- Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167519124
作品紹介・あらすじ
日露戦争で勇名を馳せた秋山好古・真之兄弟と俳句・短歌の革新者である正岡子規を軸に、明治日本の「青春」を描いた司馬遼太郎の『坂の上の雲』。この雄篇が発表されたのが1968‐72年である点に着目し、そこに込められたメッセージを解き明かす。斬新な視点と平易な語り口で司馬文学の核心に迫る傑作評論。
感想・レビュー・書評
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『坂の上の雲』の副読本に手を出す気持ちで手を出した自分が甘かった。『坂の上〜』をめぐる当時から後世の言説を俯瞰するような内容であり、戦費その他のデータも補完されている。
若手編集者へのレクチャーをもとにしたせいか「ですます」体になっている。「だ、である」体の引用文が多いのでこれは正解だった。
『坂の上の雲』を読み通したのはずいぶん前だ。陸戦より海戦の方が面白いので、そちらを先に読んでしまった。これがフィクションなら正岡子規をもう少し生かせておくのだろうとも思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を様々な視点で評論。
単なる日露戦争(奉天会戦・日本海海戦等)の解説に留まらず、戦争を取り巻く人間社会本質を坂の上の雲というフィルターを通して説いている。
特に、愚将と評されることの多い乃木大将については、司馬遼太郎の評価と一定の距離を保ちつつ持論を展開しているところが面白い。
改めて坂の上の雲という作品の魅力を感じることができる一冊。 -
司馬遼太郎の「坂の上の雲」執筆意図や歴史的事実の検証などを丹念に行った、「坂の上の雲」の現代的解説書。「坂の上の雲」読後に必ずし読むべき書(だと思う)。
実は本書を読むまで、司馬遼太郎の歴史小説の中でも「坂の上の雲」の評価が極めて高いのがどうしてか、よく分からなかった。正岡子規の存在感が中途半端だし、旅順攻略では乃木・伊地知の無能コンビの拙攻が腹立たしいし、奉天会戦がダラダラと長~くて飽きてくるし…。
著者は冒頭で、「『坂の上の雲』は少なからず取りとめのないところがある小説」、「小説としての完成度は低い」、「最初からしっかりした構成があったわけではないかも知れない」と書いていて、思わず大きく頷いた。
その上で、著者は、「松山藩の文化が同時期に生みおとした秋山兄弟と正岡子規を文武の両面から描こうとした」のが「坂の上の雲」の最初の構想であり、司馬は好奇心旺盛・楽天的な子規に明治期の若々しい時代精神を重ね合わせ、むしろ子規から同心円上に物語を広げていったのだという。
また、旅順攻略における乃木・伊地知コンビを、有能は言えないまでも、「誰がやっても旅順はたいへんだった、そのわりによくやった」という見方があることや、戦後的合理主義を愛する司馬が精神主義者として神格化された乃木を嫌悪していたことを指摘し、乃木・伊地知の失地回復を図っている。
司馬は、「日露戦争までの日本を、若い健全な日本として肯定的に捉え(その「若くて健全な日本の受難とその克服を『坂の上の雲』に描き」)、その後に「奇胎の四十年」を生んでしまった我が国の宿痾について問い続けた作家だった。そして、戦後四十年、高度経済成長を経て平和な時代を迎え、社会全体が暴走するリスクを抱えた日本が、今後「奇胎の四十年」と同じ轍を踏むのではないかという危機意識を持ち、「日本と日本人の「お里」を忘れてはならないと、自戒をこめてこの小説を書いた」のではないか、と著者はいう(お里=アイデンティティ)。
「坂の上の雲」、混迷の現代にこそ改めて読むべき書と思った。いずれ再読しなくては! -
『坂の上の雲』を題材とした評論
12年くらい前に読んだきりで
児玉源太郎くらいしか(名前的に)覚えておらず
むしろ江川達也『日露戦争物語』が絵的印象
まず「政治と文学の分かれ」の項が面白かった
「政治」からの軽視も確かにそうだし
「文学」でも政治をばかにしているというのは当たっていると思う
日本以外ではどうなのか知らないが
それが「大衆」に向けた「文学」という現在の本流だ
次に末尾の「冷戦構造下的あなた頼みのセンスで生きている」という疑いもその通り
けれどそれが「大衆」だ
日比谷焼打ちもブログの炎上も起こる場所が違うだけで
そこに参加する人々の在り方は同じ
