猫を抱いて象と泳ぐ (文春文庫)

著者 :
  • 文藝春秋
4.04
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本棚登録 : 4165
レビュー : 531
  • Amazon.co.jp ・本 (373ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167557034

作品紹介・あらすじ

「大きくなること、それは悲劇である」。この箴言を胸に十一歳の身体のまま成長を止めた少年は、からくり人形を操りチェスを指すリトル・アリョーヒンとなる。盤面の海に無限の可能性を見出す彼は、いつしか「盤下の詩人」として奇跡のような棋譜を生み出す。静謐にして美しい、小川ワールドの到達点を示す傑作。

感想・レビュー・書評

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  • それは切なくも心温まる美しい物語。小さくてあまりにも控えめで自らの世界に生きてきた少年は、チェス人形の「リトル・アリョーヒン」と一体となることで、「盤下の詩人」の名にふさわしい最高の輝きを棋譜に残し続ける。
    小川洋子の描く登場者はどこか風変わりで控えめだが、穏やかで人を包み込むような温かい眼差しが印象的だ。チェスを教わったバスの中の大きな大きなマスター、マスターに寄り添う猫のポーン、大きくなることでデパートの屋上から出られなくなった象のインディラ、壁に挟まれて出られなくなった少女ミイラ、リトル・アリョーヒンを育てた祖父母、そして、鳩をのせて「リトル・アリョーヒン」の棋譜を記録し続けるもう一人のミイラ。彼らにやってくる不幸は悲哀感を漂わせるが、リトル・アリョーヒンや彼らはその厳しい現実を精一杯に真正面で受け止め、全ては「リトル・アリョーヒン」の繰り出す美しい棋譜に還元されていく。リアル感のある悲哀に対し、小川の魅せるファンタジックな部分はどこか可笑みを伴うが、逆にそれが対として、心のふれあいや追い求める輝きに、はかなくも美しい生命を与えているのだ。哀愁あふれる小さな小さな世界の中で、1滴の「輝き」を描き切った小川ワールドはとても感動的で、涙なくしては読み切れません。
    何だか久しぶりに無性にチェスがしたくなりました・・・。本来、無機質なポーンやルーク、そしてビショップですが、いまや駒の動きが非常にいとおしい。
    いつまでも余韻にひたっていたい珠玉の物語です。

  • あぁ。
    チェスの海を深く深く潜っていけば、星々の煌めく宇宙に辿り着けます。
    なんて美しい世界なのでしょう。
    その世界に響くのは、駒の音が奏でるシンフォニーだけなのです。
    人間の発する言葉なんて決していらないのです。

    なんて美しい物語なのでしょう。
    彼は畏れや悲しみをその小さな身体に抱えながら、リトル・アリューヒンとなってチェスを指します。
    彼の生きる世界は、自由に羽ばたけるほど広いものではありません。
    けれど、それは決して不幸なことでも可哀想なことでもないのです。

    彼はリトル・アリューヒンとなってチェスを指すのです。
    盤下の詩人となってチェスの海を泳ぐのです。
    奇跡のような棋譜を生み出す彼自身が、奇跡のような美しい存在なのです。

  • 唇を閉ざして生まれてきた少年の生涯。
    27ページのおばあちゃんの少年への言葉がステキ。
    大きくなることを喜ばれず、閉ざされた世界で生きざるを得ない存在を慈しむ少年。大きくなることが罪悪なはずがないのに。
    家族、人形のパートナー、マスター、老婆令嬢、彼は世界を閉ざしてはいたけれど、彼のチェスのように暖かく秀逸な人々と心は一緒だった生涯。
    少年の生前、死後も、チェス好きを魅了し続ける彼が紡いだ美しい棋譜は、どんなに小さくっても彼の存在をいつまでも美しく輝かせるのでしょう。
    マスターの言葉 「バスを家にするには」の言葉は、生きるにも似ていると思いました。

  • 美しかった。
    本当に静かで美しくて慎ましいお話でした。

    チェスの描写が本当に音楽や絵画の表現のようで…。

    唇。
    像のインディラ。
    ビショップ。
    ミイラ。鳩。猫のポーン。
    マスター。バス。おやつの匂い。
    いつも自分の味方でいてくれた家族。
    令嬢。
    総婦長さん。

