五十年目の日章旗 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (1999年8月5日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784167523060

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  • (2005.08.12読了)(2005.01.21購入)
    【日本の戦争・その②】
    二つの作品「五十年目の日章旗」「スタンド」が収められている。いずれも、中野さんの兄、中野幸太郎に関する話である。

    ●五十年目の日章旗
    「兄は徴兵検査では丙種という虚弱体質で第二国民兵役になっていたが、昭和18年召集され、宇都宮の連隊からビルマに送られ、インパール作戦に参加して死んだ。」
    「インパール作戦は愚劣な作戦の多かった太平洋戦争の中でも余りにひどいものであり、その愚劣で粗雑な計画のために参加した兵の8割ほどは殺されたのだったから、恨みは深いのである。あんな作戦を思いつき、企て、反対を押し切って実行した牟田口廉也中将なんて者を、墓から引きずり出して鞭打ちたいほどの怒りを覚えながら、しかし最後にはただそんな愚劣な作戦に繰り込まれて殺された兵たちへの哀れな思いが残るだけであったが。」
    1994年6月25日、東京新聞の首都圏ニュースという欄に、「この日章旗に心当たりは・・・」という記事が載っていた。その日章旗に「為中野幸太郎君」とあった。幸太郎とは私の兄の名に他ならない。保管していたのは、元イギリス陸軍中尉の故レジナルド・ジョン・アイザックさん。彼の息子が江戸川区の姉妹都市、オーストラリアのゴスフォード市に在住していた縁で、同市の姉妹都市委員、松平みな・サンダースさんが今年1月に来日した時、区に託した。
    「厚生省、社会援護局業務第1課、調査資料質の調査によると、先の大戦に参加した「中野幸太郎」同姓同名者は、陸軍6名、海軍9名、計15名いたことが判明。」
    昭和18年6月、召集令状が舞い込んだ時、兄は関西に行っていた。幸福な新婚生活のさ中であり、自宅へ戻ったとき、嫂は着物の上からでも目立つ腹をしていた。
    出征の朝兄は、猛烈な身体硬直と痙攣の発作を起こした。あれは兄の全存在が発した死に対する恐怖の発作だったのではないか。昭和18年の状況では応召はそのまま死を意味した。意識の上では従うしかないと諦念をもって承認しても、生命の奥底にある何者かの死への恐怖が意識層を引き破って、あんな形で噴出したのであろう。
    「出征兵士はみな勇ましく国のために戦う決意を披瀝し、送る側は国家のために召されるのを光栄として励ましたのだった。そこにあるのは建て前だけで、感情はここの胸の奥深く隠しておかねばならなかった。」
    「私の兄中野幸太郎は大正5年3月16日栃木県益子町で生まれた。父は明治25年生まれの辰年で、腕のいい大工であった。母は明治27年生まれで、父が入夫婚姻して最初に生まれたのが幸太郎なのである。夫婦は、関東大震災で東京に大工職人の需要が多くなった時千葉県市川市に移った。大正12年に次男が生まれているが、1歳足らずで死んだ。次に大正14年に生まれたのが私で、兄の幸太郎との間には9歳の違いがある。母は、このあと続けざま2年おきに妹2人、弟2人を産んだ。」
    「帝国憲法第20条に、
     日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す
    とあって、どんな人間でも満20歳に達すると兵役に服する義務を負わされた。」
    兄幸太郎の死亡通知に、「昭和19年9月13日ビルマ・ティディム方面に於て戦病死せられ候条此段通知候也」という告知のよってチンドウィン河辺ティディムで死んだことが分かった。そこは「白骨街道」と称されたほど多くの将兵が死んだところであった。
    「日章旗はその後江戸川区の係に私のほか名乗り出たものはないとのことであった。」
    「この旗が兄のものであってもなくても、50年間この旗とともにさまよっていた兵士の魂を、これ以上さまよわせるに忍びない気がします。戦後50年目にこれが日本に帰ってきたというのも、何かの縁でしょう。だからともかく僕がこれを受け取って、旗とともに死者の供養をしてやろうと思います。」

    著者 中野 孝次
    1925年 千葉県生まれ
    東京大学文学部卒業
    1976年 「ブリューゲルへの旅」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞
    1978年 「麦熟るる日に」で平林たい子賞受賞
    1987年 「ハラスのいた日々」で新田次郎賞受賞

    (「BOOK」データベースより)amazon
    太平洋戦争の中でも、とりわけ無謀で愚劣きわまる作戦といわれるインパール作戦に駆り出されて死んだ兄。その兄中野幸太郎の名を記した日章旗が、戦後五十年目の夏に偶然見つかった…。先の大戦で、無念を抱いて死んでいった何百万の兵士と、彼らの死をいつまでたっても忘れられぬ遺族とに捧げる鎮魂の書。

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著者プロフィール

ドイツ文学者、小説家、評論家。1925年生まれ、東京大学文学部独文科卒業。元國學院大學教授。カフカ、マックス・フリッシュ、グラスなど現代ドイツ文学の作家を多数翻訳。1972年に最初の著書を刊行後は、『ブリューゲルへの旅』(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、『麦熟るる日に』(平林たい子文学賞受賞)、『ハラスのいた日々』(新田次郎文学賞受賞)などを発表し、『清貧の思想』(1992年刊行)がベストセラーとなる。元神奈川文学振興会理事長。2004年に死去。

「2025年 『犬の年 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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