黄泉の犬 (文春文庫 ふ 10-5)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (355ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167591052

感想・レビュー・書評

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  • オウム裁判を追った森達也の『A3』の中で、麻原彰晃の視覚障害は生まれ故郷の熊本県八代市で摂取した有機水銀による水俣病の症状ではなかったのかと言及されている。森達也自身も八代市に足を運んでもいるのだが、そのことを森達也に気づかせた本として藤原新也の『黄泉の犬』が紹介されている。そのとき比較的すぐに『黄泉の犬』を手に入れたのだが、なぜか少し目を通しただけで、そのまま読まずに放置していた。

    ところが最近、「NHK 100分de名著」シリーズの石牟礼道子の回をまとめた本を読み、その中で石牟礼さんの四十年来の親友である染織家で人間国宝の志村ふくみさんの言葉として次のような一節が紹介されているのを見て慄然とした。それは、石牟礼さんが「水俣を体験することによって、私達が知っていた宗教はすべて滅びたという感じを受けました」とインタビューで語ったことを受けて書かれた言葉である。

    「すべての宗教が滅び、水俣のような受難とひき替えに新しい宗教が興るか、もし二十一世紀以後生きのびることができれば次の世紀へのメッセージとして宗教的な縦糸が果たしてのこせるのか、またそれを読み解くことができるか、これらの予言が常に私の内部で因陀羅網の網の目のようにゆらぎふるえつつ何かを期待していたのだろうか」

    既存の宗教も、どんな宗教家も、水俣の惨状と水俣病患者に対して何の救いの言葉もかけることができなかったのである。そのことは麻原彰晃その人にどのような思いを抱かせたのだろうか。

    本書の著者藤原新也は、オウム真理教事件が起きた後、麻原彰晃の兄に会おうとして八代市を訪ねたときに、住民の言葉からそこが水俣市とほど近いことに気が付く。何より鍼灸師として地元で生計を立てていた麻原の兄もまた、より深い視覚障害を負っていたのだ。

    麻原の兄はマスコミを避けて身を隠して生活をしていたため、著者は八代市では会えなかったが、その後何とか知り合いの紹介によって顔を合わせることができた。そこで、麻原は手のしびれを訴え、水俣病の申請をして国からその申請を却下されていたという話を聞かされる。麻原は誰よりも八代海で取れた魚やシャコを好んで食べていたのだという。

    オウム真理教が新聞紙上を賑わせていた同じ時期、水俣病に関する政府最終整理案が審議されているという記事が同じ紙面に載ったという。そのときに著者は、「オウム報道の記事の横に並ぶ水俣病の記事との行間に時代を超え、ハーモナイズする和音のようなものをなぜか感じた」という。そして、「水俣病の患者とサリンの被害者が重なって見えた」という。そうしたとき、先の志村ふくみの言葉がその文章の当初の意図を外れて不吉な符合として立ち現れてくるのを見るのである。そして、石牟礼の言う、水俣以降全ての宗教は滅びた、という言葉がますますの重みを持ってくるように思えてくる。

    著者は、当時より前に麻原について水俣病との関係に言及したものは皆無だったという。麻原の出身地、視覚障害、それらから水俣病の関連を報道機関が想像しなかったとは思えないにも関わらず。それは「マスコミの保身」であり、そのせいでことの本質が見逃されてたのではないかと著者は言う。水俣病は、麻原を断罪しようとする国やマスコミにとっては、余計なものであったというのだ。皇太子妃になったばかりの皇后雅子の祖父がチッソ社長であったということも影響がなかったとは言えない。そして一方、被差別の意識からか麻原としてもそれを持ち出すことはなかったものと想像される。

    なお、プレイボーイ誌に連載された当時、著者による麻原と水俣病との関係への追究はまったく中途半端に終わっている。なぜなら、ニュースソースである麻原の兄から、身を隠して生きなくてはならないという切迫した思いから、以降の掲載について強い拒絶を受けたからである。そのため、本書も最初に水俣のエピソードを置いた後、過去インドを旅し当地の宗教にも造詣が深い著者がオウム真理教の周りをまわるだけに留まり、その核心には触れられずに終わっている。それはあまりにも残念だし、麻原と水俣病の関係への論考を期待してこの本を手に取ったものからすると期待をすかされた形に終わることとなった。