    無限の可能性を秘めた八×八の升目の海への冒険。
    そこで奏でられる詩。奇跡のような棋譜。

    最後は涙が止まらなかったです。
    読んで良かった。

    「盤下の詩人」リトル・アリョーヒンの人生に、出会えてよかった。

  • とても美しく優しい物語。
    リトル・アリョウヒンとまわりにいる友だち、インディラもミイラもポーンもマスターも、みんな優しい。
    一語も見逃さないように、物語の空気を乱さないように、大切に読んだ。
    果てしなく広くて深い海の底を泳いでいるような感じが本当に伝わってくる。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「果てしなく広くて深い海の底を」
      チェス好き(下手も横好きです)、人形好き、猫好きの私のは格別の一冊。
      そして装丁に使われた前田昌良の作品も...
      「果てしなく広くて深い海の底を」
      チェス好き(下手も横好きです)、人形好き、猫好きの私のは格別の一冊。
      そして装丁に使われた前田昌良の作品も素晴しい!
      2012/06/25
    • m.cafeさん
      題名も表紙もほんとに素敵な本ですね。
      チェスを知らなくても充分楽しめました。(^^♪
      題名も表紙もほんとに素敵な本ですね。
      チェスを知らなくても充分楽しめました。(^^♪
      2012/06/27
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「題名も表紙もほんとに素敵な本」
      小川洋子の本は、表紙に凝ってるコトが多いので、いつも新刊の話を聞くたびにソワソワしちゃいます。
      「題名も表紙もほんとに素敵な本」
      小川洋子の本は、表紙に凝ってるコトが多いので、いつも新刊の話を聞くたびにソワソワしちゃいます。
      2013/08/06
  • 私は多分小川洋子というひとの文学のことを、誤解していた。彼女はどうしても、自分の世界の切り貼りの延長のような、そういう文学の人なのかとおもっていた。自分の生を切り取って、それになんらかのアクセントとニュアンスをつけて解釈をして紡ぎ出す。そういうあり方なのかと。でも違っていた。今まではどうか分かりませんが、確実にこの作品は違っていた。圧倒的なフィクションです。それこそ本当に圧倒的な。初読で豊かな海の中をざぶんざぶんと進んでいくような、柔らかくて温かい読書感覚をもたらしてくれる。そして次に来るのが、世界観の巧妙さとフィクション性。美しさを形どったみたいな愛すべき人物たちと、神聖な一般の人には感覚すら掴めないチェスという存在。そして、美しさを損なうようないくつかのシステム。まっすぐに、伸びやかに生きようとしているものと、それに何らかの悪意をのせてしまうもの。そういった対比が本当に、本当に、冗談ではなくこの世界の矛盾や生きづらさみたいなものを象徴しているようで。一文一文が朗らかで美しく、全く目が離せなかった。そして、読んでいると別の世界に飛んでいってしまうような。そんな感覚。ここまで没頭できる物語というのはなかなかなくて、本当に村上春樹くらいしかなくてっていうそのくらいの没頭ぶりだったわたし。いやはや、こんな本が残ってるなら、まだまだ本読みたいなあって思う。

  • いやぁ〜面白い!

    お正月の「福袋」を開けるみたいに
    ドキドキワクワクしながら
    最後までページをめくることのできる
    この幸せよ(^O^)

