TVピープル (文春文庫)

  • 文藝春秋 (1993年5月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784167502027

作品紹介・あらすじ

「TVピープルが僕の部屋にやってきたのは日曜日の夕方だった」得体の知れないものが迫る恐怖を現実と非現実の間に見事に描く。他に「加納クレタ」「ゾンビ」「眠り」など五篇を収録。

みんなの感想まとめ

得体の知れない存在が日常に侵入する様子を描いた短編集は、現実と非現実が交錯する独特の雰囲気を醸し出しています。特に「TVピープル」や「眠り」といった作品は、期待を抱かせつつも決定的な結末を避けることで...

感想・レビュー・書評

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  • 「TVピープル」は、日曜日の夕方、3人のTVピープルが僕の部屋にやってきてテレビを運び込むという、首をひねりたくなるような不思議な話。
    「我らの時代のフォークロア」と、「眠り」が面白かった。
    この先何が起こるのだろうと期待しながら読み進めるのだけれど、結局何も起こらず、決定的なオチもなく、そのことがかえってこちらをホッとさせる。
    村上作品は、すべてが現実離れしているようだけど、意外と現実を鋭い目で見てるのではと思える部分がある。
    だからこそ共感できるし、不可解だけど面白い。

  • この作品は、1990年1月の発行。これの前の短編集が「パン屋再襲撃」で1986年の発行なので、少し間が空いている。ただ、村上春樹は、初期の頃には短編集を頻繁に発表していたが、「パン屋再襲撃」以降は、その頻度ははっきりと落ちている。この「TVピープル」の次は、1996年の「レキシントンの幽霊」。そこからの短編集は、2000年の「神の子どもたちはみな踊る」、2005年の「東京奇譚集」、2014年の「女のいない男たち」、2020年の「一人称単数」となる。また、長編発表とのタイミングで言えば、本作の前は、1988年の「ダンス・ダンス・ダンス」、後が1992年の「国境の東、太陽の西」、また、1994年には「ねじまき鳥クロニクル」を発表している。村上春樹としては、小説作品を比較的多作していた時代と言えるかもしれない。
    文庫本の小説(小説に限らずだけれども)には、普通、「解説」がついている。作家以外の人が、その作品についての背景を語ったり、あるいは、作品そのものについて説明を加えたりするものである。ところが、私の記憶の限りにおいて、村上春樹の文庫の小説作品には、「解説」が付されていない(単行本には、村上春樹の作品に限らず、普通、「解説」が付されていないので、村上春樹の小説には、という言い方をしても良いと思うが)。「解説」を付けるかどうかを誰が決めるのかは知らないが、普通に考えると、村上春樹が「自分の小説には解説を付けて欲しくない」と言い、出版社がそれに従ったと考えるのが自然であろう。だから、村上春樹の小説の感想を書こうとすると、「解説」の助けなしに、小説そのものに向き合って考えて書くしかない。それが、村上春樹が読者に対して望んでいることだと思う。

    この短編集には、6編の短編が収められている。その中で、自分が一番好きだったのは、3番目に収められている「我らの時代のフォークロア -高度資本主義前史」だった。
    「フォークロア」というのは、小説中に「民間伝承」と説明が加えられている。小説は、「これは実話であり、それと同時に寓話である。そしてまた、我らが1960年代のフォークロア(民間伝承)でもある。」と始まっている。ネットで調べると、「民間伝承」とは、「昔から人々の間で語り継がれてきた習慣、信仰、儀礼、説話、民謡、諺などを意味します」とある。
    主人公は1949年に生まれた男性である。1960年代に青春・思春期を過ごした。その時代は、主人公によれば、色々なものが洗練される前の時代、すなわち、「高度資本主義前史」の時代であった。主人公は、中部イタリアで偶然に高校の同級生に会い、彼の話を聞く。同級生は、いわゆる「優等生」であり、その後も東大に入り、商社に入社し、その後、自らビジネスを始めて成功する。彼は、高校時代、これも非の打ちどころの無い「優等生」だった女性とつき合っており、彼の話は、高校時代から、32歳(だったよな)までの、彼から見た、彼と彼女のつき合いについてのものだった。主人公は、この「優等生」が苦手だったのだが、異国での偶然の再会でもあり、また、彼の話の興味深さにひかれていく。
    彼の話の内容は省略するが、主人公は、短編の最後に、「でもこれは彼の身に起こった話であり、我々みんなの身に起こった話である。」と書いている。要するに、彼と彼女に起こったことは、同じ時代を生きた「我々」の誰にでも起こる話であり、だから、その話が「フォークロア(民間伝承)」であると言っているのである。
    私自身は、まずは、それに違和感を覚えた。主人公の昔の同級生の話は、ありふれた、誰にでも起こる話ではない。「高度資本主義前史」である、1960年代の彼らの青春時代にありふれた話とはとても思えない。あるいは、村上春樹は、「こういった話がありふれたものであった時代が1960年代だった」と言っているのだろうか。と考えて、もう少し別の解釈もあり得るな、と考えるようになった。すなわち、彼と彼女の物語の細部は、よくある話ではないが、高校生の男の子と女の子が出会い恋をして、お互いのことを思いながらも不器用にしか相手に接することができない。そのうち、別れてしまい、記憶も薄れていくが、でも、心の奥のどこかで相手のことを思いやっている。そういった歴史はかけがえのないものであり、それを壊さないように、自分たちは生きており、それは、同時代の皆も同じだよね、と語りかけている、と解釈すれば、この題名は理解できるし、物語としても、より美しいものとして読める。

