グロテスク 上 (文春文庫 き 19-9)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167602093

作品紹介・あらすじ

名門Q女子高に渦巻く女子高生たちの悪意と欺瞞。「ここは嫌らしいほどの階級社会なのよ」。悪魔的な美貌を持つニンフォマニアのユリコ、競争心をむき出しにし、孤立する途中入学組の和恵。ユリコの姉である"わたし"は二人を激しく憎み、陥れようとする。圧倒的な筆致で現代女性の生を描ききった、桐野文学の金字塔。

感想・レビュー・書評

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  • なんだこれは。
    不気味な一人称で語られる意悪の数々。

    リアルな世界だけでなくSNSでも人に優しくしようって時代。
    そんな時代に、397ページまるごと悪意で埋め尽くされている。

    主人公「わたし」の悪意は先も底もないほど恐ろしい。最初はその性格の悪さが心地よくて、迸る悪意にゾクゾクしつつも笑いながら読んでいたのだけれど、その先も底もない悪意の繁栄に、後半は空恐ろしくて下巻に入るのが本当に怖くなってしまった。それなのに、早く下巻をと思っているから恐ろしい…。完全に癖になっている。

    最近、「普通の人」が主人公の作品に物足りなさを覚えるようになってしまって、そこから「生きづらさを抱えている主人公」「ちょっと変わった主人公」へと進化を遂げ、「かなりぶっ飛んでいる主人公」まできた。いよいよ、サイコパス物しか読めなくなるかもしれない。どうしよう。
    やばめな人が主人公の作品知ってるよって方、おすすめ教えてください。

    さて、「悪意」といえば。
    東京オリンピック開会式の楽曲制作を担当していた小山田圭吾さんのこと。
    わたしが一連の報道で感じた「悪意」について、連休後半の二日かけて、下記の記事をアップさせていただきました。
    様々な人が目にする媒体だし、すごく悩んだ。
    だけど、なんだか今回の騒動にすごく悶々としてしまって、ひとまず文章にすることにしました。
    嫌な思いをする人もいるかもしれないし、批判的なコメントがあるかもしれないことも覚悟で。でも、同じ思いの人だっているんじゃないかなってことも祈りつつ。
    言葉を選びながらになったので、5000文字近くと少し長いですが。
    よろしければご覧ください。
    https://note.com/tattychannel/n/n4d606d353d52

    • naonaonao16gさん
      本ぶらさん

      こちらへもコメントしてくださり、ありがとうございます。
      また、noteも読んで下さり、感想も下さり、本当にありがたい限り...
      本ぶらさん

      こちらへもコメントしてくださり、ありがとうございます。
      また、noteも読んで下さり、感想も下さり、本当にありがたい限りでございます!!

      ロックミュージシャンのどうしようもなさ(褒めてます)。そういうとこが好きだったりするんですよね(笑)
      だから、小山田さんがオリンピックの開会式の音楽を担当していると知ったとき、NHKの番組の音楽を担当していると知った時は、「ついに時代がついてきたのね!ロックミュージシャンをダメ男と定義づける時代は終わったのね!」と心の中でガッツポーズしている自分がいました(笑)
      たぶんそう思うのは、あまり関係がよくない、わたしの母親がそのような男性を毛嫌いしているところがあって、そういう部分でも「認められた」ような気になったんでしょう。個人的理由ではありますが。

