参謀の昭和史 瀬島龍三 (文春文庫 ほ 4-3)

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 28
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167494032

作品紹介・あらすじ

太平洋戦争中は大本営作戦参謀、戦後は総合商社のビジネス参謀、中曾根行革では総理の政治参謀。激動の昭和時代を常に背後からリードしてきた実力者の六十数年の軌跡を検証する。

感想・レビュー・書評

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  • 瀬島先生とは、片言ですが会話したことがあります。怖い印象はなかったけれど、瀬島先生に対しては、生きた時代、生き抜かれた軌跡からさまざまな見方があるのだなぁ。その一つの視点として読みました。

  • ・著者は瀬島龍三氏に様々な期待をしているのに、瀬島氏はそれに応えていないという構図。
    ・後講釈だが、おそらく瀬島龍三氏は終戦で人生の全てが終わったと思っていたのではないか。財界活動や臨調委員をしても、大本営参謀本部での仕事ほど夢中にはなれない。そして、瀬島氏のその気持ちを分かち合える人は誰もいないのだ。
    ・戦争のことを語りたがらない人の中には、自分の卑怯な行動を悔やんでいる人が恐らく沢山いる。戦争とは尋常ならざるものであり、我々戦争を知らない人間がとやかく言うことはできない。だがそれ故に後の世代のために、教訓を残してほしいとは思う。

  • 出版当時は、瀬島龍三も生存し、著者としては、歴史の真実を語って欲しい、語っていない、隠している、とのトーンに終始している。
    ただ、瀬島が他界し、それも叶わない中で、この本を読むと拍子抜けの感にもなる。
    瀬島は、相当に意思の強い人物であるからして、墓場まで持っていかざることも多々あったのだろうし、それも理解できる。
    (戦中の数々の疑義に対し、おそらく著者が推測していることの大半が真実に近いのだろう)

    それを離れ、瀬島がどのような人生を送ってきたのか、特に戦前、戦中、戦後と世の一線に身を置いてきた人物に対して大いに関心がある。それは良い悪いではなく。
    陸軍という特殊な集団で、どのように頭角を現してきたのか?、また陸軍の組織の弱みは?

    興味深いところは、伊藤忠時代。
    よく、戦後の復興、特に企業活動について、陸海軍の組織論が活かされている、と聞くが(それが発射台を高くしていた)、まさに彼が伊藤忠で組織を動かす際に使っていた要諦は陸軍で仕込まれた仕組みだ。

    以下抜粋~
    ・戦争とか騒擾の要因は、歴史をひもとけば三つしかない。思想・宗教、食料・水、そして燃料、このうちのひとつが要因となって戦争は起こる。
    ・「一人一人に「もっと勇敢にやれ」というようなことは、いうものじゃないんです。組織全体にひとつの勢いをつけるということが大事なんです。勢いさえつければ、人間の心理からしてみんなが最大限に全幅の努力を傾注し能力を発揮するようになるものだと私は信じます」
    ・「戦術の失敗は戦略で補えるが、戦略の失敗は戦術では補えない」

  • 多くを語らないのは、語れないことがあるからなのか。

    またぞろ昭和の亡霊のような施策が実行されようとしている令和の世の中にあって、昭和の時代になにがあったのか考えることは大事だと思う。
    臨調において、自分の意見を表明せず、ただ取りまとめていたというこの人物はずいぶん不気味だなと感じる。
    参謀らしいといえばそのとおりなのだが、副官なのだな。自分がやりたいことがあるわけではなく、周りのやりたいことを実行に移していく能力に長けた人なのだと感じた。こういう人が優秀な官僚なのだとすれば、それば亡国への一歩であるように思われる。誰かの誤った考えを止めることができないのだから。