  • 自分はたまにものすごく怖い夢を見ることがあります。あともう少し見続けていたらきっと死んでしまっているような不穏な夢です。でも決まって最後のギリギリのところで目が覚めるのです。本書はそんな悪い夢に似た物語集でした。


    村上春樹さんの本は数えるくらいしか読んでいませんが、本書は元気な村上さんという印象です。
    元気といっても明るい内容ではなく、不安が増幅されるようなものが多いので、少し怖い系に入ると思います。
    とはいえ現実とファンタジーを行き来する不思議な感覚は健在で、さらに独特のキザな言い回しも楽しめます。

    あー怖い。でも本でよかった

  • むらかみさん二つ目。息子の本棚から読みやすそうなこれを選ぶ。
    TVピープル、わけがわからなかった。きっと電気屋さんが三人係りでテレビを納品に来たのだろう、ぐらいに思ったのだが違ったようだ。難解そのもの。後であれこれ考える。

    我らの時代のフォークロアは強烈だった。ミスタークリーンが過去を回想する。確固たる意志で拒み続ける彼女。愛し合っているのに結ばれないふたり。消化不良だ。気鬱な気分だ。
    加納クレタは、ますますわからなくなるが、奇想天外で面白い。ゾンビも。

    一番は「眠り」だ。主人公の女性は、ずっと眠れていないそうだ。だけど周りは気づかない。つらつらと綴れた心境がわかることも多くて、自分に似てるところもあって。
    一見、平穏ななんの不自由もない生活に身を委ねる女性だが・・最後のほうに太字でこう綴っている。
    「何かが間違っている」と。
    読み手によって、取り方は違ってくると思う。女性がノイローゼなのは間違いないと思った。ちょっと頭が痛くなった。

  • Page Turnesで三宅香帆さんが紹介していた本書。村上春樹としては数少ない「女性が主人公」の小説で、今再読するとフェミニズム小説であったことに気づくと。

    今の時代に初めて読む私にとっては、村上春樹のフェミニズムとしてすんなり入ってくるけど、これを1993年に書いたと思うと、その視点の鋭さに驚かされる。

    特にラストの「眠り」。歯科医の夫にかわいい子ども、幸せを絵に描いたような家庭の妻が心の闇に堕ちていく。イメージ的には、フワフワしはじめてグニャグニャになって最後飲み込まれるみたいな。村上春樹調の美しい文体が故に、ホラーのような恐ろしさを感じる。

    全体的にどう理解すれば良いかわからないのだけど、この内容はずっと忘れないだろうなと思うほど印象に強く残る作品。

  • 「自我とか意識とか」

    80年代末に書かれたダークな短編たち。
    個人的に村上春樹の短編はもう4、5冊目になるけど、本作は全体的にダークな印象。

    後に発表される『ねじまき鳥クロニクル』とか『アフターダーク』とかに続きそうな空気が全面に感じられる。

    村上春樹は自我/自己とか意識/無意識みたいな対比がちょくちょく出てくる。
    本作もそんな対比の中で揺り動かされる主人公たちがポップの殻を被って描かれている。でも作中に見え隠れする闇を感じずにはいられないんだよなぁ。

