清貧の思想 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (1996年11月8日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784167523039

作品紹介・あらすじ

日本はこれでいいのか? 豊かさの内実も問わず、経済第一とばかりひた走る日本人を立ち止まらせ、共感させた平成のベストセラー。富よりも価値の高いものとは何か?(内橋克人)

みんなの感想まとめ

人生における真の幸福とは何かを問い直す本書は、物質的な豊かさに振り回される現代人に、内面的な価値を見出す重要性を伝えています。著者は、過去の先人たちの生き方を引き合いに出し、物を手放し、心を風雅に遊ば...

感想・レビュー・書評

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    著者、中野孝次さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    中野 孝次(なかの こうじ、1925年(大正14年)1月1日 - 2004年(平成16年)7月16日)は、日本の作家、ドイツ文学者、評論家。元國學院大學教授。主著に『清貧の思想』など。

    とのことで、本作は、主著になります。
    それから、本作刊行時の著者の年齢は、67歳位になりますか。

    で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)

    名利に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ…。モノとカネにふりまわされ、明け暮れする人生は真に幸福なのか?光悦、西行、兼好、良寛ら先人の生き方の中に、モノを「放下」し、風雅に心を遊ばせ、内面の価値を尊ぶ「清貧」の文化伝統を見出し、バブル謳歌の日本に猛省を促した話題のベストセラー。


    本作は、バブル崩壊後に刊行された作品で、けっこう売れた作品です。
    が、内容的には少し難しく、スラスラと読める作品ではありません。
    通読された方は、少ないと思います。

  • 本書で取り上げられている人の人生戦略モデルなど、私には世捨て人かニートの類にしか思えない側面もあるのだが、私の偏見を別としても鴨長明、池大雅、本阿弥光悦…どれも一流の文化人なわけで、こうした人たちの人生モデルや生活戦略を、知的レベルも社会環境も違う私達が容易に実践できるものとも思えない。一言で言ってしまうと、人生戦略モデルとしては実現性に乏しい陳腐なモデルと考えるべき。
     にもかかわらず、ポストバブル世代で「負け」のカテゴリに入るであろう私の場合、同書で取り上げられる人生モデルに対して、思想的側面だけでも検討せざるをえないだろう。
     しかし、「清貧の思想」なる高踏的な議論は私のようなボンクラ大卒には荷が勝ちすぎるのも事実で、逆に言うとこれがわかるくらいならもう少しましな仕事をしている、すなわちそもそも「清貧の思想」ごときに興味など持たない。今後確実に生活レベルも人生の充実度も落ちるであろう人生計画に対し「じゃあどうすればいいんだ」となるが、妙案なんてものはそもそもない(あるくらいなら、それを本に書いて私が儲けている)。
     いずれにせよ同書は、これ自体では「カビ臭い」本としか言いようがない。しかし、私と同じ位の世代の優秀な思想家が、私達と同じ生活感覚で再解釈するとだいぶ新鮮味が変わってくるのではないだろうか。そうすると毛利嘉孝氏のDiY理論あたりも「清貧の思想」の観点から再解釈できる可能性があるのではないだろうか。

  • 西行、兼好、芭蕉、良寛などを引きながら、忘れられつつある日本文化の一側面を学べる一冊。

    現世での生活は可能な限り簡素にし、心を風雅の世界に遊ばせる。
    欲望や我執にとらわれていては、自己の外に遍満する宇宙の生命を感じることができない。
    など、共感できる内容が多い。

    これを機に原書にも手を出していこうと思う。

    10.8.26 読了

  • 節約にしろ、目標達成にしろ、投資にしろ、常に「欲」の制御が課題になる。
    本当に欲しいもののために消費を我慢する必要があるのに、人はどうしても手元のお金を使ってしまう。
    どうしても湧き出てくる消費欲をどのようにコントロールし、貧しさを受け入れられるかを知るべく本書を手に取った。
    「完全に新しい観点」は得られなかったが、以下は重要なヒントのように思う。

