蛇を踏む (文春文庫)

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  • 文藝春秋 (1999年8月5日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784167631017

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、『蛇』を踏んだことがあるでしょうか?

     (*˙ᵕ˙*)え?

    街に暮らしていると日常生活の中で『蛇』を見かけるようなことはまずないと思います。写真で見たことがある、動物園で見たことがある、このレビューを読んでくださっている方の大半の『蛇』に関する印象はそのようなものではないでしょうか?そのような中では、冒頭の質問はそもそも意味をなさないとも言えます。一方で、私は『蛇』の実物を屋外で幾度も目にしてきました。それでも『蛇を踏む』なんて恐ろしい体験はしたことがありません。

    しかし、世界には70億人もの人間が暮らしています。確率論からすれば、そんな人たちの中には『蛇』を踏んだ体験のある方もいらっしゃるかもしれません。想像しただけで意識が飛んでしまいそうではありますが…。

    さてここに、『蛇を踏んでしまった』と、自らの体験を語る主人公が登場する物語があります。『踏んでも踏んでもきりがない』と、その『柔らか』い感触を主人公が語るこの作品。『踏まれた』『蛇』が言葉を語り始めるこの作品。そしてそれは、『踏まれた』『蛇』が『人間のかたち』に変化する、その先を描く物語です。

     o(;>△<)Oぎゃあぁぁぁぁぁーーーーーっ!!!
    
    『ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった』というのは、『女学校で理科の教師をしていた』主人公のサナダヒワ子。『蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた』というヒワ子は、『踏んでも踏んでもきりがない』というその『柔らか』さを感じます。そんな時、『「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、それからどろりと溶けて形を失』います。『煙のような靄のような曖昧なものが少しの間たちこめ、もう一度蛇の声で「おしまいですね」と言ってから人間のかたちが現れ』、『踏まれたので仕方ありません』と、『今度は人間の声で言』うと、ヒワ子の『住む部屋のある方角へさっさと歩いていってしま』います。『五十歳くらいの女性に見えた』という『人間のかたちになった蛇』。
    場面は変わり、『カナカナ堂』に着くと『今日は甲府まで行くので、よかったらサナダさんも行きませんか』と、コスガさんに言われたヒワ子。『若い頃修行にと入った京都の老舗の数珠屋さんの奥さんで』『朝から晩まで休む間もなく切り盛りしていたニシ子さんにコスガさんが横恋慕して』『駆け落ちをしたという昔話』を知るヒワ子は、そんな二人が営む『カナカナ堂』でアルバイトをしています。『このところ』『浄土宗の数珠をいくつもいくつも作っていた』というニシ子さんに『願信寺から少し足を伸ばすと石和温泉もあるし』、『ニシ子も一緒に行くか。店休みにして』と言うコスガさん。『ニシ子さんは六十過ぎだが、白髪も少なく、八歳年下だというコスガさんよりも余程若く見え』ます。『いまだに「ご夫婦仲のいいことでよろしいなあ」と軽口を叩かれたりする』二人ですが、『コスガさんはそれに対しては「なんまんだぶなんまんだぶ」などと口の中で唱え、ニシ子さんは黙って微笑んでい』ます。
    再度場面は変わり、『蛇を踏んでしまいました』と、『寺からの帰り道』、ヒワ子が言うと『その蛇、それからどうしたかね』と訊くコスガさん。『それから歩いて行ってしまいました』と言うヒワ子に『どこに』と訊くコスガさん。『さあ』と返すヒワ子は、『願信寺』でのやり取りを振り返ります。『ところでカナカナ堂さん、蛇にかんする話は知らんかね』と言う住職は、『このごろ蛇が多くてな。このあたりも開けてきたんで住む場所がなくて寺にやって来るんじゃろ』、『蛇は化けるからね』と言うと笑います。『コスガさんに蛇の話をした』のはこのことがあったからでした。『サナダさん、それはどんな蛇だったかね』と訊かれ、『中くらいの蛇でした。柔らかくて』とヒワ子が答えると、コスゴさんは『それ以上何も言わず』席を立ってしまいました。
    三度場面は変わり、『夜のミドリ公園を抜けて部屋に戻ると、部屋はさっぱりと片づいていて、絨毯の中ほどに五十歳くらいの見知らぬ女が座ってい』るのを見たヒワ子は『さては蛇だなと思』います。『おかえり』と『あたりまえの声で言』う女に『ただいま』とヒワ子が返すと、『女は立ち上がって作りつけの小さな炊事コーナーに立っていき、鍋の蓋をあけていい匂いをさせ』ます。『ヒワ子ちゃんの好きなつくね団子を煮たやつよ』と言いながら、『箸や茶碗を並べ』る女は、やがて『コップも出してきてビールの蓋を栓抜きで開け』『乾杯しましょうか、たまには』と言うと、ヒワ子の『席の横に座』ります。『言われるがままに乾杯をしてビールを飲み干すと』、『ああおいしい』と女も飲み、『もう二本冷やしてあるのよ』と今度は『つくねを皿に取りながら言』います。『気味が悪かったが、つくねがおいしそうなので』皿に取り、食べるヒワ子は、『つくねを食べてはビールを飲み、いんげんを食べてはまたビールを飲』みます。『しかし刺身にはどうしても箸をつけられなかった。蛇が並べた刺身かと思うと、どうにも気味が悪かった』と思うヒワ子。そんなヒワ子に『今日は仕事遅かったのね』と聞いてくる女に『あなた何ですか』と返します。『ああ。わたし、ヒワ子ちゃんのお母さんよ』と『何でもなく答え、冷蔵庫まで行ってビールをもう一本出』す女。まさかの『お母さん』と名乗る女=蛇との奇妙な日々を送るヒワ子の姿が描かれていきます…という最初の短編〈蛇を踏む〉。『蛇』の気持ち悪さに摩訶不思議感が勝ってしまうなんとも奇妙な短編でした。