    表題にもなってるTVピープルなんて特にそう。
    奴らは大胆に姿を現しているのに、それがあたかも、
    「いや、私らなんて全然無害な存在なんですよぉ」って感じでむっつり出てくる。
    それが腹立たしくもおもしろい。

    その片方で自分の世界と照らし合わせて読んだらちょっと怖くもある。
    悪いやつが堂々と表通りを闊歩しているのにそれが自然になってて、しかもみんな見向きもしない、ってのは妙に落ち着かないよね。
    そんなざわざわした気持ちにさせてくれる短編たち。
    どこか愛おしさを感じるのは村上マジックのせいだけど。

    日常に飽き飽きしてる人ほど、どこか引っかかるものがあるはず。ぜひご一読を。

  • TVピープル
    自分だけが気づいている世界のちょっとした違和感がどんどん増幅して行って、ついには平穏な日常が奪われる。しかし、そのことに気づいた時にはもう遅くて、日常は帰ってこない。なぜならもう駄目だから。
    TVピープルがなんで小さいのか、なんでテレビを運び込むだけなのか、妻はどうしていなくなったのか、疑問点はたくさんあるけれどなによりも哀しい話として読んだ。そもそもTVピープルって悪なるものなのかな?そこもはっきりしないところが春樹っぽい。

    我らの時代のフォークロア
    人生のある一時点でしか成立し得ない男女のみずみずしいケミストリーみたいなものが年月を経て、失われるのを見るとなんとも言えない寂寞とした思いに包まれる。初恋の人に久々に会って幻滅したみたいな話とはまた訳が違う物悲しさ。彼女との関係性という視点で自分の人生を相対化してみた時にどこにも辿り着かない、虚無感だけが残ったのだろう。

    眠り
    全体として不気味な雰囲気が漂う。私が子供につける視線がなんとも言えず悲しい。「結局は他人なんだ、と私は思った。この子は大きくなったって、私の気持ちなんか絶対に理解しないだろうなと私は思った。」
    究極的には人生は孤独だということに気づき、自分の冷たさに驚きつつも孤独という真理自体は揺らぐことはない。
    眠るという行為が単調にすぎていく人生の意味をある種曖昧に「してくれる」。眠るという行為無くしては人間の意識は極端に先鋭化する。そして、今まで無思考に自明としてきた数多くのものが自明には思えなくなってくる。

  • 再読。長さ(短かさ)、虚構度合い、そのトーン。どれをとっても振れ幅の大きい短編集。

  • 1990年2月20日 第三刷 再読
    コーヒーとチョコレートと共に嗜む

  • 村上春樹の短篇は、物語が中途半端なところで終わることが多いため、消化不良に陥ることが大半なんだよなぁ。

    でも、時たま、とても良い短篇作品に出合うことがある。
    そういった自分にとっての当たりを見つけるために、ちょくちょく短編作品を読んでいるのだが、本著では、「眠り」がそれにあたる。

    主人公は、夫と息子を持つ、ごく普通の主婦。或る時から、彼女は、一切の睡眠が不要となり、空いた時間を自分の時間に活用するようになる。
    一見すると、とても幸福そうにみえるのだけど、”眠らなくてよい”ことへの不安、自分だけ”他人と異なること”への一種の背徳感、或いはそれに起因する夫や息子への蔑視、羨望が読みとれる。
    そのためか、始まりから終わりまで、ずっと虚無感が漂っているのだ。

    だが、この虚無感は「眠り」に限ったことではない。
    本著の短篇で登場する人物は、自らの意志では変えることのできない何かに縛られている。そして、そういった抵抗できない何かに対する”むなしさ”や”やるせなさ”を終始一貫して感じた。

    いままで読んだ著者の長篇では、主人公が抵抗できない何かに立ち向かっていた。
    結果がどうであれ、強い意志を彼らは持ち合わせているのだ。
    だけど、本著の人物はそれがない。まるで失敗作のようだ。
    でも現実にあてはめてみると、それが(すなわち抵抗できない何かに屈服することが)、大多数を占めるのかもしれない。
    そう考えると、長篇がある種の希望(いい言葉が思い付かない。希望とはまた違う気もするが…)を描く一方、本著は、長篇の底流に流れる影を描く、リアリスティックな叫びをあらわしているのかもしれない。

  • 好き!!
    少し世界が狂っていて、自分だけが違和感に気づいてる。すごい好きな世界観だった。
    TVピープルは「存在することは知っているし、街中で見てもいるけど、居ないことにしている」そんな存在なのかな。現代社会でも似たようなことは無意識にしてる気がして、客観的に見てゾッとした。さいごは主人公もTVピープルになってしまったのかな。たから「もう駄目になってしまった」?

