清貧の思想 (文春文庫 な 21-3)

著者 :
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167523039

作品紹介・あらすじ

日本はこれでいいのか? 豊かさの内実も問わず、経済第一とばかりひた走る日本人を立ち止まらせ、共感させた平成のベストセラー。富よりも価値の高いものとは何か?(内橋克人)

感想・レビュー・書評

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    著者、中野孝次さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    中野 孝次(なかの こうじ、1925年(大正14年)1月1日 - 2004年(平成16年)7月16日)は、日本の作家、ドイツ文学者、評論家。元國學院大學教授。主著に『清貧の思想』など。

    とのことで、本作は、主著になります。
    それから、本作刊行時の著者の年齢は、67歳位になりますか。

    で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)

    名利に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ…。モノとカネにふりまわされ、明け暮れする人生は真に幸福なのか?光悦、西行、兼好、良寛ら先人の生き方の中に、モノを「放下」し、風雅に心を遊ばせ、内面の価値を尊ぶ「清貧」の文化伝統を見出し、バブル謳歌の日本に猛省を促した話題のベストセラー。


    本作は、バブル崩壊後に刊行された作品で、けっこう売れた作品です。
    が、内容的には少し難しく、スラスラと読める作品ではありません。
    通読された方は、少ないと思います。

  • 西行、兼好、芭蕉、良寛などを引きながら、忘れられつつある日本文化の一側面を学べる一冊。

    現世での生活は可能な限り簡素にし、心を風雅の世界に遊ばせる。
    欲望や我執にとらわれていては、自己の外に遍満する宇宙の生命を感じることができない。
    など、共感できる内容が多い。

    これを機に原書にも手を出していこうと思う。

    10.8.26 読了

  • 著者の日本文化に対する誇りや愛着に感動を覚える。ここまで自己を日本人として捉える発想は、今の時代人は良くも悪くも少ない気がする。

  • 今や物質万能の世の中ではあるが、古来より日本には清貧を貴ぶ思想があった。このかけがえのない思想について、今一度見つめなおす機会を私たちに提供してくれる。本阿弥光悦、その母妙秀、鴨長明、良寛、池大雅、与謝蕪村、吉田兼好、松尾芭蕉、西行らを取り上げ、その枯淡な生き方を紹介。確かに彼らの生き方には惹かれる。しかし、残念ながら現代を生きる我々にはこの生き様をそのまま倣うことはできぬ。せめて、この心持をもちつつ、世の中を処していきたいものである。

  • 本書で取り上げられている人の人生戦略モデルなど、私には世捨て人かニートの類にしか思えない側面もあるのだが、私の偏見を別としても鴨長明、池大雅、本阿弥光悦…どれも一流の文化人なわけで、こうした人たちの人生モデルや生活戦略を、知的レベルも社会環境も違う私達が容易に実践できるものとも思えない。一言で言ってしまうと、人生戦略モデルとしては実現性に乏しい陳腐なモデルと考えるべき。
     にもかかわらず、ポストバブル世代で「負け」のカテゴリに入るであろう私の場合、同書で取り上げられる人生モデルに対して、思想的側面だけでも検討せざるをえないだろう。
     しかし、「清貧の思想」なる高踏的な議論は私のようなボンクラ大卒には荷が勝ちすぎるのも事実で、逆に言うとこれがわかるくらいならもう少しましな仕事をしている、すなわちそもそも「清貧の思想」ごときに興味など持たない。今後確実に生活レベルも人生の充実度も落ちるであろう人生計画に対し「じゃあどうすればいいんだ」となるが、妙案なんてものはそもそもない(あるくらいなら、それを本に書いて私が儲けている)。
     いずれにせよ同書は、これ自体では「カビ臭い」本としか言いようがない。しかし、私と同じ位の世代の優秀な思想家が、私達と同じ生活感覚で再解釈するとだいぶ新鮮味が変わってくるのではないだろうか。そうすると毛利嘉孝氏のDiY理論あたりも「清貧の思想」の観点から再解釈できる可能性があるのではないだろうか。

  • 2015.3.9無論、現代には適応し難いことも書いてあるが、昔の日本人の精神的健康度の高さ、人生観や幸福感に関する考察、思想の鋭さが読み取れる。改めて、発展とはなんだったのか、我々は進化してきたのかと思わされる。単純に貧しさについて書いたのでなく、古来の日本人の幸福に対する考え方、所有を肯定しない考え方について述べた、自己啓発と同時に日本文化論とも読める一冊。

  • ここに書かれた文章を読むと、その表された思想に背筋が伸びる。きっと誰もが美しいと感じるだろうに、現代はそれを美しいと感じることを許さなくなっているのだろうと、あるいは経済や文化といったものの発展のためには目を伏せなければならなかったものなのだろうと、傲慢にも、我が身を通して世間を想う。
    このように在りたい、生きたいと思う。

    幸福であるとはどういう状態をいうのか、いうべきなのか。

  • 清貧など、馬鹿な考えだと思う人がいる。いろんなものに触れ、所有する生活の方がどう考えても豊かではないかと。
     たしかに、この本に書かれる清貧を現代で実践するのは困難だろう。大半の人にはもはや体質や価値観を合わせることができなかろうし、できたとしても多くの苦痛を伴う。だから、そのまま見習おうというのは無理がある。が、大いに参考にすることができる。これからの「清貧」はむしろ快適で、安定し、多様な価値観に接触し得るものになるだろう。いや、そうならなくては社会が持続できないのではないか、とすら考える。
     もうどっかあちこちで指摘されているだろうが、この「清貧」というワードについて、「清」がイイ子ちゃん感に見えたりしてちょっと嫌だし、「貧」がもうストレートにステキに思えない、というのは問題な気がする。認識を共有できてる間柄でなら問題ないだろうけど、今後キーワードとして掲げ、実用するなら、「スマート」とかもうちょっと別の言葉の方が馴染みやすいと思う。世間一般には。「ロハス」だとちょっとまだキモさが見え隠れしちゃうから甘いな。
     とはいえ、日本の歴史を振り返って散見される、ザ・清貧なスタンスは参照する価値があるし、少なくとも実践を伴った上でそこに豊かさと美しさが見出されていたということは、事実として認められて良いとは思う。割と、理解できない人は知人にもいる。いや、むしろ反射的に、清貧的なパラダイムを愚かしいものと卑下してすらいる人も少なくない。価値観には育ちの環境のことも大きいと思うから難しいのだろうが、なんとか想像力をもって理解してもらえないものだろうか。僕にも彼らの気持ちは正しくは理解できないんだよ。異文化交流くらいのレベルといっていい。

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  • 1997年頃 読了

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著者プロフィール

1925-2004。千葉県生まれ。東京大学文学部卒、國學院大學教授。作家、評論家。『実朝考』『ブリューゲルへの旅』『麦塾るる日に』『ハラスのいた日々』『清貧の思想』『暗殺者』『いまを生きる知恵』など著作多数。


「2020年 『ローマの哲人 セネカの言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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