陰陽師 醍醐ノ巻 (文春文庫)

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  • 文藝春秋 (2013年11月8日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784167528256

作品紹介・あらすじ

妖怪との約定を違えた男の運命やいかに!

北山の山中で傷を負った妖怪を助けた男がいた。だが他言してはならぬという約定を違えたため命を狙われる。晴明は男を救えるか?

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

妖怪との約定を違えた男の運命を描くストーリーは、晴明と博雅の深い友情を通じて展開されます。特に博雅の活躍が際立つ回であり、彼の成長や自由な姿勢が印象的です。物語は毎回異なる事件を通じて進行し、どれも興...

感想・レビュー・書評

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  • 短編シリーズ9冊目。

    「笛吹き童子」
    例によって真夜中にふらふら笛を吹いてお散歩していた博雅、ある晩、広隆寺の門前で良い気分で笛を吹いていると、たまたま女のところへ通う途次でその笛を聞いて足を止めた藤原兼家が、笛に聞きほれたせいで女のところへ行くのが遅れて閉め出されてしまい、あの笛は博雅よりも巧いかもしれないなどと言いふらした。博雅はまさか自分だとも言い出せず複雑な気持ちでいたが、なんと翌日も、その次の日も同じ笛が聞こえ、しかし博雅はもう広隆寺には行っていない。晴明と二人で広隆寺に探りに行くと、同じく笛の主をつきとめようと隠れていた兼家が捕まえたのは目も見えず口も利けない童子で…。

    広隆寺というと太秦方面か、夜のお散歩にしては博雅まあまあ遠出するなあ(笑)さて笛の名手の謎の童子と博雅の笛、どちらが上手か吹き比べをさせようと帝が言い出し、渋々受けるも博雅はいろいろ思い詰めてしまう。だが当日、童子の笛を聞いているうちにそれは自分が最初の晩に吹いた曲だと思い出し、無心になって一緒に合奏、吹き終えたとき童子はおらず、広隆寺山門の音声観音像が転がっていた。


    「はるかなるもろこしまでも」
    よく笑う不思議な女人が、都のあちこちのイベント会場で目撃されるが、誰も彼女のことを知らない。彼女が消えたあとには伽羅の香りが残されているという。露子姫も、虫取りをしていて彼女を目撃。

    ある日、西光寺の明鏡という僧から寺で奇妙なものがみつかったと連絡を受けた晴明と博雅が出かけると、それは蜘蛛の巣にかかった蝶のようなもの。ただ半透明になったり手足が人間のように見えたり実体が定まらない。晴明がそれを解放してやると、一人の女性が寺にやってきて、ここに晴明と博雅がいるなら屋敷まで来てほしいと言う。

    二人がついていくと屋敷にいたのは90歳くらいの上品な寝たきりの老婆。実は彼女は何代か前の帝に通われた女性で、病弱なためほとんど家から出ずに細々と生きながらえたが、数日間眠ったきり目覚めなかった。そのあいだ、ずっと都のあちこちを歩き回る楽しい夢を見ていたという。だが夢の中で蜘蛛の巣につかまり、晴明と博雅に助けられて目覚めた。もしやと思い件の寺に二人を呼びに行ってもらったら本当にいた、と言う。あの蝶のようなものはこの女性から憧れ出た魂だった。女性が素敵でちょっと泣ける話。

    ちなみに「はるかなるもろこしまでもゆくものは秋の寝覚の心なりけり」は、大弐三位=紫式部の娘の賢子ちゃんの詠んだ歌ですが、年代的にこの話の女性が賢子ということはないですね(999年生まれ。たぶんまだ生まれてない)

    「百足小僧」
    藤原実貞が突然朝起きて来ず目を光らせて這いまわり、そのうち手足がどんどん増えてきて合計12本、全裸になって床下にもぐりこみ家人に噛み付こうとするなど数日でますます悪化。もちろん晴明が呼ばれ、息子に話を聞くと、症状が出始めたちょうど前日、庭の虫やムカデが多くて困っていたところへ通りかかった童子が虫取りをしてくれるというので実貞が頼んだ。童子は腰にさげた瓢箪にどんどんムカデを放り込んでいき凄まじい数のムカデを退治してくれたが、ケチな実貞は金品を払おうとせず、魚を一匹童子に投げつけたのだった。