    もう変質してしまった2人の全てが終わった後の話。

    特に好きな話
    ・TVピープル
    ・我らの時代のフォークロア
    ・眠り

  • 村上春樹の中でも特にすきだった
    眠りは、ちょうどこのまえ金縛りになったから想像力がむくむく膨らんでにやにやした 果てしなく深い覚醒した暗闇 そういう暗黒の中で永遠に覚醒しつづけてることかもしれない休息ではない死、なんてやばい

  • ポッドキャスト「ペーパードライブ」を聴いて読んでみた。表題作と眠りについては別の短編集「象の消滅」で読んだことがあった。他の短編については正直なところあまり印象に残らなかった。

    TVピープルは、何に対しても情熱を持つことが無い空疎な主人公に、さらに空っぽそうなよくわからないもの(オレンジの皮むき器のような飛行機?)が流し込まれる話と感じた。いろいろなものに白けた態度をとり続けた空の箱のような人には、少しのきっかけで何でも流し込める恐ろしさ。

    この当時、ソニーのTVはきっと最新の製品と思うけど、2025年に読み返すとノスタルジックなものに見える。また、その時代設定のせいか、TVピープルが登場する際の空間の歪の描写も、80年代後半から90年代初頭の荒い画像処理で自分の脳内で再生されるのも面白かった。あの頃の世にも奇妙な物語のような質感というか。リアルタイムで読んでいるとまた全然違う世界観で読めたものなのだろうと思うと、当時読んだ人に聞いてみたい気持ちになる。

    また、冒頭から主人公に聞こえている音の擬音が不思議なもので、その変なカタカナの連なり方は、表紙が佐々木マキなこともあり、佐々木マキのムッシュムニエルの呪文を連想し、より一層、奇妙な物語感が強まった。

    眠りはこの短編集の中で一番良いと思った。というより、記憶の中ではこれまで読んだ村上春樹の短編の中で一番好きな作品。主人公は女性だが、途中まで主人公の性別がわからないくらい、語り口が女性的ではなく、ここにリアリティがあると感じている。女性も頭の中で考えを巡らせるときはこのような性別を超えた文章で考えるように思うので。

    また、主人公が抱える苦悩(同じような毎日が繰り返される、傾向を消費される等)は、勿論女性としての苦悩であると思うし、実は男性にも響く内容だと思い、普遍性があると感じた。今読んでも全く古く感じないので、性別だけではなく時代も超えているのだろう。

    ラストは恐ろしいけれどれも、この話自体が長い夢の中であり、夫と息子に起こされる描写にも見えるし、やっぱり死を想起させるものとも思えた。物語の後半で、主人公が頭と体を切り離し機械のように必要なタスクをこなしていく事は理想的な状態ではないけれども、生きているからこそできる事であり、死を迎えるときは精神と体を切り離せない状態に向かっていくのであれば、恐怖が頭の中に充満し、身体も支配されたラストは死を迎える際の一つの創造しうるパターンとして考えられそうだなと思った。でも、こんなに恐怖を感じるのだとすると本当に死ぬのが恐ろしい。

  • 三宅香帆さんが勧めてた「眠り」目的で読み始めた。
    微ホラー?世にも奇妙な物語的な?感じの短編集。
    「我らの時代のフォークロア」「眠り」は私が著者に持ってるイメージに近い作品だなと思った。村上春樹を読むと、シーンと静かな虚無感とか悲しさに包まれる。
    だけど私にはよく分からない短編も多かった。よく分からないのに理不尽に怖くて気持ち悪い話。ひたすら不快であまり好きじゃなかった。考察できる人にはなにか気づきがあるのかもしれない。「加納クレタ」とか本当に意味が分からなくてもやもやしたんだけど、同じ名前のキャラがねじまき鳥クロニクルに出てくるみたい。あの話のキャラがでてくるのか……

  • 先日読んだ村上春樹氏へのインタビュー本にて川上氏が『TVピープル』に併録の『眠り』の女性の描き方が好きと言っていたので興味が湧き、だいぶ古い短編集だけど楽しんで読んだ。6編とも展開が予測出来なく、突拍子もないと思えなくもないのに読み進んでしまう。表題作も読み終えてみれば不思議な魅力。目当ての『眠り』はおもしろく読んでいたのにラスト後味悪いというかほんのり悪意を感じ、川上氏ならラストをどう描くのか、などと思ったりした。村上春樹氏の短編集は2冊くらい読んでいるけれど解説無いんだ、と本作で気付いた。

