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Amazon.co.jp ・本 (208ページ) / ISBN・EAN: 9784167631024
みんなの感想まとめ
感情と人間関係の複雑さを描いた短編集で、依存的な恋愛や愛欲に溺れる男女の姿が描かれています。作品は一人称視点で展開され、登場人物たちの内面を俯瞰的に観察することで、乾いた寂寥感や儚さを醸し出しています...
感想・レビュー・書評
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あなたは、いきなり『死んでからもうずいぶんになる』という書き出しの小説に接したとしたら、その先にどんな世界を感じるでしょうか?
どんな小説に於いても冒頭の一文というものはとても大切です。その作品世界に入っていくことができるかどうかを試す試金石とも言えるのがこの冒頭の一文です。私は今までに500冊以上の小説ばかりを読んできましたが、そんな中でも未だに一番強く印象に残っているのが、綿矢りささん「蹴りたい背中」の冒頭の一文です。『さびしさは鳴る』と始まるその一文。そんな一文をもって私の心はすっかり綿矢さんの作品世界に囚われてしまいました。芥川賞を受賞された作家さんの表現の魅力というものをこんなところからも感じます。
そして、同じく芥川賞を受賞された作家さんでもある川上弘美さんもさまざまな文章表現で魅せてくださる作家さんの一人です。そんな川上さんの作品は、冒頭の一文以前に、書名で何かしら引っ掛かりを感じさせるものも多いと思います。私が読んだ作品では「これでよろしくて?」といきなり書名に”?”がつくという、なんとも妙な引っ掛かりを感じさせる作品もありました。そして、本日ご紹介するこの作品もいきなり引っ掛かりを感じさせる書名がつけられています。「溺レる」というその書名。三文字の中に漢字とカタカナとひらがなを使ってしまうというなんとも贅沢なその書名。そんな作品は、書名に感じる不思議感をダイレクトにまとってもいます。
『少し前から、逃げている』、『大きな、七面鳥が、胸の上に乗っかってきた…』、そして『死んでからもうずいぶんになる』と不穏な空気を感じさせるその各短編の冒頭。そんな八つの短編から構成されたこの作品は、短編それぞれに関係性はありませんが、一つの独特な世界観を見事に作り上げているという点で短編集として絶妙なまとまり感を見せてくれます。ただ、あまりにかっ飛んだ物語のオンパレードに、私の読解力が追いついていかないと感じる部分もあり、楽しめる作品とそうでない作品に分かれた印象はあります。そんな中からいつもの さてさて流 でその一編の冒頭をご紹介しましょう。
『死んでからもうずいぶんになる』と思うのは『サカキさんと情死するつもりだった』という主人公の『私』。しかし、『情死』するはずが『サカキさんは死なずに残』り、『私だけ、死んだ』という結果論。『死んでからは、迷ったり、念がこうじて幽霊のかたちであらわれたり』していた『私』ですが、今では『サカキさんのことを、強く思うばかり』となっています。そして、そんなサカキも『せんだって八十七歳で往生し』ました。そんな『サカキさんを知ったのは私が四十歳になってしばらくのころだった』と振り返る『私』は、『逢瀬をかさねた』日々を思い出します。『そのうちにお互いの体が粘るようにな』り、やがて『体だけでなく心根も粘ってきた』と感じた『私』は、『情死しなければいけない』と思い詰めます。そして、『一緒に死のうとサカキさんに言われた』『私』。『サカキさんは会社に退職届けを出し』、『蒸発人となった』サカキは、『私の手を引いて小さな不動産屋に入』りました。そして、『商業学校の前の、日当たりのいい六畳の部屋を借りた』二人。『私が使っていた布団を持ってこようかと言ったら』、『いいよ。新しく買おう』と言うサカキに、『でも、もったいない』と返す『私』。そんな『私』に『すぐにどうせ死ぬからか?』と笑うサカキは、『このまま、ずっとこうしていたいや』と『畳に寝そべって天井を見上げ』ます。『死ぬのは、いやだった』という『私』。『しかし、死なないで生きていくことにも、さほど執着はなかった』という『私』は、『死んでもいいわよ一緒に、と答え』ました。『もう疲れた』としばしば言うサカキは、『もう疲れた。早く死のう』とも言いますが、『疲れた、と言いながら、結局サカキさんは生き残ってしまった』という結果論。そして、『八十七歳の生涯を立派にまっとうした』というサカキに対して『私だけが死んでしまった』という結果論。そんなファンタジー視点で描かれる不思議感極まる〈百年〉というこの短編。冒頭の『私だけ、死んだ』という衝撃的な一文で読者を一瞬にして不思議な世界へ誘ってくれる不思議世界の魅力を堪能できる好編でした。