    “藪の中で踏んでしまった蛇が女になり、わたしの部屋に棲みついた。夜うちに帰ると「あなたのお母さんよ」と料理を作り、ビールを冷やして待っている ー「蛇を踏む」…神話の骨太な想像力とおとぎ話のあどけない官能性を持った川上弘美の魅力を、初期作ならではの濃さで堪能できる、極上の「うそばなし」3篇”と内容紹介にうたわれるこの作品。表題作である〈蛇を踏む〉が1996年に第115回芥川賞を受賞しています。内容紹介にある通り、この作品はそんな表題作を含めた3つの短編が収録されています。いずれの短編にも関連性はありませんが、川上弘美さんらしい摩訶不思議な物語世界がそこに広がっているのが特徴です。

    まずは、上記で作品冒頭をご紹介した〈蛇を踏む〉を見てみましょう。昨今、街中のお店でもペットとして売られ、自宅で飼育していらっしゃる方もいるという『蛇』ですが、ここではっきり断言させていただきます。

     “さてさては『蛇』がこの世で最も嫌いです!”

    小さい頃のトラウマな経験によって『蛇』なんて見たくもないですし、話題にもしたくない、そもそも『蛇』なんて字は書きたくもない!それが私です。今までに川上弘美さんの作品を12冊読んできた私は、芥川賞を受賞したこの作品のことはもちろん知っていました。しかし、「蛇を踏む」という、意識が飛びそうになる書名を思う度、どうしても手が出せずにきたという経緯があります。とは言え、女性作家さんの小説をすべて読むと公言していることもあって今回意を決してこの作品を手にしました。数えたくなどないですが、そのあまりの数の多さに数えざるを得なくなるのが『蛇』という漢字一文字です。

     “『蛇』という一文字=186箇所に登場!”

    ヒェーッ!という言葉しかないですね、これは。今までの人生で目にしてきた数を優に超えるであろう大量の『蛇』、『蛇』、『蛇』という漢字一文字。このレビューを読んでくださっている方の中には『蛇』が好きで飼っていますという方もいらっしゃるかもしれません。しかし、しかしですよ。『蛇』、『蛇』、『蛇』ですからね。おそらく圧倒的大半の方は私同様、『蛇』なんて大嫌い!と同意してくださると信じてやみません。となると、この恐ろしい『蛇』、『蛇』、『蛇』にはもう言葉もない…この気持ちはわかっていただけると思います。しかし、この短編を読破するには、まずはこの大量に登場する『蛇』という言葉に動揺しないようになることが大切です。あの薄気味悪い存在をイメージなどせずに『蛇』という”虫編”のただの一文字の漢字に過ぎない、そう思えるようになりましょう。その心持ちならば、186個の『蛇』なんてどうってことは…なくありません。やっぱり怖いよー。読まなきゃ良かったよー、今夜夢に出てきそうだよー。ということで、やっぱり『蛇』が嫌な方は読む必要ないです!この作品、キッパリ!