    あっさり晴明が治療、実貞の体から凄まじい数のムカデが出てきて、それを鶏に喰わせるなどして終了。帰宅すると蘆屋道満が、弟子らしき童子(百足丸)を連れてやってきて、実はこの童子に虫を集めさせていたところ実貞の対応がムカついて全部実貞に取り憑かせていたとのこと。道満が自分で始末をつけようとしていたところ晴明がやってくれたので、借りがひとつできたと言い残して去っていく。


    「きがかり道人」
    毎日大津方面から逢坂の関を越えて都へ急ぐ謎の老人がいる。見る人によって姿は違い、痩せていたり太っていたり。しかしある日ふっつりその姿を誰も見なくなった。一方逢坂の関あたりに住む蝉丸法師、いつものように琵琶を弾いていると、外で人の気配がして誰か倒れている。なんとか助けて自室に寝かすが、少しもよくならず、だがどんどん太っていく病人。さらに蝉丸はなぜか家から出られなくなり…。

    もちろん呼ばれずとも晴明と博雅が救助に駆け付ける。実は蝉丸が助けたのは月駆け道人で、件の大津から都へ毎日急いでいる老人。毎日逢坂の関を通るとき蝉丸の琵琶が聞こえていて、どうしてもじっくり聞いてみたい気持ちを抑えられず、庭で立ち聞きしていたら、一緒にいる月が梅の枝にひっかかってしまった。博雅がそれを外すまで老人は具合が悪い上に結界が張られて蝉丸も家から出られなくなっていたのでした。木に引っかかっている(タイトルの「きがかり」はこれですね)お月様をはずしてあげるという童話のようなおはなし。


    「夜光杯の女」
    いつものように晴明んちで飲んでた博雅に、晴明が美しい杯を見せてくれる。この夜光杯で酒を飲むとあら不思議、庭に美しい女性がたたずんでいるのが博雅にも見えるように。なんとこの女性は楊貴妃で、杯に憑いているという。

    この杯を晴明に預けたのは、賀茂保憲に紹介をうけた藤原成俊。そもそもこの杯は成俊のご先祖様が唐の国から持ち帰った、阿倍仲麻呂の遺品だと言う。博雅が親身に楊貴妃に問いかけ、彼女が事情を答えるに、安禄山の乱で家族を殺され、楊貴妃自身も処刑を迫られて玄宗皇帝は泣く泣く彼女を処刑するがその際に彼女の血をこの杯に注いで飲んだと言う。しかしその話を博雅が聞くうちに楊貴妃は次第に玄宗皇帝になり、さらに阿倍仲麻呂にもなり、三人は三つ巴で踊り始める。なりゆきを確かめにきた保憲も現れその様子を一緒に眺めることに。結局そのまま三人は成仏。夜光杯はただの杯に戻った。


    「いたがり坊主」
    帝が腹痛を起こし苦しまれ、さまざまな祈祷が行われるが一向に効果がない。ついに5人の高僧が集められ「五壇の御修法」がおこなわれるが、帝の腹痛が治まるのは彼らが祈祷している時間のみで、帰ってしまうとまた腹痛が起こる。そこで最近評判の奈良の香久山の正祐法師が呼ばれるが、効果てきめん、帝は回復される。しかし五壇の御修法に参加して広沢の遍照寺・寛朝僧正や比叡山の余慶律師はこれを怪しみ晴明のところへやってくる。ちょうどその僧が、博雅の笛を聞くために翌日博雅の屋敷を訪問するというので、晴明は博雅に偽の腹痛を起こすよう指示し…。

