- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167502102
作品紹介・あらすじ
もし僕の墓碑銘なんてものがあるとしたら、"少なくとも最後まで歩かなかった"と刻んでもらいたい-1982年の秋、専業作家としての生活を開始したとき路上を走り始め、以来、今にいたるまで世界各地でフル・マラソンやトライアスロン・レースを走り続けてきた。村上春樹が「走る小説家」として自分自身について真正面から綴る。
感想・レビュー・書評
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「走る」ことがテーマのエッセイ集。
ー 僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた
とのことなので、職業的小説家の村上さんにとってこの本はとても大切なエッセイ集だと思う。村上さんが自分と向き合いながら、自分を曝け出しているのが、伝わってくる。
結構難産なエッセイ集だったんじゃないかな、なんて勝手に想像してしまった。
そのせいか、いつもながら言葉は軽快だけど、読み手にもずっしりと響くものがあり、読み進めるのに思いのほか時間がかかる。
というか、大切に読みたい、と思う本だった。
僕もランナーのはしくれなので、「走る」という行為に生きる意味を重ね合わせることがある。
ー もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、いったい誰がわざわざトライアスロンやらフル・マラソンなんていう、手間や時間のかかるスポーツに挑むだろう?
走ることは苦しいからこそ、「生きている」ことを感じさせてくれる。マラソン大会に出て「もう死んじゃう」と思いながら走ってゴールした後の幸福感や高揚感は本当にハンパではない。
ー 走り終えて自分に誇りが持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大きな基準
自分に誇りを持つために、ランナーは走っているのだと思う。苦しい思いに打ち勝って自分なりの結果を残すこと、誰かと比べるのではなく、自分との戦いに勝利すること、それこそ誇りなのだ。
…と言いつつ、最近サボり気味の僕は、腹が出てきて非常にやばい。自分に喝を入れるために、無意識のうちにこの本を読むことにしたのかもしれない。
僕もラヴィン・スプーンフルを聴きながらカウアイ島を走ってみたいなぁ…
ところで、音楽に関して、iPodでなくポータブルMDプレーヤーを選ぶ理由として、
ー 今のところ僕はまだ、音楽とコンピューターをからめたくはない。友情や仕事とセックスをからめないのと同じように。
と書いているけど、15年近く経って、今はどう考えているのかな?
その日の気分で走るときに聴く音楽をApple Musicの中から選ぶ快適さを知ってしまった僕にとっては、全く実感の湧かない比喩だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても素直に淡々とマラソンに対する思いが描かれており、読む側も心地よく読める作品だと思います。
個人的には村上さんの作品ではアンダーグラウンドや本作品のような事実に基づいたものが好きです。
読むと走りたくなります。オススメ! -
小説家兼ランナーである村上春樹さんのメモワール。エッセイとは一味違った面白さがある。過不足ない文章と多様な比喩表現が心地よい。何度も読み返したくなる。特に「ランナーズ・ブルー」という言葉がお気に入り。ちなみに私は、ワーカーズ・ブルぅー…
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ここまで深く、それでいて爽やかに”走るわけ”を流れるように語られたら、それが本意ではないと言われても、走ってみたくなる。そんな素敵な本だった。長年の積読解消。
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なんと株の売買の参考書を探していて見つけた本。
マラソンがテーマという事で続ける事がなにより大切というような内容なんだろうか?と思いながら手に取った
当然ながら株の売買の参考にはならなかったが(笑)
大好きな村上春樹さんのエッセイなので夢中で読むことができました。
得たものも大きい。
『日常生活においても仕事のフィールドにおいても、他人と優劣を競い勝敗を争うことは、僕の求める生き方ではない』ああ、春樹さんだなぁとしみじみ思う。
私は優劣をつけ人と比べては他人は持っていて自分の持ってないもの数え上げそれを悲しんでばかりの人生です。
