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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784167587086
みんなの感想まとめ
人情や人間関係の複雑さを描いた作品は、登場人物の個性や時代背景を通じて、深い感動を呼び起こします。特に、主人公の松太郎の自由な生き方や、彼が周囲の女性たちに抱く思いは、時に心に響くものがあります。江戸...
感想・レビュー・書評
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▼高峰秀子さんというのは、戦前~戦後の大女優さんで、
1.天才子役 →
2.美人スター →
3.中年以降も母役など「どっしり一枚目の大俳優」 →
4.初老の役もこなしつつ、エッセイを書いたら即受賞 →
5.ほとんど「文筆家」としての晩年
という歩みの、「昭和ナンバーワン女優」さん。
文筆家としては、なんといっても「わたしの渡世日記」というのが超超超傑作で、正直この著作だけでも歴史に名を刻む方です。
文章そのものがけっこう好きなので、「人情噺 松太郎」も衝動買い。薄いです。ものすごく薄いです。文字も大きいです。あっという間に読めます。
▼川口松太郎さんという、小説家劇作家がいまして。
「鶴八鶴次郎」とか「愛染かつら」とかが恐らく代表作。戦前の1930年代が全盛期だったのでは。
僕は一冊も読んだことはありませんし、今やほぼ新刊本として入手するのは不可能でしょう。つまり、「もう誰も読まない戦前の流行作家」。
で、戦後も1985年に没するまで、いろいろ書いてはった。なんだけど、正直大したものは書いてない。なんだけど、戦後のいわゆる「文壇」っていうのの代表格。権威があった。その裏には、戦前から戦後、例えば明治座みたいな大衆演劇とか、あと映画会社の重役などに出入りして、影響力があったからなんですね。
▼そういうわけで、女優・高峰秀子さんとも「スタア女優と文壇の権威」みたいな感じで交流あり、多くの初老の文化人の例にもれず秀子さんが大好きで、仲良くしていたそうで。かつどうやら秀子さんも、松太郎さんの「きっぷ」みたいなものが性にあったようで。この薄い薄い本は、ふたりの対談本なんです。
・川口松太郎さんに高峰秀子がインタビューして、川口松太郎さんの生涯をなぞる
という内容です。
▼パターン化するのは大変に失礼ですが、
・山本周五郎
・池波正太郎
のおふたりと似ている経歴で。要は江戸っ子で貧しくて学歴なくて苦労して、そして大衆小説で成功した。
そのあたりは風俗含めて、「へええ」が多少。
ただ、それ以外は基本、「最近の若い者は」的な陳腐な自慢話の連続で(笑)。
展開する論理やことばも人生訓も、ありきたりがすりきれたようなもの。
・・・・という本だったんですが、ちょいとオモシロかったのは。
・松太郎さんは成功して以降はせっせと愛人さん、2号3号・・・というわけで4号さんまで囲っていたそうで。いわゆる「檀一雄、家宅の人」であったことを自慢げに話しているんですが、それを受ける秀子さんも、ジェンダー、ミソジニーについては「名誉男性」という意識なんだなあ、、、という堂々たるおっさんぶりを発揮して楽しんでおられて。
恐らくこの本は1980年前後かと思いますが、こういうあたり、風俗的な精神史として多少興味深かったです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
うん、まあこういう時代を生きた人の凄さとか良さとかも当然ある。
でもなあ。単純に”女”に対する要求値はなんつうか、そういう風に生きたくはないな、と思っちゃう。”男”はいいのかもしれないけど。 -
「俺の葬式はいらねぇよ。やりたくねぇんだ」
いいねぇ、松太郎のべらんめえ。
高峰峰子の文章がキリリとみずみずしい。 -
江戸っ子の歯切れ良い口調が快いです。また、松太郎さんを取り巻く女性達と彼女達への松太郎の考えにほろりとしました。
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高峰秀子×川口松太郎の小気味良い会話。
ちゃきちゃき。 -
この文庫本も古本屋さんで昨秋に購入。
高峰秀子さんのエッセイをつづけて読んでいた。
ここに出てくる川口松太郎さんのような生き方もいいよね。
もてるおとこはいいよね。 -
潔さについて
