ヴェネツィアの宿 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (1998年8月5日発売)
3.98
  • (95)
  • (79)
  • (78)
  • (5)
  • (4)
本棚登録 : 1158
感想 : 95
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784167577025

みんなの感想まとめ

人の出会いや別れをテーマにした本作は、須賀敦子の人生の様々な側面を描いたエッセイ集です。彼女の美しい文体は、直接的な感情表現を避けつつも、行間に深い思いを織り交ぜています。特に、家族や友人との思い出を...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  イタリア生活を書いた内田洋子さんのエッセイ集を読んだので、今度は須賀敦子さんのイタリア地名の付いたエッセイ集を読んでみた。
     お二人とも素晴らしい文章力をお持ちだが、視点は全く逆である。
     内田さんはご自分を透明化させて周りの人たちを小説のように描写する。  しかし、須賀さんは何処までいっても須賀さんご自身なのだ。
     戦前からカトリックの学校に通い、戦後は同じ系列の修道院が経営する専門学校、それからまだ女性が大学へ行くことが珍しかった時代に大学へ進み、さらにフランス、イタリアに留学された。
     確かに、裕福なご家庭に育たれており、高い学問を積んだり海外へ積極的に出たりということが出来る文化的背景のある方だったが、それでもまだまだ女性が大学まで行くことや留学まですることに偏見を持つ両親を説得して出国されたのだ。大学での文学や歴史の勉強の中で「どうしてもフランスやイタリアに行って見なければ分からない」という衝動にかられたからなのである。
     戦前の兵庫から東京、戦後のフランス、イタリアとどこへ行ってもそこで出会う本や町や人が須賀敦子という人を形作ってきた。須賀さんの書くエッセイは須賀さん自身が主人公の小説のようだ。
     戦後、修道院の経営する寄宿学校に入ったとき、中世のような時代遅れの訳のわからない規則縛られ、不自由な生活を送りながらも「戦争中に工場で働かされてばかりのころよりはずっといい」と、中世と現代、西洋と東洋、戦前と戦後が混在したような不思議な寄宿学校生活を好奇心を持って受け止めていた、そんな目のキラキラした少女。清貧と言う言葉が似合う。アニメ化して子供たちに見せたいな。
     須賀さんが初めてパリに行かれたときの印象は安野光雅さんの挿絵入りで朗読したい。ホテルの窓からすぐそこに見えた、白く輝くノートルダム大聖堂がぽっかり宙に浮かんでいた。その「薔薇窓の円のなかには、白い石の繊細な枠組みにふちどられた幾何模様の花びらが、凍てついた花火のように、暗黒のテラスの部分を抱いたまま、しずかにきらめいている。」
     その後のフランス中の学生が参加する年に一度の大巡礼の旅は映画で見たい。お弁当として、バケットを無造作にリュックに挿して歩く学生の姿。歩きながらの熱気溢れる学生たちの討論。農家の納屋に泊めてもらい、ハイジのように干草をベッドにして寝る。
     病気だというのに家にちっとも帰って来ない父親を京大病院に訪ね、そこで父親の愛人と出くわしてしまったことを悩みながら母親に打ち明けるシーンは、そうだな朝ドラみたいかな。
     須賀さんは14歳の時に自宅の窓から身を乗り出し、ミモザの薫りを嗅いで、「ワタシは今日のことを一生忘れないだろう」「確かに私は二人いる。見ている自分と、それを思い出す自分。」と思われたそうだ。その視点が須賀さんご自身の生涯を小説のように豊かなものとされたのだろうと思う。

     

  • 初めて読む須賀敦子は、引き込まれるように読み終えた。
    本書の解説を関川夏央が書いているが、その解説と、Wikipediaで調べた須賀敦子の生涯は、おおよそ下記のようであった。

    ■1929年生まれ。
    ■20代の終わりからイタリア在住。1961年にイタリア人と結婚するも、1967年に夫が急逝。
    ■1970年に父親が亡くなる。翌年1971年にご本人も帰国。大学の講師から教授まで務める。
    ■作家としてのデビューは、1990年、61歳の時。「ミラノ 霧の風景」がデビュー作。
    ■1998年没。