      普段行動には起こさなくても、他人に対して思っていることってたくさんあって、表現をする人ってそれを上手に昇華している人たちだなって思うんですよね。中には、毒が含まれていることがある。ロックはそのうちの一つだと思います。でも、毒のもっていき所に困っているひとは、毒を含んだロックにめちゃくちゃ救われると思うんです。わたしもその一人です。
      本ぶらさんのお言葉を拝借すると「まっとうな生活をおくっている一般庶民では気づけなくて、そういうどーしようもなくダメな人だからこそ気づいて歌えることって、あるんだと思うんです。
      だから、ロック(に限らず芸術)って、心をとらえるんじゃないでしょうか?」の部分。刺さりました。
      たぶん、普通はその音楽(芸術)を享受する側が多いわけで、生み出す側というのは、普通の感性では絶対ないはずです。
      だから「ロックミュージシャンに倫理観を求める方が間違ってない?」って感覚や「ロックミュージシャンなんて、そんな風に身近にいたら迷惑極まりないアホバカばかり」って感覚もまさに!!って感じですし、ロックミュージシャン採用するならロックにやろうぜ!と思うわけですが、オリンピックはそうはいきません。
      でもだからと言って、正論でできるわけがないロックミュージシャンに正論でぶつかるのも個人的には納得いかないし、でも正論でやっていくのがオリンピック。正論でさばけるものならなんでもよかったんでしょうね。

      それこそ、オリンピック選手の中にも似たようなことをしてきた人だっているかもしれない。そんなことしだしたら、荒さがし五輪になってしまいます。オリンピックだけでなく、「今を最大限」、わたしはそれこそが生きていることだと思っているので、小山田さんが様々な活動の場を奪われていることは悲しく思います。そう言うと「いじめの被害に遭っていた人のことを考えてない」とか言われるのかもしれませんけど。

      頂いたコメントに対する返信になっていないかもしれません。すみません。
      また、作品の紹介ありがとうございます!!
      タイトルがすごく素敵なので、やばさとは距離を置いているところにも好感が持てます(笑)
      探してみます^^

      またいつでも遊びにいらしてくださいね!
      2021/08/07
    • 本ぶらさん
      >母親がそのような男性を毛嫌いしているところがあって
      ロックみたいな若者文化を絶対認めない!のが、正しい大人(親)の姿だって思うんです(^...
      >母親がそのような男性を毛嫌いしているところがあって
      ロックみたいな若者文化を絶対認めない!のが、正しい大人(親)の姿だって思うんです(^^ゞ
      子供(若者)の方も、大人(親)が認めてくれるものを若い自分たちがいいと思っているのは恥ずかしいことだ!くらいに思わないとって思うんですw

      小山田氏については、それをしたのは中学生とか高校生の時なわけですよね。
      なら、今現在そのことをどう思っているのか、悪いことをしたと思っているのか(いないのか)を言う場所を設けて、続けてもらった方がよかった気がしますね。
      それは、その後にあったお笑いの方についても、そうだと思います。

      >荒さがし五輪になって
      本当にそれは思いました。
      ていうか、今後そういうことを言う人や国が出てきて、メダルはく奪とか起きてくるのかもしれませんね。
      2021/08/29
    • naonaonao16gさん
      本ぶらさん

      こんばんは!
      お返事ありがとうございます!!

      時折、親が好きなものを自然に好きになる人っていますけど、あれってすご...
      本ぶらさん

      こんばんは!
      お返事ありがとうございます!!

      時折、親が好きなものを自然に好きになる人っていますけど、あれってすごいですよね。
      うちの親も音楽好きですが、一方でわたしは真逆の音楽を好きになることで未だに反発している気がします(笑)

      小山田さんのことに関しては、わたしもそう思います。謝罪のみで、釈明みたいのをする機会はなかったですよね。かと言って、あの状況ではだれも彼の言葉に耳を傾けなかった可能性もあり、なんとも言えませんが。
      フジロックで特別編成となったMETAFIVE、最高にかっこよかったです。最後に「緊急事態中のMETAFIVEでした!」と、うまいこと言ってました。

      メダルはく奪とかは嫌ですね。
      妙にリアル…
      2021/08/29
  • 人間関係や各々の個性や人格を判断する為の土台作りになる為、物語に大きな波が起こるわけでもなくひたすら黙々と文章を追い続けるだけの上巻。
    物語の終始どんよりとした色味は心地良く、人物達に感じるひたすらの不快感とこれからどう話が繋がっていくのかとの高揚感が精神を維持している。転待ちだ。