    オチを述べてしまうと、かつて余慶律師に負けたことのある(※今昔物語参照)智羅永寿(ちらようじゅ)という震旦(中国)から渡って来た天狗が、都の僧侶を妬んでいる正祐法師とグルになり、仕組んだ事件だった。智羅永寿が腹痛を起こさせる羽団扇で床下から帝を煽ぎ、正祐が呼ばれて祈っているあいだだけ煽ぐのを止めるという仕掛け。天狗は羽団扇を残して逃げ、それは晴明のものに。


    「犬聖」
    賀茂保憲には実は保胤という兄がいる。優秀だったが、保憲や晴明のように見えないものを見る能力を持たず、人を信じる人柄であったため、父の跡は保憲に譲り、自らは出家して心覚上人と呼ばれていた。飢えた犬でさえ前世で父母であったかもしれぬと思い邪険にできない性格で、尊敬もされるがバカにする者もいる。今回はその兄のことで、保憲が晴明に頼みごとをしてきた。

    ある日、大内裏の達智門に、赤ん坊が捨てられていた。梶原景清という男が通りかかるが急いでいたので放置していたところ、何日たっても赤子は犬に食われもせず、痩せもせず、ずっとそこにいる。不審に思い物陰に隠れて赤ん坊を観察していると、白い犬がやってきて、その赤子に乳を飲ませ、野犬から守っていた。白犬を追い払うのも気が引け、翌日あらためて景清が赤子を見に行くと、赤子はすでにいなくなっていた。

    実はこの、赤子を拾っていったのが件の心覚上人。白い犬も一緒に、東山の石蔵寺に連れ帰った。心覚はこの犬は赤子の前世の母に違いないと思い、犬も赤子も大切に育てていたが、景清が赤子のことを言いふらしていたので、平伊之という男が実は行方知れずになった自分の子だと名乗り出た。景清が伊之を連れて心覚と赤子を訪ねると、白犬が伊之に吠え掛かり、心覚は赤子を渡すことを拒んだという。そこで心覚を説得に行ってくれと保憲(※心覚と不仲)に頼まれた晴明が出向くと…。

    結果、赤子の親は伊之ではなくまったくの別人。さる女性が、やんごとなき方とのあいだに成した子で、昔の家人だった伊之が、金を脅し取ろうと赤子を誘拐、それを女性の愛犬が取り戻して自分で育てていたのだった。赤ん坊は無事実母のもとに戻される。


    「白蛇伝」

    東山の長楽寺の実恵という僧は、7才で寺に入って50年、すでに57歳だがまともに経を読むこともできない落ちこぼれ。だが性格が良いので好かれていた。ある日、花を摘みに山に入った実恵は道に迷ってしまう。どこからか法華経が聞こえ、その声の主を探すと、苔むした石のようなものがある。思わず手を伸ばすと、悲鳴があがり、なんとそれは65歳ほどの老婆だった。

    翌日、実恵は寺に戻るが、日に日に瘦せ細っていく。心配した仲間の僧が夜眠っている実恵を覗き見ると、大蛇が彼に巻き付いていた。晴明が呼ばれ、博雅とともに隠れていると大蛇がやってきて…。

    実はこの大蛇、もとは尼僧だった。若い頃から愛欲が強く、思い立って25歳で出家、40年間法華経を唱え続け、ようやく無の境地になったのに、ふいに実恵に触れられたことで一瞬にして修行が無になり愛欲の虜に戻ってしまった。それでよなよな大蛇となり実恵のところに通っていたのだった。しかし実恵は、彼女を嫌うどころかこのまま取り殺されても良いという。誰の役にも立てなかった自分を必要としてくれるなら…と実恵は大蛇と共に去っていった。

    「不言中納言」
    藤原忠常という男が、近ごろ里を荒らしていた北山の黒猪獅子を射た。猪は現れなくなったが、やがて忠常の家で家来が連日死体でみつかるように。同じころ、中納言・在原基次が薬草取りをしていて北山で神隠しに合い、五日間ほど行方不明となったあと、元気な状態で戻ってくるが、戻って来てからどんどん痩せて衰えていくという。その基次が、晴明に助けを求めてやってきた。