意味ないとわかっていてもやめられない。
『本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのよなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう』
人生ももう斜陽にはいってきた身としてこの言葉は特に身に染みた。やりたい事はあっても身体がついてこない無理をするとすぐ具合を悪くする、元々からだは強くなく人生のどの年代においても調子のよかった時などないのだが特に最近はひどい。
優先順位をつけるのが下手であれこれ手をだしては毎度倒れる始末。
私にとって必要な時間とは労働をお金に換える時間ではなく、家族とのあいだに築かれる時間だったり読書する時間だったりお金に換えられない時間を持つことだと再認識。
株の参考書を買いたいと思って手を伸ばした本からまったく違った価値観をもらいました。
春樹さんありがとう。 -
村上春樹さんによる走ることの哲学のよう。
僕もこんなふうに走る人でありたい。 -
とても個人的なトピックなのですが、最近ようやくジムに通いだしまして、ランニングマシンでやみくもに走りまくってます。
走りたい走りたいっていう願望は常に生活の中にあったものの、仕事や育児でなかなか時間も機会も捻出できなくて。本当にようやく。
いつか自分が走り出したときのためにとこの本をずっと取っておいたので、満を持してワクワクしながら読みました。
村上春樹さんの、走ることについてのメモワール。書き下ろしとはなんたる贅沢。
北海道のサロマ湖で開催されている100kmを走るウルトラ・マラソンの話が特におもしろかった。100kmて。悟りの境地というか瞑想状態になるだろうな。革命会議を起こす村上さんの臓器たちがユーモラスだった。
そして「なるべくして小説家になるように、人はなるべくしてランナーになるのだ」っていう金言に痺れる。本当にその通り!
誰に勧められずとも、お膳立てがなくとも、ランナーになる人間にはランナーになる瞬間がある日突然きちんとやってくるのだ。
読みながら、もっと走ろう、もっと走りたい、私もがんばろう!というやる気が沸々と湧いてくるのが分かった。
まえがきの「苦しみはオプショナル」という言葉もすっかり私のマントラとなり、走っているときによく頭の中でこだましている。
目指すは来年の東京マラソンで完走!私は好きで走るのだ。 -
『走ること・・・』
を読み終わった。
面白かった・・・・
こういう手の本はあまり読んだことはない。
ムラカミハルキがなぜ走るのか?
の理由は 明瞭なような気がした。
ながく 小説を書きたいから・・・
ということのようだ。
職業小説家らしい。・・・というべきか。功利主義?
まぁ。
走るには 理由はいらない。
この本を読みながら
自分のカラダは 自分の意志では ある程度制御できるが
あとは 殆ど いうことを聞いてくれなくなる
ということのようだ。
ウルトラマラソン・・・ランナーズブルー
トライアスロン・・・泳げなくなった。
ムラカミハルキが 老いる という生物的な現象を
なるべく 驚かずに 自然に受け止めたい
と思っているような くだりがある。
ニンゲンは 老いるという ことに
いかに抗うのか が大きなテーマかもしれない。
不老長寿の薬を 探し求めた 中国の王様がいたが
ずっとこの世の春であってほしい とおもって
その薬を 探し求めたのだろう。
ムラカミハルキは 走ることで それを維持し
走ることで 自分の生活のリズムをつくろうとしている。
たしかに 小説家で フルマラソンを コンスタントに
走るものは あまりいないだろうね。
そして 墓碑に 書いてほしい言葉
『少なくとも最後まで歩かなかった』
私は『最後まで歩いた』でいいけどな。 -
フルマラソン中の心理変化の箇所(30kmまでの、“今日はいいタイムで走れそう”、から、どんどん悲壮感が高まっていくあたり)は、いたく共感した。P5に書かれているマントラは、次回のフルマラソンで多分心の中で唱えると思う。
P5
Pain is inevitable. Suffering is optional.
痛みは避けがたいが、苦しみはこちら次第。
P72
学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である。
P99
ビールはもちろんうまい。しかし現実のビールは、走りながら切々と想像していたビールほどうまくはない。正気を失った人間が抱く幻想ほど美しいものは、現実世界のどこにも存在しない。
著者プロフィール
村上春樹の作品






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