わたしの渡世日記 上 (文春文庫)

  • 文藝春秋 (1998年3月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (376ページ) / ISBN・EAN: 9784167587024

作品紹介・あらすじ

複雑な家庭環境、義母との確執、映画デビュー、青年・黒澤明との初恋など、波瀾の半生を常に明るく前向きに生きた著者が、ユーモアあふれる筆で綴った傑作自叙エッセイ。

みんなの感想まとめ

著者の波乱に満ちた半生をユーモアたっぷりに描いた本作は、複雑な家庭環境や義母との関係、映画デビュー、さらには黒澤明との初恋に至るまで、多彩なエピソードが詰まっています。高峰秀子の独自の人生観が光り、彼...

感想・レビュー・書評

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  • 朝日新聞社、1976年
    文春文庫、1998年3月
    新潮文庫、2012年1月

    文春文庫で読んだ。
    以前から高峰秀子の養母との確執については、ウェブでぼんやり知っていたが、本人の筆でここまで書かれると、これは凄いものを読んでしまった……。
    壮絶、凄絶、修羅道……。
    最初のほうに、中上健次もかくやと思われるほど込み入った家系図が記されている、が、戦前ってそんなものだったのかもしれん。
    そして、平山志げは、若いころに名乗っていた高峰秀子という芸名の、下の名前をつけた、姪を引き取って、子役にする。働かせる。稼がせる。吸い上げる。
    所謂ステージママという呼び方もあるが、高峰秀子の養母の場合はもっと強烈。
    最終章に、「私という人間のドラマの主人公は、私ではなく実は私の母その人であった」とあるくらい、本の最初から最後まで常に母の個性が「悪魔爆発」している。
    この本、読む人によっては自身の毒親体験がフラッシュバックする劇薬なのでは。
    その上、養母だけでなく、親族、悪い大人たちに囲まれて、巨大な金が消えていく。その軌跡も強烈。
    が、ペシミズムに浸された本では決してなく、よい人間関係に恵まれ、所謂有名人の人名録でもある。
    以下、目次に●で追記してみた。
    でも、高峰秀子にとって救いになった人だって、各々の家族に対しては修羅だったりするので、うーん人って……。
    と、数分くらい遥かな気持ちになってしまう。
    にしても1976年刊行で、この数年後に養母亡くなり(デブ死す)、女優からエッセイストに転身するわけだが、その後のエッセイ群の先駆けでもありネタ元でもある、最重要のゴツい本だと思った。
    しかも戦前戦中戦後の歴史でもあり映画史でもあるので、個人史にしてメディア史にもなっている、まあ凄い本。



    上巻
    文庫版まえがき ●朝日新聞社の扇谷正造
    1 雪ふる町 ●養母平山志げなど家族、
    2 旅のはじまり
    3 猿まわしの猿 ●川田芳子
    4 土びんのふた ●岡田嘉子
    5 つながったタクワン ●林長二郎、坂東好太郎
    6 父・東海林太郎 ●東海林太郎、藤田まさと、五所平之助
    7 母三人・父三人 ●東海林夫人
    8 ふたつの別れ ●実兄の実
    9 お尻がやぶれた ●初潮
    10 鎌倉山の女王 ●田中絹代
    11 一匹の虫 ●水谷八重子、川口松太郎
    12 八十三歳の光源氏 ●藤本真澄、広辞苑の新村出
    13 神サマのいたずら ●谷崎潤一郎
    14 紺のセーラー服 ●山本嘉次郎、原節子
    15 血染めのブロマイド
    16 鬼千匹 ●綴方教室原作の豊田正子、田中絹代
    17 ビエロの素顔 ●榎本健一、古川緑波、宮城道雄
    18 兄は馬賊だった
    19 にくい奴 ●大河内伝次郎、灰田勝彦、杉村春子
    20 ふたりの私
    21 馬 ●黒澤明、三船敏郎、山本嘉次郎
    22 青年・黒澤明
    23 恋ごころ
    24 鶴の化身 ●入江たか子
    25 神風特別攻撃隊
    26 同期の桜