  • 上下巻通しての感想。
    「東京電力OL殺人事件」を題材に書かれた物語は多い。
    この「グロテスク」も和恵というキャラクターの設定に事件を反映させている。

    桐野さんの物語には底辺に悪意がずっと流れているものが多い。
    ユリコ、和恵、ミツル、そして「わたし」。
    心の中に 底なしの悪意を抱えている。
    彼女たちの悪意がもたらしたものは、いったい何だったのだろうか。
    「わたし」によって語られるユリコと和恵の人間像。
    すべてではないにしてもある程度は自分というものを理解していたユリコ。
    まったく自分というものを理解していなかった和恵。
    それは第三者に自分がどう見えているのか・・・といった点にもはっきりとした違いを生んでいる。
    破滅していく様を楽しんで傍観している「わたし」も、自分が見えていないといったところでは和恵と似ているのかもしれない。
    気味が悪いほど異様で歪みきった精神。
    多かれ少なかれ、誰の中にもその芽はあるのだろう。
    目を背けたくなるようなものほど凝視してしまう。
    読んでもけっして幸せな気持ちにはなれないのに、それでも読むことを止めることが出来ない。
    悪意という名の強烈な力に引きずられるように読み終えてしまった。
    「わたし」が抱え込んでいる悪意が怖ろしい。
    ユリコも和恵も、その悪意の標的となり被害を被ったこともある。
    事件を起こすわけでもない。
    変人だと思われても、ひっそりと社会の中で生き延びている「わたし」のような存在こそ悪意をまき散らす源になっていくのだろう。
    面白い物語はたくさんある。
    心に残る物語もたくさんある。
    けれど、読み手を圧倒し引きずり込むような物語は少ない。
    読み終わったあとの後味の悪さも含めて強烈な物語だ。

  • まぁ酷い重い暗い…
    同じスイス人の父、日本人の母から良いところを何一つ受け取らずに生まれた姉と正に神のいたずらとしか言いようのない完璧な容姿をもって生まれた妹。そして真面目に一生懸命は美徳だが、周りの空気は読めず、自意識過剰で妙に自信家の同級生。そんな三人が悪意、劣等感、疎外感、虚無の渦巻く半生を「わたし」こと姉が述懐する体で進む物語。とにかく胸糞悪い感じが延々と続くんですが、人間の奥底にある他人には出来れば見せたくないような感情の坩堝で繰り広げられる人間模様に引き込まれて行く…読みだしたら続きが読みたくて読みたくて頁を繰るのが楽しいって感じさせます。そこは流石に超一流の作者の手腕といったところでしょうね。怖いモノみたさ…って面白いんですよね。さぁ早く下巻を読みたいです(笑)

  • なかなかに人間の奥底にある黒いところがいっぱいの本。上下巻の上巻。
    年明けから、しんみりとかほっこりとかしみじみと心に沁みる本を読み続けたためか、ちょいと刺激のあるものでも読もうかと手にとった本。
    帯にある通り、だいぶ以前にテレビで紹介されてたのだけど、ちょっと詳しく話し過ぎ?と思い、そのときは内容がわかったような気持ちになってやめておいた。
    で、内容もだいぶ忘れていたので手に取ると、ああちょっと話したくらいではわからないかもと反省。
    「わたし」が話していることと、ユリコの手記と、どちらがほんとなのか。とも思ったけど、本人にとってはどちらもほんとなのかもと思ったり。
    まだまだ女子高時代のお話だから、このあとどう人生が流れていくのか?
    いやぁな気分を保ちながら下巻へ。

  • 面白かった。けど、内容の濃さのせいで一気読みすることはできず、少しずつ読み進めていった。

    上巻の感想としては、この人達はなんとバランス感覚の欠如した人々だろう!ということ。
    主要な登場人物たちは、心のどこかが壊れてしまっているような、そんな印象を受けた。

