走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋
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本棚登録 : 4164
レビュー : 480
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167502102

作品紹介・あらすじ

もし僕の墓碑銘なんてものがあるとしたら、"少なくとも最後まで歩かなかった"と刻んでもらいたい-1982年の秋、専業作家としての生活を開始したとき路上を走り始め、以来、今にいたるまで世界各地でフル・マラソンやトライアスロン・レースを走り続けてきた。村上春樹が「走る小説家」として自分自身について真正面から綴る。

感想・レビュー・書評

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  • 「走る」ことがテーマのエッセイ集。

    ー 僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた

    とのことなので、職業的小説家の村上さんにとってこの本はとても大切なエッセイ集だと思う。村上さんが自分と向き合いながら、自分を曝け出しているのが、伝わってくる。
    結構難産なエッセイ集だったんじゃないかな、なんて勝手に想像してしまった。
    そのせいか、いつもながら言葉は軽快だけど、読み手にもずっしりと響くものがあり、読み進めるのに思いのほか時間がかかる。
    というか、大切に読みたい、と思う本だった。

    僕もランナーのはしくれなので、「走る」という行為に生きる意味を重ね合わせることがある。

    ー もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、いったい誰がわざわざトライアスロンやらフル・マラソンなんていう、手間や時間のかかるスポーツに挑むだろう?

    走ることは苦しいからこそ、「生きている」ことを感じさせてくれる。マラソン大会に出て「もう死んじゃう」と思いながら走ってゴールした後の幸福感や高揚感は本当にハンパではない。

    ー 走り終えて自分に誇りが持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大きな基準

    自分に誇りを持つために、ランナーは走っているのだと思う。苦しい思いに打ち勝って自分なりの結果を残すこと、誰かと比べるのではなく、自分との戦いに勝利すること、それこそ誇りなのだ。

    …と言いつつ、最近サボり気味の僕は、腹が出てきて非常にやばい。自分に喝を入れるために、無意識のうちにこの本を読むことにしたのかもしれない。

    僕もラヴィン・スプーンフルを聴きながらカウアイ島を走ってみたいなぁ…


    ところで、音楽に関して、iPodでなくポータブルMDプレーヤーを選ぶ理由として、

    ー 今のところ僕はまだ、音楽とコンピューターをからめたくはない。友情や仕事とセックスをからめないのと同じように。

    と書いているけど、15年近く経って、今はどう考えているのかな?
    その日の気分で走るときに聴く音楽をApple Musicの中から選ぶ快適さを知ってしまった僕にとっては、全く実感の湧かない比喩だった。

  • 『走ること・・・』
    を読み終わった。
    面白かった・・・・
    こういう手の本はあまり読んだことはない。

    ムラカミハルキがなぜ走るのか?

    の理由は 明瞭なような気がした。
    ながく 小説を書きたいから・・・
    ということのようだ。
    職業小説家らしい。・・・というべきか。功利主義?
    まぁ。
    走るには 理由はいらない。

    この本を読みながら
    自分のカラダは 自分の意志では ある程度制御できるが
    あとは 殆ど いうことを聞いてくれなくなる
    ということのようだ。

    ウルトラマラソン・・・ランナーズブルー
    トライアスロン・・・泳げなくなった。

    ムラカミハルキが 老いる という生物的な現象を
    なるべく 驚かずに 自然に受け止めたい
    と思っているような くだりがある。

    ニンゲンは 老いるという ことに
    いかに抗うのか が大きなテーマかもしれない。

    不老長寿の薬を 探し求めた 中国の王様がいたが
    ずっとこの世の春であってほしい とおもって
    その薬を 探し求めたのだろう。

    ムラカミハルキは 走ることで それを維持し
    走ることで 自分の生活のリズムをつくろうとしている。
    たしかに 小説家で フルマラソンを コンスタントに
    走るものは あまりいないだろうね。

    そして 墓碑に 書いてほしい言葉
    『少なくとも最後まで歩かなかった』

    私は『最後まで歩いた』でいいけどな。

  • とても個人的なトピックなのですが、最近ようやくジムに通いだしまして、ランニングマシンでやみくもに走りまくってます。
    走りたい走りたいっていう願望は常に生活の中にあったものの、仕事や育児でなかなか時間も機会も捻出できなくて。本当にようやく。
    いつか自分が走り出したときのためにとこの本をずっと取っておいたので、満を持してワクワクしながら読みました。
    村上春樹さんの、走ることについてのメモワール。書き下ろしとはなんたる贅沢。
    北海道のサロマ湖で開催されている100kmを走るウルトラ・マラソンの話が特におもしろかった。100kmて。悟りの境地というか瞑想状態になるだろうな。革命会議を起こす村上さんの臓器たちがユーモラスだった。