    1 黄色いアメリカ人
    2 赤いスタジオ
    3 十人の旗 ●太宰治、笠置シヅ子、服部良一
    4 ハワイの花 ●昭和天皇、灰田勝彦
    5 お荷物
    6 キッチリ山の吉五郎 ●小津安二郎、笠智衆
    7 鯛の目玉 ●志賀直哉、谷崎潤一郎、松子夫人、梅原龍三郎
    8 「空・寂」
    9 ウソ泣き ●芥川比呂志
    10 ダイヤモンド ●藤山愛一郎、宮田重雄
    11 色と欲 ●金指英一、平尾プロデューサー、青柳プロデューサー、木下惠介
    12 木下恵介との出会い
    13 カルメン故郷に帰る
    14 遁送曲
    15 勲章 ●床山の小林重雄
    16 続・勲章 ●松山善三、梅原龍三郎
    17 愛の人
    18 パリへ ●木暮実千代、渡辺一夫
    19 ZOO
    20 夕日のパリへ
    21 再び戦場へ
    22 二十四の瞳 ●壺井栄、松山善三
    23 ラスト・ダンス ●川口松太郎、木下惠介
    24 イジワルジイサン ●成瀬巳喜男、森雅之、林芙美子
    25 バズーカお佐和 ●有吉佐和子
    26 骨と皮 ●松山善三
    解説 沢木耕太郎

  • 掛け値なしの名著。高峰秀子は人生の達人だ。
    司馬遼太郎が高峰秀子を「どのような教育を受けたらこのような人間ができるのだろうか」と評したというが、子役でデビューして小学校もろくに行っていない高峰は、学校教育をほとんど受けていない。では、どうしたのか。彼女が自分自身を教育したのだ。本書を読んだ今なら自信をもってそう言える。
    自分の意思や力ではどうにもならないことは、決して悩まないし、振り返らない。周囲に対しては期待しないし、求めない。世の自己啓発書に出てきそうなことを、彼女は自己教育で見事に体得し、実践している。養母との関係など並の人間なら投げ出すか、もしくはキレるところ。でも、高峰は至って冷静。自分を客観視しているもう一人の自分がいるかの様だ。
    そして、この感覚、どこかで読んだ覚えがあった…美輪明宏の『紫の履歴書』だ。美輪も同じだ。悩まず、振り返らず、期待せず、求めず。この奇妙な一致は何なのだろう。美男子・美少女として子どもの頃から芸の世界に身を置いていると、自分を客観視できる人生の達人になれるのか。それとも、この二人が持って生まれた才覚なのか。

  • なんだこれは、べらぼうに面白いな!
    この面白さはなんなのだろう?書いてある内容をかいつまんで説明しても、この本の魅力はまったく伝わらないだろう。むむむ。
    そこんとこの考察はおいておいて、備忘メモ。

    上巻は、
    ・養母しげのおいたち
    ・秀子のおいたち
    ・子役デビューのきっかけ
    ・人気子役として、そして一族郎党の稼ぎ頭としての生活
    ・学校生活への憧れ、無学コンプレックス
    ・松竹から東宝への移籍
    ・たくさんの映画人、文化人との交流あれこれ、特に黒澤明
    ・戦時下の女優業
    といったところか。

  • 新刊コーナーで見つけて、あれっ同じ表紙で10年以上前に出たはずなのにと思いましたが、増版だったのでしょうか。

    この本については苦い思い出があります。

    目についた映画関連の本をかたっぱしから集めようと、何年か前までブックオフに毎日通っていた私は、およそ2,000冊に及ぶ映画に関係する書籍を集めましたが、きちんとリストアップして行ったわけでなくメモも取らなかったため、なんとこの本、といっても1976年に朝日新聞社から出た単行本ですが、下巻を3冊も購入するという“うっかり八兵衛”ぶりでした。

