意味がなければスイングはない (文春文庫 む 5-9)

著者 :
  • 文藝春秋
3.47
  • (53)
  • (118)
  • (161)
  • (33)
  • (8)
本棚登録 : 1804
感想 : 98
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (341ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167502096

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ◯なによりも巻末の参考文献が気になった。おそらくほとんどのアーティストについて、参考文献を記載している。
    ◯その中でも、ブライアン・ウィルソン、スタン・ゲッツ、ウディー・ガスリーあたりは伝記的で読み応えがあって面白い。また、伝記的である点は、時代からその音楽性を読み説こうとする試みにも思える。もちろん、小説家ならではの分析・観察、表現力や観察力も相まっての読み応えだと思う。
    ◯しかし多分一人だけ参考文献がないアーティストがいた。スガシカオである。
    ◯時代はまさに同時代であるので、そのあたりは自然体で書けたのかもしれないし、参考文献とするものがなかったのかもしれない。その分、主に詩の解釈に比重が置かれている印象である。
    ◯私はシカオちゃんが大好きであるが、著者との解釈とは方向性は同じでも、感じ方が違うので、なんとなく違和感を感じた。日本のポップスがリズムのある歌謡曲に聞こえるというあたりは、ややひねくれたというかイキリすら感じるのは私だけだろうか。
    ◯最近の人たちでも新しい音楽を作り出そうとしている人は多いので、日本の音楽もどんどん聞いてほしい。私はリズムのある歌謡曲は大好きである。歌謡曲生まれ歌謡曲育ちと自負している。
    ◯ただ、著者はジャンル問わずとにかく音楽が真摯に好きなんだなと改めて思った。

  • 音楽評でありつつ、重きは人物評にある。聴いたことのない、名前も知らなかった音楽家が過半数なわけだが、それでいて読まされる、というのは文体とか言葉選びの好みなんだろうな、とつくづく思う。

  • クラシックやジャズを聴くのが好きなので、こちらのタイトルに惹かれて読んでみることに。
    知識が豊富だと、音楽の世界がこんなにも広がるのかと感心した。
    例えば、同じ楽団の演奏でも指揮者が違うと別の音楽のように聴こえる気がする。だけど知識があれば、そんな音色の違いや違和感はむしろ自分の音楽を広げるきっかけになるのかもしれないと思った。
    無いなら無いで困らないけど、あれば間違いなく自分の世界を広げてくれるのが知識だと改めて実感した。
    それにしても、先日読んだ走ることについての随筆に比べると、なかなかどうして読み進めるのに時間がかかった。
    読みやすいのはあっちかな。
    2017.8.15

  • めちゃんこ面白いです。村上春樹さんが、「僕は、この人の音楽、好きなんだよなあ~」というミュージシャンの事を、村上さんなりに心を込めて字数を重ねて語った評論、というよりは感想文、という趣な気がします。しますが、

    なにが「エエなあ~」って思うかといいますと、あくまでも自分なりの感想ですが、村上さんが、自分の「好きだなあ~このミュージシャン!」と言う気持ちを、世の中の流れとか他人の評価とかを一切気にせずに、「俺は好きなんだよ。この人がとにかく、結局のところは、この人の音楽が、好きなんだよ」って、あくまでも個人の意見で語ってるところが、好きです。

    音楽の歴史の流れ、とか、音楽史の中でこの人はこういう立ち位置だ、とか、あなたはこのミュージシャンをどう思うだろうか、とか、そのあたりは一切興味がない。ただ単に「俺は、この人の音楽が、好きだ」という思いだけで文章を書いていて、それでいて、その、何処まで突き詰めても村上さん個人の思いが、なんらかの不思議な普遍性を持っていて、なんらかのある程度の皆が認める説得力を持っていて、、どこまでいっても村上さんの独り言なのに、それを他の人が読んでも面白い、というポジションまで行っている、というところがねえ、、、なんだか凄いんですよねえ。

    ただ、不思議な事に、村上さんの「若い読者のための短編小説案内」を読んでも、この本を読んでも、不思議な事に、村上さんの薦める自分の知らない短編小説を読もう!自分の知らないミュージシャンの曲を聴こう!とならない自分がマジ不思議。村上さんの文章が面白すぎて、その原典まで読もう聴こう、と言う気持ちにならないんですよ。俺、ダメやんか、、、とか思ったりもします。

    きょうびのご時世ですと、なんせYouTubeという途轍もなく便利な文明の利器がありますからね。この本を読んで、村上さんが薦める音楽に興味を持った村上春樹ファンの方々は、ちゃんと、その音楽を聴きに行くのが正しい進み方だと思うんですけどね、、、そうならない自分がマジ困ったものだ。

    いやしかし、村上さんが、ブルース・スプリングスティーンと、スガシカオについて言及しているのは、凄くこう、良いんです。良いんですよ。特にスガシカオ。スガシカオ、めちゃくちゃ、良いですよねえ。

  • 全く聞いたことがない音楽を、ここまで自信を持って伝え、興味を持たせるのは、村上春樹さんだからこそ。
    この広いジャンルの中で、ピンポイントでマニアックと言うべき、わかる人にしかわからないネタは、読者の反応を恐れていては書けないと思う。

  • ・村上春樹の音楽的バックグラウンドについての本。題名はもちろん「スイングがなければ意味はない(It Don't mean a thing)
    ・どの話も印象に残るものがあったが、特にブルース・スプリングスティーンの"Born in the USA" の話が印象的。曲調だけで歌詞を見ないのは日本でも同じか。