  • 奇妙なお話の短編。
    やっぱり村上春樹は読みやすい。
    スーッと入ってくる。
    奇妙でも。

    「眠り」が一番記憶に残る。
    話の持っていき方が面白いし、世界観の広げ方が共感できる流れで好きだった。
    眠りと死について。
    その関係性について興味を持った。
    村上春樹にしてはファンタジー過ぎない。

  • ちょっと評価をつけるのが難しいけども、、ノルウェイの森を読み終え、1Q84の途中でのこの本。

    大事な友達が色々と気分が落ち込んでた時に貸してくれた本です。

    分からない短編はほんとに分からなかったですが、読んで良かったです。
    村上春樹さんを全部読んだことがあるわけではないので、一概には言えないけれど、読んだ感想として「村上春樹は、分からないやつはほんとに分からないけど、響くやつはほんとに響く」

    と思いました。特に、我らの時代のフォークロアと眠りはすごい好きだったし、加納クレタ、ゾンビも面白く読めました。

    「深い哀しみにはいささかの滑稽さが含まれている」
    う~ん。分かる。

  • 初めての村上春樹
    短編集なので読みやすかった
    特に眠りが面白い

  • 村上春樹さんの短編集です。
    のちに長編『ねじまき鳥クロニクル』に登場するキャラクターの
    パラレルワールド的なお話も収録されています。

    奇想天外な設定や登場人物などは、
    読者の想像力を操る点で言うと、言葉の彩りを操ることで美しさなどを表現する
    「詩」に近いものがあるかもなぁと思いました。光の当て方によっては
    そういう見え方もする文学です。

    哲学的な言葉もありますが、学問としての哲学から生まれ出るような言葉や思考が
    綴られている場面があって、村上春樹さんの作品には時どきそういう記述が
    出てきたりするのですが、だんだん、10代のころに比べてすんなりと読み進めることが
    できるようになってきていることを感じています。
    人間の頭っていうのは、鍛えられるというか、なれてくるというか、してくるものですね。
    でも、逆に、10代の頃のように、鮮烈にその表現や世界観に驚かせられる程度が弱くなっていますし、
    わからない表現に頭をひねってみるという素晴らしい行為も、
    嘆かわしいことにそれほどしなくてもよくなっています。

    ただ、やっぱり村上春樹さんの作品っていうのは、
    というか、すぐれた文学作品ならばどれもそうなのかもしれませんが、
    ストーリーの面白さや文章自体の面白さもさることながら、
    前述したように、読んでいて、正面切って頭を使う状況になること、
    それも適度な負担と快楽をともなってそうなることが、
    大きな魅力なんじゃないかなぁって思いますねぇ。

    変化球のように見えても、
    斜に構えているように見えても、
    実は的をちゃんと得ているのが、すぐれた作品のように思えます。

    その作品がわかりにくくても、迷宮のようでも、
    根底で捉えていることは、浅はかなものじゃないし、ズレてもいない、
    逆にいえば、そうやって根底で捉えられているならば、
    その他の部分では何をやったっていいのかもしれない。
    なんやかややっても、ちゃんと結果がついてくるような気もしますし。
    物語自体が自律的に進んでいくんだよ、って言っている作家の人もいらっしゃったような気がします。
    というわけで、作品の持つ輝きや力強さには根底が大事なのかなと思いました。

  • はじめての村上春樹。図書館に新しく入っていたので借りてみた。90年代に発表された作品だとは知らなかった。
    「眠り」だけ読んでみたが、うーん、合わない…。同じことを何度も繰り返していて進まない。短編ならギリ読めるけど長編にはチャレンジできないなぁと思った。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。『風の歌を聴け』(1979年)で群像新人文学賞を受賞し、デビュー。『羊をめぐる冒険』(1982年)で野間文芸新人賞受賞。『ノルウェイの森』(1987年)がベストセラーとなる。海外でも高く評価され、2006年フランツ・カフカ賞、2009年エルサレム賞、2011年カタルーニャ国際賞を受賞。その他受賞多数。

「2016年 『村上春樹とイラストレーター 佐々木マキ、大橋歩、和田誠、安西水丸』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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