    それはともかく、俳優の書いた随筆・エッセイというと池部良や沢村貞子のものが絶品だとつとに有名ですが、戦前・戦後にわたる国民的大スターの高峰秀子も、歯に衣着せぬ個性的な屈託のない洞察眼で、俳優生活を回想した本を何冊も書いたことで知られているようです。

    日本の敗戦直後の男たちは、ただ放心して闇市を彷徨うばかりだったとか、映画界のパーティーは大嫌いだとか、天皇陛下はいい人だったとか、真の喜劇役者はたいてい孤独で生真面目だとか、女は宝石を身につけたくなったら最悪だとかなど、まあよくもこれだけ言いたいことをと思うほどですが、特に明確な主義主張があるわけではありませんけれど、たいした人間観察と驚嘆せざるを得ない断言に満ちていて感心します。

    なかでも私がもっとも気に入ったのは、「納得のいかない勲章などが家の中に舞い込んで来ては始末に困る」といって、紺綬勲章の授与を断ったというエピソードです。

    こういう常識的でない反骨精神旺盛な人物こそが、私がもっとも尊敬し愛する人なのですが、それからは、今まで見た明るく美しい実物をそのまま活かした役柄よりも、1960年の木下恵介監督作品『笛吹川』で85歳の老婆を演じた際の老醜の方が、みごとに美しく神々しいとさえ感じられる錯覚となって彼女を神格化させるほどになりました。

  • ブクログにつけてなかったんだよね。アンチもいるけど、私は好きでしかたない。

  • 戦中、戦後の大女優 高峰秀子が自らのことについて書いたエッセイ集。昭和50年頃、週一で連載されたものらしいので厳密には日記ではないのだが、古川緑波の日記同様、当時の様子がよくわかり、筆者の気持ちが克明に伝えられている。自ら学がないと言ってはいるが、筆力は相当なものである。面白く読めたし、勉強になった。