    「死を意識して毎日・毎年が最期だと思うことで今このときに集中し、お金ではなく行動に繋げること」。

    お金は中間媒体だ。欲しいもの、必要な物を買うために使う道具であって、仮に死ぬ直前や、無人島でお金があっても意味がない。
    ということは、「明日死ぬとしたら何を今したいか、何が今欲しいか」を考えてそれをすぐにすること・手に入れることこそが、一番の消費欲、浪費を避ける武器になりそうだ。

    今一番欲するものが高貴な精神性であったり、芸術作品の創作であったり、自然を感じとる心であったり、良好な人間関係であったりであれば、お金は確かに不要だ。

    資本主義社会では、人間の幸福や価値基準がお金に集約されていってしまう。しかしお金自体は、上記のような、死ぬ直前に欲しいものを直接もたらさない。

    かつて人類は暴力でもって欲しいものを手に入れた。しかし現代では暴力性はカプセルに包まれ、お金でもって欲しいものを手に入れる社会になっている。
    そしてそのお金を得る原資として、圧力や、戦略や、交換条件や、時間や、創造性や、頭脳や、既得権などを組み合わせる。
    我々庶民、凡人は原資を多くは持たない。原資として労働力=時間を主に提供する。
    しかし時間を提供するのであれば、わざわざお金に換金せず、そのままやりたいことに繋げることも可能なはずだ。

    もし死ぬ直前に欲しいものが、自分では生産できない食べ物や物品などであれば、換金が必要となるが、換金不要なモノであれば、お金を介さない選択肢もある。最終的な目的がドリルではなく穴なのであれば、手元の他の原資を組み合わせて穴を直接開けることを最初に検討すべきなのだろう。

  • 著者の日本文化に対する誇りや愛着に感動を覚える。ここまで自己を日本人として捉える発想は、今の時代人は良くも悪くも少ない気がする。

  • 今や物質万能の世の中ではあるが、古来より日本には清貧を貴ぶ思想があった。このかけがえのない思想について、今一度見つめなおす機会を私たちに提供してくれる。本阿弥光悦、その母妙秀、鴨長明、良寛、池大雅、与謝蕪村、吉田兼好、松尾芭蕉、西行らを取り上げ、その枯淡な生き方を紹介。確かに彼らの生き方には惹かれる。しかし、残念ながら現代を生きる我々にはこの生き様をそのまま倣うことはできぬ。せめて、この心持をもちつつ、世の中を処していきたいものである。

  • ここに書かれた文章を読むと、その表された思想に背筋が伸びる。きっと誰もが美しいと感じるだろうに、現代はそれを美しいと感じることを許さなくなっているのだろうと、あるいは経済や文化といったものの発展のためには目を伏せなければならなかったものなのだろうと、傲慢にも、我が身を通して世間を想う。
    このように在りたい、生きたいと思う。

    幸福であるとはどういう状態をいうのか、いうべきなのか。

  • 清貧など、馬鹿な考えだと思う人がいる。いろんなものに触れ、所有する生活の方がどう考えても豊かではないかと。
     たしかに、この本に書かれる清貧を現代で実践するのは困難だろう。大半の人にはもはや体質や価値観を合わせることができなかろうし、できたとしても多くの苦痛を伴う。だから、そのまま見習おうというのは無理がある。が、大いに参考にすることができる。これからの「清貧」はむしろ快適で、安定し、多様な価値観に接触し得るものになるだろう。いや、そうならなくては社会が持続できないのではないか、とすら考える。
     もうどっかあちこちで指摘されているだろうが、この「清貧」というワードについて、「清」がイイ子ちゃん感に見えたりしてちょっと嫌だし、「貧」がもうストレートにステキに思えない、というのは問題な気がする。認識を共有できてる間柄でなら問題ないだろうけど、今後キーワードとして掲げ、実用するなら、「スマート」とかもうちょっと別の言葉の方が馴染みやすいと思う。世間一般には。「ロハス」だとちょっとまだキモさが見え隠れしちゃうから甘いな。
     とはいえ、日本の歴史を振り返って散見される、ザ・清貧なスタンスは参照する価値があるし、少なくとも実践を伴った上でそこに豊かさと美しさが見出されていたということは、事実として認められて良いとは思う。割と、理解できない人は知人にもいる。いや、むしろ反射的に、清貧的なパラダイムを愚かしいものと卑下してすらいる人も少なくない。価値観には育ちの環境のことも大きいと思うから難しいのだろうが、なんとか想像力をもって理解してもらえないものだろうか。僕にも彼らの気持ちは正しくは理解できないんだよ。異文化交流くらいのレベルといっていい。

