走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫 む 5-10)
- 文藝春秋 (2010年6月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167502102
作品紹介・あらすじ
もし僕の墓碑銘なんてものがあるとしたら、"少なくとも最後まで歩かなかった"と刻んでもらいたい-1982年の秋、専業作家としての生活を開始したとき路上を走り始め、以来、今にいたるまで世界各地でフル・マラソンやトライアスロン・レースを走り続けてきた。村上春樹が「走る小説家」として自分自身について真正面から綴る。
感想・レビュー・書評
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村上春樹が、もし走ることでアスリートになってなかったら、きっと長編小説は書けなかっただろうと言っています。長編小説を書くということとマラソンを走り切るということは、きっと類似しているというのはわかるような気がしますね。
どんなことでも地道に努力する積み重ねがなかったら、いい成績を上げることはできないのはよくわかる。そしてマラソンを走り切ることによって得られるecstasyといい小説を書き上げた時のecstasyは似ているのだろうと思います。
この本は、私たちに人生において何かを為し遂げるために、傍に置いておく価値のある本だと思いました。オーディブルで聴いたのですが紙の本が欲しくなってamazonでゲットしました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても、とても勉強になる(考えさせられる)一冊です。
村上氏が「走る」のは何故なのか? それは自分を究極まで追い込み、そして辿り着くのが、マラソンも小説の執筆も共通しているからなんですね。
体力を使う(と思われる)走ることと、知力を必要とする(と思われる)小説ではかけ離れれ居るとおもわれそうですが、どちらにも共通するのは「相当な持久力と、創造性」だと気が付くことができました。
村上氏の表現力豊かで心に残る言葉が綴られる小説にはこんなプロセスがあるんだな~ と、多くの気づきを貰った印象です。
自分自身と闘い、そして結果をデザインしていくことは「ランナー」も「小説家」も共通する「禅」のような境地が必要なのでしょう。
村上氏のその禅の境地を言語化し、エッセイとしてまとめたのが本書だと思います。
例えば、映画監督(宮崎駿氏)なども自室に籠ってアイデアと格闘し、自分自身を追い込んでいく姿は有名ですよね。
小説家に限らず、モノづくりを志している方には共感される本では無いでしょうか? -
「走る」ことがテーマのエッセイ集。
ー 僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた
とのことなので、職業的小説家の村上さんにとってこの本はとても大切なエッセイ集だと思う。村上さんが自分と向き合いながら、自分を曝け出しているのが、伝わってくる。
結構難産なエッセイ集だったんじゃないかな、なんて勝手に想像してしまった。
そのせいか、いつもながら言葉は軽快だけど、読み手にもずっしりと響くものがあり、読み進めるのに思いのほか時間がかかる。
というか、大切に読みたい、と思う本だった。
僕もランナーのはしくれなので、「走る」という行為に生きる意味を重ね合わせることがある。
ー もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、いったい誰がわざわざトライアスロンやらフル・マラソンなんていう、手間や時間のかかるスポーツに挑むだろう?
走ることは苦しいからこそ、「生きている」ことを感じさせてくれる。マラソン大会に出て「もう死んじゃう」と思いながら走ってゴールした後の幸福感や高揚感は本当にハンパではない。
ー 走り終えて自分に誇りが持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大きな基準
自分に誇りを持つために、ランナーは走っているのだと思う。苦しい思いに打ち勝って自分なりの結果を残すこと、誰かと比べるのではなく、自分との戦いに勝利すること、それこそ誇りなのだ。
…と言いつつ、最近サボり気味の僕は、腹が出てきて非常にやばい。自分に喝を入れるために、無意識のうちにこの本を読むことにしたのかもしれない。
僕もラヴィン・スプーンフルを聴きながらカウアイ島を走ってみたいなぁ…
ところで、音楽に関して、iPodでなくポータブルMDプレーヤーを選ぶ理由として、
ー 今のところ僕はまだ、音楽とコンピューターをからめたくはない。友情や仕事とセックスをからめないのと同じように。
と書いているけど、15年近く経って、今はどう考えているのかな?