    「(大正末期)当時の日本では「生まれるだけ産む」のが当然であったと言うけれど、それにしても滅茶苦茶で、(筆者が生まれた)平山家はまるで幼稚園さながらになった」p29
    「私は子役のお父さんお母さんにこうお願いしたい。「義務教育だけは、しっかりとさせてあげて下さい」と。子役の演技に、芸術だの演技だのはない。子役は所詮、猿回しの猿なのである。猿が大人になった時、いや、猿がある日、猿でなくなった時、「お前は猿でいたいと言ったじゃないか」では済まないのである」p48
    「俳優になる第一条件はといえば、顔や容姿や演技力以前に、まず「強靭な肉体」の持ち主でなければならないのだ。肉体と神経をフルにコキ使う俳優商売は、「丈夫で長持ちする肉体」からはじまると言っていいだろう」p54
    「とにかく40余年間、仕事に無遅刻、無欠勤を通せたことは、私が健康優良児であった、ということだろう」p56
    「大人はせいぜい心して子供に対して欲しいと思う。一寸の虫にも五部の魂があり、その魂は大人のそれよりも“鋭敏”かつ“怜悧”である。子供には、感受性はあっても、大人の鈍感さはない」p60
    「行き先は、これも決まって西洋料理で、井上センセイは私の気に入りそうな料理をあれこれ選んでは、私がそれをたべるのをニコニコして見ていた」p65
    「田舎まわりの活弁士だった私の養父も失業して、そのころの流行語になっていたルンペンになった」p84
    「(撮影所の人たちに可愛がられた)銀座のコースはだいたい決まっていた。新橋のたもとで車を降りると、和菓子店「風月堂」がある。私はそこで「ガラガラ」という玩具を買ってもらった。ガラガラは、ちょうど最中の皮で出来た野球のボール大の玉で、その玉の中には様々の愛らしい玩具が仕込まれていて、玉を割る前に耳もとでゆするとガラガラと音のすることからガラガラと名づけられたのではないかと思う。五色一組で、紫色の編みの袋に入っていたことまで私はハッキリ覚えている。そのあと「天国」で天丼を食べたり、「モナミ」で食事をする。小さな日の丸の旗の立ったお子様ランチを付き合ってくれる「おじちゃん」や「お兄ちゃん」たちは、みんな私に優しく親切であった。食事が済むと帝国劇場にかけつけて洋画をみる。フランス映画「自由を我等に」「巴里祭」、そして「制服の処女」などが今でも強く印象に残っている」p92
    「考えてみれば世の中にはよくよく物好きというか、子供好きな人がいるものだと不思議に思う。彼らは頼まれもしないのに他人の子供を連れ歩いて、子供には贅沢すぎるほどの散財をし、帰りにはまたまたタクシーで蒲田の私の家まで送ってくれるのである」p93
    「考えてみれば、蒲田の小学校教師の指田先生といい、藤田まさといい、川島青年といい、私が困り果てた時には必ずだれかの「親切」が、いろいろに形を変えて私の上に降ってきた。それらの親切はみんな宝石のように美しく、ともすれば、ひねくれ、ねじ曲がろうとする私の心を支えてくれた」p128
    「昭和11年、東京宝塚とPCL、そしてJ Oの三社が合併した。現在の東宝映画の誕生である」p137
    「私は無学のせいか、こわいもの知らずで、「偉い人」を恐れない。あちらがたまたま偉いだけで、こちらが偉くないだけで、人間であることに変わりないからである」p176
    「(ライオン谷崎潤一郎)新村出という人は、こりゃ余程の大人物なんだな、ライオンが借りてきた猫みたいになっちゃったんだから」p181
    「自分一人で生きているつもりでも、実は数えきれぬほどの他人の世話になり、他人のおかげで生かしてもらっているのだし、死んでから起き上がって自分の墓まで歩いて行って無事におさまるというわけにはいかないから、死んだあとにも、やはり他人の世話になるのだ」p193
    「慰問袋は、さらし木綿を30センチほどの長さの袋状に縫い上げ、中身はたいてい、手ぬぐい、石けん、アメ玉、チョコレート、お守り、煙草にマッチなどで、必ずといってよいほど女優のブロマイドを入れたものであった。私のブロマイドもおびただしい数の慰問袋に入って海を渡ったらしく、そのブロマイドを見た兵士たちから一日に何十通もの軍事郵便が届いた。私の住所の分からぬ軍事郵便には、ただ「日本国 高峰秀子」とあり、たくさんの郵便はヒモで束ねられて、東宝撮影所へ回送されてきた」p208
    「今日まで、貴方の写真を胸のポケットに抱き続けてきましたが、共に戦場で散らすに忍びず、送り返します。よごしてしまってすみません。一兵士より」p209