    そして「なるべくして小説家になるように、人はなるべくしてランナーになるのだ」っていう金言に痺れる。本当にその通り!
    誰に勧められずとも、お膳立てがなくとも、ランナーになる人間にはランナーになる瞬間がある日突然きちんとやってくるのだ。
    読みながら、もっと走ろう、もっと走りたい、私もがんばろう!というやる気が沸々と湧いてくるのが分かった。
    まえがきの「苦しみはオプショナル」という言葉もすっかり私のマントラとなり、走っているときによく頭の中でこだましている。
    目指すは来年の東京マラソンで完走!私は好きで走るのだ。

  • <感想>
    村上春樹さんのランニングに関するエッセイ集。
    趣味のフルマラソンが題材だったので、気になって購入、読了。

    ホントにガチで走ってんの?と若干疑って読み始めた私。
    めちゃくちゃシリアス&サブ3.5ランナーとのこと、疑ってごめんなさいと猛省…

    読んでいて面白かったのは、いわゆる「フルマラソンあるある」が共有できたこと。

    特にレース本番の気持ちの動き方

    ①20-30キロ地点 → 俺最強や、確実に自己ベスト出るわ(ココが絶頂)
    ②35キロ地点 → 何で高い金払って走ってるんやろ、完全に意味が分からん
    ③40キロ地点 →「まだ限界じゃない!!(応援の声)」って、そんなん俺が決めることやろ、うるせえわボケが
    ④ゴール → もう二度と走らんわ
    ⑤数日後 → また走りたいなぁ

    しかもこの思考パターンは全く学習されず、必ず次のレースでも訪れるという事実…
    自分だけがアホなのかなーと思っていたけれど、あの「村上春樹」も同じなんだと思うと何となく少し気持ちがラクになった(笑)

    もう一つ感じたのは、マラソンに対する考え方の違い。
    今の自分はあくまでも「タイム至上主義」。
    目標タイムに到達すれば達成感がある反面、逆の場合は大きな失望感に襲われる。
    村上春樹さん曰く、「大事なのは時間と競争することではなく、充実感とどれくらい楽しめるか」らしい。
    もっと広く、深いところでランニング自体を楽しんでいるイメージだ。
    今の自分は、まだその境地には達してはいないかな…

    ちなみにかなりどうでも良いことなのだか、ちょくちょく間に挟まる写真の古臭さにすごく時代を感じた(笑)

    <印象に残った言葉>
    ・しかし一方でフル・マラソンのタイムは潮が引いていくみたいに、ゆっくりとではあるけれども着実に後退を続けた。走ることが以前みたいに、手放しで楽しいと思えなくなった。僕と「走ること」のあいだには、そのような緩やかかな倦怠期が訪れていた。そこには払っただけの努力が報われないという失望感があり、開きているべきドアがいつの間にかとざされてしまったような閉塞感があった。それを僕は「ランナーズ・ブルー」と名づけた。(P28)

    ・僕がこうして二十年以上走り続けていられるのは、結局走ることが性に合っていたからだろう。少なくとも「それほど苦痛ではなかった」からだ。人間というのは、好きなことは自然に続けられるし、好きではないことは続けられないようにできている。(P70)

    ・30キロまでは「今回は良いタイムが出るかもな」と思うのだが、35キロを過ぎると身体の燃料が尽きてきて、いろんなものごとに対して腹が立ち始める。そして最後は「からっぽのガソリンタンクを抱えて走り続ける自動車みたいな気分」になる。でも走り終えて少し経つと、苦しかったことや、情けない思いをしたことなんてけろっと忘れて「次はもっとうまく走るぞ」と決意を固めている。いくら経験を積んだところで、年齢を重ねたところで、所詮は同じことの繰り返しなのだ。(P103)

    ・しかしたぶん彼女たちはまだ、そういう痛みをあまり知らないのだろう。そしてまた当然のことながら、そんなことを今からあえて知る必要もないのだ。彼女たちのゆらゆらと揺れる誇らしげなポニーテールとほっそりとした好戦的な脚を眺めながら、僕はそのようなことをあてもなく考える。(P143)

    ・大事なのは時間と競争することではない。どれくらいの充実感を持って42キロを走り終えられるか、どれくらい自分自身を楽しむことができるか、おそらくそれが、これから先より大きな意味をもってくることになるだろう。(P171)

    ・でも「ずいぶん綿密に計画を立てて、しっかり根性を入れて練習したのにな」という割り切れない気持ちは残った。薄暗い雲の切れ端が、胃の中に紛れ込んでしまったみたいに。いくら考えても納得がいかない。あんなに努力したのに、どうして痙攣なんてものに襲われなくちゃならないんだ?(P218)

