レキシントンの幽霊 (文春文庫 む 5-3)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167502034

作品紹介・あらすじ

古い屋敷で留守番をする「僕」がある夜見た、いや見なかったものは何だったのか?椎の木の根元から突然現われた緑色の獣のかわいそうな運命。「氷男」と結婚した女は、なぜ南極などへ行こうとしたのか…。次々に繰り広げられる不思議な世界。楽しく、そして底無しの怖さを秘めた七つの短編を収録。

感想・レビュー・書評

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  • 7編からなる短編集。
    現実世界のようでありつつ、そこから一歩ズレたような、幻想的な雰囲気をはらんでいると感じました。

    どの話も決してスッキリしないというか、モヤモヤ感が残るんですが、それでも読後感は良かった。
    全体的に暗い雰囲気が漂ってますが、それが意外と、読んでて心地良かったです。

    話は逸れますが、自分はこういう文学作品を読む際も、そのまま実直に読むというか、特に作品におけるメタファーは特に考えずに読む(というか、頭悪いので、そこまで思考が及ばない)ので、他の方の感想を見るとそこんとこ上手く言語化してて凄いと思った。

  • 「レキシントンの幽霊」
    アメリカの古い屋敷で体験した奇妙な出来事。もっと怖いことが起こるのかと思っていたが、読んでみるとそうでもなかった。
    目を見張るような立派なレコードコレクション。
    大量の本やレコードを見ると、それらが生き物のように感じられることがある。
    そのあとの「緑色の獣」「沈黙」「氷男」の方が怖かった。
    幽霊よりも、人の心の奥底に潜んでいる目に見えないものの方が、無限の怖さがあるということに気づいた。
    「トニー滝谷」と「めくらやなぎと、眠る女」は、長編小説の欠片のよう。
    村上春樹は短編小説にもさまざまな発見があって面白い。


  • 作者の短編集読み漏らし②
    ボリュームは200p弱だが、どの作品もかなりヘヴィーで読後に陰鬱なしこりが残る。
    また全体的に示唆的で、作者の価値観・物の捉え方に対する提示がなされ、意外と他作にはない色合いを持つ。
    コンセプチュアルとも言えるし、執筆当時の作者の心情にも思いを馳せれる、とても充実した内容だった。

  • 1990〜96年発表の短編をまとめた作品集。
    郷愁に駆られる作品が多かった。

  • 並走する異世界、ふと交錯し失われる日常の…
    表題作レキシントンの幽霊、トニー滝谷、七番目の男が良い。
    表題作は高校の教科書に使われたりもしてたんですね。

  • 「村上春樹を読む」(113)チョコレートを溶かさないように 地震と村上春樹作品 | 福島民報
    https://www.minpo.jp/globalnews/moredetail/2021022501001518

    「村上春樹を読む」(114)予言的な『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 地震と村上春樹作品 その2 | 福島民報
    https://www.minpo.jp/globalnews/detail/2021032501001855

    文春文庫『レキシントンの幽霊』村上春樹 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167502034

  • 7つの短編からなる村上春樹ワールド、不思議な物語。独特なユーモラスな描写や心の奥底の的確な表現によって、物語に引き込まれていく。

    ピアノ調律士であるジェレミーが住んでいるレキシントンのアパートで不思議な出来事。決してホラーではない。後半は深みのある哀愁を感じさせられる。
    緑色の獣は何を伝えたかったのだろう。人の心に潜む獣の形は実は自分自身なのかもしれないと感じてしまう。
    沈黙では、本当の怖さは迎合する人の本能のようなものが上手く表現され、疑問を提起している。メッセージ性の強さを感じる。
    氷男、なぜ氷男なのだろう。深掘りすると面白い。髪の毛の白さ、物理的な冷たさや歴史上の凍結の話題、時空を超えて過去も未来もない世界。
    トニー滝谷、トニー谷は大昔の芸人だが、それとは別だ。おもしろトナカイでもない。孤独とは何だろう。
    七番目の男、読み始めはホラーの様相であった。過去の経験から生まれた心の暗闇に向き合い、その苦しみを乗り越えていく。それは自分の心の都合に合わせているかのようだ。
    めくらやなぎと、眠る女では文章の美しさが目を惹く。文字から人物や風景が瞼に映し出されるほどに。