    「喜劇役者といわれる人は、例外なくといってもよいほど、生真面目で孤独な性格の人が多い。金語楼しかり、植木等しかり、渥美清しかり、藤山寛美しかり、伴淳三郎しかりである」p232
    「5歳で映画入りして以来、365日働きづめに働いていた私は、およそスポーツや稽古ごとには縁がなく、三輪車にすら乗ったことはなかった。それが、いきなり自転車だ、スケートだ、琴を弾けときては撮影の合間はもちろん、昼食時の休憩時間、寝る間もさいては特別に特訓を受けなければカメラの前には立てない。旧帝国海軍ではないけれど毎日が「月月火水木金金」の激しさであった」p234
    「「ものを教わる」ということは「信心」のようなもので、生はんかな気持ちでは出来るものではない、ということを、私は宮城道雄という人を通してはじめて知らされた」p236
    「私は「先生は超一流がよい」と書いた。私の経験によれば、生徒がダメであればあるほど、優しく甘い教師は禁物で、上等で厳しい先生を選ぶのがよろしい」p275
    「日本映画史上に残る三大美人といえば、入江たか子、原節子、山田五十鈴であることは何人も依存がないところであるが、中でも東坊城子爵のお姫さまであった入江たか子は、その容姿、品格、人柄と三拍子そろった類まれな大型美人であった」p333
    「困り果て半ベソをかいていた私に、入江たか子は自分の玉虫色の雨のコートをほどき、たった一晩で、それも自分の手で美しいロングドレスを縫いあげて私に着せてくれた。人っ子一人いなくなった深夜の、撮影所の彼女の部屋で、化粧前の裸電球をたよりに、楽屋着の浴衣姿でせっせ、せっせと針を運んでいる彼女の姿はまるで白鶴の化身のように美しく、私はただ彼女の横顔を見つめながら、ドレスの仕上がってゆくのを待っていた」p335
    「女優は皇軍将兵の慰問団に駆り出されて、今日は横須賀、明日は水戸へと、日本国中をかけずりまわっていたのである。現地での慰問演芸会は、約二時間ほどで、山田五十鈴や花井蘭子は日本舞踊、轟夕起子と私は歌、踊りや歌の出来ない女優は、寸劇や兵士をねぎらうご挨拶をした」p357
    「戦後と戦前は腐れ縁。戦前の次は戦後で、戦後の次は戦前なのだ」p361
    「母と私、二人の女中、あわせて四人は栄養失調どころか、ツヤツヤとした肌で、一日として空腹におびえたり、明日の米や塩を心配したことはなかった。それは一にも二にも軍隊の慰問のおかげだった」p362
    「量は十分だがなんとなく冴えない雰囲気の陸軍の食卓に比べて、海軍のそれの、なんとカッコよかったことか。まず、テーブルクロスはパリッと糊のきいた純白のリネンである。目の前に高脚のワイングラスと水のコップ、両わきにズラズラと並んだスプーンやナイフやフォークは、ピカピカに磨きあげられている。リネンのナプキンはレストランのように小器用に折られてシャッキリと皿の上に直立している。オードブルからスープ、アントレ、サラダ、デザート、コーヒーか紅茶、と立派なコースが現れる」p364
    「目の前を大きな軍用トラックが全速力で走り去った。まだ薄暗い玄関の前に、何か大きな物が落ちていた。おそるおそるコモ包を開けた母と私は仰天した。油紙に包まれた20キロほどもある牛肉の塊だった。母と私はこの巨大な牛肉のかたまりをネコババすることに決めて家の中へ引きずり込んだ」p364
    「それから一週間ほど過ぎた早朝、例の軍用トラックが、まるで逃げるようにテールランプをみせて走り過ぎていった。そして、また何かが落ちていた。ふたをこじ開けた母と私はまたまたビックリ仰天、箱の中には何百という生卵がぎっしりとつまっていたのだ。母と私は顔を見合わせた。牛肉、卵、軍用トラック。わたしにはやっとナゾが解けた。「そうだ、これは私が慰問した兵隊さんからの贈り物にちがいない」私の顔におびただしい軍服姿の将兵の姿が思い浮かんだ。牛肉も卵も、何人かの兵士で申し合わせて、軍隊の食料倉庫から運び出し、夜半にトラックに積み込んで、成城の私の家まで届けてくれたに相違なかった」p366
    「軍隊のサンタクロースは、その後も牛肉や卵、そして砂糖、米、野菜などを、玄関の前に転がしていってくれた。戦後30年。私にあんな貴重な食料を運んでくれたのは、いったいどこのだれなのか。もしもあの時の兵隊さんたちが、いまだにご存命ならば、一言でいいからお礼を言いたい、と私は思い続けている」p366

