山中鹿之介 (文春文庫 た 43-2)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (490ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167629021

感想・レビュー・書評

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  • 知っていそうで知らなかった山中鹿之介の人生。
    吉川元春の立場だったら相当嫌だったろうな。
    歴史ifでは出雲返り咲きの時に、月山富田城を無理にでも落としていたら色々変わってただろうな。

  • 尼子氏再興を願い毛利と戦う山中鹿之介。尼子家は一度滅びるが毛利が大友と戦っている間に尼子新宮党の遺児勝久を擁立し出雲で再起を計る。しかし敗れ鹿之介は京都に潜伏し秀吉に働きかけ織田信長の後ろ盾を得て再度尼子家再興を播磨の上月城で計るが東播磨の別所長治が信長に反旗を翻す。信長の救援に一縷の望みを託すが京都が洪水に見舞われ救援は中止になる。上月城は降伏し勝久は切腹となるが鹿之介は不屈の精神で尼子の再興を目指すが元春の刺客によって命を落とす。

  • 尼子家の再興にその人生を懸けた、というか、その宿命を背負わされたという方が合っている。忠義に厚い武士の背景には、父が早世し、兄を出家させてまで、母から背負わされた呪縛があった。決して母を恨んだりはしていないが、尼子の大将におなりなされと、自分は擦りきれた着物を着ても、幼い鹿之介を慕う子供たちには新しい着物を縫い与える、そうして鹿之介の将器に期待し、育ててくれた母の険しい表情から逃れられなかったのだろうと思う。孤独な戦いを強いられていたのだなと。
    尼子武士でない大力之介や、兄の倅である新六と対面したときに、ふと出る表情、言葉に、普段は張り詰めている気苦労が滲み出る。

    対立する大毛利。出雲切り返しにと企てた織田への忠義や、秀吉、官兵衛とのやり取り。
    主君が滅んだお家を再興するのに、家臣がどれほどの苦労をしなければならないか、あの大きな戦国の波の中で流れに逆らうことの難しさが切ない。

    交渉事から家臣の激励、戦いにおいては先頭を走り、家臣の銃口の向きに到るまで指示をして回らねばならない。自分が弱気になっては、軍全体の士気が低下する、それを防ぎつつ悩み、進んでいく鹿之介の姿はときに痛々しくもある。

    大力之介の本心が少し疑問に残る。

  • 前回、毛利の話だったので、今回は、敵方尼子氏の家臣、山中鹿之助の話。

    話は、一旦、毛利に滅ぼされた尼子氏が、当時二十五歳の鹿之助が、尼子氏の棟梁を京都の寺から連れ出し、これを尼子勝久と命名して主君となし、自らは尼子残党から総大将と担がれて、出雲の国の切り替えしを目指す話である。

    鹿之助が尼子近習団にあって、めきめき頭角を現した頃、すでに尼子の家運は大きく傾き始めていた。かつて尼子家は、山陰・山陽11カ国に支配力をもった、中国一の大大名だった。京都の足利将軍家がその実力を頼み、上洛を懇望したほどである。尼子家の出自は、出雲、隠岐の守護家、近江源氏(佐々木氏)の京極家である。南北朝期に大きく勢力を伸ばし、室町幕府の有力大名となった京極家だが、やがて応仁の乱を機に衰えていった。京極家の一族で、守護代として出雲国に派遣されていた尼子家は、次第に京極家に代わって出雲の支配者となっていくようになる。そして、尼子経久のとき、中国の太守にまでのしあがった。経久の時代、天下に尼子家ほど輝いていた家は他になかっただろう。まさに日の出の勢いの経久絶頂の頃、毛利元就などは尼子家の顔色をうかがって右往左往する安芸の一国人に過ぎなかった。経久は八十四歳の長寿を全うして一五四一年に死んだが、嫡男の政久が早くに戦死していたため、嫡孫の晴久が跡を継いだ。その頃から元就が徐々に台頭してくる。元就は厳島で十倍大軍の大内氏(それに代わった陶晴賢)を滅ぼして、尼子家の脅威にまで成長した。晴久が四七歳の若さで急死し、跡を継いだのが二一歳の義久だった。その義久に十六歳の鹿之助が近習として富田城に詰めていた。元就が出雲に攻めてきて、義久は降参、義久(剃髪後、友林)と舎弟の倫久、秀久は剃髪し、円明寺に幽閑された。