    きっと主人公の家庭も、和恵の家庭も、ジョンソンの家庭も、そして推測になるけどミツルの家族でさえも機能不全家族だったのかもしれない。
    だけどその中でも主人公の家庭は別格。「怪物」であるユリコの重力が強すぎて、全体に歪みが生じてしまっているように思えた。(幸か不幸か、自分は凡庸な見た目をしているので)突出した容姿がここまでに周囲の人生に影響を及ぼすのかと驚きながらも、ページを捲る手が止まらなかった。

    そして、こんなにも大勢の「極端」な人物が、見事に物語のコントロール下に置かれている。作者の力量に感服。
    加えて、場面の描写も見事で、一つ一つのシーンが強く印象に残っている。

    ユリコを突き放す雪山のシーン。ミツルと初めて打ち解けるテニスコートでの場面。和恵の父からの容赦ない言葉が浴びせられる、仄暗い廊下。土砂降りの中を走る、ミツルの母の自動車の車中。

    重大な会話が為される時、その場面もまた色濃く描かれていて、それが小説としての奥行きをもたらしていると感じた。


    ひとまず上巻は読み終えたのだけど、下巻は一体どのような話になるのだろう。上巻だけでもこんなにも濃密で、読み手が消耗するような話だったのに。恐れ半分、期待半分と言ったところ。とにかく、下巻が早く読みたい。

  • 面白いけど、読む時間取れなくて時間かかって流し読み。下巻読むか迷う。でも気になるから読みたい。

  • おもろい!!!!
    これは湊かなえ好きにはたまらんドロドロさ( ̄∇ ̄)
    こーいうのを見てると、男の方が人間関係はやりやすそうって思う笑
    ユリコ以外の全員に共通する感情が、周囲に勝ちたい、負けたくないということ。
    無駄なプライドは身を滅ぼすことが改めて分かる(ᐡ⸝⸝o̴̶̷᷄ ·̫ o̴̶̷̥᷅⸝⸝ᐡ)

  • 『グロテスク』は、ずいぶん前に読んだことがある。
    とにかくつまらなくって、盆栽好きのお爺さんが出てきたことくらいしか憶えていない(^^ゞ

    そんな小説を読もうと思ったのは、ある方の本棚にあって。その方の感想を読んでいたら、自分があの時、つまらなかったのは、いわゆる「東電OL事件」の真相、つまり、“その人はなぜそれをしていたのか?”という週刊誌的下世話な疑問で読んだのに、そういう内容じゃなかったからじゃないだろうか?と思ったのだ。
    さらに、その後いろいろな人と知り合ったことで、“その人はなぜそれをしていたのか?”という疑問を持った自分が、いかに人というもがをわかっていなかったかということに気づいたということもある。
    一流企業の社員だろうとそうじゃなかろうと、男だろうと女だろうと、それらは全員人間だ。
    人間には、人それぞれに好きなことや嫌いなことがあって、ストレスに晒されたら好きなことをして気持ちを変えることで日々生きている。
    でも、人は生活のバランスが崩れてストレスに晒されると、過剰に好きなことにのめり込んでしまう(たぶん、それを依存症というのだろう)。
    その人が依存したのは、たまたまそうことだった、ということに過ぎない。それだけのことだったんじゃないの?と気づいたのだ。
    ただ、それが性に関わることで。なおかつ、それが高学歴で大企業に勤めている女性だったから、(女性は、なおかつ高学歴で大企業に勤めている女性は、そういうことは絶体好まないと“信仰”していた)世間は色めき立って露骨な好奇心を露わにした。
    その程度のことなんだと思う。
    (今だったら、“女性を、なおかつ高学歴で大企業に勤めている女性を、そういうことは絶体好まない”という偏見を持つことはセクハラだw)