  • 5歳でデビューし瞬く間に人気子役に。華やかな活躍の裏で苦しんだ義母との確執、彼女一人の肩にかかる経済的負担、叶わなかった学校生活、そして若き日の黒澤明との初恋と別れ。複雑な環境で思春期を過ごしながらも横道に逸れなかったのは彼女の中に子供ながらも何か一本、筋の通った強い意志があったからだろう。

  • 202404/再読

  • 好きも嫌いも仕事と割り切って、演る以上はぷろに徹しよう。持てない興味も努めて持とう。人間嫌いを返上して、もっと人間を知ろう。タクワンの臭みを、他人の5倍10倍に感じるようになろう。

  • 写真の天使のような笑顔からは想像もできないような苦労人。でも悲壮感はなく、淡々と覚悟を持って自分の人生を歩んでいる姿がかっこいい。下巻もぜひ読みたい。

  • 「わたしの渡世日記(上)」高峰秀子著、文春文庫、1998.03.10
    368p ¥700 C0195 (2024.02.24読了)(2008.06.22購入)(2006.02.01/4刷)

    【目次】
    文庫版まえがき
    雪ふる町
    旅のはじまり
    猿まわしの猿
    土びんのふた
    つながったタクワン
    父・東海林太郎
    母三人・父三人
    ふたつの別れ
    お尻がやぶれた
    鎌倉山の女王
    一匹の虫
    八十三歳の光源氏
    神サマのいたずら
    紺のセーラー服
    血染めのブロマイド
    鬼千匹
    ピエロの素顔
    兄は馬賊だった
    にくい奴
    ふたりの私

    青年・黒澤明
    恋ごころ
    鶴の化身
    神風特別攻撃隊
    同期の桜

    ☆関連図書(既読)
    「旅は道づれガンダーラ」高峰秀子・松山善三著、中公文庫、1992.10.10
    「旅は道づれ アロハ・ハワイ」高峰秀子・松山善三著、中公文庫、1993.06.10
    「旅は道づれツタンカーメン」高峰秀子・松山善三著、中公文庫、1994.01.10
    「私の梅原龍三郎」高峰秀子著、文春文庫、1997.10.10
    (「BOOK」データベースより)
    女優・高峰秀子は、いかにして生まれたか―複雑な家庭環境、義母との確執、映画デビュー、養父・東海林太郎との別れ、青年・黒沢明との初恋など、波瀾の半生を常に明るく前向きに生きた著者が、ユーモアあふれる筆で綴った、日本エッセイスト・クラブ賞受賞の傑作自叙エッセイ。映画スチール写真、ブロマイドなども多数掲載。

  • 5歳で子役に抜擢されて以降、晩年まで女優として生き抜いた高峰秀子さんが50歳ごろに書いた、自叙伝。2011年に亡くなったそうで、リアルタイムで彼女の演技を観た記憶がないが、もう少し上の世代にはなじみがある女優のようだ。数えきれないほどの映画に出演していたので、子どもの頃からの写真がたくさん載せてあって興味深い。
    華やかな世界に身を置いているが故に、家族・親戚や知り合いからも経済的に頼られ何人も養わなければならず、自分は学校にも行く暇もなく働きづめだったと書いてある。そして人生で一番輝く時期であるはずの10代後半に太平洋戦争があり、青春時代を楽しむことができなかった。普通の日本人とは全く違う人生を送ってきたようだ。文章から、比較的楽観的でおっとりした性格であることがわかる。学問が無いのがコンプレックスということが書いてあるが、時世をきちんと把握していて、知的な人柄である。
    動画で彼女の出演した映画を観てみようと思う。

  • 「高峰秀子」のエッセイ『わたしの渡世日記〈上〉〈下〉』を読みました。

    第24回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作品です。

    -----story-------------
    〈上〉
    昭和を代表する大女優が波瀾万丈の人生を綴った第一級の自伝。

    「お前なんか人間じゃない、血塊だ」――養母に投げつけられた身も凍るような言葉。
    五歳で子役デビューし、昭和を代表する大女優となった「高峰秀子」には、華やかな銀幕世界の裏で肉親との壮絶な葛藤があった。
    函館での誕生から戦時下での撮影まで、邦画全盛期を彩った監督・俳優らの逸話と共に綴られた、文筆家「高峰秀子」の代表作ともいうべき半生記。
    日本エッセイスト・クラブ賞受賞作。

    〈下〉
    戦後を彩る大ヒット映画の数々と共に綴られる女優の偉大なる足跡。

    本邦初の総天然色長編映画『カルメン故郷に帰る』、『名もなく貧しく美しく」、『二十四の瞳』、『恍惚の人』……戦後を彩る数々の大ヒット映画の製作裏話と共に、女優「高峰秀子」が綴った半生記。
    養母とのしがらみに苦しむ一方で、「谷崎潤一郎」や「梅原龍三郎」らとの交流を成長の糧とし、「松山善三」との結婚で初めて安息を得たことにより、「ひとりぼっちの渡世」に終止符を打つまでを描く。
    -----------------------