    実は神隠し中、不思議な場所に迷いこみ、謎の女性に案内されて、怪我をして苦しんでいる夫を治療してくれたら無事返してくれると約束しえくれる。薬草に詳しい基次は、矢傷を受けたそのけむくじゃらの夫を治療するが、この夫婦が、傷が治ったら忠常に復讐をしてやると話しているのを聞いてしまい、彼こそが忠常に射られた猪だと気づく。だが猪夫婦は当然基次に口止め、戻っても誰にもここでの話はするな、もし話したら殺すと脅す。なんとか生きて戻ってきた基次だが、忠常の家で次々人が殺されていることを知り、もう隠していることができなくなり、晴明を頼ってきたのだった。

    さて晴明は、忠常の屋敷であるものを用意して待機、やってきた猪の眷属を撃退することに成功。実は用意されたのは20匹の猫、猪は実は猪ではなく巨大化した鼠の化け物だった。 

  • 安定、安心。良い感じの二人はつづく。

  • 晴明と博雅の友情が描かれるシーンにはいつも安心感を覚えます。博雅の活躍が目立つ回。

  • すごく読みやすい

    晴明と博雅の語りから始まり、事件を解決していく流れはずっと一緒なんだけど、事件が毎回面白い

    自然の描写が美しい

    今回は保憲が出番多めで嬉しかった(*^ω^*)

  • どんどん自由になっていくなぁ。
    今回は、特に「きがかり道人」でそう感じました。

    これ、見えていてそのまま描写すると、まぁそれはそれで楽しいけれどアホな絵になるのですが、それが、蝉丸という目が見えない人物を通すことで、音と声でその絵を伝えてくるという上手さ。
    素晴らしい。

    あと、「白蛇伝」の人間の欲望さえも包み込む着地の仕方が、とても好きです。

  • 安定のマンネリで、読むたびにいつでも晴明と博雅の二人と同時代にいるような気がします。
    端からこの二人の有様を見届けている感覚。
    まるで、蜜虫たちのような式神にでもなってしまったかのようです。

    マンネリという否定的な言葉が、褒め言葉になるという珍しい現象。

  • 妖のモノ達が人の側に居た時代、妖し事件を晴明と博雅が解決してゆく短編集。
    何が好きって、二人が縁側(?)でほろほろと酒を交わしている描写がなにより好き。
    同じ日本でありながら、現代とは全く違う時が流れていた感じがたまりません。こんなにゆっくり流れている時間なのに博雅は「齢を重ねると歳月が早く過ぎる」とか話す。
    そして生まれて死んでいく儚さを憂い、二人で酒を酌み交わす時を大切にしている。
    人の生き方の理想のひとつがあると思えてなりません。
    あとがきで、著者が書き続けてゆくと記していたのが、大変うれしかったです。

  • 安倍晴明と源博雅の物語、相変わらずにさらさらと読めます。
    どこか、平安時代の“夜”を感じさせてくれる話が多いような。

    漆黒と言うほどではない、薄墨を流したような昏さ、
    その中には何かしらの“モノ”が潜んでいる、、そんな話が多く。

    個人的には「夜光杯」の一遍が印象的でした。
    一度、夜光杯で一杯やってみたいですね、、できるなら月明かりの下で。

    そういえば、「ゆこう」「ゆこう」のやりとりが複数パターン出ていますね、
    個人的には「そういうことになった」との定番がなんとなく好みです。

  • 巻頭話があんまりにもあんまりで慌てて続きを読んだ次第。獏さんが書き、老うにつれて、彼らの人柄も関係も動きつつ固まりつつあるのかもしれない。

  • いくらでも読める

  • 過去に読んだことがあるようにも思うがわからない
    安心して読める

  • 笛吹き童子(博雅、嫉妬す)/はるかなるもろこしまでも(伽羅の香残す不思議女)/百足小僧(主人が百足に)/きがかり道人(毎日歩む不思議老人)/夜光杯の女(夜光杯で酒を飲むと見える不思議女)/いたがり坊主(帝の腹痛を治した僧)/犬聖(真面目すぎる僧と赤ん坊と白犬)/白蛇伝(白い蛇に憑かれた僧)/不言中納言(他言無用だった秘密)