現代ならぬ現在の大衆が政治参加も
やはり40年前、80年前、120年前と変わらぬその場のムードであり
それを作るのはごく一部の「あなた頼み」への
疑いと反骨と巡り合わせでしかない -
新書文庫
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文芸春秋の月刊誌『文學界』に2005年1~10月に連載された『『坂の上の雲』を読む』を書籍化したもの。
『坂の上の雲』については、2009~2011年に3年に亘ってNHKのスペシャルドラマで放映され、強烈な印象を残したことも記憶に新しい。
本書で著者は、この作品が1968~1972年に(産経新聞の連載として)発表されたことに注目し、司馬遼太郎は、この作品に描かれた明治維新から日露戦争までの若くて健康的な日本が、その後昭和20年に至る40年間になぜ不健康な日本に変わってしまったのかに問題意識を持ち、それを、戦後20年経ち、高度成長が進むとともに反体制色の強まった時代に改めて提示した、と分析している。
また、なぜ秋山兄弟と共に主人公として登場する文人が夏目漱石ではなくて正岡子規だったのか、なぜ乃木希典が極めて無能な司令官として描かれているのかなど、司馬遼太郎がこの作品に込めたメッセージを様々な角度から解き明かしている。
(2012年1月了) -
「司馬遼太郎の『かたち』 『この国のかたち』の十年」を2000年に書いた関川は、編集者に「書きませんか」と言われ、「空き巣」のようにこの本を書こうとした。
空き巣というのは例えは良くないが同じ手口を使うということである。『かたち』のようにである・・・というかあったはずだった。
いつ司馬遼太郎がどんな気持ちでその文章を書いたかという点では、時代相を読み、関係者に話を聞き、膨大な参考文献を渉猟する。『かたち』と同じ手法であるが、相手がエッセイと小説の違いがあるので、そのあたりが違っており、書くのに苦労したようである。
1.一番大事な点は、なぜ司馬遼太郎が1968年から1972年という時期に、日露戦争を取り上げて『坂の上の雲』を書いたかということであり、それは解説者の内田樹も言うように、その1968年から1972年という時期が日露戦争後の40年間、司馬遼太郎が最も嫌っていた<異胎>の日本と、現象面は両極端だが、実はよく似ていたからと考えた・・・ということになる。
2.それは司馬遼太郎にとっては、どちらの時代にも共通するのは「正義」を押し付けるイデオロギー、「正義」の名のもとの「集団ヒステリー」であったからだろう・・・と関川、内田が言っている。
3.『坂の上の雲』は、司馬遼太郎も言っているように、「告白」や「ナルシシズム」を特徴とする日本近代文学ではない。「時代」と「時代精神」を書いた「写生小説の大作」と、関川は評価している。私は日露戦争の分析という研究論文だと評価しているが・・・
4.「写生小説の大作」・・・つまり、正岡子規の小説家版になろうとしたのだろうか司馬遼太郎は。 -
いわゆる司馬史観に馴染んだ今の時代にあって、
サンケイ掲載時の時代背景を知ることは大変に意義深い。
日露戦を祖国防衛戦争として捉える試みは一見すると
確かに同時代における挑戦に見えるため、
最終的に「坂の上の雲」が評価されたことは感慨深い。
しかし「坂の上の雲」で現実の日本史は終わらないわけで、
その後は第一次大戦、関東大震災、普選施行、治安維持法、政党内閣、
満州事変と歴史は続く。
「坂の上の雲」が評価された背景にはその後のグロテスクにも見える
歴史とのコントラストがあった可能性を感じる。
そして司馬は日露戦後を理解の及ばない鬼胎としてきたが、
鬼胎を同時代の共通認識としてより強く発露するための装置として
「坂の上の雲」の評価があった…
どうだろう、穿ちすぎかもしれないが今の時代まで評価されたてきた
理由のひとつではないだろうか。 -
面白い。本編を読んだなら是非これも目を通しておきたいところ。
旅順攻略について、乃木、伊地知の人物、評価について実際はどのようであったのか、そして司馬はなぜこう書いたのか等々、なるほどと思った。
思想が行動を規定する、思想によって見える風景を現実世界に上書きした上で行動するような態度を嫌った、昭和の戦争を経験したが故に合理を愛する司馬の考えがあった。
非常に冷めた目で左翼運動の盛り上がりを横目に見ながら、「坂の上」を書いた司馬遼太郎の心事にすこし触れられた気がした。