    もちろん、水俣病とオウムサリン事件を無理につなげようとする必要はないのかもしれない。しかしながら、そこには深いところで通底する因果を見るべきなのではと感じる。そして、いずれもすぎゆく時がわれわれの後方に押し流していってしまっただけで、根元では解決することなくそこに押しとどめてしまったのではないか。また、何か因果を感じるような社会的な悲劇がこの先に待ち受けているのではないか。そんな思いをはせることとなった。
    ー 新型コロナのせいなのかもしれない。


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    『A3』(森達也)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4087450155

  • オウム事件に関して気になり読んだが、文面や言動から著者の我の強さが伝わった。

    麻原は水俣の水銀によって目の疾患を患うが、国に認定してもらえなかった。その怒りがオウムの暴動に繋がったという旨が記されている。そのため、全盲の兄は、水銀の地にいる魚を釣って食べさせていたことに責任を感じているらしい。麻原の目の疾患が後天性だということ、兄を強く慕っていることなどがわかった。

    どこか斜に構えた風の若者だった著者のインド放浪が功を成して様々な件に影響を及ぼしているように見えたが、自身の積極性がなければ真似してみてもあのような体験はできないと思う。

    度々引用された自著の『印度放浪』も気になるのでいつか読んでみたい。

  • 「私は自身のリアルに触れるために芸術を捨て、棘の現実に身を投げ入れようとした。しかし彼は自身のリアルに触れるために逆に現実を遠ざけ、瞑想の中で真我を見ようとした。いったいこれとそれのどこが異なるのだろうか。」70年代にインドを旅した著者がオウムにシンクロしてしまった若者の乾いた心の脆さを考察する。

  • 2009

  • 「A3」に少し出てきて気になっていたので読んでみた。たぶん全て関連しているだろうたくさんのエピソードを語る著者のパワーを受け止めきれない自分がいます。

  • 麻原の兄に会うところだけ拾い読み。そこだけはいいルポだった。他の部分は文章がクドくて流した。

  • 裏表紙に紹介されているインド紀行の完結編というよりは、インドとの幾分かの関わりのあるオウムと麻原彰晃への洞察と捉えた方が正しいだろう。

    麻原彰晃と水俣病との関係、インドとの関わりなどは、インドを始めアジア各地を放浪し、自らアジアに於ける宗教観、精神世界を深く考察した著者だからこそ描ける切り口なのだろう。

  • オウムサリン事件の首謀者、麻原彰晃の視覚障害の原因が水俣の水銀被害によるものではないかという著者の仮説は現在では確かめる術はないが、そのような時代、環境に麻原が身を置いていたという事実は見逃せない。
    オウムの事件についての考察から、昨今のインド巡礼をはじめとした、スピリチャルブームを痛烈に批判している。その一言々が著者自身、身をもって得た言葉だと思えるので説得力があり、脱カルト本としても大いに役立ちそうだ。ただ、語り口が偉そうで苦手。つい反発したい気持ちになってしまう。

    〔私はあるとき自分が空中浮遊したと言い張る青年と心ならずも議論したことがある。私は彼が涙を流さんばかりに浮遊したと言い張るので、最後には折れた。そしてこう言った。「君は浮いた。そう言い張るならたぶん浮いたんだろうな。で、それがどうした?」〕

  • 1972年の「印度放浪」、1977年の「西蔵放浪」で当時の青年層に大きな影響を与え、精神世界とアジア旅行者へ彼の地へ憧憬を起こさせた藤原新也が放つ問題作が文春文庫から登場。インド精神世界への関心を持つ人には、特に「第4章」のヒマラヤのハリウッドは必見でしょう。

  • 表題は筆者が撮影、サントリーの広告に使われたインドで人の死骸を喰う犬から。筆者のインド体験からカルトを考察する。インド放浪・チベット放浪・東京漂流の流れの集大成的な著作。

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著者プロフィール

1944年福岡県生まれ。『印度放浪』『全東洋街道』『東京漂流』『メメント・モリ』『黄泉の犬』『日本浄土』『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』『死ぬな生きろ』『書行無常』『なみだふるはな』など。

「2022年 『若き日に薔薇を摘め』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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