    読み終わってしまうのが惜しくて
    いつまでもこの物語に
    浸っていたいと思った。

    それは本が好きで
    心から良かったと思える瞬間です。



    唇の奇形も手伝って
    幼い頃から寡黙だった少年。

    けれど彼は
    驚異的な知力と
    並外れた集中力を持っていた。

    空想することが生き甲斐だった
    ひとりぼっちの少年が
    やがてチェスと出会い、

    心の友である
    象のインディラと
    壁に挟まれて死んだ
    少女ミイラ、

    そして白黒模様の
    猫のポーンと共に
    チェスの海を
    自由奔放に泳いでいく。



    美しく控えめで
    映像喚起力の高い
    小川さんの文章が、

    現実離れしたストーリーに
    意外なリアリティーを与え、
    あり得ざる物語に
    説得力を生み出してくれる。



    愛する人を失った少年は
    やがて盤下の詩人、
    リトル・アリョーヒンと呼ばれ、

    からくり人形の中に入って、
    チェスを指すという
    奇想天外な物語が展開していく。


    世界の片隅に取り残され、
    忘れ去られたものに心惹かれる性質の
    少年のキャラクター造形が素晴らしいですね。


    ボックス・ベッドの天井に祖父が描いてくれた
    暗闇に浮かぶチェス盤。

    初めて自分だけのチェス盤を手にしたシーンの
    心躍ること。


    少年が見た
    目に見えない駒が
    自由自在に旅する様が
    自分にも
    はっきりと目に見ることができたし、

    一手一手が結ぶ
    心地いいメロディーが
    確かに聞こえてきました。


    『偶然が勝たせてくれるんじゃない、
    与えられた力をありのままに発揮した時に、勝てるんだ』

    という言葉は
    そのまま人生にも言い当てることができるし、

    人生もまた同じく
    端っこの見えない
    巨大なチェス盤なんだろう。


    まだひっくり返せるし
    ゲームは終わらない。

    明日は何かが変わるかもしれない。


    だから諦めるなんて
    勿体無いんです。


    チェスのことは何も分からない自分だけれど、
    分からないからこそ
    心を打たれるんだろうし、

    知らない扉を開けて
    新しい世界を知る喜びこそが
    世界の偉大さを教えてくれる。


    甘い夢を見たかのような感覚と
    まるで一枚の絵を見て、
    一編の詩を読んだような感慨が残る、
    人の心に永遠に残るであろう力を持った小説です♪

    • 円軌道の外さん

      ハイカラさん、
      遅くなってゴメンなぁ〜(汗)?

      うん、ハイカラさんが
      小川さん好きなことは
      知ってたよ(笑)

      俺、...

      ハイカラさん、
      遅くなってゴメンなぁ〜(汗)?

      うん、ハイカラさんが
      小川さん好きなことは
      知ってたよ(笑)

      俺、博士の数式のヤツと(笑)
      この作品しか
      小川さんのは
      読んだことないんやけど、

      コレはホンマハマったもん(*^o^*)

      チェスは分からんけど
      俺、将棋好きやし、
      猫と象が出てくることをあらすじ読んで知って
      絶対この作品ツボやわって思ってたら
      案の定やって(笑)

      やっぱ単純に
      容易に映像が浮かんでくる文章やねんなぁ〜☆

      だからどんなに突拍子な話でも
      その物語の中に
      気付けば浸ってるし、

      あと小川さんは
      物語作家やんなぁ♪

      語り口がホンマ上手いから
      どんどん引き込まれていくもん(^_^)v


      ハイカラさんの言う
      『確かなものをちゃんと置いていってくれる』っていうのも
      スゴい分かるし♪


      貰ったものが多すぎて
      読んだ後の
      余韻がスゴく残るよなぁ(*^o^*)〜



      俺もまた順番に小川さん
      読んでいってみるよo(^-^)o

      2012/04/25
  • 今まで読んできた本の中で五指には確実に入る、美しい物語です。これは、読まないと、もったいないっ!

    自分が気に入った本を人にオススメするのって何となく躊躇うこともありますが、断言できます。これは、読まないと、もったいない!!(二回目)

    少年とチェスの出会いから、少年がリトル・アリョーヒンになるまでの経緯、彼をリトル・アリョーヒンにした場所との決別、そして彼の最期。
    淡々と描かれる少年の小さな世界は、その静かな筆致のせいか、ファンタジックな設定の割にダイナミックなドラマはありません。それなのに、このメッセージ性の強いエネルギーはすごい。

    表紙をパッと見た時は伊坂作品か?と勘違いして、冒頭数行を読んだ時は村上春樹みたいな世界観かしら?とかチラッとよぎったんですが、文章の好みでいったら断然こっちが好き!

