- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167631017
感想・レビュー・書評
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著者の後書きに”自分の書く小説を、わたしはひそかに「うそばなし」と読んでいます。”とあります。最初は途惑っていたのですが、これを読んでからは読みやすくなりました。
踏みつけた蛇が女性となって部屋に押しかけて母親を名乗り、嫁入りしてきた兄嫁が最後には豆粒大の大きさになり、非常に訳のわかんない世界です。シュールと呼ぶのがふさわしいでしょう。最初はなにかの寓話かとも思いましたが、単なる「うそばなし」なんですね。訳のわかんない夢を見るように、川上さんの「うそばなし」の中で、素直に遊べばいいんです。そう思って読めば中々楽しい話です。
しかし、人の夢の中で遊び続けられるものか?もう1-2冊読ませてもらいましょう。
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うーん、茶色い、ぬるぬるしてる、そんなイメージの本。
最初は意味のあるものとして読んでいたけど途中からないものと気づいた。
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川上弘美さんの不思議な言葉遣いが好きです。再読でも、「蛇を踏む」と「消える」よりも、「惜夜記」が好みです。生物の隔たりも飛び越える、川上さんも独自のワールドをお持ちだと思います。ちょっと寂しくて、綺麗。「うそばなし」、感覚でしか読めていませんが、面白かったです。
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この著者は、主人公がなんだかぼんやりしすぎていて、言葉の枠に収まりすぎてしまっている感じで苦手意識を持っていたんだけど、この本は良かった。
「蛇」に対して日本人が抱いている感覚や太古からの記憶、つまり不気味さと狡猾さと、なぜか違和感なく身体になじんでしまう感じとが表されていた。本文中にあるように「教訓のない寓話」なのかもしれない。
「惜夜記」泉鏡花や夢十夜のような、我の意識がない、不思議な話で面白かった。ニホンザル、少女、モグラ、イメージが広くて幻想的。 -
不思議な話、三篇。
人間の他に蛇とか獅子とか動植物もたくさん登場するし、消えたり変化したりもある。
日本昔話を思わせる。大人版といった感じか?
2017.8.19 -
踏んだ蛇が人になり、家に居着いてしまう女性。
「消える家族」を持つ不思議な慣習と暮らす家族。
夜にまつわる不思議な寓話。
そんな3つの短編集。
やっぱり芥川賞系の本は、合わないことが多い。
合わないというか、文章を読もう読もうとするんだけど、ポロポロ取りこぼしてしまう。
巻末によると表題作「蛇を踏む」は若い女性の自立と独立を描いているそうなのだが、そうとは感じ取れなかった。
むしろ、安寧に暮らしていた女性が転機を受け入れるか優柔不断に悩むお話と思ってしまったなあ。それが自立と孤独、なのかしら。 -
現代の「おとぎ話」として読むと分かりやすいのかも。
文体が少々苦手な感じでした。 -
バウンダリーが非常に緩やかで、
人間と生物と、非生物と観念などが、
荒唐無稽なほどに融合したり、
移り変わったり、
わけがわからなくなったりする。
こういう世界を書かせると巧みなのはわかるが、
『蛇を踏む』以外は、
コンテンポラリーアートを観るようなわけのわからなさに、
途方なつまらなさも感じた。 -
蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた。秋の蛇なので動きが遅かったのか。普通の蛇ならば踏まれまい。
蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。
「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、それからどろりと溶けて形を失った。煙のような靄のような曖昧なものが少しの間たちこめ、もう一度蛇の声で「おしまいですね」と言ってから人間のかたちが現れた。
ほんとうに、どこをピックアップしたらいいかわからない。主人公が教師をやめたこと、失業保険で食いつないで今は数珠屋で働いてること(あのいくら数えてもきりがないお坊さんが持ってる玉がリング上に束ねられたものだ)、夫が鳥に嫁いだエピソード、生餌、客のいないお店、天丼の上、天井に登る蛇、
でもあぁこんな時代に絡めて話をしてみたいな。
こんな時代とは。
内田樹の「下流志向」が売れた時代。
この蛇は「どうして注意して歩かなかったんだ」と言いがかりをつけることもなければ未練もないようでただ「踏まれたらおしまいですね」と言って消えてしまう。そればかりか「ヒワ子の母親だ」と言い張って一人暮らしのヒワ子の部屋に居候を始めてしまう。このような諦観が作品を貫く雰囲気となっている。仏教が出てきて鳥にとついだ話が出てきて
もうどうだっていいよな。
蛇が人間に化けて、ヒワ子に教師をやめた理由を聞くシーンがある。
こんなのだ。
テーブルに戻ると食べ物はあらかたなくなっていて、女は三本目のビールを開けながら頬杖をついた。
「ヒワ子ちゃんはどうして教師をやめたの」
女はもう何もつまずにビールだけを飲みながら訊いた。母の声を聞いたばかりで隙ができていた。訊かれて、気味が悪いとあいかわらず思いながら、どうせ気味の悪いものになら答えてもいいという気分になった。
「嫌いだったの」
「何が」
「教えること」
「ほんとう」
「・・・・」
「違うんじゃないの」
「違うかもしれない」
「ほんとうはどうだったの」
女はさらにビールを飲んで、さらにつぎ足した。女の腕に鳥肌がたっていた。鳥肌のたった腕の皮膚も薄く白かった。
「消耗したからかもしれない」
蛇も蛇ならヒワ子もヒワ子だ。もう追い出す気力も残ってないよ! -
ありえない世界なのにいくらでも想像が膨らむし、妄想好きな人間にとってはたまらない世界だった。型はない、形も色も匂いも質感も全部自由、ものすごく広い世界に飛び込んだ気分。惜夜記は、寝ている時の、夢を見ている時間の、すごく長いのに実は短時間、と破茶滅茶さを書いてあるようで、説明したいのにできない話を文章にしているようだった。うそのはなしにしっかりはまって、よかった。とても。