八つの短編は雰囲気感を共通としていますが、それぞれの個性は非常に強いものがあります。そんな特徴を言葉の表現と、印象的なシーンからそれぞれ二つずつ見ていきたいと思います。まずは言葉の表現の一つ目です。それは、この作品の「溺レる」という書名からも予想される”カタカナ”の多用です。日本語は言うまでもなく漢字、ひらがな、そして”カタカナ”によって表記される言語です。これら三つの中でも”カタカナ”というものは、意図して用いられる場合が多く、どこか軽やかでリズム感を感じるような軽快さも特徴だと思いますが、この作品では、八つの短編に登場する男性の名前が『メザキ』、『コマキ』、そして『トウタ』というように全員、カタカナで表記されています。私たちは普段の日常生活において氏名は漢字で表記するのが一般的です。”カタカナ”で表記されるのは、その人物の漢字が不詳の場合など意味ある場合のみです。それがこの作品のように全編にわたって”カタカナ”で表記されるとどこか不穏な空気が漂います。また、その名前に不思議と注意がいったりもする一方で決して感情移入の対象となっていかないのも不思議です。また、人の名前だけでなく、漢字で表記されることを期待する熟語が”カタカナ”で表記されてもいます。例えば『リフジンなものから逃げてるということでしょうか』という一文は、普通に『理不尽なものから逃げてるということでしょうか』と表記する以上に、何か皮肉のようなものも感じます。また、『シニタイとかなんとか言いながら』という一文は、『死にたいとかなんとか言いながら』と表記するよりも”カタカナ”の特性が勝ってなんだか深刻さが感じられません。そして、書名にも繋がる『アイヨクにオボレる』という一文も『愛欲に溺れる』と表記するのとは全く別物の感情の表現のようにも感じてしまいます。どちらかと言うと後者のドロドロとした印象が薄まって軽やかさを感じさせるのも不思議です。といったように”カタカナ”使いの絶妙さがこの作品の表現の一番の特徴だと思います。
言葉の表現の二つ目は古語や俗語がいきなりぽんと使われるところです。『「ハシバさん、どっかにしけこもう」いらいらしながら、わたしは言った』と、使われる『しけこむ』という言葉。”遊郭や料理屋などの遊び場にひっそりと入り込むこと”を指す言葉のようですが、続く本文で『しけこむって、トキコさん、古い言葉使うね』と突っ込みが入るように今の世には普通には違和感を感じる言葉だと思います。また、『せんないようなにくたらしいような心もちになって』というひらがながやたらと続くこの文章の『せんない』です。こちらは”何かをしても報いられない”というような意味合いのようですが、読みづらいひらがなの連続と相まってなんとも引っ掛かりを感じる表現です。
次は印象的なシーンを見てみたいと思います。まず一つ目です。それは、『メザキさん、おしっこしたいの』と唐突に登場する主人公・サクラの一言から始まる場面です。『道ばたの草むらに踏みいった』、『スカートを腰までめくりあげ、したばきを下ろした』、そして『目を閉じて、放尿した』と続く一連の場面。私たちの日常における、起きて、食事をして、何か活動をして、性の営みがあって、そして眠るという一連の行動のそれぞれの場面は、数多の小説でさまざまな書きようがなされています。特に多いのは食の場面と性行為の場面だと思います。しかし、私たちの日常で誰もが欠くことがないはずなのに小説に登場することがほぼないのが”用を足す”場面です。そもそもそんな行為を記述してもそこからドラマが生まれることはない、だから記さないのだと一見思われがちです。しかし、そんな場面を意図的に入れている作品も存在します。私が今までに読んできた作品の中では、小川糸さん「さようなら、私」において主人公がモンゴルの大平原で繰り返し”用を足す”場面が描写されます。そこには、傷ついた主人公の心が解きほぐされていく様が同じ”用を足す”という行為の反復の中での微妙な感情の変化によって表されてもいました。また、川上弘美さん「せんせいの鞄」では『わたしは手洗いに行き、勢いよく用を足した』と繰り返し”用を足す”場面が記される中で小川さんの作品と同じような主人公の感情の変化をそこに感じました。一方で、この作品で”用を足す”場面は一度きりです。その効果としては、”用を足す”というある意味での孤独な行為を『さみしいね、おしっこしてても、さみしいよ』という主人公の心持ちを読者にも感覚的に伝える目的で描かれているように感じました。いずれにしても”用を足す”場面の登場はインパクトが非常に大きいものであり、そんな場面を登場させる川上さんの強い意図を感じます。