高峰秀子という女優がいる。天才子役でデビューし、日本映画の黄金時代を代表する映画女優として名を残している。そんな彼女は、映画監督の松山善三の妻ということで、現役を引退して久しい。「小学校しか出ていない」たたきあげの女優は達意の文章をくりだすことでも有名である。今は、むしろ、日本エッセイストクラブ賞を受賞した「わたしの渡世日記」(文春文庫)などを代表する優れたエッセイの書き手として知られている。
そんな彼女が、第1回直木賞受賞作家の川口松太郎にインタビューをしたのが、この「人情話 松太郎」(文春文庫)だ。
新橋演舞場の楽屋ではじめて川口松太郎と出会うところから、このエッセイは始まる。
《「あっ、川口松太郎先生だ!」
私は思わず部屋の隅っこにはじき飛んでかしこまった。
それにしても、少しカン高い歯切れのいい口跡は胸のすくほど明快で、言葉の裏には俳優への信頼といたわりがちゃんと用意されている・・・こういうのを一目惚れとでもいうのだろうか。私はただ口あんぐりと、夢心地でその張りのある声に聞き惚れていた。》
「相当なすれっからし」の人間観察眼を持つ、女優はひとめで、「自分に真っ正直で気っ風がよく、そのくせホロホロと涙もろいという」江戸っ子作家にほれこみ、「ああ、この世にあの人が存在しているのだ」と思うだけで、心のよりどころとなる人と心に決めた。
昭和30年に、女優がこの人と決めた演出助手松山善三との結婚を決めるときにも、達人松太郎の人を見る眼にかけた。
「驚いたねぇ、おまえ、あの男はまるでおまえの亭主になるために生まれてきたみたいな奴じゃねえか、どこもかしこもさ、世の中うまくしたもんだ、と思ったよ。あんなのはおまえ、めったにいるもんじゃない。俺は賛成だ。」
川口松太郎。四軒も家があった。男の甲斐性というか、「優しいのか意気地がないのか」(高峰)わからない人生だった。そんな達人がふともらすこんな言葉が、夫婦というものの本質をつく。最愛の三益愛子夫人をなくしたあとの会話だ。
「おつきあいったってあんた、今更、二十一、二の子供を相手にゃつきあいは出来ないよ。つきあいの出来る相手ってものの限界があるんだよ、ねぇ。文学のわかる奴、演劇のわかる奴、美術のわかる奴、これ、みんなわからなくてもいい。なにか一つ理解して、趣味としてもたない限りはつきあいようがないよ。それを除いちまった世間話なんぞ、そう長く保つもんじゃない。」
子供時代から、苦労して育ってきた二人の心が、うてばひびくような対話になっていく。
純文学・大衆文学という、十年一日のごとき論争に、「人情作家」川口松太郎の言。
《俺はさ、読みものなんてのは、やっぱり、読んだ人が幾分か、なんかの意味で感銘を受けるなり、楽しむなり、なんかしなくちゃ意味ないよと思うよ。だからどうしても、これ面白いかな、面白くないかな、ということを先に考えるね。自分勝手なものを書かないで幾分か読む人を楽しませよう、って気が頭から離れないんだ。
人間の、つまり一番誰しも共通に持っている感情ってのは、愛情でしょう?そこから離れてしまうとどうもねぇ。離れていいものもなきにしもあらずだけど、人間の情、情痴というものから離れると、やっぱり作品が冷たくなるわね。さりとてさ、うっかり情に溺れると、安っぽくなる。そこのところが難しい。》
小説家の作品は残るが、俳優の芸は死ねば消えると、かき口説く花柳章太郎への言葉。
《残ってそれがどうだというんだ。後世に知己を求めるなんて言葉があるけれど、くだらないよ。『源氏物語』は千年以上の生命を持ちつづけているが紫式部はそれで満足しているか、何処に墓があるのか判りもしないのに。死と共に消えるのが何よりだ。恥を後世に残したくない代わりに生きている間は栄えていたい。清貧に甘んじて芸術に一生を捧げるなんて真平だ。》
大衆作家としてのプライドと潔さが満ち溢れている。
達意のインタビューはこのあと、二人が敬愛する梅原龍三郎画伯の思い出やら、親馬鹿の悔恨だとか、人生のあらゆる機微を照らして果てしない。後半は、最愛の妻、愛子の思い出とつながっていく。
200頁ほどの小さな本の中に、川口、高峰という二つの人生が、愛情深く、丁々発止のコラボレーション。行間に多くのものがつまっている書物である。
まさに高峰秀子恐るべし。
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高峰秀子の作品
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