    本書、「ヴェネツィアの宿」は、1993年の作品。
    少女時代から、ヨーロッパ滞在中の出来事を綴った12編から成るエッセイ集。とても美しい文章。
    特に最後の2編は、夫と父親の死を題材にしており、淡々とした中に哀しみが感じられる。死後20年以上を経てからの文章であり、逆に言えば、このような文章として仕上がるためには、20年以上が必要だったのだと思う。

  • イタリア人の夫、日本にいる父と母、フランスで知り合ったドイツ人の友達、様々な出会いと人間の生き様を描く珠玉のエッセイ12篇


    この本は、昔(15年ぐらい前?)読んだことがあるはず。もしかしたらトリエステの坂道だったかな。記憶があやふやなのだが、文章が全然入ってこなくて、途中で読むのを断念した覚えがある。今回はすっと入ってきた。再挑戦してよかった。

    留学先のフランスの寮で、一時期ルームメイトだったドイツ人のカティアと、30年ぶりに日本で再開する「カティアが歩いた道」が一番印象的だった。須賀敦子さんとカティアのそれぞれのたどってきた人生をおもうと胸が熱くなった。

    まだまだ理解はできていないとおもうが、、今度は「トリエステの坂道」を読もう。

  • イタリア文学者でエッセイストとしても知られた須賀敦子さんの、まるで短編小説のような構成力が冴えたエッセイ集。

    いかにも須賀さんらしい、直接的な感情の言葉はほとんど使わないのに、行間に様々な感情を巧みに織り込ませる、静謐かつすっきりとした美しい文体で、両親やイタリア人の夫といった家族、寄宿学校時代にお世話になった個性豊かなシスターたち、様々な国籍の友人たちなど、誰かとの思い出を主に綴っています。

    須賀さんのエッセイにしては珍しく、小説の趣が強く感じられるのは、(比較としての)「遠い過去」と「近い過去」、そして、「現在」という3つの時間軸を、回想として、自由に無理なく繋げて話を展開させた、巧みな構成のためだと思います。

    例えば、表題作の「ヴェネツィアの宿」。
    60歳を超えた「現在」の須賀さんが、あるシンポジウムに参加するためにヴェネツィアを訪れたことからお話しは始まります。
    用事が終わってクタクタに疲れてホテルのベッドに横たわっている時に、街の広場から聞こえてくる音楽によって、40年以上も前にパリで学生をしていた時のことを思い出したかと思うと(過去)、さらにもっと昔の、まだ須賀さんが幼児だったころの父親のこと(より遠い過去)、そして、須賀さんがまだヨーロッパへ旅立つ前に日本で大学生だった折の両親のこと(再度近い過去)へと話が展開していくのです。

    このように、どの章も、不規則なようで巧みな時間軸によって構成されており、それが、須賀敦子さんという一人の女性の人生を、より奥行きと連続性を持って感じさせます。

    また、須賀さんの幼少期から60歳過ぎまでの人生と絡めて、ご両親がまだお若かったうちから亡くなられるまでのエピソードが実に多く盛り込まれていることで、誰より身近な人の死を痛切に意識させるつくりになっている点も、本書の特徴かもしれません。

