私の梅原龍三郎 (文春文庫 た 37-1)

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167587017

作品紹介・あらすじ

大芸術家にして大きな赤ん坊。四十年近くも親しく付き合った洋画の巨匠梅原龍三郎の思い出をエピソード豊かに綴ったエッセイ集。梅原描く高峰像等カラー図版・写真多数。(川本三郎)

感想・レビュー・書評

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  • 著者が 梅原龍三郎との思い出を振り返った本。仲のいい親子みたい。梅原龍三郎が高峰秀子を描いた「カニ(秀子像)」、バラ図 を見てみたい

    絵のことは 分からないが、師匠ルノアールとの共通性は見つけられない。梅原龍三郎の描く 高峰秀子の眼と 背景や服の赤の強さは 印象に残る


    梅原龍三郎が好きなのは
    将棋、酒、夫人、ルノアール、中国料理(フカヒレ、ナマコ)、一匹狼(との交流)

  • 優れた観察眼。並はずれた愛情。稀代の人物たち。

  • この著作でも高峰女史の筆は冴えに冴えています。梅原龍三郎という大家への想いが見事に表現されています。掲載されているスナップ写真の一枚一枚も味わい深いものがあります。もちろん梅原画伯による秀子女史のスケッチも素晴らしい。 それにしても、「人間、一生の間に「この人のために」と思える人物に出会えること は、そう多くない。私は幸運だった、と、つくづく思っている。」と語ることのできる、潔くかっこいい人生を送られた女史が私は好きです。

  • 真吾さんに贈呈

  • 2013.6.19~23 読了
    巨匠・梅原龍三郎、生き方が豪快すぎる。世界中の高級料理を飽食し、
    とんでもないヘビースモーカーなのに97歳まで生きたとは・・・。その巨匠からずいぶんとたくさんの肖像画を描いてもらっているし、ずいぶんとご馳走してもらっている。それだけ愛されていたんだろうね。フランスからレジオンドヌール勲章をもらっているが、フランスでは受章者とわかるとホテル、レストランで一等席に案内される、とある。さすがは文化の国、受章者は有無を言わず尊敬すべき対象という訳だ。

  • 「高峰秀子」という人物を単純にかっこいいと思う。大宅壮一曰く、25%の男性度25%の女性度、50%はミネラルウォーター。
    高峰秀子を通して描かれる人物は、どなたも素敵だ。素敵な人しか描く気がないのかもしれないけれど、より知りたいと思う。
    梅原龍三郎との数多くの写真、たくさんの文士や著名人が写っていて、貴重。

  • 昨年の秋ごろに集中的に『高峰秀子』さんの本を読んだ。その一冊。大須観音の側の古本屋さんで購入。中身の濃い一冊だと思う。長い間、画家とモデルという関係であり、それ以上に、人間『梅原龍三郎』さんと、おつきあいする『高峰秀子』さんという人間。ことしの正月に亡くなられたあとも、おりにふれて、この本をめくっている。貴重な写真も多数あり、興味深い。『たなぞう』終了前に、外せない一冊かな。引っ越ししようかな・・・

  • (2006.07.10読了)(2006.06.10購入)
    世田谷美術館で梅原龍三郎が描いた高峰秀子を描いた肖像画を何枚か見ました。高峰さんが最近、世田谷美術館に寄贈したものです。
    梅原龍三郎の絵は、竹橋の東京国立近代美術館などで何点か見ています。風景画や花瓶に活けてある花(バラ)などです。この本によると人物画というのは、梅原さんの絵の中では珍しいのだそうです。高峰さんを描いた絵は沢山あるわけですから、梅原さんと高峰さんの親交の深さが分かります。
    この本を作ったのは、「大きかった家を老人向きの小さな家に建て直した時に、映画関係のものは、川喜多資料館に納めることができたけれど、沢山の写真が残ってしまった。
    写真を一枚ずつ眺めるうちに、梅原画伯と写っているスナップ写真がめっぽう多いのに気が付いた。梅原画伯とは、昭和23年から、画伯が亡くなった昭和61年までの、40年に近いお付き合いで、私が一緒に暮らした親や夫との年月より長い。
    写真の背景を見ると、当時の懐かしい思い出が甦ってくる。これらの写真に短いキャプションをつけて、一冊の本に仕立ててみようかしら?」ということが発端だった。