その日の気分で走るときに聴く音楽をApple Musicの中から選ぶ快適さを知ってしまった僕にとっては、全く実感の湧かない比喩だった。 -
とても素直に淡々とマラソンに対する思いが描かれており、読む側も心地よく読める作品だと思います。
個人的には村上さんの作品ではアンダーグラウンドや本作品のような事実に基づいたものが好きです。
読むと走りたくなります。オススメ! -
村上さんの小説を読んだことなかったが、走る者として本書は読んでみたいと思っていた。ランナーの心理について共感するところがあった。
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ここまで深く、それでいて爽やかに”走るわけ”を流れるように語られたら、それが本意ではないと言われても、走ってみたくなる。そんな素敵な本だった。長年の積読解消。
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小説家兼ランナーである村上春樹さんのメモワール。エッセイとは一味違った面白さがある。過不足ない文章と多様な比喩表現が心地よい。何度も読み返したくなる。特に「ランナーズ・ブルー」という言葉がお気に入り。ちなみに私は、ワーカーズ・ブルぅー…
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まず、村上春樹がランナーであったことに衝撃を受けた。彼にとって、走ることは生きることそのものであると思う。
この本を読んで、私が走ることに対して求めていることが多少分かった気がする。無性に走りたくなるのは、多分生きているという実感を得たいがためである。そして、自分を追い込むことでその実感は更に大きくなっていく。
走るという行為は、無益で時として虚しいものである。日本を背負う選手になるために走っている訳ではないのだし。その目的は側から見ればほとんど価値のないものである。
しかし、自分を追い込み目標を達成し、成長を実感していく、このプロセスを踏むこと自体に大きな価値があるのだと気付かせてくれた。
これに気付いたと同時に、私は自分の陸上競技現役時代を振り返った。中学生の頃は努力に比例するように結果がついてきてくれたので、良い結果ばかりを追い求めていた。しかし、高校生になり、怪我や精神面の影響で、いくら努力しても結果がそぐわないという地獄を味わった。結果が出せないなら、陸上をやっている意味がない。それなら勉強に専念しよう。本気でそう思った。でもたぶん、今になって思うのだけれど、結果が全てではない。むしろ、毎日毎日目標に向かって努力し自分に打ち勝つというプロセス自体が、本当に価値のあるものだったのだと思う。例え結果が振るわなくても、それを成し遂げたのと成し遂げられなかったのでは、得られるものが大きく異なる。効率の悪い営為を成し遂げることでしか得られない大きなものが確かにある。
また、それに気付いたために、結果を出せない高校球児や、レギュラーになれないバスケ選手に対する見方が、確実に変わった。
村上春樹さんの生き方、すごく尊敬する。
彼はとてもストイックで、傲慢さをあまり持っていない。自分の内に目を向け、自分に負けないことだけに集中して日々過ごしている。
まるで陸上部時代の私みたい。
こういう生き方は、陸上やってなくてもできるんだ、初めて気付いた。たぶん、村上さんの生き方は私の性に合っていると思う。
実践してみようかな。とりあえず、走ろう。 -
フルマラソン中の心理変化の箇所(30kmまでの、“今日はいいタイムで走れそう”、から、どんどん悲壮感が高まっていくあたり)は、いたく共感した。P5に書かれているマントラは、次回のフルマラソンで多分心の中で唱えると思う。
P5
Pain is inevitable. Suffering is optional.
痛みは避けがたいが、苦しみはこちら次第。
P72
学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である。
P99
ビールはもちろんうまい。しかし現実のビールは、走りながら切々と想像していたビールほどうまくはない。正気を失った人間が抱く幻想ほど美しいものは、現実世界のどこにも存在しない。