    それぞれにテーマがあり、現代社会への問題提起をしているように感じた。読み手の想いや考え方次第でさまざまな色を着色できる作品だ。

  • 久しぶりな村上春樹
    明瞭な文体で読みやすい
    どの短編も良かったけど
    「沈黙」が良かった

    ブックオフにて購入

  • 7つの短編どれも読みやすい。緑色の獣は少し哀しい。沈黙、レキシントンの幽霊が好きです。


  • どの話を読んでも、出てくる人々の孤独について書かれているような気がした。

    友人や家族がいないとか、そういった物理的な孤独だけではなく、彼らの"気持ちとしての孤独"も感じる。
    元々独りだった人が誰かと出会い、その後また独りになる、そういったかたちが多い。


    また、村上春樹作品には女性を主人公とした話は殆どないと思う…そう考えると緑色の獣と氷男は話の内容もそうだが、ちょっと異色ではないか。
    いい意味で、村上春樹らしくないと言うか。

    沈黙は読んでいて、ちょっと腹が立った。
    ああいうタイプって、いるよね。

  • 理解できない話が多かったです。しっかり読み込めば何か意味深いものがあるのかも知れないけれど。
    「沈黙」と「めくらやなぎと、眠る女」は私には面白かったです。「トニー滝谷」は映像化されているらしいので観てみたいです。

  • 【読み終わった今の勢いで】
    この世界の、人間の、怖いところ、恐ろしいところが様々な観点から描かれた短編集。読んでいると自分の「怖さ」にまつわる記憶が走馬灯のように浮かび上がってきて、静かな恐怖の中に閉じ込められるのですが、本を閉じようとも思えない、不思議な引力がありました。
    特に簡潔で明快な「沈黙」と「七番目の男」の最後の数行でそれぞれの主人公が残す言葉が印象的です。
    ある先生がおっしゃった、人間は人間という存在の暴力性と向き合い続けなければならない、という言葉を思い出します。暴力性というのは、ある意味で恐怖という言葉に置き換えられるのではないでしょうか。人間の恐ろしいところとの対峙をやめたとき、人間は他者に対して無自覚のうちに暴力を働いてしまっているかもしれないということや、そもそも恐怖と対峙するということが困難であること、様々な問題の入口に自覚的になれた作品です。ただ、あえて上記二作品を印象的だと挙げたように、残りの作品の中には、「怖い」という感情だけがぼんやりと残る、まさに底無しの恐怖の所在だけが分かるような作品がありました。「緑色の獣」とか。何度か読み直そうかと思いましたが、今すぐもう一度開こうとは思えません。怖さと向き合うのはやっぱり簡単ではないわけです。

  • 癪に障る人物の描き方が秀逸。
    ボクサーの話が良かった。

  • 不思議で不気味な雰囲気の短編集。楽しめた

  • 「村上T」を読んだ時に「トニー滝谷」のエピソードがあって、読みたくなって10年以上振りに書棚から本書を引っ張り出した。
    購入当時これを読んだ後に1983年に「文學界」に掲載された「めくらやなぎと眠る女」を読みたくて「螢・納屋を焼く・その他の短編」を買ったので恐らく読んだはずなんだけど、全く内容を覚えていなかった。その時は全然刺さらなかったのかな。

    やはり私にとって村上さんの作品はストーリーとか結末とかそんなことよりも独特の文章、それはもう芸術的といえると思うんだけど、その例えや会話を、心ゆくまで味わい、楽しむためにあるんだと思う。

    写実的に、情緒的に、迫る風や波、箱の中で溶けるチョコレート、彼女の片方の胸ポケットの小さな金色のボールペンや、V字に開いた胸元から見えた平らな白い胸。

    「トニー滝谷」はもちろん素敵で、映画にもなっていてそれをイッセー尾形と宮沢りえが演じ、坂本龍一が音楽を担当しているなら観ない手はないと思ったし、「めくらやなぎと、眠る女」では何故だかとても悲しくて泣きたくなった。
    「ノルウェイの森」を読んだ時のような気持ちを思い出した。