    ・記述に出てくるそのアーティストの曲を聴きながら読んでいくのも面白い体験だった。

    ・スガシカオに俄然興味を持った

  • 音楽を言葉で語る楽しさ。

  • 著者による音楽評。シダーウォルトンの「地味」論、マルサリスの「退屈」論も印象深いが、小説家目線によるスガシカオの歌詞批評は見ものだ。通常の表現内容分析よりもむしろ物語的な情景描写や配置、言葉選びなどについて鋭い視点がある。
    ・ブライアン・ウィルソン(ビーチボーイズ)
    "ブライアン・ウィルソンの作業はどこまでも孤独だった。ブライアンはバンドにおけるほとんど唯一の頭脳であり、発電機だった。彼は一人ぼっちで、誰の助けも借りず、自らの内的な世界をどこまでも掘り下げていかなくてはならなかったし、おかげで作業はより個人的なものに、より難解なものに、ある場合にはまわりの世界と時間性をいくぶん異にしたものにならざるを得なかった。"
    ・シューベルト
    "僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはず"
    ・スタンゲッツ
    "無理に素面でいようとすると──つまり自分の生の感情と直面しようとすると──激しい鬱症状に襲われることになった。"
    ・ゼルキンとルービンシュタイン
    "細部の正確さよりは、「音楽そのものがしっかり伝わればそれでいいんだろ」みたいな大まかなラインでいくわけだ。"
    "音楽を媒介にして、その周縁にある人々の生き方や感情をより密接に知りたいという思いがあるし、こういう本を読んで音楽を聴くと、何かひとつ得をしたような愉しい気持ちになれるのだ。"
    ・ウィントンマルサリス
    "どうしてもこういうことが言いたいのだ」という切迫した魂の欲求みたいなものがこちらにあまり伝わってこないのだ。"
    "しかしマイルズにはどうしても語りたい自分の「物語」があったし、その物語を相手に生き生きと届けられるだけの、自分自身の言葉があった。"
    "マイルズは演奏家としての自分の限界をはっきりと認め、テクニックの不足を精神性=魂の動きで埋めていった"
    "言葉としては、理論としては、クリアで正しい。しかし人々の魂にとっては、それは必ずしも正しいことではない。魂というのは多くの場合、言葉や理屈の枠からはみ出した、とてもクリアとは言えない意味不明なものごとを吸収し、それを滋養として育っていくものだからだ。"
    ・スガシカオ
    "メロディーラインとかコード進行とかに、個人的イディオムのようなものが盛り込まれており、それがシグネチャーの役割を果たしているわけだ。"
    "そういうその人ならではの心地よいテイストにいったん病みつきになると、なかなかそこから離れられない。"
    "つまりほかの誰にも真似のできない「文体」を身につけることができたなら、作家は少なくとも十年くらいは、それでメシが食っていけるかもしれない。"
    ・ウッディガスリー
    "歌を作り、それを歌うものは、人々に語りかけるべき確たるメッセージを持たなくてはならない。またそれはナチュラルに伝播的なものでなくてはならず、そこには正しき有効性が生じなくてはならない。音楽はもちろん楽しいものでなくてはならないが、同時に何かしらの目的と意義を持たなくてはならない。なによりもシンパシーというものが不可欠になる。"
    ・あとがき
    "感じたことをいったん崩し、ばらばらにし、それを別の観点から再構築することによってしか、感覚の骨幹は伝達できない。"
    "十代の初めから終わりにかけて、僕はまわりの誰よりも、多くの小説を読みあさった。その時期、僕くらいたくさんの小説を読んだ人間は、それほどはいないだろうという自負みたいなものがある。図書館にあった主要な本はほとんど読破してしまった。読み方もずいぶん深かった。気に入った本があれば、三回も四回も読み返した。"
    "僕はシナリオ作家になりたくて、大学の映画演劇科に入ったわけだから。しかし自分には文章を書く才能は基本的にないと、当時の僕は考えていた。本を読むという行為にあまりにも夢中になりすぎていて、自分が何かを書く・創作するという姿が、うまく思い描けなかった。"
    "「何かが物足りない」という漠然とした気持ちが、僕の中に湧いてきた。たぶん、自分がただの作品の受け手(レシピエント)であるということが、だんだん不満に感じられるようになってきたのだろう。"
    "そして二十九歳になったとき、僕はふと思い立って小説を書き、そのまま小説家になってしまった。"

  • ビーチ・ボーイズ(サンフラワー、サーフズアップ、ペットサウンズ)、プーランク、スタン・ゲッツ、シューベルト、スガシカオ、ゼルキン+ルービンシュタイン、W・マルサリスのみ読了。「サーフィンUSA」に「僕がずっと聴きたいと思っていたけれど、それがどんなかたちをしたものなのか、どんな感触を持ったものなのか、具体的に思い描くことができなかったとくべつなサウンドを、その曲はこともなげにそこに出現させていた」と語る著者。シューベルトは好きなことを好きなようにやって、あれも書かなきゃこれも書かなきゃとしてるうちに、短い生涯を閉じた、ある意味幸せだったと語られ。「スイングがなければ意味はない」で、ガレスピーが猛然と挑みかかり、ゲッツが受けて立つシーン。ゼルキンの「この作品は簡単であるには、あまりにも素晴らしすぎる」という言葉。プーランクは朝にしか作曲の作業をしなかった、一貫して朝の光の中でしか音楽を作らなかった、というエピソード。といったあたりが印象に残り。それほど音楽的素養もない身にはこれだけ音楽からふんだんに滋養を受け、縦横に語れるというのは楽しいだろうなあ、とうらやましく思う。

全98件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

村上春樹の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×