  • お気に入りキャラの露子姫またもや登場!
    もし映像にするなら女優さんは誰がいいかな。

  • 安定の面白さ。
    『はるかなるもろこしまでも』がとても良かったです。
    病床にありながらふわふわと世の中を見て楽しみ、穏やかな心地で息を引き取れるのならどんなに素敵なことでしょう。

  • いやぁもう絶対付き合ってるじゃんこれ と何度つぶやいてしまったか。「ゆこう」「ゆこう」の予定調和が相変わらず(久々に読んだけれど)楽しい。シリーズの他の作品が好みならば絶対に外れない。
    本作に限った感想としては、晴明の兄弟弟子にあたる賀茂保憲が「身内の絡む問題」を晴明に依頼しにきたシーンで、彼らが陰陽師と出家者(宗教者)のスタンスの差異を語るところが印象に残った。

  • 『陰陽師 醍醐ノ巻』 夢枕獏 (文春文庫)


    陰陽師シリーズ第11弾。


    「百足小僧」で、えいやっ!と宙に身を躍らせ、地に降り立ちざまに、ぱん!と呪符を妖しの者に張り付ける。
    なんともかっこいい晴明が見れて、いいぞいいぞと一人盛り上がった。

    で、その「百足小僧」ですが。
    藤原実貞という人が実にお気の毒なことになっていた。

    百足の精気を口から注がれて百足になってしまうという。
    人間の体のまま足がたくさん生えて、全裸でかさかさと床下を這う藤原実貞。

    妖物に取り憑かれる系の話の中でもこのダントツに悲惨な見た目は、平将門の事件のときの平貞盛に次ぐ気の毒さで、ちょっと笑える。

    実貞の屋敷の家人たちも、本来ならば退治をしたいところが我が主となればそうもできず、晴明が来るまで、実貞さん全裸のまま遠巻きに放っておかれる。(笑)

    気の毒なんだけどやっぱり何だか笑える話だった。


    博雅の笛にまつわる物語は多いが、「笛吹き童子」は、これまでになく博雅のコアな部分に踏み込んでいて、なかなか読み応えがあった。

    ある日、博雅の笛に勝るとも劣らない笛を吹く童子が現れた。
    その音色を聴いた博雅が、自分よりも上手いと思い、悩む。

    実はその童子は、博雅の笛の音に感応し、博雅の吹いたとおりに笛を吹いていた音声(おんじょう)菩薩であったのだが、もちろん博雅にわかるはずもない。

    知っていたのは、晴明、蝉丸、葉二の元の持ち主である朱雀門の鬼、蘆屋道満たちで、博雅が自分でそのことに気付くまで、何も言わず皆で温かく見守るという、とてもいい話だ。
    みんなに愛されている博雅にほっこりする。


    博雅の優しさと無私の心は、「夜光杯の女」では、杯に憑いていた楊貴妃と阿倍仲麻呂を昇天させたりもしてしまう。
    今回も大活躍の博雅なのである。


    「犬聖(いぬひじり)」も、とてもよかった。

    賀茂保憲の兄、心覚上人の話である。
    心覚は、元は保憲や晴明と同じく陰陽師であったのだが、あるとき道心をおこして僧となる。

    この心覚、あまりにも真面目でありすぎたために、様々な騒ぎを起こしていた。
    騒ぎの一つを収めるために、保憲が晴明に仕事を頼みに来るのだが、そこでの二人の会話には、いつもの晴明×博雅の会話とはまた違ったプロ同士の研ぎ澄まされた空気がびんびん感じられて、鳥肌が立った。

    陰陽師は呪(しゅ)を唱えるが祈るということはしない。
    陰陽の道をゆくには“もの”や天地の理を見抜く才が必要であり、仏の道に必要なのは才よりも信心なのだと。
    つまり、心覚には保憲や晴明に見える“もの”が見えなかった。
    そしてそれを一番よく分かっていたのは、心覚自身だったのだ。