  • 村上春樹の小説に初挑戦。いくつかの有名な長編小説ではなく7話の短編集から入ったのですが、はっきり言って無理。
    7話とも何がいいのかさっぱりわからないのは、自分の感性が世の中について行かないのかと思って落ち込みそうです。
    何とか理解するために有名な長編小説を読んでからもう一度読み直してみようかなとも思っているところです…。だいぶ先になると思いますが。

  • 村上作品に挑戦しようと短編集から入りましたが...
    まだまだ自分の読む力が不足しているのですね。


    内容(「BOOK」データベースより)
    古い屋敷で留守番をする「僕」がある夜見た、いや見なかったものは何だったのか?椎の木の根元から突然現われた緑色の獣のかわいそうな運命。「氷男」と結婚した女は、なぜ南極などへ行こうとしたのか…。次々に繰り広げられる不思議な世界。楽しく、そして底無しの怖さを秘めた七つの短編を収録。

  • 1980~1990年代に書かれた短編集。
    “孤独”や“心の奥底にある恐怖”が
    テーマになっているように思えた。
    村上春樹作品は長編が2~3作と短編集が他に1作くらいしか読んでないけど、もしかしたら短編のほうが好きかもしれない。
    淡々と、静かに、美しい日本語で、目には見えない恐怖に引きずり込まれるような感じ。
    「トニー滝谷」は前に映画を観たけれど、映画もまさに、静かで美しくて哀しかった。その雰囲気は、小説も同じだった。

    目に見える恐怖よりも、目に見えない恐怖(罪の意識だとか、過去の思い込みだとか)のほうがずっと恐ろしい。

    「沈黙」が一番印象に残った。
    一見善良そうに見えて実はとんでもなく腹黒い人間って実際いる。
    頭も良ければ自分を善く見せる術を知っているから更に恐ろしい。そうして周りをコントロールしていく。
    そんな黒い人間の裏側に勘づいてしまった語り手の不幸な出来事とその後。
    結局最後に勝つのは、自分は正しいと強く信じられる心なのだと思う。

  • 何冊か読んだ短編集の中では、一番読みやすかった。好きな話は表題作と「めくらやなぎと、眠る女」。「氷男」も、ひんやりと白い世界が広がり、それがなんともいえない孤独感と合わさってよかった。「緑色の獣」はちょっと可哀想な気もしたが、よく考えると厄介なストーカーなので仕方ない。私は村上作品に出てくる男女の醸す雰囲気が得意ではないのだが、本書はそれが気にならず、幻想小説を読んでいる感じに近かった。

  • 丁寧で上質で心地よい読みくち。けっこう悲しかったり辛かったり、どうしようもない気持ちになる。

    鬱の星新一

  • 「沈黙」は大学の授業で、「七番目の男」は高校の授業で読んだ。物語に出てくるのは自分が経験していないはずの出来事なのに、この主人公たちの抱いた感情を自分は確かに知っている。

  • 長編断念した村上春樹作品でしたが、短編は合ってるようです。3冊目の短編集。
    不思議な世界観の話が多いから、これが正解ってのはないんだろうなーと思ったのが何冊か読んだ感想。
    空気感が好きとかこんな意味かなとか自分なりの解釈で楽しんでます。
    表題作と七番目の男が好きでした。

  • 「沈黙」が好きだ。真に迫るものがある。何かを与えられるではなく、自分のなかに既にある何かの輪郭を見出すのを手助けしてくれるような感じだ。

  • 表題作のレキシントンの幽霊については欧州怪談っぽい背筋を嫌な汗が通るような感覚は味わえたもののそれ以上のメタファーのようなものは感じられなかった。心に残った作品についての感想を書く。

    沈黙
    青木への憎悪の描写が生々しすぎて、村上春樹が幼少期もしくは大人になってから出会った明確なモデルがいると想像。ノルウェイの森でレイコさんが家庭教師をしていた虚言癖の女の子が秘めていた悪意も同じ類。悪意そのものより悪意に染められて無思考に流される周囲にこそ問題があるというテーマは村上の中で繰り返し問われているテーマなのだろう。地下鉄サリン事件を取材して作られたアンダーグラウンドなどにもつながっていく。

    氷男
    氷男の愛の言葉は南極に行ってもなお、嘘偽りがないからこそ、なお一層かなしい。

    トニー滝谷
    ファッションに疎すぎて、イタリアのメゾンブランドも南青山の雰囲気もわからないけど面白かった。あまりにも美しい服を目にして涙する感情は絵とか音楽を聴いて、涙するのとはまた少し違うんだろうな。