    昭和を代表する俳優の中で大好きな女優ひとり「高峰秀子」、、、

    1975年の5月から1976年の5月まで「週刊朝日」に連載された自伝的エッセイを上下二巻にまとめた作品です。

     〈上〉
     ■雪ふる町
     ■旅のはじまり
     ■猿まわしの猿
     ■土びんのふた
     ■つながったタクワン
     ■父・東海林太郎
     ■母三人・父三人
     ■ふたつの別れ
     ■お尻がやぶれた
     ■鎌倉山の女王
     ■一匹の虫
     ■八十三歳の光源氏
     ■神サマのいたずら
     ■紺のセーラー服
     ■血染めのブロマイド
     ■鬼千匹
     ■ピエロの素顔
     ■兄は馬賊だった
     ■にくい奴
     ■ふたりの私
     ■馬
     ■青年・黒澤明
     ■恋ごころ
     ■鶴の化身
     ■神風特別攻撃隊
     ■同期の桜

     〈下〉
     ■黄色いアメリカ人
     ■赤いスタジオ
     ■十人の旗
     ■ハワイの花
     ■お荷物
     ■キッチリ山の吉五郎
     ■鯛の目玉
     ■「空・寂」
     ■ウソ泣き
     ■ダイヤモンド
     ■色と欲
     ■木下恵介との出会い
     ■カルメン故郷に帰る
     ■遁送曲
     ■勲章
     ■続・勲章
     ■愛の人
     ■パリへ
     ■ZOO
     ■夕陽のパリ
     ■再び戦場へ
     ■二十四の瞳
     ■ラスト・ダンス
     ■イジワルジイサン
     ■バズーカお佐和
     ■骨と皮

     ■解説 沢木耕太郎

    「高峰秀子」って、大物女優として華々しい生活をしていたんだろうなぁ… というステレオタイプ的な先入観があったのですが、本書を読んで、その考えが180度覆りました。


    その理由は幾つかありますが、具体的には、

    複雑な家庭環境から叔母「志げ」の養女として育てられ、

    叔母「志げ」の強く見当違いで狂気的とも言える愛情(愛憎?)に葛藤し、戸惑いながら、

    経済的に困窮していたことから5歳から家族の大黒柱として俳優として働かざるを得ず、

    養父養母だけでなく、実父や義母、兄弟等、親族の生活まで金銭的に援助し、

    俳優業が忙しく学校(義務教育含め)にはほとんど通うことができず、

    等々、現代では考えられない人生を歩んでいるんですよねぇ… 本当に驚きましたね。


    そして、もう次に驚いたのは、文章の巧みさ、、、

    義務教育をほとんど受けることができず、俳優業に専念していた人が書いたとは思えない… ユーモアを交えながら、自分のことを冷めた目で冷静に描いているところや、他者を的確に描いているところ等、エッセイストとしても十分な素養を備えていると感じました。

    苦しいことや、悲しいことがあっても、人生を肯定しつつ、力強く前向きに生きていく姿に共感しましたね。


    著名人との交流も幅広く、、、

    映画界では、有名女優「田中絹代」との交流、映画監督「黒澤明」との淡い恋、私の好きな日本映画界の巨匠「小津安二郎」、「木下恵介」、「成瀬巳喜男」との交流等々… を興味深く読ませてもらったし、

    映画界を飛び越えた幅広い人脈として、作家「谷崎潤一郎」や画家「梅原龍三郎」、歌手「東海林太郎」との交流等々… これには驚きました。


    「高峰秀子」って、元々好きな俳優さんなのですが、本書を読んで、一層、強い魅力を感じるようになりましたね。


    愉しく読めるエッセイ… というか、素晴らしい自伝でした。

    写真が盛りだくさん使ってあるのも嬉しかったですね。

  • 複雑な家庭環境で裕福とは言えない暮らしだったみたいですが卑屈にならず見栄も張らず、売れても天狗にならず、周囲から学びながら一生懸命生きてこられた様子がいきいきと語られていました。娘たちにもこんなたくましい人生を送ってほしいなと思います。たしかに何が彼女をこうさせているのかもっと知りたい。下巻が楽しみ。