  • R4.2.7~2.19

    (あらすじ)
    陸大を優等な成績で卒業し、太平洋戦下の大本営作戦参謀を勤め、戦後は高度成長期に商社の企業参謀、さらに中曽根行革で総理の政治参謀として活躍―。激動の昭和を常に背後からリードしてきた瀬島龍三。彼の60年の軌跡を彩る数数の伝説を検証し、日本型エリートの功罪と歴史に対する指導者の責任を問うノンフィクション力作。

    (感想)
    保阪正康さん本2冊目。
    「参謀」という職務がよく分かる一冊。
    また、瀬島龍三という人を初めて知った一冊。
    この本、1991年に出版されて、瀬島さんが亡くなったのが2007年、ご存命のうちに根掘り葉掘り書かれたわけですね。いろいろとお互いに想いがあっただろうなと感嘆。大変考えさせられたドキュメントでした。

  • 昭和史を勉強すると、瀬島龍三(せじまりゅうぞう)という名前がチラつく。「司馬遼太郎が瀬島龍三と対談しているのを読んで、司馬に非協力的になった元軍人がいた」というような話から、瀬島龍三とはどういう人物なのかに興味を持った。
    瀬島龍三は陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校と進み、陸軍大学校をははな首席で卒業したエリートである。参謀本部の作戦課に長く在籍し、多くの作戦に関わった。
    終戦後はシベリアへ11年間抑留され、東京裁判の証言のために一時帰国。その後、昭和31年に正式に帰国。繊維メーカーに過ぎなかった伊藤忠商事に就職し、大手商社にのし上げた実績から、会長にまで上り詰めることになる。

    半藤一利著『昭和史』の最後の部分で著者は、官僚への批判を行なっている。
    「太平洋戦争は左官クラスによって引き起こされ左官クラスによって負けた」と言われるのは、若手の参謀が机上で決めた作戦を現場に押し付けた結果が終戦につながったからだ。
    官僚には現場がない。それ官僚の特徴である。その意味で参謀はまさに官僚である。
    そして、現場なき官僚は必ず、現場よりも内向きの論理を優先する。その積み重ねが、敗戦へと至ったのだ。

    P153ページより引用。
    太平洋戦争は3年8ヶ月余も続いたが、陸軍にあってこの作戦指導を実際に進めたのは左官クラスであった。ちょうど30代から40代前半にかけての陸大出のエリートたちが、陸軍省や参謀本部の中枢に座って戦争遂行の中心的な役割を担った。

  • 保坂さんが瀬島さんをあんまり良く思ってないのは分かった。

  • 瀬島は、戦争中は参謀として真珠湾攻撃以後の戦略、戦術に大きく関わった人物である。
    しかし、台湾沖航空戦という負け戦の電報を握りつぶすということをやり、その後のレイテ決戦に大きく影響を与えたが、そのことを戦後はっきりとは公言しなかった。また、戦後はシベリアに抑留され、東京裁判に証人として呼ばれて帰ってくるが、その時のことや抑留の条件談判にも臨んでいるのに、それについても語っていない。さらに、シベリア抑留では悲惨に目にあったといいながら、実は参謀は恵まれた暮らしをしていたわけで、それについても語っていない。戦後は、伊藤忠に入り、伊藤忠を大商社にのし上げるのに、大きな働きをしたが、一方で多くの疑獄にも関わっている。瀬島はメディアに対しては、自分の誇るべき点は雄弁であるが、都合の悪い点はほとんど語っていない。瀬島を賞賛する人たちがいる一方で、かれのことをこき下ろす人々がいることは、瀬島の二面性を物語るものである。

  • 大本営参謀→商社員→臨調メンバー瀬島龍三を追った昭和史。叔父が瀬島龍三の部下だったこともあり、色々話には聞いているのだが、闇の深い人である。

  • 山崎豊子の「不毛地帯」を読み、このモデルとなった瀬島龍三という人に興味を持ったので読んでみた。

    正直あまり印象に残っていない。

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著者プロフィール

1939年生まれ。同志社大学卒業。ノンフィクション作家。とくに昭和期の軍事主導体制についての論考が多い。

「2022年 『時代の反逆者たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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