    そんな『蛇』づくしのこの作品ですが、物語はこんな一文から始まります。

     『ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった』

    もうこの一文だけで意識が飛んでしまいそうですが、そんなあなたに川上弘美さんは容赦ありません。

     『蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた。秋の蛇なので動きが遅かったのか。普通の蛇ならば踏まれまい。
      蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった』。

    もう、ゾゾゾゾゾっと気味の悪い感覚が襲ってきます。『蛇』って踏むと柔らかいの?なんて恐ろしいことは考えたくもありませんが、物語はここで一気にファンタジーに舵を切ります。

     『「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、それからどろりと溶けて形を失った…もう一度蛇の声で「おしまいですね」と言ってから人間のかたちが現れた』。

    なんと『蛇』が人間になるという衝撃的な展開です。『五十歳くらいの女性に見えた』と、人間になった『蛇』の物語がそこに展開していきます。

     ヒワ子: 『あなたはいったい何ですか』

     『蛇』: 『ヒワ子ちゃんのお母さんに決まってるでしょう』

    その先にこんな会話がなされていく物語は衝撃です。やがて、『蛇と私の間には壁がなかった』と描かれていく物語は、『蛇』の怖さ、気持ち悪さよりも摩訶不思議感に囚われていく瞬間が訪れます。古来よりこの国には「つるのおんがえし」に代表されるように動物が人間に化ける物語が存在します。その土壌があるからでしょうか?『蛇』が『女』の姿になるというこの物語を読んでもそこまで違和感を感じません。というよりも、どうしてこの『蛇』は『女』の姿になったのか?どうして『お母さん』と名乗るのか?いつかしら物語に浸っていく自身の姿を感じました。『蛇』が嫌いな方はスキップして全く問題ないものの、怖いもの見たさが勝る方、そんな方には是非読んでいただきたい作品だと思いました。

    では、この作品に収録された他の二つの短編についても見ておきましょう。

     ・〈消える〉: 『このごろずいぶんよく消える。いちばん最近に消えたのが上の兄で、消えてから二週間になる』と思うのは『私』。そんな『私』は、『消えている間』も『そこらで動き回っているらしいこと』を気配で感じています。それもあって『消えるのはありふれたことなのでさして心配し』ていないものの、『兄には差し迫った結婚話があり、そのことが難儀』だと思います。『身内で最初に消えたとされる』『曾祖母は』『一年以上戻って』きませんでした。しかし、そんな『曾祖母が語った』ことを『書き留めたもの』には、『消えている間消えていた本人にはすべてのことが見通せている』旨記されています。そんな家族の中で育つ中、『隣の団地の最上階に住んでいる家族の長女』というヒロ子さんと『半年後の結婚が決まった』兄。そんな『兄が消えたことはヒロ子さんには伝えられてい』ない中、『そろそろヒロ子さんの家族がここを訪れる』ことになり家族は動揺します…。

     ・〈惜夜記〉: 『背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった』というのは”視点の主”。『振ったり揺らしたりしたが、夜は離れない』と困惑する中、『痒くてたまらなくなってきた』”視点の主”は『ぱりぱりと背中を掻』きます。『搔けば搔くほど、暗がりは背中に食い込み、食い込めば食い込むほど、痒くなる。堪らなくなって駆けだした』という”視点の主”は『駆けてみると、馬のような速さである』ことに気づきます。しかし、『じきに飽きて止ま』ると、『何人かの人が遠巻きに』『珍しいものを見るような様子で眺めてい』ます。そんな中、『一人が「いいものを見たねえ」と言って手を叩』きます。『池の鯉を呼ぶような叩き方』に『腹がたった』ものの『声が出ないことに気がついた』”視点の主”。『腹がたって、飛び上が』ると、『馬のいななき』になり、『からだも馬にな』ってしまいます。それを見て『夜が始まるよ。夜の馬が来たよ』という中『暗がりが広がり…』。