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  • 1997年頃 読了

  • 清貧というキーワードが陳腐。清貧は結果であって、目的でも有り難がるものでもない。
    ここに挙げられた人物が自身の信念に基づく生き方を実践している点は素晴らしく、私もこう有りたいと思うが、現代を生きる人間として参考にできる点は少ない。著者は現代社会、文明社会は…といい批判するが、現代が資本主義社会であるという前提がすっぽり抜け落ちており、その訴えは現実感がない。我々が資本主義社会に否応なく巻き込まれている現実を前提とした上で清貧を理想とする生活を考え直すべきではないか。

  • (メモ)
    ・源信/往生要集
    足ることを知らば貧といえども冨と名づくべし、財ありといえどもよく多ければこれを貧と名づく
    ・吉田兼好
    死期は序(ついで)を待たず。死は前よりしも来たらず、
    かねて後(うしろ)に迫れり。人皆死ある事を知りて、
    待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。 沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。

  • 本書は、バブル崩壊後の1992年9月に発行され、バブルを謳歌した日本に発想の転換を求めてベストセラーとなった書である。「清貧」は流行語にもなった。1996年文庫化。
    著者は、古来の日本文化について、「物作りとか金儲けとか、現世の富貴や栄達を追求する者ばかりではなく、それ以外にひたすら心の世界を重んじる文化の伝統がある。・・・現世での生存は能うかぎり簡素にして心を風雅の世界に遊ばせることを、人間としての最も高尚な生き方とする文化の伝統があったのだ。今もその伝統~清貧を尊ぶ思想と言っていい~はわれわれの中にあって、物質万能の風潮に対抗している」と述べ、本阿弥光悦、鴨長明、良寛、池大雅、与謝蕪村、橘曙覧、吉田兼好、松尾芭蕉、西行らの生き方を通して、その文化の伝統について具体的に説明している。
    「清貧」とは、たんに貧しいことではなく、所有を必要最小限にすることによって実現する、「自然といのちを共にして、万物とともに生きること」、「清らかで自由な心の状態」なのである。
    そして、著者は、そうした発想は、所有することに価値観を見出す欧米的文化にはないものであるとも述べているが、敷衍すれば、ケルンの大聖堂やヴェルサイユ宮殿のような、大きいこと、複雑(豪華)であることを権力の象徴とする欧米的価値観と、ときの権力者が、東山銀閣のような敢えて何もないものに美を見出して建造する日本的価値観に繋がるものであろう。
    バブル崩壊後、(資本主義)経済の復活のための処方箋を求められていた経済学者・評論家達からは、「「清貧の思想」などと言っていてはダメだ」という批判も少なくなかったというが、物質主義を前提として成り立つ資本主義的発想と相容れないのは当然である。
    物質主義、経済成長至上主義の矛盾・限界に直面する今、耳を傾ける意義のある考え方の一つと思う。
    (2006年4月了)

  • 在る幸せ。持つことによる不幸。
    見えないものへの畏れ。
    大切にしたい日本の価値観。研究においても日本の考え方を背景にした理論があってしかるべきだろう。仮説として提示することから始めよう。
    詩歌の素養が必要だ。(自分には足りない)