    そのためか、愛おしさと同時にどこか哀切を感じさせる須賀さんの文体に、惜別というか懐かしさが色濃く滲んでいる印象を受けました。

    特に、お父様に対しては、愛しているだけではなく、少し複雑な感情をお持ちだったようで…。

    須賀さんの美しい文体とともに、巧みな構成、須賀さんのより深い内面を感じたい方にオススメの作品です。

  • 『ヴェネツィアの宿』読了。
    昨年の古本市で購入した本です。深いところから湧き上がる美しく透明感のある言葉の数々に度々溺れていました。イタリア文学者である著者のエッセイ集で時系列はバラバラであるが戦中・戦後の日本、フランス、イタリアを舞台に描かれておりました。
    実際のところ戦後の混乱ですごく大変な思いや苦労をされた時代に生きてきた方だと思う。この著書では須賀敦子さんと著者の記憶の中で登場する彼らはそんなことすら微塵も感じない関係性を築いており、美しい言葉に昇華しているような印象を受けました。心の蟠りが溶けていくよう、汚い言葉で罵るのではなく、その時代を懸命に生きてきた人を讃えているような。どうすることもできない事に対し苛立つのではなく、残されたものとして許し許されるように生きているような。俯瞰し、追体験しているような内容でした。
    うちの祖父母と同じ時代を生きた方なので、こんな感じだったのかなと想像してしまう。
    今日は終戦記念日ですがお祖母ちゃんの誕生日です。91歳。その辺にいるお祖母ちゃんと違い、お祖母ちゃんっぽくなくあまり好きになれなかった。祖母は大学進学をしたくても女だからという理由で叶わず、資格取得しバリキャリで働き結婚出産がその当時では遅すぎると言われた年齢でしたが、まだ生きている。
    好きになりたかったが、なれなかった。が正しい表現かもしれない。うちの祖母が歩いてきた人生は変わっていて普通ではなかった。祖母は分かっていたのかその孫である私が辿る人生も普通ではないと示唆しているようなところがあった。それでもいい。嫌なことされたこともあったが好きになってもいいと読んでいるうちにそう思ってしまった。事実を捻じ曲げ美化していくのは好きではないけど。美化というよりも許すことになるのか?(またずぶずぶと深みハマる…)まーいいや。
    いつの時代において唯一無二の人生が転がっている。ひとりの女性が生きた戦後の国際色強めな人生を垣間見れて面白かったです。

    2024.8.15(1回目)

  • 全体的に物悲しくも、それでいて読み手を作者の思い出の中に強く引き込むようなエッセイ集でした。
    どこか小説っぽさがありました。かなり時間が経った過去の出来事を冷静に見つめなおしながら書かれた作品なのではないかなと思いました。

  • 須賀敦子の存在を知ったのは、20年ほど前か。
    イタリアものが好きで、須賀敦子の周りをウロウロしているなかで、訳書はいくつか読んだし、著作もつんどくには数冊入っていたのに、きちんと読めていないまま時間だけが経ってしまった。

    ついに正面から読んだのが本書。

    ものすごく、良い!!!
    毎日暗いニュースで吐きそうな日々のなかで、須賀敦子を読む時間だけ、清らかな気持を取り戻せた。

    彼女はおもに、昔の話をしている。
    寂しい記憶のなかで、きれいなもの、優しかったもの、消えてしまったもの。
    そんな、人生のひだがたくさん織られていて、私がいまこの年齢で読めたからこそ、響いたのかもしれないなと思った。
    ヨーロッパへの愛、キリスト教の精神文化についての箇所は理解しきるのは難しいけれど、知っている場所がたくさん出てきたので身近に思えた。
    親戚の家のある東灘区岡本の駅の北西の踏切やら、伏見区の大手筋商店街より南の京町通りあたりにあったどこかチグハグな御屋敷に住む女性やら。近畿住まいで良かったなあ(?)。

    それにしても、この時代に両親をパパママと呼び、こんな教育を受けて、こんな生き方をしてきたのは、紛れもなくお嬢様だからだよねーー。
    品のある、お育ちのよい。
    それだけに父親の愛人と相対する表題作にはいろいろとのけぞってしまった。

    寄宿学校、レーニ街の家、白い方丈、この3篇がとくに気に入った。小沼丹にも似てる。

  • 須賀さんの作品は随分前に読もうと思って、何故か果たせなかったことがあった。今回はすぐに引き込まれた。
    昭和一桁生まれとは思えない開明的な考えや高い教養や能力に感心した。
    楽しいことばかりではなく父の愛人の話や、不吉な予感に満ちた短い結婚生活のことも率直に書いてある。
    生き生きとした情感が時間を超えてリアルに感じ取れるお話だった。