    ●字の天才(40頁)
    梅原先生は、勝手に字を作ってしまう天才で、私の名前の「秀子」の秀の字は、お近づきになって十年間ほどは「季子様」でお手紙が来た。名前なんか番号みたいなもので、何だってかまわないと私は思うけれど、それにしても季子とはどう読めばいいのか?とおかしかった。
    ●サイン(60頁)
    「絵にサインなんか要らないんだ。サインを入れれば絵が汚れるだけだ。サインがなくてもルノアールはルノアールだし、ピカソはピカソだからな」
    ●和服(74頁)
    民族衣装というものは、その国以外の人間から見ると、かなり不思議な見ものである。特に、何枚もの着物を重ね、背中にラクダのこぶの如き布の塊を背負い、両袖がひらひらとそよぎ、馬のひづめの如く二つに分かれた白いソックスをはき、その割れ目にぞうりの鼻緒をはさんで転びもせずに歩く、なんていう込み入った日本の衣裳は、外国人の眼からすれば随分と珍しい、というか、はっきり言えばへんてこな部類に入るだろうと思う。
    ●関東大震災(89頁)
    「関東大震災があった頃、僕は上野で絵を教えていたんだ。あの時はちょうど食堂で飯を喰っていてね。あ、地震だな、と思ったらそこらの食器棚がばたばた倒れて、コップなんかがじゃんじゃん割れて、お客やボーイが一人残らずいなくなっちゃった。僕の目の前の洋食の皿やコップもテーブル掛けごとサアーッと下へ落っこって、喰うものが何にもなくなってしまった。それではじめて、こりゃ大変だ、と思ってね、僕も窓から逃げ出したのさ」
    ●肉を食べると太る?(145頁)
    「秀子さん。今夜は何を食べるかね?」
    「肉がいいけど、太るかな」
    「何、肉を食ったって太りやしないさ。アフリカのライオンだって肉食だけど、腹はすっきりとへこんでいるよ。デブのライオンなんて見たことないさ」
    ●眼の手術(203頁)
    昭和47年。梅原先生は右の眼を手術なさった。虹彩炎から白内障になってからは、梅原先生の言葉によると、「カンバスに向かってもね、片目しか見えないから、絵具がカンバスに到着する間隔が分からない。筆がついたかと思うとついていないし、筆が空を切ることもあってね。」ということで、チューブから押し出した絵の具を直接人差し指に受けて、もどかしげにカンバスに擦り付けたりしていた。

    ☆関連図書(既読)
    「旅は道づれツタンカーメン」高峰秀子・松山善三著、中公文庫、1994.01.10

    著者 高峰 秀子
    1924年 北海道生まれ
    6歳の時、映画界デビュー
    「わたしの渡世日記」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞

    (「BOOK」データベースより)amazon
    女優だった著者が二十代のころから四十年近く、親交のあった洋画界の巨匠・梅原龍三郎画伯。画家としても人間としても、桁外れのスケールを持った梅原画伯の知られざる素顔とその魅力を、ユーモアたっぷりな筆で綴ったエッセイ集。著者がモデルになった肖像画をはじめ、カラー図版、スナップ写真も多数掲載。

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著者プロフィール

高峰 秀子(たかみね・ひでこ):女優、随筆家。1924年北海道生れ。5歳のとき映画『母』で子役デビュー。以後、『二十四の瞳』『浮雲』『名もなく貧しく美しく』など300本を超える作品に出演。キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞ほか、受賞数は日本映画界最多。55歳で引退。名随筆家としても知られ、『わたしの渡世日記』(上・下、新潮文庫)で第24回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。2010年12月28日死去。享年86歳。

「2024年 『高峰秀子 夫婦の流儀 完全版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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