  • 物を欲しいと思えば、所有したいと思えばきりがなく、渇望の状態は幸福を生まない。物質的に豊かになることは、私たちを幸せにしているのだろうか?足るを知ること、好んでシンプルに生きること、実践します。
    アフリカのとある国に住んでみて、自分の周りをみても、お金が欲しい、モノが欲しい、豊かになりたい、という欲望が人の心を支配してしまってる気がする。豊かになることそれ自体は悪いことではない。けれど、欲望に支配されては、心が貧しくなってしまう。富は分配されてしかるべき。社会主義である必要はないんだけれど、あまりに格差が大きい。どうするべきか。

  • 物欲を満たして物を持つことが、心の豊かさにはならない、というもの。うちも清貧でありたいと思った。「シンプルライフ」というと鼻につくが、清貧だと気持ちいい。
    お茶の喩がわかりやすかった。いい(高い)お椀を持つと、いいお茶がたてられそうだけど、その実、お椀を割っちゃいけないとか、そういう雑念が入ってお茶に集中せず、いいお茶にならない、と。
    自分も、物を持つことのめんどうくささには同意。この感覚を強く持つようになったのは、『人生がときめく片づけの魔法』を読んでからだった。別の本のレビューをここで書くも変だが、『人生が~』は単に片付けかたのハウツー本じゃなくて、思想を語っていたんだなぁ。

  • まえがきの中の一文。
    「…日本には、物づくりとか金儲けとか、現世の富貴や栄達を追求する者ばかりではなく、それ以外にひたすら心の世界を重んじる文化の伝統がある。(…中略…)現世での生存はあたうる限り簡素にして心を風雅の世界に遊ばせることを、人間としての最も高貴な生き方とする伝統があったのだ。それは今の日本と日本人を見ていてはあまり感じられないかもしれないが、わたしはそれこそが日本の最も誇りうる文化であると信じる。…」

    バブル崩壊直後の疲れた心身に染み入るようにして読まれ、ベストセラーになったという本書。いまなお現役で問いかけてくる一冊。

  • "1990年代の古い本です。
    バブルの後に出版され、かなり売れた本のようですね。
    清貧という考え方は、今の日本人にも必要なものだと思います。
    自分も、お金そのものを扱うことも多い為、
    定期的に自分の頭をクリアーにする為にもよむのです。
    欲をコントロールするという意味でも大切な考えなのです。"

  • 19年ぶりに再読した。
    前半の15章(本書ではⅠとされている)で述べられている、「必要以上に所有してはいけない」、「死を憎むならその喜びを日々確認し、生を楽しむべし」という考えたかは、現在でも有意義なものであり、普遍的であると思った。
    一方、後半のⅡの9章はわが国の文化と西洋文明との対比を中心に述べられているが、西洋文明に対する見方が浅いのではないかと思った。
    また、Ⅱに見られることとして、一つの章の中で、文体が「ですます調」であったり「だ体」であったり、不統一が多く見られる。そればかりが気になって、集中して読むことができなかった。

  • 茶道を志すものとして、この精神は必要であり、茶人を例にした清貧思想は身にしみる思いです。
    飽食飽物時代では難しいかもしれませんが、『やっぱり世の中お金』と言う考えの方には是非一読願いたいと思います。

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著者プロフィール

ドイツ文学者、小説家、評論家。1925年生まれ、東京大学文学部独文科卒業。元國學院大學教授。カフカ、マックス・フリッシュ、グラスなど現代ドイツ文学の作家を多数翻訳。1972年に最初の著書を刊行後は、『ブリューゲルへの旅』(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、『麦熟るる日に』(平林たい子文学賞受賞)、『ハラスのいた日々』(新田次郎文学賞受賞)などを発表し、『清貧の思想』(1992年刊行)がベストセラーとなる。元神奈川文学振興会理事長。2004年に死去。

「2025年 『犬の年 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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