最後に、印象的なシーンの二つ目です。それが、『ユキヲは黙ったまま私を畳におろし、ていねいに服を脱がせ、乳房の間に鼻をうずめ、ゆっくりと行為におよんだ』と描かれていく性行為の描写です。この作品のレビューで”川上弘美版官能小説”という風に書かれていらっしゃる方もいる通り、八つの短編に性行為を描写するシーンは複数登場します。特に上記の表現の登場する〈亀が鳴く〉や、『執拗に、乳房にくちびるを当てるので、どうしても声が出る』と続く〈可哀想〉、そして『俺が、ほしいか』『いい声だな、おまえの声は』と展開する〈無明〉などそれぞれの短編の雰囲気に絶妙にマッチした性行為の場面がそれぞれの短編に登場します。しかし、それらは決して読者にいやらしい感じを与えないのが不思議です。そういったシーンを文章を通して読者が見るというよりは、どこまでいっても文学作品を読んでいるような印象、もしくは高い位置から俯瞰しているかのような印象も受けます。一方でだからこそ、これぞ”ジ・エロティシズム”と感じる方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。この辺りは、人それぞれだと思いますので、私の見方はこれまでとしたいと思います。
そんな表現の魅力に満ち溢れたこの作品は、全てが男と女の物語という一貫性をもった短編集でもあります。『あんたら、どういうの』と、関係を聞かれて『駆け落ちしてるんですよ』と真面目に男が答える表題作の〈溺レる〉。『ナカザワさんは肌をあわせるときにはたいがいわたしを痛くするのだ』というナカザワとの性行為のあり方を注視する〈可哀相〉。そして、『死んでからもうずいぶんになる』という冒頭の一文から読者を戸惑いの中に突き放す〈百年〉など、男と女の物語といっても、普通ではない状況下の関係性を描いていくこの作品。あまりにつかみ所のない内容が次から次へと読者を襲うその物語世界は読者の想像力を試しているかのようにさえ感じさせるものばかりです。そんなこともあって、好き嫌いがはっきり分かれそうな作品だとも思います。しかし、これこそが万人におもねらない川上弘美さんの作品の何よりもの魅力であり、その作品世界に読者も一緒に「溺レる」ことこそ、この作品を読む醍醐味なのかもしれません。
言葉の表現の魅力と、印象的なシーンの魅力、そしてつかみ所のない場面設定の中にいきなり放り込まれ、作品に「溺レる」ことが一番の魅力のこの作品。その独特な作品世界に一度はどっぷりとハマってみたい、そう感じさせてくれた不思議感漂う作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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木村綾子&前田エマ「直接的な性描写よりずっとノックアウトされた」 文学の“焦がれ” | ananニュース – マガジンハウス
https:/...木村綾子&前田エマ「直接的な性描写よりずっとノックアウトされた」 文学の“焦がれ” | ananニュース – マガジンハウス
https://ananweb.jp/news/402603/2022/03/06
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適切な表現ではないと思うが、境界知能に近しい主体性・生活能力の欠如した女性達の依存的な恋愛を収めたコンセプト短編集。
表題通り内容は感傷的かつ抽象度高め、作中人物に知を感じられず通読が少し大変だった。
一方、『神虫』『無明』など形而上的なアプローチが光る作品もあり、人は選ぶが文学的引力を持った一冊だった。 -
2025年6冊目『溺レる』(川上弘美 著、2002年9月、文藝春秋)
愛欲に溺れる男女の道行きを描く8つの物語が収められた短編集。
性表現は多いが、その背後に執着心のようなものは感じられない。また、短編は全て一人称小説なのだが、いずれの語り手も物事を俯瞰的に観測している。
本作の文体は軽やかで瑞々しく、登場人物たちのまぐわいは時として生々しいが、この著者と物語の距離感が、作品に乾いた寂寥感と儚さを生み出している様に思う。
〈ここはいったいどこなのだろうと不思議に思いながら、モウリさんに身を寄せていた〉