    〈消える〉と〈惜夜記(あたらよき)〉のふたつの短編の冒頭をご紹介しましたがいずれも突飛もない物語が展開していることがお分かりいただけるかと思います。そもそも先にご紹介した〈蛇を踏む〉も、踏んだ『蛇』が『五十歳くらいの女性』になり、主人公のヒワ子の家に現れるだけでなく『お母さん』と名乗って料理をするという展開はキョーレツです。同様に〈消える〉も『このごろずいぶんよく消える』という意味不明な出だしに続くのは兄が消えたまま二週間以上も経つという極めて唐突感のある物語に一気に読者を引き込みます。そして、19章から構成された〈惜夜記〉では、前二者に比してさらに困惑度の強い『背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった』という、理解が全く追いつかない物語が冒頭から展開していきます。これら三つの短編に共通することは、これらがリアル世界の日常を描いているものではないということです。この作品には巻末に作者の川上弘美さんが〈あとがき〉としてこんなことを記されています。

     “何かを書くのは大好きなのですが、ほんとうにあったことを書こうとすると、手がこおりついたようになってしまいます”。

    多くの作家さんは必ずしも”ほんとうにあったこと”でなくともリアル世界の日常を元に物語を描かれていると思います。しかし、川上さんは”ほんとうにあったことではないこと、自分の頭の中であれこれ想像して考えたことなら、いくらでもつるつると出てくる”とおっしゃられます。とても興味深い語りですが、そんな自らのスタイルをこんな風に分かりやすく説明されています。

     “自分の書く小説を、わたしはひそかに「うそばなし」と呼んでいます”。

    “うそばなし”という言葉は非常に的を得たものだと思います。ファンタジーという言葉よりも、この作品に収録された三つの短編は、”うそばなし”という言葉がよく似合います。そんな”うそばなし”の世界に一気に連れていってくれる三つの短編を楽しむにはそれを現実ごととして理解するのは禁物です。”いくらでもつるつるでてくる”と語られる”うそばなし”は、川上さんがおっしゃる通り”ほんとうにあったこと”ではないからです。どんな奇妙奇天烈、摩訶不思議な世界に連れていってくれるんだろうか?そんな風にワクワクしながら読み進めるのが吉なこの作品。そこには、今も変わらぬ”うそばなし”で私たちを魅了させてやまない川上さんの原点を見る物語の姿がありました。

     “「うそ」の好きなかたがいらしたら、わたしの作った「うそ」の中でちょっと遊んでみてはくださいませんでしょうか”

    そんな風にこの作品のことを語る作者の川上弘美さん。そんな川上さんが芥川賞を受賞された表題作を含む3つの短編が収録されたこの作品には、読者の想像力を試すかのようなキョーレツ極まりない前提の物語が描かれていました。今から30年以上も前の作品とは思えない新しさを感じるこの作品。振り落とされそうになることに、必死に食らいつくスリリングな読書が楽しめるこの作品。

    ずっと読みたかった芥川賞受賞作に展開する”うそばなし”の魅力に、どっぷりハマってもしまうインパクト最大級な作品でした。

    • さてさてさん
      おびのりさん、
      へ、へびを踏まれたことがあるんですか?ぬいぐるみではなくて、ほんものの!
      すみません。意識が遠くなってきました。”ぐりっ...
      おびのりさん、
      へ、へびを踏まれたことがあるんですか?ぬいぐるみではなくて、ほんものの!
      すみません。意識が遠くなってきました。”ぐりっと”という表現でもうダメです。”柔らかくなかった…”、嗚呼…。
      決して体験したくないです。やはり、読まなきゃよかったかも…です。
      2025/12/09
    • ロカさん
      さてさてさん、おはようございます。
      蛇を踏んだことはないですが、家の壁に青大将が張りつくことがあるくらいの田舎に住んでます。

      川上さんの作...
      さてさてさん、おはようございます。
      蛇を踏んだことはないですが、家の壁に青大将が張りつくことがあるくらいの田舎に住んでます。