  • 初めて読んだ須賀敦子。
    著者の幼少期〜成人して留学、結婚した頃の、とりとめない回想と追憶が、上質な映画のように綴られていく。
    にしても、この方、とんでもないお嬢さんであることが読み進めると分かってくる。
    終戦から10年経たずにフランスへ私費留学というのもビックリだが、お父様が戦前にアメリカ、ヨーロッパへ贅沢三昧のグランドツアーをして、実家は神戸の実業家、麻布に別宅、田舎には武家時代のお屋敷と、語るネタは尽きない。
    終戦直後に東京の聖心語学校(現在のインターナショナルスクールの前身)で日本語禁止、外人シスター監視の寮生活を送るというのもハイパー。 
    留学自体は貧乏で、と言われても留学すること自体がお大尽な行為だった時代だから、貧乏なんだかなんだか、よく分からない。
    しかし、吉田健一や永井荷風といった、洋行セレブ文学者の系譜の最終コーナーを飾る本格派、という気がした。

  • どこが面白いのでしょう?面白い本ではないのでしょうが、どこが良い本なのでしょう?こんな個人的な回想録、どうでも良いです。個人の日記として残せば十分だと思います。それを出版して金儲けをするなんてただの悪趣味です。こういったジャンルの出版物が一定数あるようで何度か挑戦してみましたが、これを美しいとか引き込まれたとか受けとめる感覚は残念ながら私には無い様ですので、このジャンルは二度と手に取らないことにしようと思いました。もちろん半分もいかずに途中挫折です。

  • 洗礼者ヨハネは、苦行しながらキリストが世に出るのを待ちわびたというが、キリストのようにはではでしく弟子に囲まれるのでもなく、これといった逸話もないまま、ヘロデ王の逆鱗にふれて処刑され、孤独な生涯を終える。ヨハネは、生きることの成果ではなくて、そのプロセスだけに熱を燃やした人間という気がしないでもない。
    待ちあぐねただけの聖者というのも悪くない。
    大聖堂まで。フランスシャルトルの大聖堂の外、洗礼者ヨハネ像を見て。

    オリエント・エクスプレス
    憎いとも思っていた父との会話に心打たれる。

  • 須賀敦子さんの本としては2冊目。
    1冊目の時はイタリアの地名に慣れなかったが、今回、
    冒頭の章、「ヴェネツィアの宿」を読んだ時点で既に引き込まれた。
    ヴェネツィアの波音、静かな夜、霧立ち込める雰囲気、そして何より夏の雰囲気、まるで自分がそこにいて外を歩く人たちの感想や足音を聞いているかのような感覚になった。

    また、2日かけてフランス人の中30キロ歩いて大聖堂の中に入れないなど報われない話もおそらく人生の数年を「消費」してしまったであろう報われない環境も隔てなく書いていてよかった。あとがきでは、「うかうかと人生を費やしてしまう」ことを許さない人であったとあるが、模索して選んだ環境の先に時間を費やしてしまったことも描かれているように感じたし、それを変えようとしていたことも書かれていた。

    その後の章からも、上記に被るが、須賀敦子が感じていたしていた2つの国の間でたゆたう孤独さ、変化や人目を恐れず環境を変えていくたくましさと模索感、しかしそれが実らない時の時間の流れ、など、自身に重ね合わせられるような描写もありつつ、

    多くの人との一期一会的な別れ(最初に出会って別れた後も繋がっていようがいまいが問わない感じ)、夫や父との死別が少しずつ挟まり、須賀敦子の為人を感じることができた。

    勇気をもらえるようでありながら(こちらが勝手にもらっただけだが)ただありのままの1人の生き方を見られたと思う。
    「黒塗りのハイヤーに平気で乗るセンスと戦ってきた」という返答に色々とが籠っていた。