    めくらやなぎと、眠る女
    ノルウェイの森の下敷きとだけあって一番好きな雰囲気。目には見えないけどそこにあるもの。目には見えるけどそこにないもの。現実とは離れたところにある物語の強さを信じている村上だから書けることだろう。
    一旦損なわれたものは二度と戻らないという哀しさを登場人物の過去をだらだら語らず、短編という形で伝えるのは凄い。

  • 人は本来皆孤独なのに
    共存社会に慣れすぎて
    孤独であることを忘れている。
    だから喪失したときにに孤独感にひどく襲われる。

    そのためには孤独を自覚し生きていかなくてはいけないのだな。

    全ての作品で喪失について考えさせられる。
    特に「レキシントンの幽霊」「トニー滝谷」「七番目の男」あたりかな。


    他人の喪失の姿から「デフォルトとしての孤独」を認識させてくれる本であるように思う。
    そして大切な人を失ったときに悔いのないくらい
    日頃から愛と感謝を伝えておかなくてはな。

  • 処分する前に読む母の村上本 その⑤

    1996年11月に出版された短編集
    それぞれ異なる時期に書かれたものがまとめられている
    村上春樹なりに「ひとつの気持ちの流れの反映」が感じられるものらしい

    大きく分けて次のふたつの時期
    『ダンス・ダンス・ダンス』『TVピープル』の後1990~91年
    『ねじまき鳥クロニクル』の後1996年

    そして1983年に書かれたものを10年後に手直ししたもの
    (めくらやなぎと、眠る女)
    1995年の震災後に神戸と芦屋での朗読会にて読まれる
    この地域を念頭において書いたものらしい
    いつもは東京のなんとなく聞いたことのある地名が多いが
    今回は地元の風景を思い描きながら少し身近に感じることができるかも
    と期待したがまったくそのようなことはなかった

    この作品は当時の短編集の「蛍」と対をなすもの
    「ノルウェイの森」にまとまっていく系統のもの
    (ただしストーリー上の関連はない)だそうです

  • 短編集とか知らないで読んだ。
    トニー滝谷にでてくるひとの心情をとても考えた。

  • 1996年11月に文芸春秋社から出版された、村上春樹さんの短編集です。
    7つの短編が入っていて、どれも1990~1996年に発表されたものです。
    僕は全体に好感を持てて、面白くするすると読みました。

    1996年というと、司馬遼太郎さん、渥美清さん、遠藤周作さん、藤子F不二雄さんが亡くなった年ですね。
    テレビドラマでは「秀吉」「ロングバケーション」「古畑任三郎・2ndシーズン」などが流行ったんですね。
    前年の1995年に、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件&オウム真理教逮捕事件、Windows95発売、沖縄の米兵少女暴行事件&反基地運動の激化、が起こっています。
    2014年現在から考えると、大まか20年前。
    まだまだ、「勝ち組」「格差社会」という言葉が出回っていません。
    まだ(殆ど)誰も携帯電話を持っていなくて、電子メールも普及していませんでした。
    固定電話、ファックス、ポケットベル。衛星放送は始まっていましたが、CSとかは無かったですね。
    まだ日本代表はワールドカップに出たことが無くて、さくら銀行があって、富士銀行がありました。
    「ストーカー」という言葉が(たぶんアメリカで数年前から発生していたのでしょうが)OL殺人事件をきっかけに使われるようになった年です。
    1997年には「ストーカー・誘う女」というテレビドラマが流行っています。
    個人的には1996年は、会社員として給料をもらい始めた年として、懐かしく思い出されます。

    と、いうようなことが気になるのは、少なくとも僕にとっては、村上春樹さんが「同時代の小説家さん」という感じがするからです。
    どこかしら、そういう感慨を抜きにしては味わえないところが、あります。