      川上さんの作品の魅力は現実と淡いの間を行き来するところだと思ってます。ありそうでない現実を淡々と描く。『竜宮』もそうですが、彼女のこうした作品は最高に魅力的で私は大好きです。
      蛇は踏みたくないですけどね(>人<;)
      2025/12/10
    • さてさてさん
      ロカさん、おはようございます。
      青大将ですか…壁に張りつくというのは、う〜ん、私は考えない方が良いですね。
      おっしゃる通り川上さんの作品...
      ロカさん、おはようございます。
      青大将ですか…壁に張りつくというのは、う〜ん、私は考えない方が良いですね。
      おっしゃる通り川上さんの作品は”現実と淡いの間を行き来する”イメージ、私も同じです。この作品はそれを見事に描いていると思います。ただ、蛇は、ただただご容赦いただきたいです…。
      2025/12/10
  • 捉えどころが分からない世界観なのですが、読んでて自分でどう解釈するのか、考えさせられた作品でした。著者のあとがきに描いてあった「うそばなし」。自分の書く小説のことひそかにそう呼んでいることも少しユニークで、とても、著者の
    明るさが伝わってきました。「蛇を踏む」は、主人公が公園で蛇を踏んでしまい、家に謎の女が現れてしまい、その謎の女は、主人公の死んだ母だとう言うのだが、主人公の母は生きている。
    蛇が化けて現れてしまったのか、そう考えるなか
    二人の奇妙な生活が始まった。
    芥川賞を受賞した著者の代表作です。
    どこか民俗文学を思わせる、不思議なお話がとても、心地よかったです。

  • 不思議ホラー系おとぎ話。

    『蛇を踏む』
    通りで元気のなさそうな秋の蛇を踏んでしまったら、「踏まれてしまっては仕方ありません」と言い女の姿になって家に居着いてしまうお話。

    『消える』
    家系が不思議体質。きっかけはわからないが突然行方不明になる体質で、今回は嫁を迎える長兄が直前に消えてしまうお話。姿が見えないようになるらしく、語り手の妹には気配はわかるらしい。見えないし体はないが、居る。

    『惜夜記』
    かなり短い短編集。けっこう話数がある。怪現象のサビ部分だけ取り上げたイメージ。

    【感想として】
    どれも物静かな文章で、強い言葉は使わないけれど物語に圧がある感じ。全体的に和風な、獣臭がする世界観でした。

    似た作品で言えば(拝読した中から)
    森見登美彦氏の『きつねの話』がぱっと思いつく範囲で近い雰囲気です。
    あとは恒川光太郎氏の『夜市』かなぁ。
    静かさでいえば、梨木香歩さんの『家守奇譚』もそうかも。

    わからない・理解できない話ではあったものの、あとがきに目を通して読み方がわかったような、腑に落ちての読了になりました。

    私にはけっこう、あとがき、大事でした。


  • 解説が、本作の様な手法の先駆者である松浦寿輝氏で強く納得。
    表題作と『消える』は、もう一歩踏み込めば空間系ホラーとも言える構成で、輪郭の曖昧な物や生物が日常生活に冷やりと這い寄る様は個人的に好み。あとがきで述べられてる程、うそばかりでもない作品だと思った、
    『惜夜記』は作者の頭にいつも流れている物を文字にした散文みたいな物だろうか。

  • H29.6.28 読了。
    独特な世界観で好き嫌いが分かれる作品だった。


  • 3つの短編集。
    なんだろう、、
    蛇、一寸法師、モモ(時間泥棒)?
    小さいころ読んだ童話や怖い話に近いからか、妙に頭の中でイメージしやすい。
    暗くてどろっとした感じ。
    『世にも奇妙な物語』を思い出した。

  • ⚫︎受け取ったメッセージ
    「影」としての心との出会い

    ⚫︎あらすじ(本概要より転載)
    ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。
    蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。「踏まれたので仕方ありません」人間のかたちが現れ、人間の声がして、蛇は女になった。
    部屋に戻ると、50歳くらいの見知らぬ女が座っている。「おかえり」と当たり前の声でいい、料理を作って待っていた。「あなた何ですか」という問いには、「あなたのお母さんよ」と言う……。
    母性の眠りに魅かれつつも抵抗する、若い女性の自立と孤独を描いた、第115回芥川賞受賞作「蛇を踏む」。


    ⚫︎感想
    ユングの「影」を想起した。積極的に生きてこなかった自分=影が蛇として表現されていると考えてみた。影としての心との出会い。蛇を踏んでしまった。その蛇が家に居着いて人間になったり蛇に戻ったりする。巻きつかれたり、職場までやってきたり、蛇の世界に誘われるが、拒んだり、心地よかったり、ザワザワしたり。影としての心が動き出して、蛇となっている…と捉えると、ヒワ子が違和感なく蛇を受け入れることも理解できる。無意識の自分なのだから。受け入れたり、争ったりするのは、自我と影だからであると考えられるのではないか。また、蛇が「あなたのお母さんよ」とヒワ子に言っていることも、ユングのグレートマザーを想起させる。