    その人みたいに町に立たないまでも、昼間普通に働きながら、夜になるとエッチ目的で男漁りしている女性は普通にいる。
    昼間普通に働きながら、夜になるとエッチしたさに女漁りしている男も普通にいる。
    どっちにしても、そのエッチの内容や好みは人それぞれなわけで、例えばSの人もいればMの人もいる。
    つまり、その人がそれをしていたのは、その人の好みがたまたまそういうことだったにすぎないのだ。
    ていうか、それが性に関わることだから、世間は大喜びで騒いだわけで、例えば、ストレスで壊れた心が向かった先が買い物だったり、食べ物だったり。
    あるいは、ちょっと前に明石の海水浴場に水上バイクで乗り込んで得意がってた連中がいたけど、そんな風にやたらデカい音でバイクや車を乗りまして喜んでる人と、ストレスから逃れようとしていた売春と何が違うんだろう?全く一緒じゃん!と思うのだ。

    そんな風に思うようになって、あらためて読み始めたこの本だったが。
    すぐに、町に立っていて殺されたユリコが妹であり、和恵の高校の同級生である「わたし」に上司がこう言うシーンがあって。
    「僕、あのOLの事件にすごく興味があるんですよ。皆が言っているでしょう。心の闇ってね。なぜ彼女はそういう暗い衝動を持っていたんでしょうね。だって、大手建設会社のシンクタンクで働いていたキャリアウーマンでしょう。しかも、Q大卒。そんなエリートOLがなんで売春してたのかってね」
    そうそう。かつての自分がこの本を読もうと思ったのは、まさにそこ!と笑ってしまった(^^ゞ

    そんな、また読んでよかったな―と思っていたこの本だけど、Q女子高の話がつまんなくって…w
    ヒマでしょうがないんだろうな、この人たち…って(^^;
    主人公の「わたし」のひとり語りも、和恵のひとり相撲も、それらをイビる内部生たちも、全てが反抗期の小さな子供が大人にイチャモンつけているみたいな感じ。
    男の子が小さい時って、なぜか女をバカにして、かわいがってくれる叔母さんたちを「オマエは女!」と蔑むような口調で言うことがあるが、ほとんどそんな感じ。
    ていうか、ありがちな漫才みたいで、この本、やっぱり読まなきゃよかったかなーと本気で後悔した。
    そういえば、Q女子高の内情を読んでいて思い出したのが、何年か前にやってた大河ドラマの「平清盛」。
    小学中学からそこにいる内部生が高校から入ってきた外部生をバカにしてする仕打ちが、平安貴族が武士に対してする仕打ちに似ているなーって思ったのだ。
    内部生と外部生の価値観が全く異なるように、つまり、ここに出てくる人たちって、価値観が全く違っていて。
    価値観の違う相手を、自分の価値観で裁くことで悦にいって、暇つぶししているだけなんだろう。
    第三章で、ユリコが「わたし」を“自分本位。意地悪な観察眼。分厚い防御壁”と言っているが。
    Q女子高の生徒というのは誰もが分厚い防御壁で自分を囲って、その防御壁の外を意地悪く、そして面白可笑しく観察しているということにすぎないのかもしれない。
    それは、和恵の父親もそうだったりするわけだけど、でも、自分の子供の友だちにそんな言い方をする親、自分は記憶ないけどなぁー。幸いw
    というか。
    そもそも、それらって全て、ユリコから“自分本位。意地悪な観察眼。分厚い防御壁”と言われる「わたし」が言っていることなわけで、どこまで本当のことなんだろう?
    Q女子高については、ネットによく“モデルとなった高校に通っていたけど、あそこは本当にそういう所だった”みたいに書いている人がいる。
    でも、そのQ女子高のモデルとなった学校出身の知り合いの姉妹は、二人とも性格よくて。すごくつき合いやすいんだけどなー(^^ゞ