    とにかく、本を読むのが好きな人、チェスに興味がある人には、ぜひ読んでほしいです。
    もちろんチェスのルールを全然知らない人も楽しめると思いますよ〜。むしろ、チェス始めたくなると思う^^

    この作品を読んだ後にパソコンのチェスゲームをやったら、いつもより手を考える時間がふえたのは私だけではないはず…^^



    「大きくなることは悲劇である」
    少年にチェスを教えてくれたマスターを、ある日襲った悲劇。それをきっかけに大人になることを拒んだ少年は、やがてチェスの深海世界を漂うようにチェスを愛する人々と出会い、からくり人形「リトル・アリョーヒン」となる。盤面からあらゆるものを読み取り、どんな対戦相手にも美しい棋譜を残すリトル・アリョーヒン。
    「盤下の詩人」として称えられる彼の生涯。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「ダイナミックなドラマはありません」
      小川洋子の作品の中では一番好き。不思議な世界にドップリ浸かって夢の中にいるようだから。。。
      「ダイナミックなドラマはありません」
      小川洋子の作品の中では一番好き。不思議な世界にドップリ浸かって夢の中にいるようだから。。。
      2012/12/17
  • 仕方がない、制限がある中での自由。
    ビルの屋上から動けなくなった像のインディラ。壁の間にはさまって動けなくなったミイラ。そんな彼らが、これまた自ら成長を手放して狭いからくり人形に収まることを選んだリトル・アリョーヒンの手によって、チェスの海に解き放たれていく。
    有限から生み出される自由はとてものびやかで純粋な輝きを放っていた。

    多くを望まずとも、慎ましく、健気に、好きなものを追い求める登場人物たち。
    それだけに、最期は再会をしてほしかったと願ってしまった。

  • 今まで読んだ小川洋子さんの本の中で、登場人物たちの映像がもっとも頭に浮かんだ作品。本のどこかに挿し絵がないか何度も探してしまう。

    冒頭では、大きくなりすぎてデパートの屋上から一生降りることの出来なくなった象が登場する。そして、それとは対照的に主人公リトル・アリョーヒンは、小さな身体のまま大きくなれない。彼の恋人は、壁の隙間に閉じ込められていた薄っぺらな少女。その少女の肩には真っ白で小さな鳩がじっととまっている。

    登場人物や動物のすべてが繊細にリアルに表現されていて、それぞれが背負った運命も丁寧に描かれている。チェスの駒が盤上を動く小さな音も聞き逃さないような、細やかな描写でイメージが浮かび上がる。

    他の作品と同じく、主人公の静かな人生の中に哀しさと愛情が漂う素晴らしい作品。

    • hiromida2さん
      小川洋子さんの描写が素晴らしすぎる作品ですね 私も好きな とても悲しくなった作品でした。
      小川洋子さんの描写が素晴らしすぎる作品ですね 私も好きな とても悲しくなった作品でした。
      2018/09/11
    • naonaosampoさん
      小川洋子さんの作品はいつも、悲しさと愛情が同居しますよね。悲しいけど愛おしいみたいな。コメントありがとうございます
      小川洋子さんの作品はいつも、悲しさと愛情が同居しますよね。悲しいけど愛おしいみたいな。コメントありがとうございます
      2018/09/11
  • 私はチェスが出来ません。ただ素人考えでは理詰めのようなチェスを、情感たっぷりに描いた世界が心地よかったです。
    出会いと別れがいちいち切ないのですが、まろやかな文章に癒されつつ読み進められました。
    大人のお伽話です。

  • 2018.9.25読了
    ☆4.2

    図書館で借りて読んだ。
    ストーリーを焦って追うと言うよりは、時間のあるときにじっくり味わいながら読みたい本。

  • 人間の一生を描く小説が好きで、文章も内容もひたすら美しい。今のところ自分の中でベストと言える作品。

  • 独特なファンタジックな世界観に戸惑いながら読み進めましたが、読み終えた後はすべての点がつながって、この物語の主題らしきものが見えてきました。本を閉じ、ようやくそれに気付いたとき、美しい物語だなと溜め息が出ました。
    インディラが屋上から降りれなくなったように、マスターがバスから出られなくなったように、少年の唇が閉じていたように、、、一見悲劇に見える運命を受け止めて、その生を全うする潔さ、強さが語られていると感じました。
    リトルアリョーヒンが狭い盤下でチェスの宇宙を旅をしながら美しい詩を残すように、私も淡々と、でも丁寧に日々を楽しめたらな。