  • 昭和の名女優の初エッセイは自伝的内容。子役からスター女優。この独自の感性があったからこその活躍だったのだと本書を読んでつくづく思う。

    昭和の映画史に欠かすことのできない名女優の一人、高峰秀子。本作が初エッセイでその後多くの作品を残している。

    子役からその後もずっと活躍する役者は少ないというのが定説。それを覆す存在の筆頭が本書の高峰秀子だろう。ここ最近再評価されている。本作も別の出版社でも何度か刊行されている。

    べらんめえ調のような独自のテンポの語り口が面白い。子役からそのままずっと映画界。学校教育をほぼ受けられず独学のようにこっそり読書。育ての母との葛藤ゆスターではない苦しい生活、台所事情など赤裸々な内容。

    女優さんというと単なる表現者かと思っていたが、その前提となる受け身の部分、感性が実は重要であることを本書は教えてくれる。例えば最近で言えば名子役だった芦田愛菜ちゃんの何とも高度な読書歴などインテリなご活躍ぶりは、同様な感性のなせるワザであろうかと思う。

    日本映画は好きで当然高峰秀子作品も多く見ているが、本書には良い意味で裏切られる。屈指の表現者として人間高峰秀子の魅力のトリコになりました。

  •  楠木センセが影響を受けた本と紹介していた著書。5歳から俳優を続け、まともに小学校も行かせてもらえず、仕事に明け暮れた凄まじい半生を描いている。
     しかし、丹羽宇一郎の「人は仕事で磨かれる」という著書があるが、まさにその通りで、寝る時間も十分に与えられないほどに、ずっと仕事に取り組み、また、一流の人々と交流を続けたからこそ、このような素晴らしい文章が書けるのだと思った。とても学校に行けなかった人の文章ではない。自分が恥ずかしい。


     私はいつも、自分の人生を「おかげ人生」だと思い、今もそう思っている。まず、映画俳優の仕事は画家や彫刻家と違って、一人だけでは絶対にできない。だれかがライトを当ててくれなければ、だれかがカメラをまわしてくれなければ、私がいかに熱演しようとも画面には映らない。そんなことは百も承知だが、それをあえてここに書くのは、私が感傷的なのかもしれないし、お年のせいで涙腺がゆるんできたと言われるかもしれないけれど、人間は一人では生きることも死ぬこともできない哀れな動物だ、と私は思う。
     
     私は中国のことわざにある「昼のために夜がある」という言葉が好きだ。苦労は苦労のためにするのではなく、明日という光明に向かっての下塗りだと思わなければ、とてもじゃないが無数の「恥」をブラブラぶら下げて生きてなどゆけるものではない。

  • (200)

  • これはもう、すごいジェットコースター人生です。たぶんフィクションだったらすごすぎて嘘くさくて読めないと思う。
    過酷といえる人生を全うできたのは、やはり強い星の元に生まれた、天才少女だったからでしょうね

  • 高峰秀子の語り口長の文書が深い。幼い時から映画の世界で仕事をし続け、魂を成長させていく様がとてもいい。清々しい。

  • 自伝。養女。家族のため。
    『キネマ旬報2016.4下』にて。

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著者プロフィール

高峰 秀子(たかみね・ひでこ):女優、随筆家。1924年北海道生れ。5歳のとき映画『母』で子役デビュー。以後、『二十四の瞳』『浮雲』『名もなく貧しく美しく』など300本を超える作品に出演。キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞ほか、受賞数は日本映画界最多。55歳で引退。名随筆家としても知られ、『わたしの渡世日記』(上・下、新潮文庫)で第24回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。2010年12月28日死去。享年86歳。

「2024年 『高峰秀子 夫婦の流儀 完全版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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