    河合隼雄氏は昔話や神話の中に無意識の世界の広がりを研究された方だが、川上弘美さんの「蛇を踏む」は、「影」としての心との出会いを昔話風に物語ってくれているのではないかと思った。

  • きっかけは、小川洋子先生の“とにかく散歩いたしましょう”エッセイか、心と響き合う読書案内、どちらかで紹介されてて選ぶことに。

    蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた。
    蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。

    表現力に驚かれたようで、私も読みたい!となった。
    2025年、巳年ということもあり〜
    115回芥川賞受賞作品と知って尻込みしつつも読み始め、かなり独特な世界観だった。
    これは神話?寓話?終始不思議な世界
    やわらかくフワフワした文体の感覚、触感が、ふと日本昔話のような感覚だなぁ〜と感じたら、浸れて不思議に心地よくなりました。

    この文庫には、『蛇を踏む』『惜夜記』『消える」の3編が収録されているのですが『惜夜記』が好みです。
    抜群な個性の作家でした。

  • 変な短編小説3編を所収。(笑)個人的には「消える」が面白かった。3編とも寓意に富んだ作品でその意は少し難解だが、状況変化がぽんぽんあるのと面白い文体なので、読むだけなら読みやすい。(笑)まあ、不条理小説ですね。
    「惜夜記」は心の冒険譚で少し理解は難しいが、状況に比して優しい言葉に包まれており、ほのぼの感がある。「蛇を踏む」と「消える」は家庭内心情を面白おかしく童話化していて、不条理さにもかかわらず、なんとなく余韻が残る作品である。

  • 三篇の「うそばなし」は、言葉の力で人や物や空気の境目を曖昧にして、破壊と再構築を読者に強いる。
    自分とその他を隔てるのは肌であるから、肌感覚を研ぎ澄まして、様々な言葉で世界を切り貼りするのを面白がっているのかも。

  • 失業保険で食い繋いだあとカタカナ堂に雇われた、元女学校理科教師の主人公ヒワ子。藪で踏んでしまった蛇に取り憑かれてしまう。

    現実と夢を境界なく行き来するように進む物語、終盤はハラハラさせられる。

  • 芥川賞受賞である表題作を含め、短編が三本収録されてたけれど、全部気持ち悪かった。これは誉め言葉。
    とくに二本目の「消える」は、地方の少し怖い民話を読んでいるような感覚だった。独特すぎる“和”の世界観。

    見方によってはファンタジーなのかな。
    人間とそれ以外の有機的な生き物と無機物の境目がなくて、それらの間を行ったり来たり、どろどろに溶け合っているような。
    唐突な一行目があって、その後ろに世界が広がっている。

    なんか、こういう曖昧な説明しかできない。笑
    でもひとつ前に読んだ「センセイの鞄」とはまったく印象が違った。
    個人的には安部公房を少し思い出した。

  • 20年ほど前に読んでおり、内容を忘れてしまったので再読。何とも不思議な話が3篇収められている。

    川上弘美の作品はよく分からない。何が起こったのか、どんな結末になるのか、何が伝えたいのか…。その分からなさに面白さがある。細かな意図や意味をわかろうとしなくて良いのだ。現実と夢の世界の境界がどろりと溶けて混ざり合う。わかるようで分からない。ただ淡々と話は進んでいくのだ。

    そんな川上ワールドに身を任せて浸ってみて欲しい。

  • 独特の世界観。

  • 不思議な話で設定もあり得ないのに、なんだか受け入れてしまった。途中わけがわからなくなって何度も読み返すことあり。
    好き嫌いが分かれる作品かも。

  • 川上さん自身が「うその国に入り込んでしまって書いたうそばなしなので、うその好きな方、私の作ったうその中で遊んで行ってくださいな」と言っています(笑)
    このメッセージ、最初に読んでいたら、割り切ってもっと楽しめたかな~とも思いました。 大好きになった『センセイの鞄』の著者の別の作品にも触れてみたいと思い、今作が芥川賞受賞ということで、期待大でしたから、読めば読むほどにこの不思議な世界観は???でした。一言で言うなら、境のない世界。人間と蛇の境がないし、生物と無生物の境もあいまい、形あるものは個体から液状になり、さらに気体へと…そして気持ちだって何が何だか、だあれも分かっていない。うその世界はうそだってわかっていたらそれなりに楽しい。でも境目を区切りをつけたがる人間はある意味、つらいかな、こんな世界に居続けるには。蛇母さんがしきりに「ひわ子ちゃん、ひわ子ちゃん…」と呼ぶ声だけが生々しく現実的に思えました。著者もこの作品に関しては意図などきっとなかったのではないでしょうか?そこが魅力なのかもしれません。自分で書いててレビュー自体もちょっと?になってしまい、すみません(苦笑)

