読者に与へてくれます。

    ポツダム宣言を受け入れるまでに20日近くかかつてゐます。この「最後通牒」を軽んじてゐた日本政府・軍部は、これを黙殺するのみであると決定しました。お陰で8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾が投下され、多くの命が失はれたのであります。無論それ以外にも戦場で多くの若者が死にました。怒りしかありません。

    政府がポツダム宣言を受諾し、天皇が自らラヂオで終戦を宣言する、と決定しても、それを許さずといふ一派がクーデターを目論みます。日本の敗戦を認めず、近衛師団の森赳中将を殺害したり、ニセの師団長命令を出したり、玉音放送を阻止せんと、一時は皇居まで占拠します。
    このクーデター集団の暗躍とその失敗が本書の眼目に置かれてゐるやうに思ひます。旧版に比して、かなりの新事実が加筆されてゐるやうです。その取材方針は好感が持てます。はつきりしない事項はそのまま不明としたり、事実を並べるだけにして結論を出さなかつたり。

    わたくしが小説から離れ、ノンフィクション作品を多量に読むやうになる切つ掛けとなつた一作であります。12年くらゐ前でせうか。自分はまだまだ何も知らぬなあ、小説など読んでゐる場合ぢやないよと思つたのです。まあそれくらゐのイムパクトがあつたといふ事ですね。なるべく多くの日本人が読むといいなあと思ひました。デハまた。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-763.html

  • ポツダム宣言を受け入れて、玉音放送を実行するまでの一日を関係者の証言に基づき再現したドキュメント。
    終戦と言えば8月15日の玉音放送が思い浮かぶが、実際に放送されるまでの薄氷を渡るような状況がひしひしと伝わってくる。
    陛下にご聖断を頂き、宣言受け入れを決断するまでの大臣たちの葛藤は、当時の上層部がどれだけ苦しい思いをして、ここに至ったかを忍ばせる。
    例え聖断といえども受け入れられず、クーデター蹶起に走った若い将校たちからは、戦前から刷り込まれてきた軍国教育の真髄というか、本質が溢れだす。
    軍国主義に則って教育された若者たちが暴走する姿は、日本人という民族には例外的な卓越があるなどという戯けた考えを叩き込まれただけではなく、命令服従という軍として成立させる最低限のことさえも教え込めてなかったという事実を改めて浮き彫りにしている。
    最後に責任を取って自刃する多くの軍人たちは、そのことにも責任を感じていたのだろうか。

    それにしても一つ、何かがずれていたら玉音放送は実現できなかったということには、冷や汗を流さざるを得ない。
    そんな小さなズレだけで、日本の歴史は大きく変わっていたかもしれないのだ。
    革命ではなく大改革だったとも評される明治維新では成し遂げられなかった日本の変化は、本当に長かったこの一日でようやく一歩が踏み出されたことを実感させられる渾身のドキュメンタリーだった。

  • 確か数年前、本作がテレビでドキュメントドラマとして放映され、玉音放送の原盤の争奪や一部の塀の反乱があったことは、覚えていた。
    今回、原作を読み、フィクションよりもサスペンスフルで緊迫感があり、ノンフィクション以上の歴史の面白さ(歴史に対して不遜な言い方だが)を味わった。
    歴史の不思議、いくつかの偶然の重なりがもたらす歴史の必然ともいうものに、思いを新たにした。
     もし、玉音盤を他の誰かが保管していたら、…
     隠し場所が明らかになったら、…
     そしてそれが叛乱兵に奪われていたら、…
    8・15は無かったかもしれないし、戦後歴史は違った様相を見せていたかもしれない。
    スピードを増す列車が急停止すると、死傷者が出てしまう。天皇および内閣が決断した戦争終結をめぐり、玉音放送の前ばかりでなく、15日以降もこれほど軍人の叛乱があったとは・・・
    片意地を張った正義(先の大戦では国体護持という言葉)が、どれだけの災禍をもたらすかということを再確認した一書である。
    そして、歴史の転換点には、将来を見通す洞察力と先見性、ゆるぎない信念を持った指導者が必要であることを再認識した。
    天皇陛下の決断、鈴木首相の老獪さ、阿南陸相の潔さ、米内海将の聡明さ、彼らの存在なしに8・15を語ることはできない。しかしながら、歴史を作るには、彼らを取り巻く幾多の人々(本書の場合で言えば、宮内庁の人々、放送局の局員たち、そして組織に則った軍人)のたゆまない努力、献身、支持なしにはあり得ないのは勿論である。
    今後の日本、さらに世界の来し方行く末に思いを致す人ならば、本書は必読の一冊と言えようか。
    今夏に映画化も予定されているようで、どのような映画になるか、楽しみとしよう。

  • 難しい漢字が多くて非常に読みにくい文章にも関わらず、最後まで読んでしまった。
    当時の日本人のなんとも烈しくことか…

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著者プロフィール

半藤 一利(はんどう・かずとし):1930年生まれ。作家。東京大学文学部卒業後、文藝春秋社入社。「文藝春秋」「週刊文春」の編集長を経て専務取締役。同社を退社後、昭和史を中心とした歴史関係、夏目漱石関連の著書を多数出版。主な著書に『昭和史』(平凡社 毎日出版文化賞特別賞受賞)、『漱石先生ぞな、もし』(文春文庫新田次郎文学賞受賞)、『聖断』(PHP文庫)、『決定版 日本のいちばん長い日』(文春文庫)、『幕末史』(新潮文庫)、『それからの海舟』(ちくま文庫)等がある。2015年、菊池寛賞受賞。2021年没。

「2024年 『安吾さんの太平洋戦争』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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