    短編集「レキシントンの幽霊」。

    ①「レキシントンの幽霊」
    ~在米の日本人小説家が、友人の留守宅で幽霊を見た、というお話~
    ②「緑色の獣」
    ~若妻さんが、突如訪れた不気味な緑色の獣と闘う?というお話~
    ③「沈黙」
    ~少年時代に理不尽な学校でのいじめに苦しんだ男の回想~
    ④「氷男」
    ~「氷男」と恋愛して結婚したけど、なんとなく上手く行かなくなる女性のお話~
    ⑤「トニー滝谷」※映画になりましたね。未見ですが。イッセー尾形さんと宮沢りえさん。監督が市川準さん。いつか、観てみたいです。
    ~孤独に生きてきた男性が、ようやっと結婚するけれど、服を買わずにいられない奥さんだった。その人が事故死してまた孤独になる話~
    ⑥「七番目の男」
    ~子供の頃に津波で友人を亡くした男が、それを気に病んで苦しみ続けた年月の回想~
    ⑦「めくらやなぎと、眠る女」
    ~会社を辞めて実家でふらふらする若い男が、耳が悪い従兄弟の少年の付き添いで病院に行きながら高校時代の友人の彼女を思い出す話~

    の7編が入っています。
    僕が好きだったのは、「沈黙」「トニー滝谷」「七番目の男」でしょうか。

    特筆して言うと、短編「沈黙」。
    ネットで見ると、全国学校図書館協議会から「集団読書用テキスト」として発売された、とあります。
    むべなるかな、それに値する素敵な小説です。
    いじめ、という集団心理への明確な批判、いじめる個人よりも、その流れに身を任せる大勢の方に、許せなさを感じる、と明言されています。
    まったくもって、SFファンタジックな部分はありません。
    村上春樹さんなんて興味ないような人でも、これだけは読んでみたら、と思います。特に若い人ほど。
    僕はとっても好きな短編でした。
    また、「七番目の男」は、単純に津波で失われた人命、というだけで、2011年の東日本大震災を想うと、
    天災による喪失を経て、どう暮らしていくのか、というところを想わされます。
    阪神淡路大震災で、地元が被災した村上さんの心象風景を、ちょっと勝手に想像してしまいます。

    他も嫌いだった訳ではありません。
    全体に、近作の「色彩の無い多崎つくると、彼の巡礼の年」のように、「過去に大事な何か、(愛する人とか)を失ってしまった人の喪失と再生の物語」という、
    宣伝文句をつけられそうな味わいのお話が多かったですね。拡大解釈すれば、①③⑤⑥⑦が、そう言えそうです。
    ただ、どれも、まあ、あらすじはあまり魅力を伝えられないくらい、やはり文章表現の巧みさで読み切らせてしまう。
    ちょっとした、「~~~は~~~のようだった」「まるで~~~だった」みたいな語り口が、僕は好きです。
    それと、ぎりぎりの省略法っていうか。書かれていないけど想像で隙間を埋めちゃう読者の生理との、ツバぜりあいの快楽みたいなところもあります。

    ムツカシイ解釈は抜きにして、村上春樹さんの小説世界で言うと、
    「羊男が出てきたり、双子の姉妹が出てきて良く判らないけどベッドインしたり」
    というような、なんていうか、リアリズムから遠い地平線に拉致監禁されるような持ち味、というのがありまして。
    (上記の例事態で、初期村上作品しかあまり良く知らないことがバレてしまいますが)

    それが好みとしてアリか、それとも興ざめか、というところが、理屈抜きで村上春樹さんの小説が好きか嫌いか、という分かれ道の一つだと思うんです。
    ソコん所で言うと、僕が特に好きだった、「沈黙」「トニー滝谷」「七番目の男」の三作品は、どれも、割とリアリズムなんですね。
    この辺は僕の好みです。
    たとえて言うならば、僕はオーネット・コールマンさんの音楽は好きなんですけど、特に好きなのは「サムシング・エルス!」とかの超初期なんですね。
    前時代の枠組みからまだ脱し切れてないけれど、そこから脱出する境界線でもがいているようなあたり。それがスリリングな気がします。
    まあそういうのも、また数年で好みが変わっていくものなんですが。

    最近また村上春樹さんの小説が面白いなあ、と思っています。きっかけはたまたま去年「多崎つくる」を読んだことなんですけど。
    村上さんの小説世界の味わいっていうのは、