  • 日本で一番チェスが強い羽生善治氏に感化され描いたという、チェスを愛した少年の物語。
    相手を負かす「最強の手」ではなく、相手とシンクロした「最善の手」を指し、美しい楽譜のような棋譜を残す。
    ふんわりとして淡々と物語が進む独特の雰囲気のせいか、久しぶりに心地よい余韻に浸った。

  • 唇が閉じられたまま生まれた少年は、手術によって唇を造られる。無口な少年は、ビルに挟まれて死んだという噂になった少女ミイラと寝る前に話すときだけ滑らかに喋る。ある日、バスで暮らす大きな身体の男性にチェスを教えてもらう。少年はバスで、マスターと猫とチェスをすることが楽しみだった。

    こういった始まりをする物語。
    いつものように小川洋子さんのひそやかな世界がはじまる。
    物語の概要を書いたけれど、読んだことのないひとにはよくわからない話に感じられるかもしれない。でも、このつかみどころのないボヤッとした雰囲気こそ小川洋子さんの世界とも言える。

    「猫を抱いて象と泳ぐ」というタイトル。
    この不思議なタイトルも魅力的であり、本文を読めば意味もわかる。
    タイトルからして小川洋子さんの世界が確立されていると感じる。

    チェスというゲームをわたしはよく知らない。
    ビショップだのルークだのいう言葉は聞いたことがあり、チェス盤や駒も見たことはあるけれど、それらの駒をどのように動かして愉しむものなのか知らない。
    この本を読むまでチェスを知らないことを何とも思ったことがなかったけれど、読んでみてチェスの面白さを知らないことをとても残念に感じた。
    チェスはゲームであるけれど、人生でもある。

    少年はマスターの死を見て、大きくなることは悲劇だと考える。大きくなりたくないという少年の気持ちのまま少年は少年の姿のままに大人になる。
    少年の心には、唇に奇形を持っていたことやマスターの死、猫を救えなかったことなど多くの消えない傷を刻みつけられている。
    その傷を持ったままチェスに人生を賭ける。

    物語はゆっくり穏やかに進むのだが、終わりは不意にやってくる。
    切なく物哀しいものではあるけれど、それだけではないやさしさが残る。

    慌てるな、坊や
    この言葉はマスターが繰り返し少年にかける言葉だ。
    この言葉ひとつにマスターのやさしさと少年への信頼、いつでも見守っているという気持ちが表れており、読者にまであたたかい思いが伝わってくる。

    巻末の山崎努さんの読書感想も素敵だった。

    チェス、今からでもルールを教えてもらいたいなと思わされた。

  • 大きくなりすぎてデパートの屋上から降りられなくなった象。
    太りすぎてバスから出られなくなったマスター。

    少年は大きくなることに恐怖を感じ、十一歳の時に体の成長を止める。

    無口な家具職人である祖父と孫の成長を喜び生きる祖母に、弟と二人育てられた少年は、チェスを通じて世界とつながっていく。
    チェス盤の下に屈みこんでチェスを打つ少年。

    大きくなることを怖れながら、小さな場所に屈みこんでチェスを打つ。
    そんな彼の指すチェスは、美しい詩のようであり、マスターと過ごす時間は穏やかに調和の取れたものだった。

    この辺の文章は実に小川洋子的で、美しい世界が、少しのずれも許さない、静かに張りつめた文章で描かれている。

    ところが後半、少年は場所を変え、混沌とした世界の中で美しいチェスを指すことになる。
    この辺りの文章は、いしいしんじを読んでいるかのよう。
    調和というよりも、無垢。