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不思議な世界に溺れました。
現実とは、少し軸のずれたところにいるような男女。どの作品も片方は生活者として社会参加もしている、しかし、どちらかは日常生活の中で時間や、住んでいる地面から少し浮かんだような奇妙な空間で暮らしている。
二人はこういうカゲロウのような淡い、見方によってははかない弱い生き物になっている、そんな日向か蔭か、流されて生きる人を書くのは、川上さんならでの世界だ。
短編集だが、テーマは、道行というか、世間からはみ出した二人連れの話で、行き着くところは、お定まりの別れだったり、話の最初から心中行だったりする。
別れは、まぁ文字通り、二人のうち世間並みに生きていける方が去っていく。
情死は遂げたが、目的どおりうまく死ねたり、片方が生き残ったりする。そして死んだ魂が、百年、五百年と漂っていたりする。
こういう風に登場人物の生活は何かとりとめがなさそうで、その根源は、単純に見えたり、哀しかったり恐ろしいものかもしれない。
川上さんの言葉の独特の優れた感覚、感性が雰囲気のある、短編集になっている。
「溺レる」という題名。次第に日常から離れて溺れていく男と女がアテもなくさまよい、部屋に帰ればはアイヨクに溺れる。
そういう行為が全編にわたって書かれているが、アイヨクに溺れたり、交歓だったり、交合したり、情を交わしたり、挑みかかられたりして極まったり、極まれなかったり極まったフリをしたりする。男が可哀想で施してやったりする。
ポルノに堕ちない文学作品はこういう書き方もあるのか。
作品の背景によって書き分けてられている情景も生々しくおもしろい。
さやさや
溺レる
亀が鳴く
可哀想
七面鳥か
百年
神虫
無明
男がこどものころ寝ていたら「七面鳥」が胸に乗ったという、夢の話か、それにしても足をたたんだ七面鳥の感覚が今でも甦る。
面白い話。
「さやさや」もいい。飲んで揺れる男の腰を見ながらついて歩く。気持が悪くなって道端で吐き、草むらに入って放尿する「さやさや」と音がした。
「溺レる」では、逃げている二人の会話がどこかずれているのに、二人で逃げている。
「リフジンなものからはね、逃げなければいけませんよ」といわれ
ひとつ逃げてみますか、というので逃げ始め、だんだんその意味も分からなくなってくる。
女は何もしないでゴロゴロしている。物事も全うできなくなった、以前は出来ていたのに、だから男との生活も全うできなかったのだ、「別れる」「出て行く」といって男が去った。
「百年」は心中で海に飛び込み死んでしまったが、男は助かり何もなかったように家族との生活に戻った。男は87歳で死に子も死に孫も死んだのがわかる。
「無明」
不思議な世界、事故で二人とも死んだが、今度は不死の体になった。男は50年前にタクシーの免許を取り運転手をしている。五百年経ったけれどまた五百年くらいすぐ過ぎるさ、と男が言う。無明の一面。
あらすじは余り意味がない。短い物語なのに面白くて、特に結びがいい。
川上さんの作品は読むたびに後に残る。全作読みたい思う作家が多くてなかなか追いつかない。まだ先があるというのも嬉しいけれど。 -
別の本に『百年』が紹介されていて、気になったので読んでみました。
川上さんの作品は初めてです。
内容に疑問や余白が多く、短編なのに詩みたいだなと思いました。
サカキさんはどうして死にたくなってしまったのだろう。
助かって?しまったあとは、どんな気持ちで87歳まで生きたのだろう。
この物語は、主要な登場人物二人が、既に他界しており、「私」が俯瞰してみている文章になっていて、とても不思議な気持ちになりました。
この作品を通して、何を伝えたかったのか。余白が多い分、考える甲斐があります。
肉体はなくなっても、人の想いは一生残り続けるのかなと思いました。
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自分と他人を隔たる境界線が、川上弘美にとって肌なのでは。
その肌の内側に空洞があって、それを他人で埋める女性は、社会に目もくれず自律していない。
一方で、その空洞を生物学的に満たす体を持ちながら埋めやすらしない男性は、女性を理解どころか関心すらもっていない。
体も心も満たされず、でも現状を手放せずにぬめぬめ生きる男女たち。
多かれ少なかれ、異性と適切な距離感をもてずにずぶずぶと生きる瞬間は誰にでもある気がする。 -
暗くてさびしい。でも後味悪くないのが不思議。
どうしようもない人たちが登場する。男も女も。
此処はいったい何処なのだろう?