    「日本的な囚われ方から逸脱したい精神」「アメリカ的なものの考え方、言葉への憧憬」「詳しく知っているが故の、アメリカ的な事柄への批判精神や諦め」
    「やっぱり日本語で、日本人であるという歴史性への引っ張り」「でも過去とか歴史風土に引きずられたくない、そんなことで納得したくない、根無し草的な浮遊感とか孤独感」
    「内省的な佇まいと思索性、そして個人として世の中と対峙するときの、肉体の鍛錬含めた強さの肯定」

    とか、いろいろな感じを、僕は受けます。そのどれもが圧倒的に共感できる訳ではないんですが。

    ただ、今年去年に読み直したときに、40歳を過ぎた僕が受けるのは、「ああ、文章が旨いなあ、気持ちいいなあ」ということですね。
    そして、どれだけ非現実なファンタジックな想像と創造の世界に飛んで行っても、
    「ひとりの自分が、大勢の世の中さんと摩擦して生きていくこと」みたいな強靭な背骨というか、ある種のプライドというか、勇気というかマッチョイズムというか、
    そこは恐らく、煎じ詰めて言っちゃうと、ニーチェ的な俗悪大衆への嘔吐を伴う嫌悪感というか見下し方というか、
    そういうものがあるなあ、とは思うんですね。
    ただ、そこにある種の、そう思って佇んでいる自分への含羞とか、自己批判とか、ためらいとか、諦めとか、そういう湿度みたいなものが必ずあります。
    そういう割り切れなさみたいなもの、が、好きなのかも知れません。
    それにまた、近年の小説は、「未来を(恐らく自分が死んだ後の時間も含めて)考える、そのために過去を意識する」といった、時間の連続性っていうか。
    平たく言うと、「僕たちはどこから来て、どこに行くのか」という意識が増している気がします。そういう年齢の重ね方の味わいは、結構嫌いじゃなかったりします。

    そういう中で、短編小説っていうのは、その何かしらの味わいを特化したようなシンプルな肌触りがあって、面白い。
    それに、文章のたくらみというか愉しさが、なんだかハッキリと堪能できる気がします。

  • 再読。
    (※核心ではないがややネタばれ的要素あり、注意されたし)










    「怖い短編集」という触れ込みである。
    高校時代に読んだものだが、その時には正直、最初の「レキシントンの幽霊」しか怖いのなくない?と思っていた。
    大間違い。
    これ、全編怖い。しかも、それぞれに色合いの違う恐怖だ。
    まるでグラデーションのように、こんなにも微妙なニュアンスのちがう「恐怖」を形にしてしまえる村上春樹はやっぱりすごい(ハルキストなので、つい偏った読み方…?)

    1つベストワンを挙げるならば、「七番目の男」を。
    話自体も勿論怖いが、これ、最後の一行ミステリにも近いものがある。
    最後の一文を読んだ後、もう一度、あたまに戻ってみてほしい。

    これ、あたまとおわりがつながっていないか?

    淡々と話し、最後に救済を得て「恐怖」から逃れたかに見えた男。
    しかしその実、ひらりと裏をめくって勘ぐってみれば、
    ハッピーエンドに見せかけた、永遠に「恐怖とその脱却」について話し続ける男の物語だったのだとしたら。

    うそぱちの、物語の「構造」そのものに恐怖を与えられる。
    それは、虚構の「小説」内部を越えて、
    われわれ自身にダイレクトにはたらきかける
    恐怖。




    ちなみに
    村上春樹でホラーものと言えば勿論「鏡」ですが、
    未読の方はこれもおススメ。
    ただし、夜ひとりの時、
    特に「洗面所に立つ前」には
    読まない方がいい。

  • 村上春樹の小説は僕の印象からすると、非常に「非現実的」である。
    こんなことあるはずもないだろう、という世界観。その世界観が完成していて、美しいのが僕が彼を愛する理由なのだ。

    しかし、この短編集の中には、あるいはこれは本当にあった話で、それを彼が聞いてまとめたものなのではないかと思えるものがある。

    それはしかも妙にひやりとする感触を夏の夜に与えてくれる。
    エッセイのような、小説のような、ノンフィクションのような、フィクションのような。後味はひんやり。メッセージなんて僕にはそこから読みとれまい。しかしページページをめくる手は確実に素早く紙を捉える。そんな短編集。

    好きなのは、「沈黙」と「七番目の男」かな。この2つはわりかしメッセージ性が強い。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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