    ごくごく薄いガラスに記されたような小説。
    力をこめたらぱりんと割れてしまいそうなので、そうっとそうっと大事に読んだ。

  • 震災のあと、現実の重さに押しつぶされそうで、しばらく本が読めなくなった。その後初めて手に取ったのが、突然の暴力によって慎ましい日常を奪われた人々を描いた『人質の朗読会』。これが震災前に書かれていたことが奇跡かと思ったことをあざやかに覚えている。
    小川洋子さんの作品はそれ以来。まず、日本語の美しさに圧倒された。たとえば川上未映子さんの日本語もとても美しいが、彼女の文には「いたいけさ」「けなげさ」が漂うのに対し、小川さんの文章には毒や不穏さが見え隠れして、ホラーっぽかったりもする。
    主人公は、自らの意思で大きくなることをやめた、天才的なチェス少年、リトル・アリョーヒン。どことなく無国籍感漂うおとぎ話のような世界が、デパートの屋上から降りられなくなった象のインディラ、太りすぎてバスから出られなくなったマスターなど、魅力的なキャラクターの数々とともに、構築される。私が一番好きなのは、終盤に登場する、ゴンドラの運転係の双子の兄弟。うわああ、ここに双子かよ……と、たとえそこで繰り広げられるのがどんなに残酷な物語であろうとも、この世界に浸っていたくなる、不謹慎なまでのワクワク感に胸が震えた(人間チェスの場面もまたしかり)。
    暴力に蹂躙される運命を前に、ただ無力な人間として、いかに生きるか、いかに生きたか。正直、私はまだジタバタしてしまっているかもしれない。あんな風には最後まで生きられないかもしれない。そこにちょっと落ち込んだりもしつつ、読後もずっとかみしめ、味わっていたい作品だ。
    この文庫版には、山崎努さんによる素晴らしい解説も収められています。

  • シンクロニシティというものが本当にあるかどうかは別として、まったく別々の読書家の知人から同じ時期に紹介されたのがこの本だった。私はその知人双方の感性に一目も二目も置いていたしいつか彼らのように本を読みたいと思っていたから、当たり前のようにこの本を読んだ。

    小川洋子の小説はその前から少し読んだことがあって、そのころから静謐な文章世界がとても好きだった。小説というジャンルをとても丁重に扱っている人だというのが分かったし、登場人物たちにとても愛情を注いでいるということもすぐに感じてとれた。
    当時知り合って間もなかったある青年がいた。「小川洋子の小説、僕も好きです。『博士の愛した数式』と『シュガータイム』くらいしか読んだことないけど……」と言う彼に、私は次に会ったときに思いつきでこの本をプレゼントした。時間がなくて包装もメッセージも特にない素っ気ない贈り物になってしまったけれど、彼はこの本を気に入って何度も読み返してくれているらしい。その日から、彼に会ったときは文庫本を贈るというのが私達の間の習慣になった。私にとって「猫を抱いて象と泳ぐ」は、物語以上のエピソードが詰まっていて語り切れない大切な一冊だ。レビューになってない気がするけれど、備忘も兼ねて、書かせてもらった。

  • 11歳で体の成長が止まったチェスの天才の物語。

    小川洋子版ナボコフのディフェンスといった感じ。

    奇妙であり、風変わりな登場人物、また少しグロテスクでもあり、静謐な雰囲気の中この世界に引き込まれて行く。

    おじいちゃん、おばあちゃん、弟、マスター、ポーン、ミイラ、鳩、老婆令嬢、総婦長、等々、何人かはいけ好かない奴も居るが、主人公を見守る素晴らしい登場人物、キャラクター達の温かさもこの作品の重要なピース。

    盤上を8×8に潜む広大な海になぞらえ、棋譜は駒の奏でる響きであり、対局者と共に紡ぐ詩であり対話だという表現は、チェスの知識がなくともこの世界で読者を存在させてくれる。

    ラストはあまりにも悲しい結末。

    それでも最後のミイラの言葉に救われる。

    「もし彼がどんな人物かお知りになりたければ、どうぞ棋譜を読んで下さい。そこにすべてのことが書かれています。」と。

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著者プロフィール

小川 洋子(おがわ ようこ)
1962年、岡山県生まれ。高校時代に文芸を志し、早稲田大学第一文学部文芸専修入学。在学中から文芸賞に応募。卒業後一般企業に就職したが、1986年の結婚を機に退職、小説家の道に進む。
1991年『妊娠カレンダー』で芥川賞、2004年『博士の愛した数式』読売文学賞、本屋大賞、2006年『ミーナの行進』谷崎潤一郎賞、2012年『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞、2013年早稲田大学坪内逍遙大賞をそれぞれ受賞。芥川賞、太宰治賞、読売文学賞、河合隼雄物語賞などの選考委員を務める。
『博士の愛した数式』は映画化され、大ヒットとなった。受賞作以外の代表作として、『薬指の標本』『人質の朗読会』『猫を抱いて象と泳ぐ』。

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