  • なんのメタファーなんだろうとわざわざ考えるのは野暮なんだろうな。

  • 惜夜記で挫折。難解というか、情景が頭に浮かばない。あとがきで作者さんが述べているように、これらはすべて「うそばなし」。何かの暗喩なんだろうなあと思いながら読むと、多分わけわからないと思うので、推奨通り「うその世界に遊びに来た」という気持ちで読むのが良いのかも。「蛇を踏む」は、シュールレアリズムな雰囲気で、ありえないんだけどありえそうな感じがして面白かった。登場人物に蛇が絡まなければ、普通の人たちだからかな?蛇を介することで、道に迷ってもう一つの現実っぽいけど現実じゃない世界に来たみたい。千と千尋みたいな?

  • なるほどです。夢の中にいるかのような。最後が『惜夜記』で、夜の話というか、夢の中にいるような感じが漂っていたのでよりそのイメージが強いのかもしれません。

    ちっちゃいときに思ってた小説ってこんなんだったな、と思い出します。なんか脈絡がなくて、ストーリーがなくて、とつぜん意味不明なふわふわした世界が始まっていつの間にやら終わっている。あとたまに読めない漢字とか知らない単語とか、名詞が出でくる。本を読んでいて調べるという経験そのものが、なんか懐かしかった。

    意味のわからない話って子どもの頃は好きじゃなくて、今でもエンタメとか、輪郭がはっきりした小説の方が読みやすいなあと思うけど、たまにこの世界に戻ってくるのもいいなあと思う。

    特に、川上弘美はユーモアというか、なんかわからないけどこうなっちゃうのよね、なんかわからないけど。みたいなのが、とらえどころのないところが面白くて、読んでてつい笑っちゃう。

    こういう、小説の世界に閉じこめられて出てこれない人もいるんだろうなあと思う。うその世界、と川上さんは言ってるけど、うそじゃない世界を書く必要はないものね、真実味があるかどうかは置いておいて、みんな心地よいうそをもとめて本を開くから。

    『蛇を踏む』は、世界観が蛇のようにひんやりとして、気持ちよかったなあ。あやかしの方が、主人公のなかで存在感が強く感じられるのがいい。川上さんの物語ってそういうところがあるのかもしれない。うその方が、リアリティーがある。本人も書いてるように、うその方にリアルを感じてしまう人なんだと思う。

    『消える』家族の話。なんとも日本人らしいテーマで、陰湿で、闇をきれいにとられているなあと思う。でも嫌味がない。素直に書いているのが読みやすい。教訓もない。ただ物語がある。簡単なようでいて、ただ物語であることの、その、難しさよ、と思う。

    『惜夜記』書いたように、夜の話。眠いんだけど、夢にとらわれるのも惜しい、というような。夢に惑わされて、思うように足が進まない、またあの世界に来てしまったと思いながらその理不尽さ不条理さ不自由さに、蹂躙されるような快さ。
    いちばん好きだったのは『もぐら』。たまらない。たまらないなあ。笑った。

  • 文章によってしか起こされない脳内の解放があって、それを体験する。
    意識が空間に溶け出して、失くなってしまうみたいだ。

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著者プロフィール

作家。
1958年東京生まれ。1994年「神様」で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞しデビュー。この文学賞に応募したパソコン通信仲間に誘われ俳句をつくり始める。句集に『機嫌のいい犬』。小説「蛇を踏む」(芥川賞)『神様』(紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞)『溺レる』(伊藤整文学賞、女流文学賞)『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞)『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞)『水声』(読売文学賞)『大きな鳥にさらわれないよう』(泉鏡花賞)などのほか著書多数。2019年紫綬褒章を受章。

「2020年 『わたしの好きな季語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

川上弘美の作品

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