    そう考えると、この小説を覆っているドロドロって、所詮は誰にでもあるちょっとイラっとした時の舌打ちレベルの感情を面白おかしく拡大して書き連ねているだけなんじゃない?って気がしちゃうかな(^^ゞ
    だって、マスク警察する人や、新型コロナの医療に関わっている方たちを差別する人はいるけど、「それらはいけないこと」と思う人の方が多いわけでしょ?
    つまり、誰もが日常に抱える、ちょっとした苛立ちに対して、「わかる、わかる」と無責任に肯定することでウケを狙ってお金儲けしている評論家や専門家と同じなんじゃない、この小説って…なんて思ってしまうのは、
    やっぱり自分も、分厚い防御壁で自分を囲って、その防御壁の外にあるこの小説を意地悪く観察しているということなんだろうか?(爆)

    妙な気持ちがしてくるのは、読んでいくにしたがって「わたし」と、その「わたし」がこき下す和恵がダブってくること。
    どっちも、Q女子高の中で浮いていて、貧乏でw、やせっぽちで見栄えのしない外見で…等々。
    つまり、「わたし」の語る和恵は多分に「わたし」自身を含んでいるってことなのかな?というのは、下巻でわかるわけだが…。


    Q女子高の内情を読んでいて思うのは、今の学校にある諸々の問題点って、結局、学校や生徒が外から守られすぎているからにすぎないんような気がすること。
    例えば、ある程度年がいったら企業インターンとか、小中学生の内は社会貢献活動とか、どんどん外の世界にさらしてやることで自然と解決出来ることが実は沢山あるような気がする。
    そんなこと言うと、「受験対策は!」ってことになるんだろうけど、それも外部の塾を学校に入り込ませればいいんじゃない?
    あるいは、「受験勉強」という科目を設けて、それは塾で課外活動させるとかさw
    あと、1年とか2年、同じクラスで過ごさなきゃならない、あるいは、3年間/6年間同じ学校で過ごさなきゃならないっていうのも、本当に今の時代に合ってるんだろうか?という気がするかな。
    友情を育むためにはある程度一緒の期間いることが必要というもの確かだけど、でも、今はリアルで一緒に過ごしてなくてもネットの中でつき合えるわけだもん。
    ネットは野放しで問題があるというなら、学生の内は学校なり文部省なりが管理するネットしか利用できないようにすればいいんじゃない?
    今の子どもが学校で勉強を教わるというシステムは、たぶん明治時代(ていうか、寺子屋時代?w)から変わってないわけで、先生たちがブラック企業で働いているのと同じようになっている状況も含めて、学校制度は一度ガラガラポンした方がいいように思うけどな。
    “子供が学校で勉強出来るということをありがたいこと”と、子供も親も社会も感じていない今の状況を踏まえても、いろいろ変えた方がいいと思う。
    もっとも、そういうことすると、いままで自動的にお金が入ってきた人や会社が干上がっちゃうとか、いろいろ裏の事情もあるんだろうけどね(爆)

  • エリートOL殺人事件を題材にした小説。折原一の「追悼者」とはまた違った切り口。狂ってる登場人物それぞれの視点より展開。どう収束するのか続きが気になる。

    関係ないけど、上を登録し忘れて下の後に登録したが、本棚見るとこの順番で良かった(笑)

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著者プロフィール

1951年金沢市生まれ。1993年『顔に降りかかる雨』で「江戸川乱歩賞」、98年『OUT』で「日本推理作家協会賞」、99年『柔らかな頬』で「直木賞」、03年『グロテスク』で「泉鏡花文学賞」、04年『残虐記』で「柴田錬三郎賞」、05年『魂萌え!』で「婦人公論文芸賞」、08年『東京島』で「谷崎潤一郎賞」、09年『女神記』で「紫式部文学賞」、10年・11年『ナニカアル』で、「島清恋愛文学賞」「読売文学賞」をW受賞する。15年「紫綬褒章」を受章、21年「早稲田大学坪内逍遥大賞」を受賞。23年『燕は戻ってこない』で、「毎日芸術賞」「吉川英治文学賞」の2賞を受賞する。日本ペンクラブ会長を務める。

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