    尼子氏はちりじりになったが、尼子氏再興の旗印として、尼子本家を担ぐのは難しく、京都東福寺にひっそり暮らす、尼子の血をひく少年を担いだ。これが勝久だ。勝久は新宮党の変により、祖父、父、ふたりの兄を、尼子氏当主、尼子晴久に殺されている。新宮尼子家は、経久の次男の国久が建てた家だ。経久の次代の晴久治世の頃、国久とその一門は新宮党と呼ばれ、尼子軍団の中核だったが、勢力が強くなりすぎ、暴慢な振る舞いが目立ってきて、晴久から疎まれて誅滅されたということだ。勝久もそれを知っていたが、過去の事は問題にせず、ただ、尼子復興の旗頭として、鹿之助に担がれて立ち上がった。

    しかし、一旦家運が衰退していくと、それを再び元に戻すことは非常に難しい。中国でも一旦滅亡した姓が再び盛名を得た試しはない。尼子家も鹿之助の奔走もむなしく、自力での月山富田城切り返しをあきらめざるを得なかったのだ。

    鹿之助は自力での復興をあきらめ、当時、天下人に最も近い信長の傘下に入る。そして、秀吉の中国攻めの軍の先陣を努めつつ、出雲に迫ったが、上月城で毛利に包囲され、秀吉に見捨てられ、毛利に降参する。吉川元春は、鹿之助を生かし、毛利陣営で活用しようと考えたが、小早川隆景は鹿之助は必ず毛利に牙をむき、尼子を再興させるつもりだと見抜き、高梁川と成羽川の合流地点の阿井の渡しで元春の意向に逆らい斬られてしまう。

    鹿之助の死後、上月城の毛利包囲網を抜けて豊臣への使者となった亀井新十郎は、秀吉の三木城攻略等で武功を立て、亀井武蔵守として3万8千石の大名の列に加わった。江戸幕府に生き残った大名のうち、尼子家ゆかりの名字は亀井ひとつである。

    また、鹿之助には兄がおり、その兄の息子の山中新六は、摂津の国伊丹で醸造した清酒を大消費地の江戸へ出荷し、巨万の富を築くことに成功した。これまでの濁り酒にかわる清酒は、江戸で大いにもてはやされ、飛ぶように売れた。やがて、名字を摂津伊丹の在所にちなんで鴻池とあらため、商業の町、大阪を代表する豪商、鴻池の祖となった。

  • うーーん。前職の後輩くんに借りていた歴史物
    最後?の本。

    花の慶次の映像しか浮かばん。。

    この作者は短編者のほうがいい気がするな〜。

  • 全1巻。
    なぜか定価の倍した。

    七転八倒、山中鹿之介のお話。
    1回目の切り返しから始まる。

    南条範夫版の方が面白かった。
    これはこれで熱めなんだけど。
    なんでだろ。
    あまりぐっとこない。
    あっさりな印象。

    ただ終わり方はぐっときた。
    じいちゃん達に泣ける。

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著者プロフィール

(たかはし・なおき)1960~。東京都生まれ。1992年「尼子秘話」で第72回オール讀物新人賞を受賞。1994年、「悲刃」で第1回松本清張賞候補。1995年、上記作品収録の『闇の松明』が山本周五郎賞候補となる。1996年、「異形の寵児」が直木賞候補になり、1997年、同作及び「非命に斃る」収録の『鎌倉擾乱』で第5回中山義秀文学賞を受賞するなど、本格的な歴史作家として活躍している。著書に、『日輪を狙う者』、『山中鹿之助』、『大友二階崩れ』、『虚空伝説』、『異形武夫』、『湖賊の風』、『裏返しお旦那博徒』、『平将門 射止めよ、武者の天下』、『霊鬼頼朝』、『天皇の刺客』などがある。

「2021年 『小説集 北条義時』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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