同じような場所に、同じような男女が生息しているような。
百年とか、五百年後とか、お伽話みたいでおもしろい。
「亀が鳴く」が印象的だった。 -
静かな展開で進む短編集。
愛欲に溺れていく男女のお話です。
でも綺麗な流れなので何か心に響きます。
「アイシテルンデス」、肝心なときに言えないのはなぜだろう……。
二人で何本も徳利を空にして、ゆらゆらと並んで歩く暗い夜の情景―「さやさや」。
ちょっとだめな男とアイヨクにオボレ、どこまでも逃げる旅―「溺レる」。
もっと深い仲になりたいのに、ぬらくらとすり抜ける男―「七面鳥が」。
重ねあった盃。並んで歩いた道。そして、二人で身を投げた海……。恋愛の過ぎて行く一瞬を惜しみ、時間さえをも超えていく恋を描く傑作掌篇集。
他に「亀が鳴く」「可哀相」「百年」「神虫」「無明」など、全八篇。
2000年、本書で女流文学賞、伊藤整文学賞をW受賞。解説「つまらない女が飼う」 種村季弘 -
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ちょうどいい、は難しい。ちょうどいい具合に、ちょうどいい加減で、ちょうどいい頃合に。でも、いつも、少し多かったり、少し少なかったり、気を抜いていると、多過ぎたり少な過ぎたりして、行き着くところまで行ってしまう。あるいは、いつまでもたどり着けなくなってしまう。
愛しているからおよんでみたけれど、およべばもっと繋がれるはずだったけれど、むしろもっと寂しくなる。およべばおよぶほど、一人になる気がする。それなのに、ちょうどいい、は難しい。
そんな物語が螺旋のように繰り返されていた。 -
男女が愛欲に溺レる短編集。でも、好きだからとか、快楽のためとか、そういう感じではなく、「何だか分からないけどそうしなきゃいけなくなっちゃったから」みたいな。あとは、やたらと食べ物がおいしそうだった。性や食事を貪っているのに、なぜか不快感な感じはしなかった。個人的には、全員コナンの犯人のような影で想像した。よく分からなかったけど、たしかに溺レる感じはあった。
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う~ん、退廃と現実逃避の世界だなぁ~。
でも面白い...。この世界観はなかなか味わえないので、定期的に触れてみたくなるだろうな...。好き嫌いが分かれる作品だと思う。私はOKにしたい。 -
これは官能小説。
性描写もいやらしくなくて、どこか芸術的なモノに感じる。
川上氏は、擬態語大好きだね。
擬態語を芸術的に表現していると思う。
でもこの官能小説・・・
卑猥ととるか、芸術的とるかは、
読者次第かな。
私は「作品」として、とっても完成度高いと思いますが。 -
「この小説の空気に、たゆたう」という経験は、唯一無二のもの。
主人公たちは、いわゆる、「社会のなかで生きてく!」って感じじゃなくて、
よくわかんないとこに、あっけらかんと、住んでいる。暗いとこに住む湿った動物みたいに。
そこは、ユーモラスで、エロティックで、童話みたいに怖くて、キラキラしてて、ダサくて、哀しくて、いろんなものが未分化で、生とか死とかも、境界もなくて、暗くて明るくて、ドライでウェットで、ぐちゃぐちゃで、混沌としてて、真実なんだとおもう。
そして、静かなので、すき。からだの深いところが、ぞっとしたり、よろこんだりするのを体験できる、いい小説だと思います。 -
恋愛の、特に男女の関係のその部分だけを濃く濃く表現した短編集って感じでした。なんで彼と一緒にいるのか、なんで別れるのか、なんで彼が好きなのか、ということよりも『その人が好き』という感情だけが濃い。
お気に入りは『七面鳥が』でしょうか。彼を蹂躙したいって、普通、使いません…。 -
つまらない女と、つまらない男による、短編8つ。「つまらない日常」なのに、どこに連れていかれるのかわからない怖さがありました。
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自分を置いて先をいくとめどない感情たちと、それらが呼び寄せた状況に溺レる感覚。痺れる
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まだわたしが読むには早かったのかもしれない
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う、うげ〜〜〜〜!!!何!?意味わからない!
なにこれ!ちょっと気持ちが悪いかも!!
という内容ではあったけど(※私にとっては)、やっぱり川上弘美の文章はすごい。なんか内容は嫌だけどすいすい読んでしまう。
もともと川上弘美の他の短編をいくつか読んで、彼女の作品にハマっていたのだけど、この本はそれらとは全く異なるような話ばかりだった。書き方も少し違う。だけど川上弘美特有の、私の大好きな、淡々とした空気感はそこにあって、さらりと読めてしまった。
官能的な場面が多く登場するけれど、その淡々とした描き方のお陰で読み切ることができる。すごい。
物語の中で登場人物の年齢について説明されなくとも、きっとこの人たちは中年くらいで熟しているのだろうと、文から読み取ることができた。
読んだあと、何も残らないのが心地良い。
やっぱり川上弘美が好きだなあ。
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川上弘美の作品
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