    ・年を取るにつれて、様々な試行錯誤を経て、拾うべきは拾い、捨て、「欠点や欠陥は数え上げればキリがない。でも良いところも少しくらいはあるはずだし、手持ちのものだけでなんとかしのいでいくしかあるまい」という認識(諦観)にいたることになる。(P228)

    ・効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。(P251)

    <内容(「Amazon」より)>
    走ることについて語りつつ、小説家としてのありよう、創作の秘密、そして「彼自身」を初めて説き明かした画期的なメモワール 1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走り始めた。それ以来25年にわたって世界各地で、フル・マラソンや、100キロマラソンや、トライアスロン・レースを休むことなく走り続けてきた。旅行バッグの中にはいつもランニング・シューズがあった。走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう? 日々路上に流された汗は、何をもたらしてくれのか? 村上春樹が書き下ろす、走る小説家としての、そして小説を書くランナーとしての、必読のメモワール。

  • 1Q84を数ページで読みたくなくなってから、村上氏の小説はもう一生手にすることはないと思った。
    「小説は苦手でも、これは読んだ方がいい」と、ランニング仲間から強く薦められたので購入。
    言われた通り、市民ランナーにとってはとても面白い本だった。
    凡人では言葉にできないが市民ランナーなら誰しも同調することを、さすが言葉のプロ、簡潔で的確に表現してくれている。

  • アスリート村上春樹大先生。今まで小説を読んで勝手に作り上げてた村上さんのイメージが完全に覆される本です!!!読んでください!!!村上春樹さんは作家兼アスリートです。本当かっこいい。急に村上さんと友達になったかぐらいの勢いで、彼の人生観や走ることに対する情熱が伝わってくる。私もこんな風にずっと走ってる人になりたい!!!いつか村上さんと同じマラソンに出たい!!!とゆうでっかすぎる夢ができちゃった(≧∇≦)

  • 村上春樹さんの本が紹介されたとき、「やっぱり、好きな人と嫌いな人と、はっきり分かれますよね~」という話題に。

    しかし、参加者の方から、「村上さんの、走ることについてのエッセイを読んだら、そのストイックさにファンになりました!」という発言がありました。
    これは、一読の価値がありそうです!
    村上ファンの方も、アンチな方も、ぜひ~。

  • 走る春樹の自慢や反省を読むと、すごくヒューマンサイズで安心できます。

  • 村上春樹の小説は「ノルウェイの森」で挫折し、全く読んでいないのですが、この本はとても面白かったです。

    村上春樹がランナーであるということは、この本の存在を知るまで全く知らなかったし、全く別世界の人だと思っていました。

    でも、この本を読んで、共感する部分が非常に多く、「走る」ということを通して、村上春樹と分かり合えたような気になってしまいましたf(^^;)

    ランナーである人はきっと同じように感じるんじゃないかなぁ。

    ランナーとしての村上春樹だけでなく、人間・村上春樹に関しても書かれてるんですが、それに関してもすごく共感できるトコロが多く、とてもステキな人だなぁ。と思いました。
    (ただ、やっぱり小説は読まないかな^^;)


    この本はこれから先のバイブルの一つになるなぁ。
    ランナーとしてだけでなく、一人の人間としての節目に読みたくなる一冊だと思います。

  • 文庫化で再読。
    初めて読んだ時は面白さがわからなかった。
    長距離を走ることが、とても苦手だったから。
    自分自身もジョギングをするようになったいま読み返したら
    村上さんが走ることに必然性を感じるようになった。
    脳や心の疲弊は身体を動かすことで回復することが実感できたから。

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著者プロフィール

村上春樹(むらかみ はるき)
1949年、京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市芦屋市育ち。早稲田大学第一文学部映画演劇科卒。大学在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺・千駄ヶ谷に開店していた(1981年、店を人に譲渡)。1979年にデビュー作の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。谷崎潤一郎賞、読売文学賞、朝日賞など数々の受賞歴がある。2006年にフランツ・カフカ賞、2009年にイスラエルのエルサレム賞受賞。ノーベル文学賞に最も近い作家の一人と言われており、毎年発表時期に日本国内でニュースになる。事実、村上春樹作品は全世界で翻訳されており、アメリカ・アジアでの評価がとりわけ高い。フィッツジェラルドやレイモンド・カーヴァーなどの作品の翻訳も手がけ、翻訳家としての仕事も高い評価を受ける。翻訳と創作活動を交互に行うことで、作風を変化させ、作家としての成長を続けている。新作が発表されるたび大きな話題となるが、近年は特別番組「村上RADIO」にてラジオDJも務め(不定期放映)、数々の名言も注目を集める。代表作に『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』。2019年7月31日に『神の子どもたちはみな踊る』が舞台化。アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツの伝記翻訳を2019年8月刊行。2019年9月10日発売の『文藝春秋』10月号で「至るところにある妄想 バイロイト日記」を寄稿。

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