    「晴明よ、我らに必要な才は、かなしいかな、信の才ではなく、疑の才じゃ。まずは、ものの表を疑い、裏を知ろうとする才じゃ」

    「はい……」

    疑の才。
    まず疑うこと。裏を暴くこと。

    保憲も晴明も、ときにはそんな才を悲しく思うことがあるのだろうか。
    保憲が信心にあふれた心覚を大切に思う気持ちと、晴明が博雅と酒を酌み交わす時間を大切に思う気持ちは、きっと同じものなんだろうな。

    「おれは、聖にはなれぬよ、博雅……」

    そうつぶやく晴明に、ちょっぴりうるっときてしまった。


    ところで、作者の夢枕獏さんは、還暦を過ぎておられるそうだ。
    晴明と博雅が酒を飲むシーンで交わされる会話の中に、時折、作者が垣間見えることがあって面白い。

    「不言中納言(いわずのちゅうなごん)」にて。

    「あれもやろう、これもせねばならぬと思うていたのに、そのどれも、ほとんど何もできぬうちに秋も過ぎ、もう、今年も終わろうとしているではないか。人は、こうやって老い、死んでゆくものなのかなあ、晴明よ」

    博雅、枯れすぎ(笑)
    いや私もほんとこのごろそう思いますけどね。


    会話といえばこれも。
    ぬしは名を残したいか、富が欲しいかと、博雅が晴明に問う。

    「おれはただ、おれの如くに好きなように生きるだけだからな。名も富も、その後に勝手についてくるだけのものだ。淡い夢の如きものさ。ついてくるならくるで、こぬならこぬで、いずれでもよいのだ……」

    これのすごいところは、富も名声もいらない、と言ってはいないところだ。
    いらない、と言ってしまったら、それはもう意識しているということだから。

    この晴明の真っ白な感じがとても好きだ。
    恨みや妬みや憎しみや呪いや、様々な負のものを呑み込んでなお、真っ白でいられる。
    すごい。


    「風は見えぬ
    しかし、草や葉が揺れるのを見て、人は風を見る
    刻(とき)は見えぬ
    人は、ゆくものを見て、刻を見る」
         

    晴明が発する言葉の数々は、何だか妙に今の自分にしっくりと馴染んで、優しく包まれているような気持ちになる。
    今回は、博雅よりも晴明がよかったなぁ。

    事象の中に原理を見る男、安倍晴明。

    かっこいい。 

  • 「笛吹き童子」
    鬼とのやりとりも良いなぁ。
    自分で吹いている笛と、それをそのまま別のものが吹いているとして
    自分の笛の音だとわかるものなのかな。

    「はるかなるもろこしまでも」
    最期にいろいろなところを巡れて、いろいろなものを見ることができて
    新しい生き方をしている人に出逢えてよかったな

    「きがかり道人」
    月守りの人がしっかり月を先導してくれる
    そういう世界観に生きてみるのも楽しそうだな。

    「夜光杯の女」(やこうはいのひと)
    やり取りの中に無私感あっただろうか。

    「白蛇伝」
    そういう関係性もあるよな。世の中的な意味でうまく生きられないって
    大変だよな。そんなの関係なく楽しく生きられれば良いのに。

    「不言中納言」(いわずのちゅうなごん)
    前にもねずみが悪さをしていたような気がする。
    残った痕跡を調べられるところも同じ。
    北山は初めて出てきたな。

  • 妖物の元は人の心であるよに思う。

    陰陽師を読むとその想いを新たにする。

    その心の在り様で、妖物は神にも獣にも鬼にもなり得よう。

  • ムカデの話は気持ち悪かったけど、犬聖とか白蛇の話とかは好き。

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著者プロフィール

1951年、神奈川県出身。第10回日本SF大賞、第21回星雲賞(日本長編部門)、第11回柴田錬三郎賞、第46回吉川英治賞など格調高い文芸賞を多数受賞。主な著作として『陰陽師』『闇狩り師』『餓狼伝』などのシリーズがあり、圧倒的人気を博す。

「2016年 『陰陽師―瀧夜叉姫― ⑧』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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