  • 読書会で須賀敦子の存在を知り、手に取る。
    自分もイタリアが好きで何度も訪問しているので、懐かしさもあり。
    ただ、内容的には家族のこと、特に父との関係がテーマになることが多く、その家族史も興味深く、且つ心を動かされる。(「オリエント・エクスプレス」は涙を誘う)
    時代は60年代~70年代のイタリアなので、時代背景の理解は必要かもしれない。

    文章もとても読み易く、巧い。

    以下抜粋~
    ・そのころ読んだ、サン=デグジュベリの文章が私を揺り動かした。「自分がカテドラルを建てる人間にならなければ、意味がない。できあがったカテドラルのなかに、ぬくぬくと自分の席を得ようとする人間になってはだめだ」

    ・たえず自分というものを、周囲に向かってはっきりと定義し、それを表現しつづけなければならない大陸と違って、暗黙の了解のなかで相手の領域を犯さない、他人を他人としてほうっておいてくれる英国人の生き方は気の休まるものだった。

    ・「建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者であると。それに反して、何人にあれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、すでに勝利者なのである」(戦う操縦士:サン=テグジュペリ)

    ・「ヨーロッパにいることで、きっとあなたの中の日本は育ちつづけると思う。あなたが自分のカードをごまかさえしなければ」

  • 「夜半のうた声」が一番印象に残った。
    あとがきでは「教養小説または父と娘の文学の傑作」と書かれていた。

    須賀さん本人が書いてよかったとおっしゃっていた本は『コルシア書店の仲間たち』『ミラノ霧の風景』『トリエステの坂道』と本書『ヴェネツィアの宿』

    表紙画は舟越桂さんの「澄みわたる距離」
    見ていると吸い込まれてしまいそうな目が印象的。

  • 表題作だけ読んで本を置いた。こんなことは僕には珍しい、というか絶えてなかったこと。

    著者が親族からの呪いをひたすら読者に向けて再生産する、その過程を見せられるだけの作品。どんな内省がそこに込められているか、と一抹の期待を抱きながら、その期待を虚しくして、短編は終わる。

    これほど不毛な読書体験をしたことはあまりない。
    駄作です。

  • ヴェネチア旅行にひっかけて読了。透明感のある文体が味わい深い。お嬢さん芸という人もいるが、真の上流階級が消滅しつつあるなかで今後このような作家は出てこないでしょう。まさに"懐かしい人たちがここにいる"のです。

  • 短編集のような匂いを持ったエッセイ集。
    無理のない繋ぎ方で自由に過去と現在を行き来した構成は見事だと思った。
    それはただの回想で終わらず、とても奥行きがある。
    忘れておぼろげになりがちな自分の過去のことを、とても鮮明に丁寧に書き出している。

  • 一つ一つの話が本当に心にしみる.単なる随想を越えて,一つ一つが珠玉の小品というにふさわしい品格と完成度を持っている.今は失われてしまったものへの哀惜が常にその文章の底辺にあるのだが,それが生のかたちではなくて,浄化されて,澄んだ感情を通して絶妙のバランスで語られる. 名文としかよびようがない文章.

  • わたしにとって、特別な本です。
    静かな、けれども着実にふみしめて歩いて行くような文体。

    須賀さんは、本当に美しい言葉を話す人だったと
    彼女と親しかった先生からうかがいました。

    須賀さんのエッセイは
    いまでも多くの人の心のなかに、たしかな音をたて、やわらかな足跡を残していく
    そんな作品のような気がします。

  • 死を軸にかかれていると思ったエッセイです。
    これを最初に読んだのは、彼女が女流文学賞を受賞し
    注目が集まった作品だったから
    1度は処分してしまったこの本ですが
    再度読んでみると
    風景や、人々をこんなに切なく美しく描けるんだって思いました



全84件中 1 - 20件を表示

この本が好きな人におすすめの本

著者プロフィール

1929年兵庫県生まれ。著書に『ミラノ 霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』『須賀敦子全集(全8巻・別巻1)』など。1998年没。

「2010年 『須賀敦子全集【文庫版 全8巻】セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

須賀敦子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×